中島清成先輩と東大応援部の[3Sスピリッツ]

昨日、東京大学応援部『赤門鉄声会』の慶弔旗が青山の事務所に届いた。
この慶弔旗は、OB OGの冠婚葬祭のおりに、希望者に貸し出すことを目的としてつくったものだ。この4月の鉄声会総会で、私がその管理を任されたため、製作会社から送られてきたものだ。

赤門鉄声会は東大応援部OB・OG会だ。
戦後、東京六大学野球が神宮球場で復活した出鼻、東大が最終戦で慶應大に0対1で惜敗し、準優勝を飾ったことがある(東大のAクラス入りは後にも先にもこれしかない)。 そのおり、数人の東大生が応援席にTIU(東京帝国大学)の文字を書いた旗を振って応援した。
彼らは南原総長から総長室に呼ばれて、総長から言われた。
「大学の復興はスポーツの振興にかかっている。君たちはその旗振り役となれ」
との一言が東京大学応援部の創設につながった。昭和22年のことだ。

OB会の赤門鉄声会はそれから10年足らずでできたのであろう。その創設者は昭和31年卒の中島清成(なかじまきよしげ)さんだ。中島さんは昭和30年の主将(団長)だ。元朝日新聞の政治部記者、日刊スポーツ新聞社社長。小林桂樹の主演映画のモデル(大学の応援団長)にもなったそうだ。聞屋(ぶんや)さんだけあって文才に優れた方だ。 東大応援部の3Sスピリッツは中島さんがおつくりになった。

東大応援部の[3Sスピリッツ]
①Service
②Sacrifice
③Study

私はこの3Sスピリッツを私の個人会社(南青山ビジネスパートナーズ=Map)のモットーにして、私なりに意訳している。

①Service→社会貢献
②Sacrifice→活私奉公
③Study→人生修養

個人会社のモットーにしようと思ったのは、中島さんから「応援とは何か」の本質を教えられたからだ。
それは、私が独立する前だったから15年以上前だったろうか。渋谷マークシティのサッポロライオンで中島さんに東大応援部現役向けにお話しをしていただいたことがある。私はそのお話しに感動した。

彼は、3Sスピリッツをつくられたことのほか、東大応援部の応援マインドについて熱く語ってくださった。

応援とは、
1.人に寄り添う心→論語の「恕の心」
2.尽くす心→上から目線ではなく「横から目線」
3.宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の心→「行って○○する心」すなわち陽明学の「知行合一」
4.縦の規律のなかに、横の心を添える。
5.緩やかでありながら強固に結びつき、お互いが対等である関係
6.肩組み合って夢を追い続ける。
7.大らかで、牧歌的で、自由闊達
8.応援は黒子

それが南青山ビジネスパートナーズおよびOUEN Japanのモットーになっている。

また、OUEN Japanは学生(日本人大学生や来日留学生)の応援団だが、彼らを「支援し、力づけ、そして屈することなく応援し続ける」応援団として、 1.Support
2.Strengthen
3.Sustain
の3Sスピリッツをモットーとしている。

しみじみと鉄声会慶弔旗を眺めて、そんなことに思いを致している。

小林 博重

人間は性善だが性弱な動物だ。

東京は、台風8号が東北地方に上陸する恐れがある影響で、今日は一日中雨模様だ。毎日の早朝2時間ウォーキングは欠かさないが、今日は休養日としよう。

昨日のいくつかの面会で考えた。

人間の性質について”性善説”や”性悪説”が言われるが、私は「人間は性善だが、如何せん性弱なために人の道に反することをしてしまうのだ」と思う。 人間は決して性は悪ではないのだ。心が弱いために悪を働いてしまうのだと思う。

私はそのために、習慣を大切にしたいと思う。「7つの習慣」というベストセラーがあったが、日々のコツコツとした地道な良い(善い)行いが人間の性弱を少しずつ強くする。そして、その性善を強く顕在化させ、人間としてしてはいけないことを少しずつでもしなくなってくるのだと思う。

心を強くするために、言い訳はしないことだ。理屈をつけて弱い心によって引き起こされる現象を正当化しないことだ。ネバーネバーネバーギブアップの心が大切なのだ。

あるOUEN Companyの依頼で、別のOUEN Companyを紹介する。それは、ウィンウィンのビジネスの展開ができればとの思いで両者をセッティングするのだが、それだけではない。紹介してほしいとお願いされた会社とご無沙汰していることがあったら、このセッティングでそのご無沙汰を埋めることができる。それは、私に紹介を依頼してきた会社のおかげなのだ。 全てのことはつながっている。

縁は異なもの味なもの
転んでもただでは起きない
災い転じて福となす

それぞれの意味は違うが、人間の考えることはそんなに賢いことではない。世の中、全てつながっているから、どんな出会いでも大切にすることだ、ということではないか。

そんなことを考えると、このコロナ禍で、ZOOMなどのオンラインの効用のみならず、その限界もよく分かったのではないか。
人と人がリアルで会い、さまざまな会話を交わすことで、今まで気がついていないことが顕在化することが間々あるのだ。

コロナ禍でなかなか自由気ままに人に会うことはできないが、万全のコロナ対策をして、人との出会いをつくっていきたい。

小林 博重

“理”に添えられた”情”

緊急事態宣言の中、東京オリンピックが始まった。無観客のオリンピックは前代未聞だが、アスリートにとってはそんなことは関係はないだろう。今まで鍛えてきた力を遺憾なく発揮することに尽きる。

オリンピックはだんだん盛り上がってきている。そのことが、コロナの感染状況に関わらずオリンピックを開催するという、無為無策とは言わないが政府をはじめとする関係団体の失策を帳消しにするものではないが、アスリートの生涯を掛けたパフォーマンスには感動する。

昨日、柔道の阿部兄妹、水泳の大橋、スケートボードの堀米の4選手は金メダルを獲得した。彼らの努力の結果が勝利を呼び込んだのだ。勝利を掴んだ勝者の爽やかな笑顔は実に素晴らしい。

また、昨日は、情の熱さが勝利を呼び込むことを強く感じた。
阿部兄妹の金メダル然り。卓球の水谷・伊藤の混合ダブルスの対ドイツの試合での大逆転然り。水谷隼さんと伊藤美誠ちゃんは同じ静岡県磐田市出身。同じ卓球教室の先輩・後輩だとか。美誠ちゃんが幼い時から「お兄ちゃん」と慕っていたらしい。 血が繋がっていてもいなくても、いずれもこの二組の2人には”情”という温かい血が流れているのだ。

人と人の温かい心のつながりが絶体絶命に追い詰められても跳ね返すことができる力になる。この2つのペアはそのことを証明したのだ。

稲盛和夫さんは「”理と情”のいずれも欠けては経営はできない。理に情を添えるのが経営だ」と言われる。
理とは理屈ではない。「人間として何が一番大切なのか」「人間として何が正しい道なのか」を追求することだと私なりに理解している。 その”理”をこの世で実現するためには人と人との”温かい情”がなければならない。
ともすれば、”情”は情実につながる恐れがある。いや、情実を”情”と勘違いしてしまうことが間々あるのではないか。情実を”情”と勘違いして、人間として正しい道を踏み外してしまうのだ。 あくまでも”理”がある”情”でなければならないのだ。

阿部兄妹と水谷・伊藤ペアは、謙虚であり、真っ直ぐであり、2人に通っている”情”は、”理”に添えられた”情”であることは間違いない。これからますますのご活躍を祈る。

小林 博重

4泊5日の金沢・能登、大阪の出張を終える。

23日(金)、9:54金沢発〜12:37大阪着のサンダーバードに乗る。サンダーバードは北陸本線〜湖西線経由の特急だ。乗車時間は2時間43分。 北陸新幹線で東京まで2時間半。大阪までつながるのは2046年。
この現実は、金沢が関西圏から首都圏にシフトしていることの証明になる。

昨日は、大阪のあるOUEN Company と、私の人生のプロデュースについて、侃侃諤諤、ザックバランな打ち合わせの時間を持った。
私は村田英雄の『王将』をアレンジした、歌謡演劇『王将』が十八番なだけあって、気質は大阪なのだ。長く東京に住んでいて、住むのは東京が一番と思っているが、気質は大阪なのだろう。 義理と人情、本音で勝負、東京への反骨精神、「明日は東京に出て行くからは何が何でも勝たねばならぬ」という王将の台詞は、私の人生の生きる根っこである。

古稀を機に、私の第一の人生をリセットし、第二の人生をスタートする。その準備作業は少しずつ整理できてきて、総天然色までもう一歩のところまで来ている。 そのためのスタートのディスカスだった。

スターツのCMではないが、「人が、心が、すべて」だ。信頼できる人とのコラボでなければ、成功はおぼつかない。
オールラウンダーである人はごく稀であり、それには私はほど遠いことは自分が一番知っている。
人間の命が無限であれば、自らの凹んだところをカバーすべく、精進努力をするべきだろうが、如何せん、人間は不死身ではない。100%人間は死ぬ。
だから、自らの足らずを認め、その足らずをカバーしてくれる信頼できる友・仲間に任せることだ。そして、凹んだところに力を入れない分、突き出た、自らの得手を磨くことに全力を傾注して、その得手を人のために尽くすことだ。

自らの凸凹を素直に認めること、凹んだところがあることは人間として当たり前なのだから、それを隠すことなく、素直に表現することが大切だ。それが人間の成長ということだろう。そんなことを語り合った。

今朝も3時過ぎに目覚めたが、ウォーキングはしない。朝風呂に浸かり、帰り支度をして、このブログを書く。新幹線は予約してあるが、ひかりの自由席で早めに帰ることにする。 10時過ぎに外苑前の事務所に帰り、荷物を整理して西櫻亭伊勢丹新宿に向かう。

今日は一人娘の安藤裕美ちゃんと妻との親子水入らずのランチ会食だ。いつもお世話になっている西櫻亭の皆さんに金沢のお土産を買った。

無事、4泊5日の金沢・能登、大阪の出張が終わる。ちょっとホッとしている新幹線の中だ。

小林 博重

OUEN学生リーダーたちとの楽しい会食&ミーティング

4時前に目覚め、金沢最後の2時間ウォーキングを楽しんだ。犀川縁にはウォーキングを楽しむ人のほか、川に入り、山女魚(やまめ)だろうか、川魚を釣る釣り人が何人か釣りを楽しんでいる。 また、私以上のお年だろうか。20人は下らない元気な老人たちがゲートボールに興じている。

私は金沢の犀川縁がとても好きだ。金沢のゆったりした長閑な自然風景とその背後にある穏やかな歴史を感じることができるからだ。 東京では、青山の自宅近くの神宮外苑を中心とした自然のなかをウォーキングすることを好んでいるが、それと同様な想いで犀川縁のウォーキングを楽しむ。 ビジネスでの出張も、このような、その土地の自然を感じることができるウォーキングを楽しみたいものだ。

昨夜は、OUEN学生リーダー有志との会食&ミーティングを行った。
参加者は、砂原君(金大、富山県)、矢ケ部君(金工大、福岡県)、横川君(金工大、富山県)、浅井君(金工大、富山県)、鴨井君(金工大、長野県)の5名だ。 みんな真面目に人生を考えている若者だ。そんな学生しかOUEN塾には参加しないのだろうが。

コロナ禍が1年以上続いており、オフラインのOUEN塾は開催できていない。昨秋にはオンラインで開催したが、初めての試みだったこともあるのだろう。オンラインの限界もある。どうしても人と人との関係性に物足りないものがある。やはり、リアルな対面の意見交換があって、人は心を動かすものだ。深みがないと、そこからの発展性も出でこない。

次回は来秋(9月中旬がいいか、夏休みの終盤、学期が始まる前の時期)にオフラインOUEN塾をすることにする。それまでの1年強の期間は学生リーダーたちが中心にOUEN塾の企画を練ることにしよう。

自分たちのこれからの長い人生を幸せなものにするためにOUEN塾は貢献したいと思う。
単なる企業を知るとか、就職候補先を見つけるとか、ではない。もっと根源的な人間としての有り様を見つけるためのOUEN塾でありたい。考える人間でありたい。人のために尽くす人間でありたい。それは全て、本人の人生に跳ね返ってくる。情けは人のためならずだ。必ず自分に跳ね返ってくる。だから、いいことをすることだ。人のために尽くすことだ。とても簡単なことなのだが、それが分かっていない人が沢山いる。自分が体験して体得することが一番の教育になる。そんなOUEN塾でありたい。

今回の出張では、社会人のアドバイザーを何人かの方にお願いした。皆さん快諾いただいた。

入口さん(七尾商工会議所)
福井さん(はくさん信用金庫)
戸田さん(前LNSジャパン社長)
絹川さん(絹川商事社長)

また、加賀屋の川端部長は、女性の活性化は会社への入社ではなく、受け入れる会社は入学・卒業の感覚を持つことだと。コペルニクス転換が不可欠なのだと。実に納得した。

のと共栄信用金庫の鈴木理事長、興能信用金庫の田代理事長も老若男女一緒に能登地方の活性化を展開したいとお考えだ。
野々市の絹川商事の絹川社長も野々市活性化に注力されている。

若い学生たちが加わって、住んで働いている石川県を元気にしていくこと、卒業して外から石川県応援することでもいい。

社会人の人たち=OUEN Companyの皆さんのサポートをいただき、学生たちが企画実行するOUEN塾にしていきたい。

若者に大いに期待している。

小林 博重

犀川縁のウォーキングを楽しむ。⑵

梅雨明けで、金沢は熱中症警報が連日出ている。
日中はウォーキングどころではないが、早朝の犀川縁は、気温は25度であっても川風が心地よく吹いて、快適なウォーキングを楽しむことができる。

昨日同様、片町の犀川大橋から犀川縁を歩く。昨日は川下に向かって歩いたが、今日はその逆で川上に向かって歩く。1時間歩いて、来た道を折り返す。 私同様、ウォーキングを楽しむ人がちらほら。年配者が多い。水鳥が水面をスイスイと泳いでいる。長閑な早朝の犀川の風景だ。

私は高校時代は犀川近くの寺町で下宿をしていた。1年生の土日は能登の実家に帰ることが多かったが、2〜3年生にもなると帰っていては受験勉強が捗らないこともあり、土日も金沢で過ごすことが多くなった。 気晴らしに犀川を歩いたり、犀川を渡って片町の繁華街に出掛けたりした。16〜17歳、もう半世紀も前のことだ。

犀川を歩くと半世紀前の高校時代を思い出す。いい思い出ばかりだが、それも私が東京に住んでいるからだろう。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」と思う私は、今はほんとの石川県の人間ではないのだろう。

東京から石川県を応援することが私のミッションだろうと思う。私は根っからの応援団なのだから、いろいろな組織にどっぷりと入り込むことは、それがどんな組織でも抵抗があるのだ。私はそれでいいと思う。それが応援だ。それが応援の本質だ。

終の住処を定めて、新たな第二の人生をスタートしようと決めて、今週、金沢に来た。
OUEN Companyの方々にお会いして、今まで以上に人と人とのつながりの深みと拡がりが出てきたように思う。
OUEN Companyは、九州と石川県から、”友だちの友だちは皆友だち”の数珠繋ぎでどんどん他地域に拡がっていくように感じている。

腹が固まると皮が剥ける。

今年は新しいニ生の準備活動期間だ。来年、満70歳からの私の秋を素晴らしい実りの秋にしたいと思う。

小林 博重

和倉温泉加賀屋さんのこと

プロレドパートナーズ根津さんの運転で金沢から七尾に向かう。
“のと里山街道”はフリーウェイで信号はなく、車もさほど走っていない。全く渋滞なしで、1時間半で和倉温泉加賀屋に到着する。

加賀屋さんはOUEN塾の協賛企業だ。第1回OUEN塾について、学生リーダー中心に企画・実行し、協賛企業のご意見も参考にして、来秋に開催したい旨をお伝えする。

加賀屋さんは、30数年に亙り”おもてなし”でナンバーワンにランクされている日本一の和風旅館だ。七尾線特急で金沢から約1時間。 石川県では、加賀に山中・山代・片山津の加賀温泉郷があるにもかかわらず、能登半島にある和倉温泉の加賀屋が日本一の旅館と言われるようになったのはどうしてだろう。
私が幼少の頃の加賀屋は、それは和倉温泉では有名な旅館だったが、全国レベルで今ほどのメジャーな旅館ではなかったように思う。それは、小田オーナーの卓越した経営者能力のせいなのか。そのほかに何があるのだろう。 何はともあれ、能登半島をメジャーにした一因は加賀屋さんの存在が大きいのではないかと思う。

川端経営企画部長から、胸にストンと落ちる話を聞いた。
同社は今年80名の新入社員を採用したのだとか。このコロナ禍の時に、それも観光業という一番コロナの影響が大きい業種にかかわらず80名の採用だ。坂本地方創生相もそのことで加賀屋にお見えになったとか。

逆転の発想からすれば、観光業を就職先と考えている学生を採用するには、他社が採用を手控えている今は優秀な学生を採用するチャンスということもあるのだろう。
就職戦線では加賀屋とバッティングする先はJALやANAなんだとか。キャビンアテンダントを考えている女子学生は加賀屋も就職先として考えているらしい。ちょっとビックリだ。 JALやANAは今年は採用がなかったので、加賀屋を就職先として選んだ女子学生も多くいたらしい。

川端部長は、彼女たちは加賀屋に入社したのではなく、加賀屋に入学したのだと。今の時代は、人生を生き生きと生きるために、加賀屋に入学して何年かして卒業して、次のステージで頑張る時代なのだと。
加賀屋を卒業したことは自分を高く売る一つになればありがたい。加賀屋がブランドになればありがたい。加賀屋のファンが至るところにできる。そして、ファンがファンを呼ぶ。

私が若い頃は「寿退社」という言葉があった。女性は結婚して辞めるのが幸せな人生だということだ。ていのいい肩叩きだ。そこには女性の能力を生かすという発想はない。 しかし、加賀屋の入学・卒業は女性の能力を生かす、多様な女性の生き方をサポートするというところがある。加賀屋としてもバランスの良い人事計画につながるのだ。
彼女たちのほとんどは3〜4年の在職期間であるから、教育期間は1年(そのように教育制度を変えたのだとか)。2年目からは一人前として、バシバシ働いていただく。それが加賀屋も社員もハッピーなんだと。

実に納得した。
何事も柔らか頭で人生にチャレンジすることが、いい循環をつくることになるのだろう。

小林 博重

 

犀川縁のウォーキングを楽しむ。

久しぶりの金沢の企業訪問だ。
菱機工業(北川取締役)
会宝産業(佐藤社長室長)
浦建築研究所(浦社長、鈴野専務)

ZOOMでの打ち合わせはできるが、やはり、リアルでないと肝心要の話にならない。
無駄なようで無駄ではない。
雑談のなかからアイディアが出てくる。新しい人と人との出会いが生まれる。
コロナで得たことの一つに、人と人とのリアルな出会いが如何に人間の心を豊かにし、その中から新しい発想が生まれてくるか、ということがある。

[OUEN塾 in金沢/石川]は昨秋にオンラインで開催したが、やはり深みに欠けたイベントだったように思う。やはり、オフが主でオンが副でなくてはいけない。 次回は来秋(9月か10月)のコロナの終息を待ってオフラインで開催することにしたい。
明日のOUENリーダーたちとの打ち合わせにそのことを伝えようと思う。そして、1年以上かけて、学生リーダーたちが練りに練って企画したOUEN塾にしたいと思う。そして、私のミッションは、リーダーたちが希望する協賛企業を開拓することに徹しよう。

今朝も4時前に起きて、宿泊先のドーミーイン金沢から武蔵ヶ辻〜片町〜犀川大橋〜犀川縁のウォーキング〜ドーミーインと1時間半のウォーキングをした。 歩いた後のドーミーインの温泉にゆったり浸かる。そして、6時半からドーミーイン売りの美味しい朝食(1,800円の豪華朝食)だ。 これだけでビジネス以上の旅気分になる。やはり、ビジネスホテルはドーミーインに限ると実感する。

今日は、プロレドパートナーズの土谷支社長、根津マネージャーと七尾の企業に同行訪問だ。私が生まれた中能登町を経て七尾に行く。 加賀屋〜スギヨ〜七尾商工会議所〜のと共栄信用金庫、を訪問する(恵寿総合病院は東京がコロナで緊急事態宣言中のため、急遽ZOOMに変更)。

OUEN塾とOUEN Company で、皆さんのお役に立つ活動をしていきたいと思う。

小林 博重

久しぶりの出張(金沢・能登、大阪)

久しぶりの石川県出張だ。4月以来、3カ月ぶりだ。やはり、故郷への出張は別格だ。18歳までしかいなかったが、何かあると石川県のことが気になってしまう。

特に、甲子園で開催される夏の全国高校野球選手権のおりは、絶対石川県勢を応援する。また、松井秀喜さんが現役プレイヤーのおり大ファンだったが、それは彼の素晴らしい謙虚な人間性もさることながら、彼が石川県出身であることも大きい要素だ。
また、コロナでは北陸三県では石川県が富山県や福井県より格段に感染者が多いことをいつも気にしている。金沢が日本屈指の観光都市であることも原因なのだろうかとも思うが、コロナ禍でもそんなに観光客は多いのだろうか。

とにかく「ふるさとは遠きにありて思ふもの」だ。東京に住んでいるからこそ、ふるさと石川を一際懐かしく思うのだろう。

今日は金沢、明日は能登の七尾。明後日は海の日で祝日だが、休みでも会っていただける社長さんたちとの会食と打ち合わせに、夜はOUENリーダーたちとのミーティングだ。
そして、金曜日はサンダーバードで金沢から大阪に入り、大阪で私をプロデュースしていただくという有難いプレゼンをいただき、その打ち合わせをして、土曜日に新大阪から東京に帰る。

「かがやき」の車中には一両10名程度しか乗車していない。3密には東京ほど遠い。この1週間、出張で気を緩めることがないように、くれぐれもコロナには気をつけよう。どうしても観光でないビジネスでの出張であっても気が緩んでしまう。くれぐれも気を引き締めて過ごそうと思う。

小林 博重

才媛たちの生き方から学ぶ。

今週は久しぶりに、今日から24日まで、4泊5日の出張だ。20〜22日が金沢と能登、23日が大阪だ。
石川県では、OUEN塾の協賛企業を訪問し、OUEN塾(オフライン)のヒアリングと来秋に開催するご報告をする。また、OUEN塾学生リーダーたちとの打ち合わせもする。 大阪では、私の活動に賛同してくださるITベンチャーからの「私をプロデュースしていただく」提案をヒアリングする。どのようなプレゼンをいただくのかとても楽しみだ。

東京は緊急事態宣言が発出されている。また、神奈川・埼玉・千葉の首都圏は緊急事態宣言が発出されてもおかしくないコロナの感染状況だ。また、今週出張する石川県と大阪市も同じようだ。
こんな時に出張するのは1カ月前にアポを入れていたからなのだが、これが1年前の第一波の時であったら、お互いキャンセルをし合っていたのだろう。また、何回も経験して対処の仕方が身についていることもある。そして、そうしなければ私が展開しているビジネスもボランティアも全く先に進まないことが大きい。 お国任せではこちらが干上がってしまうのだ。公助はあてにならない。自助で乗り切ろうと腹を括るしかないと言うことだ。
菅総理が言う「まずは自助、次に共助、最後に公助」ではやってられない。真逆がこれからの生きる道だ。

梅雨が明けて、早くも猛暑の兆しだ。東京も最高気温が34度。最高気温35度以上の猛暑日はこれから当たり前になるのだろう。コロナもさることながら、くれぐれも熱中症にも気をつけなければならない。 昨日も4時半から2時間ウォーキングをしたが、もう日中はこのようなことはできない。天候は安定しているからこれからも早朝ウォーキングは続けようと思う。

今日は7時20分東京発金沢行きの北陸新幹線「かがやき」に乗車するので、ゆったりと事務所でデスクワークだ。1週間の出張になるので、25日に支払い手続きをするネットバンキングは本日済ませた。そして、今日はウォーキングは中止。金沢でのウォーキング用にウェアとシューズを鞄に詰めた。 8月末までに、体重64kgを切るところまで持っていきたい。チャレンジしてみよう。

南麻布了聞で馬形さんに紹介され、相知(おおおち)美和子(旧姓渡辺)さんにお会いした。馬形さんの早稲田大の同級生で早稲田政経を首席卒業された才媛だ。中国語の同時通訳者である。昭和53年ソニーに総合職で入社された。
当時は早稲田政経では渡辺さんただひとり。ソニーも女性総合職は彼女が第1号。井深、盛田のあのソニーですら、いくら意識が高い優秀な女性であっても、クリアするハードルは極めて高かった時代だ。 私が銀行で採用担当していた昭和60年に男女雇用均等法ができたが、それでも日本の企業は女性を生かす発想はなかった。
男性の上司たちはとんでもない総合職女性を自分の部署に配属させたと思っていたし、事務職の女性たちも優秀な同性へのやっかみで色眼鏡で冷ややかに見ていたふしがある。 そんな時代より7年前に渡辺さんは社会人になった。

企業では、優秀な女性は、女性であって女性でないと思わないと生きていくことができないと。今でもそんなところはあるが、その草分けだ。
そんなことを思うと組織で自由気ままに、それぞれの個性をフルに活かして生きていくことの難しさを思う。だから、優秀な女性は経験を積んで、ある年代になったら独立独歩の人生を歩くのだろう。そうでないとやってられない。銀行で大事にされていた、この私ですら「やってられない」と思って銀行を辞めたのだから。

私は、男性より女性のほうが人生を思う存分生きていく可能性は高いのではないかと思う。その分、そのハードルは高いし、意識も高くなければ生きていけない。 組織で生きるにしても、一匹狼で生きるにしても、可能性は高い分、そのハードルも高いのだろう。私もそのような意識が高い優秀な女性を見習って生きていきたいと思う。 そうすれば、彼女たちは私のサポーターにもなってくれるはずだ。

小林 博重