OUEN DANCHOホームページのリニューアルをリリースする。

昨日、 OUEN DANCHOのホームページをリニューアルしてリリースした。https://ouen-dancho.jp/

このホームページは昨年立ち上げたが、このコロナ禍もあり、来し方70年弱を振り返り、これからの後半生(人生120年を想定しているが、こればかりは天のみぞ知る。だからこそ、ガンジーの「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」と言う箴言の通り、日々真剣に生き、学ぶことを止めることをしてはいけないと思う)を如何に生きるか、人間の原点に立ち返って考えようと思った。
そして、70歳からの後半生を後悔することなく堂々と人生を生き抜くために、 OUEN DANCHOホームページをリニューアルしたものだ。

妻や私のメンターは「同じことを還暦の時も言っていましたね。人生は有限であり、たとえ80歳まで現役で頑張ったとしてもあと10年強しか残されていないんです。『夢見る夢夫』で終わってしまう」と笑いながら、半分以上呆れ顔でそんなことを言う。
「それもそうだ」とこの私も分かっている。しかし人間の命は有限ではあるが、だからこそ、その命が続く限り、夢を追いかけて生きることだ。
人間は成長し続ける動物だから、私は日々成長していくことができる。現実に少しづつでも成長している。
そして、究極、仕事のさなかに倒れることこそ、幸せな人生というものではないか。

コロナは人間にとって、未曾有の試練ではある。しかし、欲望と驕りの中で生きてきた人間に「謙虚と感謝の心」を気付かせてくれた天からの降臨の一面もあるのではないか。

「生きるとは何か」「人間如何に生きるか」「人間は『利と理と情』をどのようにコントロールしていけば幸せになることができるのか」「世のため人のために生きることの意味は」等々、この1年は本質的なところで、人間の原点を考える1年だったような気がする。

危機に遭遇すると人間の本性が露わになる。隠れていたものが表に出てくる。その意味で、コロナは、私に、それぞれの人たちとの距離感のあるべき形を鮮明に示してくれた。

私の甘ちゃん人生の70年弱は、反省の日々の連続であったが、今は、この反省は私の人生の肥やしになっている。だから後悔することはない。私の周りに起こることは全て私の心を磨く『磨き砂』なのだ。
そう自分に言い聞かせ、これからの人生、私は何をするべきかを考える時、恐れ多いが、論語に言うところの古稀の意味が分かったような気がする。古稀は従心とも言う。

『七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず』
「自分の思うがままに行なっても、決して正道から外れない」と言う意味だ。

私のような凡人はその域には到底到達すべくもないが、その入り口にたどり着いたと言うところか。自然体からはほど遠いが、そのように思おうとすると、その意味が分かってくる。そうすると、冷静な穏やかな心になって、人とぶつかることはなくなる。いや、そこまで達観はできないが、「腹を立てても得になることはない。所詮人間のレベルが違うのだから争うことはしないでおこう」と思えるようになってきたような気がする。

⑴生涯に亙り、夢を追いかけよう。
⑵支えていただいている多くの人々に感謝の心を持とう。
⑶人生を前向きに、明るく、生きていこう。
⑷私らしく、私の得手をフルに発揮できる環境のなかで、世のため人のために尽くそう。

今回のホームページリニューアルは、そのための一里塚であった。

これからが私の人生の後半戦だ。現役は31年強、余生を加えて51年強は長いようで宇宙の命と比較すれば、芥子粒のように小さく短い。それでも、その宇宙の大流に沿って、堂々とした人生を送りたいと思う。

小林 博重

高校同期会の思い出をYouTubeにアップする。

私の人生の来し方を振り返ってみると、そのベースは東京大学応援部と金沢大学附属高校だ。この多感な時代に私の精神の根っこはできたのだと思う。この時代は、私の春夏秋冬の「春」だ。春があって、その心根で「夏」を生きてきた。甘ちゃんの私には酷暑の夏ではあったが、春に育てた「人間の芯」を失うことなく68歳まで生きてきたと思う。

春の終わり(40代前半)には、経営のカリスマ稲盛和夫さんとの出会いがあった。稲盛さんは私の人生のメンターである。

「メロンはメロン、かぼちゃはかぼちゃ。メロンはかぼちゃにはなれない」ことは私でも知っている。経営の才が皆無の私は決して稲盛和夫さんにはなれないが、生き方は「人間として正しい生き方」をしたいと思うし、それは稲盛さんも私も同様であろう。

45歳から25年間。私の夏は、生き方・存念を具体化させようとした模索の時代ではなかったか。そして、ようやく模索が天然色になって私の前に現れてきたというところか。

ビスマルクは『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』と言った。この70年弱、成功とはほど遠いが、経験から多くのことを学ぶことができた。そして、馬齢を重ねたおかげで少しは賢くなっただろう。歴史から学ぶこともできるようになった。そして、多くの信頼がおける仲間たちが私の周りに集まってきていただいている。

経験と歴史と人さまとのご縁によって、これからの70歳から30年間の私の「秋」は、きっと「実りある秋」になることだろう。

金沢大学附属高校はこじんまりとした、1学年150名前後の高校だ。アットホームで、和気藹々、進学校とは思えない、温かい高校だった。

特に、私の同期(22回生)は大変結びつきが強く、首都圏と関西圏と金沢で頻繁に同期会を開催している。首都圏は、私と岡山県在住の友枝(現、大津)恵さんが永年幹事を引き受けている。コロナ前は春秋の年2回、東京で同期会を開催していた。

今回、友枝さんが同期会の写真を整理して、YouTubeでアップしてくれた。https://youtu.be/OtrxdA7HnxY

高校時代、1年次は大和・奈良時代を訪ねて、大和と吉野の徒歩旅行。2年次は修学旅行で芭蕉の「奥の細道」を訪ねて、東北旅行が忘れられない思い出だ。

還暦を過ぎて、同期会で集まるのなら、飲食で集まるだけではなく、往時の思い出の地に出掛けてみたいということで、大和と吉野を旅した。なかなか東北とは行かないこともあって、琵琶湖・比叡山の散策旅行も開催した。そんな懐かしい思い出の写真集だ。

金沢大学附属高校校歌は、金沢が産んだ歌人室生犀星の作詞によるものだ。この前のZOOM同期会でみんなで校歌を歌った。

私は東京大学の応援歌の他には、金沢大学附属高校校歌しか学校に関する歌は覚えていない。それだけ附属高校の思い出は懐かしく、私の生きるベースになっている。

小林 博重

新型コロナウイルスワクチン接種の予約を済ます。

先週末に東京都港区から「新型コロナウイルスワクチン接種券」が自宅宛に届いた。昨日から電話かネットでの受付が開始されたが、電話は何回かけても話し中で通じない。それではネットでと思ってチャレンジしたが、そんなに簡単には事が進まない。妻はネットで予約を済ませたというので、昨夕帰宅して何とか予約することができた。

接種会場:国際医療福祉大学赤坂キャンパス
日時:6月1日
ワクチン種別:ファイザー

5月17日からワクチン接種が始まるが、昨夕の段階では5月は空きがなかった。皆さん、65歳以上の高齢者であり、コロナ感染には敏感ですぐに対応したのだろう。 私は第1回の接種が6月1日だと第2回も6月中に接種できる。ちょっとホッとできるか。

毎日の食事療法と週3回の2時間ウォーキングで、身体は少し軽くなったような気がする。ベルトの穴も2つは縮まった。体重は60kgを目標としているので、あと6kgの減量だ。意思を固く持って、秋までには目標に到達したい。

しかし、先日の生活習慣病健診のバリューム検査で胃に異常が見つかったとかで、胃カメラで再検査になった。今日の午後から新赤坂クリニックで健診結果の説明がある。 以前にも一度同様な指摘があり、鼻から胃カメラを入れて検査した。
多分、ストレスで胃炎を起こしているのだろうと思うが、少々心配ではある。

とにかく、健康あっての物種。仕事もミッションも健康でなければ絵に書いた餅だ。特に、高齢者になった以上若い頃のような暴飲暴食、勝手気儘は許されない。 謙虚にお医者先生のご指摘を受け止めて、早く健康体に戻るように努めようと思う。

小林 博重

「バカな」と「なるほど」

ようやく5月の活動が本格化する。古稀からが私の『実りの秋』だ。そして、それまでの1年半が、人生70年間の整理整頓の時間だ。それは少しずつ形になってきている。

勿論、そのためにいくつか血を流すことはあるだろうが、血気に走らず、心穏やかに、真っ直ぐ、正当な生き方をすることだ。決して本質を外してはいけない。

松下幸之助さんは「順境よし、逆境なをよし」と、稲盛和夫さんは「苦を磨き砂にせよ」と仰る。全て、我が身に降りかかってくることは、自らの魂を磨くための 『磨き砂』であり、それを素直にそのまま受け入れて、淡々と冷静に対処することだ。全てそれは「宇宙の真理」に沿ったものであり、人間はそれを乗り越えて大きく成長するのだ。

『幸せ4因子』を心がけて生きるのとが成功の要諦だと教えられた。
⑴やってみよう!→自己実現と成長
⑵ありがとう!→つながりと感謝
⑶なんとかなる!→前向きと楽観
⑷あなたらしく!→独立とマイペース

今、その4つとも、私の心の入り口に辿り着いているように思う。そして、その「成功の要諦」を極め、私の血肉にしなければならないと思っている。

GW中に、経営学の第一人者である、国際大学の伊丹敬之学長が書かれた『経営の知的思考・・・直感で発想、論理で検証、哲学で跳躍』(東洋経済新報社)を興味深く読んだ。そこに伊丹先生の畏友である神戸大学名誉教授の吉原英樹先生の著書『「バカな」と「なるほど」』という、経営戦略の本とは思えないタイトルの本が紹介してあった。 1988年に出版された本だが、四半世紀も経った2014年に復刻出版されたという珍しい歴史をもつ、いい本だとか。

「バカな」と「なるほど」の組み合わせの大切さの背後には、「バカな」と多くの人が思ってしまうことの背後に実は意外な真実、意外な論理がきちんとある、という本質があるのだと。

「美しいものを目指す」という哲学も、「神の隠す手を信じる」という哲学も、はじめて聞いたときには「バカな」と多くの人が感じそうな哲学である。そんな甘っちょろいことで、厳しい現実の世界での跳躍ができるのか、と。 しかし、その哲学の内容を詳しく聞いてみると、「なるほどそれならありうる」と思えるような哲学でもある。
たとえば、「美しいものを目指す」という哲学の場合、美しいものの背後には、シンプルな論理があり、そのシンプルな論理が現実での実行の際の助けや指針になってくれる、というメリットが生まれる。だから美しいものを目指すという哲学は、跳躍の基盤たりうるという論理が成立するのである、と。

私は真っ直ぐ、真っ正直、あくまでも正当派で、世の中を生きていきたいと思う。
私なりの確固とした『人間哲学』を血肉にして、その論理を基盤として、天から与えられたミッションを果たすことだ。

日本マクドナルドの藤田田さんは「勝てば官軍」と嘯いたが、それは「勝つためには手段を選ばず」という、稲盛和夫さんの成功の方程式とは真逆の哲学だ。

人生、経営の成功の方程式=考え方×熱意×能力

考え方が間違っていれば、その積は、熱意や能力が頭抜けていたとしたら、その積は極めて大きいマイナスになるのだ。

人生の成功のためには、「人間として正しい考え方を死守すること」だ。

小林 博重

オリンピックに思う。

コロナ感染が止まらない。東京、大阪、京都、兵庫に加え、愛知、福岡が5月末まで緊急事態宣言が継続・発出される。その他の道県も多寡はあるものの、その拡大は留まることはない。

オリンピック開会式は7月23日。3カ月を切った。開催するのか中止するのか、もうその期限は過ぎている。

政府や東京都から「こういう状況になったら『中止』せざるを得ない」という言葉が出てこないのは、開催することしか選択肢はないと言うことだ。お金絡みなのだろう。

しかし、間近になって感染者拡大が止まらないことになれば、中止せざるを得ない。「IOCがその決定権を持っている」と言うのは責任回避でしかないのではないか。7割以上の国民が開催に反対しているのだ。国民のための政治をするというのであれば、「中止」の条件を発するべきだ。「何だ、この政治家たちは」と思わざるを得ない。

オリンピックはロス五輪から商業主義に堕したと言われている。

オリンピックは「平和の祭典」である。たとえ世界に紛争があったとしても、オリンピックを通じて「世界の平和」をアピールすることであれば、オリンピックは開催されるべきだろう。オリンピックは平和が大前提なのだ。

しかるに、今は平和か。全世界の人類の多くが平和を希求してオリンピック開催を願望しているのか。答えは「ノー」だ。今は全世界共通の敵であるコロナと闘う時ではないか。

オリンピックのために、看護師500人と医師200人をボランティアで募集している。

そんな人がいるのであれば、その人たちにはコロナ対応に従事していただくことが先決ではないか。この危機的状況で、看護師や医師はいくらいても足らないのではないのか。

白血病から復帰し、競泳のオリンピック代表に内定した池江璃花子選手(20)が7日、自身のSNSに出場辞退を求める声などが寄せられていることを、ツイッターで明らかにした。

その上で、「非常に心を痛めたメッセージもあった。私に反対の声を求めても、私は何も変えることができない。やるべきことを全うし、応援していただいている方たちの期待に応えたい一心で日々練習している」と。

また、五輪中止を求める声には「仕方なく、当然のこと」と理解を示した。

一方「五輪をやるなら全力で、ないなら次に向けて頑張るだけ。暗い世の中をいち早く変えたい気持ちは皆さんと同じ。それを選手個人に当てるのはとても苦しい」とも。最後に「頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守ってほしい」と呼びかけた。

池江さんは、白血病を克服してオリンピック代表を勝ち取ったアスリートだ。病気を克服して精神も大きく成長したのだろう。人間的に素晴らしい。オリンピックで頑張ってほしいが、国民の多くが支持するオリンピックでなければかわいそうだ。

何事も判断は、冷静に、客観的に、バランスを考えて、人の気持ちに思いを致して、正当に、何が正しいか、人間として何が正しいのか、を熟慮に熟慮を重ねて、不退転の決意を以て断行することだ。

小林 博重

ウォーキングのドッキング

今日の東京の気温は25°。今年最初の夏日になった。私はいくつかのウォーキングコースを決めているが、今日は明治神宮コースと靖国神社コースのドッキングだ。

外苑前→(青山通り)→渋谷→(明治通り)→原宿→明治神宮→新宿高島屋→(靖国通り)→市ヶ谷→靖国神社→千鳥ヶ淵緑道→(内堀通り)→半蔵門→(麹町大通り)→四ツ谷→信濃町→新国立競技場→神宮球場→外苑前。

途中、四ツ谷三丁目の丸正本店で買い物をしたので、4時間強、25千歩。少し早足で、無理をせず。これは私のこれからの後半生と同様だ。 丸正には一般のスーパーでは売っていないものがあるので、その買い物をして、外苑前に戻って、ヴィラマルシェでヨーグルトや牛乳などの食料品を買う。 私は、以前とは買い物の中身がガラッと変わった。生活習慣病を強く意識しているせいだろう。明日も天候は晴れのようだ。明日は2時間ウォーキングにしておこう。

再来週は月曜日から金曜日まで九州出張の予定だったが、東京は5月31日まで緊急事態宣言が延長になった。福岡県も12日から31日まで緊急事態宣言が発出される。長崎県からも県外の人は来ないでほしいとのこと。どちらにしても出張はキャンセルだ。 昨日は、何社か先方からのキャンセルの連絡があり、その他の企業は私からキャンセルした。5月中は東京に閉じこもって東京の企業とのコンタクトを取ることにしよう。

私のところにも東京都港区から「新型コロナウイルスワクチン接種」の接種券(クーポン)が送られてきた。65歳以上の高齢者が優先だから、68歳の私のところにも来たのだ。 お上の指示に従って3密どころか1密もしないようにしているが、念には念を入れて私も打つことにしようと思う。

「65歳以上の高齢者」というフレーズは耳にタコができるほど聞いている。私がいくら抵抗しようと68歳なのだから高齢者なのだ。しかし、それは自然年齢のことであり、いくつかの病気は持っているが、身体と精神のメンテナンスをして、ミッションを果たすのだ。要はそのバランスなのだ。何事もバランスが大事だ。

人のお役に立つためには、謙虚と感謝の心は必須であるが、それには健康でなければならない。それは気持ちだけではダメだ。意識を持って「健康オタク」くらいになるくらいでないといけない。 それと、熱するところを間違えてはいけない。夢を果たすためには情熱がなければならないが、どうでもいいことに貴重な熱を使うことは絶対にしてはいけない。 熱は「情熱」だけでいい。コロナの熱やどうでもいい熱は願い下げだ。自分の人間のレベルが下がってしまう。私は私自身を「矜恃を持った人間」であると思うからだ。

そんなことを考えながら、長いウォーキングを楽しんだ。そして、心身ともにリフレッシュした。こんな生活をしていると、コロナは全くご縁がないと思う。

明日は「母の日」だ。子どもたちから妻に「母の日のプレゼント」が送ってきたらしい。
私も、明日は妻を誘ってランチでもしようか。たまには、そんなことをしないとバチが当たる。

小林 博重

魂を研磨し続ける。

どう生きるか、なぜ生きるか、悩みができたときのみならず、心が晴れてその生き方を再確認するとき、私はいつも稲盛和夫さんのご本を紐解く。

そして、私の生き方がこれでいいと確信し、その道を邁進しようと思う。稲盛和夫箴言集は私の心の鎮静剤である。

私たちはともすると、物事を複雑に考えすぎてしまう傾向がある。しかし、物事の本質は実は単純なものだ。いっけん複雑に見えるものでも、単純なものの組み合わせでできている。

大きな志を実現していくには、多くの人々の力を結集していかなければならない。そのときに大切になるのが、「正しい道義」である。高邁な志をもって、ひたむきに努力を続ける人のまわりには、自然と志を同じくする人が集まってくる。そのようにして末広がりに仲間が増えていくことで、やがて当初想像もできなかった偉大な成功を実現することができる。

私は、「善き思い」をもつと運命が好転するのは、人を助けるような美しい思いが宇宙の法則にかなっているからだと考えている。宇宙には、すべてのものを成長発展させる自然の力が流れている。これは、宇宙の法則とも呼べるものだ。この宇宙の法則と順行するか逆行するかで、人々の運命は決まってくる。

心を高めるということは、生まれたときよりも少しでも美しい心になって死んでいくことだと思う。生まれたときよりは死ぬときの魂のほうが少しは進歩した、少しは心が磨かれたという状態。それは、身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、やさしい思いやりの心がしだいに芽生え、わずかなりとも利他の心が生まれるというような状態だ。また、そのように心を高めていくことこそが、我々が生きる目的だ。

人生は心のありようですべてが決まっていく。それは実に明確で厳然とした宇宙の法則である。

人生は、たった二つのことからできあがっている。一つは、その人がもっている「運命」であり、もう一つは、「因果応報の法則」である。運命とは宿命ではない。波乱万丈の人生の節々で、心に何を思い、何を行うのかによって、運命は大きく変えることができる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生む、この因果応報という横糸を、運命という縦糸に織り込んでいくことで、人生という一反の布地ができあがる。

人間は、しばしば本能をベースとして判断を行う。しかし、それでは動物とおなじだ。本能を抑えなければならない。利己的な欲望が出てきたときに、意識してそれを抑え込もうとすることが必要なのだ。そうすることで、理性を発揮し、正しい判断を行うことができる。

本能、感性、知性では、必ずしも正しい判断ができるとはいえない。人生の重要な局面や、会社の行く末を左右する大切な判断であればあるほど、それは「真我」にもとづいた「魂」から発したものでなければならない。

心のもっとも中心にある「真我」から世界をみて物事を判断できたら、その判断はけっして間違うことはない。なぜなら真我とはすなわち、この宇宙を宇宙たらしめている存在そのものだからだ。心をひたすらに磨いていって、真我そのものの意識になることができたら、この世のあらゆることが瞬時に理解できるはずである。

ふだんの生活のなかで、毎日の仕事のなかで、つねに自らの心を高め、魂を研磨し続ける。そのような生き方をしていれば、たとえ悟りにまで至ることはなくても、わずかなりとも「真我」に近づいていくことができる。そういう生き方をしている人は「宇宙の流れ」と合致している人であり、真我に近づくに従って、現実はよい方向へと転じていく。幸運に恵まれたすばらしい人生を送れるようになる。

いろいろなことがあった1週間だった。心穏やかに、魂を研磨し続ける人生を送らなければならない。

小林 博重

私のミッションを果たすために「健康オタク」になる。

BMI(Body Mass Index)を調べる。BMIは体重と身長から算出される肥満度を表す体格指数だ。

計算式

○BMI=体重kg÷身長m÷身長m

○適性体重=身長m×身長m×22

私の場合、BMI25.46、適性体重57.03kg、適性体重比+8.97kgだ。

まだまだ、適性体重への道は遠い。取り敢えず、目標を△6kgの60kgとしよう。

肥満体質だと糖尿病、高血圧、脂質異常等の生活習慣病になりやすいのだと。既に私は全てに当てはまる。

「68歳にしては若い」とか言われて、今までは身体のことはあまり気に留めなかったが、それは「精神の若さ」でカバーしていたのだ。

心身は通じている。身体にガタが来ると必然的に精神にも影響が来る。「一生青春」「一生燃焼」というわけにはいかない。不完全燃焼で夢半ばで終わってしまう。

これからは「健康オタク」になることだ。

GW後半は、9時前後に床に就き、2度ほどトイレに起きるが4〜5時まで眠ることができている。7時間は眠っている勘定だ。

やはり、よく眠ると体調はいい。寝不足だと、事務所でデスクワークや読書をしていてもいつの間にかうとうとしてしまっている。これはコスパとしては高くない。やはり、心身は通じているのだ。

100歳現役を目指すなら、本腰を入れて健康オタクになることだ。そして、高いコスパでバリバリ仕事をやりたいものだ。

今日のあいだみつをさんの日めくりカレンダーは、

どうでもいいものはどうでもいいんだよ

いちばん大事なことに一番大事ないのちをかけていくことだ

そうなのだ。どうでもいいものはどうでもいいのだ。

私の有限である命は、全力投球して、私に与えられた「私だけのミッション」を果たすことなのだ。

小林 博重

人生を『推敲』する。

アッという間にGWの最後の日になった。

昨年同様、緊急事態宣言中であり、天候にも恵まれたおかげで、2〜4日の3日間は2時間ウォーキングで心身をリフレッシュした。

あの半月前の腰痛は何だったのだろう。とはいっても68歳の老体(本人はさほどそうは思っていないが)である。無理はいけない。

あと32年弱、100歳まで現役を続けようと思っているのだから。

今年のGWは、ある意味で実に有意義な1週間になったように思う。

「推敲」することをこれほど徹底して行ったことはない。それは『人生を推敲する』ことでもある。

Wikipediaで「推敲」を調べる。

推敲(すいこう)とは、文章を何度も練り直すこと。

唐代、都の長安に科挙(官吏の登用試験)を受けるためにはるばるやってきた賈島は、乗っているロバの上で詩を作っていた。その途中、「僧は推す月下の門」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」という語を思いついて迷ってしまった。彼は手綱をとるのも忘れ、手で門を押すまねをしたり、叩くまねをしたりしたが、なかなか決まらなかった。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の行列がやってきたのにも気づかず、その中に突っ込んでしまった。さらに悪いことに、その行列は京兆府事(長安の都知事)、韓愈の行列であったため、賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれた。そこで彼は事の経緯をつぶさに申し立てた。優れた名文家であり、漢詩の大家でもあった韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合った。

このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という。

私の人生の春夏秋冬では70歳からが「実りの秋」だ。それまでの70年間を客観的に俯瞰し半生を総括し、70歳から100歳までの30年間を「実りの秋」として結実させるのだ。

平常の1週間では仕事に追われ、目の前の事象の対応に追われてしまう。

その臨機応変の能力がビジネスセンスの多寡なのだと思うが、それだけでは長い人生を俯瞰することをせずに日々を過ごしてしまうことにならないとも限らない。

そのことを考えると、強制的にそのような時間をつくることは、年中無休が信条の私にとって大いに意味があることだ。

そして、その推敲する材料が、「招かれざる客」であっても、それは天が「磨き砂」として私に与えてくださった天恵であると前向きに捉えることだ。

九州北部信用金庫協会の篠原専務から「幸せ4因子」のcopyをいただいた。

幸せ4因子とは、以下の4つである。

  1. やってみよう!  自己実現と成長
  2. ありがとう!  つながりと感謝
  3. なんとかなる!  前向きと楽観
  4. あなたらしく!  独立とマイペース

今のところ、この「幸せ4因子」は、私の心身に沁みわたっているように思う。

この調子で、あと32年弱、100歳まで現役を続けよう!

小林 博重

リーダーには、才よりも徳が求められる

一昨日、昨日と、2時間ウォーキングに精を出している。

昨夕、「明日は五月晴れだ。自信を持って言います」と、ウエザーマップ創業者で天気予報士の森田正光さんが言っていた。今日もウォーキングだ。3日連続のウォーキングを楽しもうと思う。昨夕のテレビニュースで、緊急事態宣言にも関わらず3密を無視して行楽を楽しんでいる人たちを放送していた。「因果応報」の言葉を思い起こして行動していただきたいものだ。

ウォーキングは心身の健康のために一石二鳥の運動だ。健康は勿論のこと、歩きながら物事を整理できるし、アイディアが閃くことも間々ある。

2時間ウォーキングをすると、私は速足なので歩数は1万5千歩強くらいだ。「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」と諺にあるが、無理をすることなくウォーキングを楽しむことにしよう。

稲盛和夫さんのロングベストセラー『生き方』〜人間として一番大切なこと〜(サンマーク出版)を読む。

もう何回読んだことだろう。いつも新鮮な気持ちで読む。私の最高のバイブルだ。

私は一匹狼で生きているが、「人間として、そのリーダーでありたい」と思っている。

第3章「心を磨き、高める」の中の「リーダーには、才よりも徳が求められる」が、私が目指すところの指針だ。

稲盛さんは仰る。

私が考えた「人生の方程式」は、考え方、熱意、能力という三つの要素の乗数で表されます。

不祥事を起こしたエリートたちはみな、人並みすぐれた能力をもっていたはずです。熱意や使命感もあり、これまた人並み以上の努力もしたにちがいありません。しかし肝心の「考え方」に問題があったため、せっかくの能力や熱意も正しい方向へ発揮されなかった。そのために誤った行為を犯し、社会に害をなしたばかりか、自らの首を絞めるようなことにもなってしまったわけです。

ここでいう考え方とは、生きる姿勢、つまり哲学や思想、倫理観などのことであり、それらをすべて包含した「人格」のことであります。謙虚という徳もその一つに数えられるでしょう。その人格がゆがんでいたり、邪なものであれば、いくら能力や熱意に恵まれていようがーーーーーいや恵まれていればいるほどーーーーーもたらされる結果の「負」の値は大きくなってしまうのです。

道徳の崩壊、モラルの喪失がいわれる昨今こそ、こうした言葉の意味を肝に銘じるべきでしょう。人の上に立つ者には才覚よりも人格が問われるのです。人並はずれた才覚の持ち主であればあるほど、その才におぼれないよう、つまり、余人にはない能力が誤った方向へ使われないようコントロールするものが必要になる。

それが徳であり、人格なのです。徳というと、そこに復古的な響きを感じる人もいるかもしれませんが、人格の陶冶に古いも新しいもないはずです。

同じような趣旨のことを、中国は明代の思想家、呂新吾がその著書「呻吟語」の中で明確に説いています。すなわち、

「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」

この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力といいかえられるでしょう。つまり呂新吾は、人の上に立つ者はその三つの要素を兼ね備えていることが望ましいが、もしそこに序列をつけるなら、一が人格、二が勇気、三が能力であると述べているのです。

私自身のことは勿論のこと、どのような人をビジネスパートナーとするか。同様な観点で人を選ぶことを忘れてはいけない。

小林 博重