「時は金なり」ではなく、時は『いのち』

土曜日一日かけて、1週間の出張で崩れていた体調を元通りに戻した。やはり、出張は環境が変わることと、マイペースで過ごすことができないこともあって、年中無休の私でも元に戻す日が必要のように思う。とは言っても、その一日は仕事をしないわけではないので、年中無休の生活には変わりはないが。

糖尿病が指摘されてから食事に気をつけている。しかし、出張では実行できないことが多い。それもストレスになる。今週は東京なのでマイペースで食事療法ができ、そのストレスは解消される。

金曜日に帰宅したら、新赤坂クリニックから「成人病健診」の案内が届いていた。いつも1月に人間ドックを受診しているので、これからは半年ごとに受診することになる。
今までは、命に関わる指摘がなかったから特に健康にはこれと言って注意を払わなかった。しかし、再検査で糖尿病の指摘を受けてから、このままでは仕事ができなくなる、私のミッションを果たすことができなくなる、100歳現役は夢のまた夢になるかもしれないと思うようになって、否が応でも健康を意識するようになった。

野菜中心の食事、腹8分目、禁酒、脂っこいものは食べない等々。

朝食は王様の食事、昼食は普通、夕食は乞食の食事。
朝食はいくらなんでもビフテキというわけにはいかないから王様の食事と言ってもたかが知れている。夕食の乞食の食事は、最近の乞食には糖尿病が多いらしいから、日本が貧しい時の乞食の食事なのだろう。とにかく、食事を意識するようになった。

松下幸之助さんは、経営が成功するためには3つの条件があるという。
第一に、経営哲学や理念、思想、志等
第二に、いろいろな発想ができる、発想が湧いてくる環境を整備すること
第三に、戦略と戦術
なのだと。

一匹狼の私としては、それに「100歳まで働くことができる健康」と、「人を大切にして、仲間として働いてくださる信頼ができる人たちの人脈」の二つを加えたい。

若い時には「死」を意識することなく生きてきたような気がする。人間は必ず一度は死ぬのだから、決して人ごとではないのだが、そんな意識はあまり持つことがなかった。 しかし、不惑を過ぎ、人生80年時代では残りの人生があと半分と思うようになって、急に死を自分ごとと思うようになった。
そして、生まれた意味とか、自分に与えられたミッションとかを日々ことあるごとに考えるようになった。自分のルーツの発見と同じ意味だろう。
「私が生まれた意味は幸せになるため」だが、それの具体的行動とそれによっての目指すべき目標を持つことだ。そして、紆余曲折、七転八倒を重ねて、今の自分がある。そして、あと30年の現役生活でそれを果たしたいと思う。

「夢と希望」は、自分を元気印にしてくれる万能薬のようなものだ。時は有限だからこそ人間は成長する。

あいだみつをさんは書いている。「アノネ、時は金なりなんていうけれどね、時は『いのち』だよ。
『いま』という、この時は自分の一生の中の一しゅんだからね」

あと30年。いやもっと短いかもしれない。
いずれにしても健康に一層留意して、健康であることを神さまやお天道様に感謝して、精一杯、私のミッションを果たすために生きていこうと思う。

小林 博重

熱く清い想いの同志たち

1週間の九州出張は今日が最後だ。1〜3日目は福岡、4日目(昨日)は長崎。昨夜に佐世保に入った。今日は、佐世保の会社訪問から始まり、長崎の会社2社、ハウステンボスの長崎国際大学訪問で打ち止め。長崎空港から帰京する。

長崎での足はクリーン・マットの田中社長にお世話になりっぱなしだ。同社とのお付き合いは、福岡のOUEN塾に協賛いただいたことがスタートだが、長崎IRプロジェクトの長崎の協力企業開拓にこれほどお世話になるとは想像もしなかった。私の図々しさのなせる業だが、このような清い心の会社はそうあるものではない。

今日も、吉岡常務にわざわざ佐世保までいらしていただき、運転手を務めていただける。いくら感謝しても感謝し切れない。このお礼は、私たちのグループが長崎県から最後の1社に指名され国からも指名されて、長崎IRプロジェクトを現実のものにすることでしかない。

昨日はJR鈍行で、長崎から大村湾を逆時計回りで佐世保に入った。2時間10分以上の各駅停車の旅だ。快速シーサイドラインでも1時間40分はかかる。 長崎の人はビジネスでは長崎⇄佐世保のJRは使うことはないという。高速道路を使っての移動なのか。とにかく、長崎と佐世保は遠いと思う。同じ県とは思えない。

江戸時代は長崎は大村藩から天領として幕府に差し出された土地だ。大村藩の家老である長崎氏の領地であったことから長崎という地名がついたのだとか。つまり、長崎は大村藩の一部なのだ。
一方、佐世保は江戸時代は小さな漁村だったものが、軍港ができて佐賀県から多くの人が移り住み、それが今の佐世保を作った。佐世保はどちらかと言えば、歴史と文化は佐賀県に近い。

この相容れない長崎県の2つの市を長崎IRは一つにする。そして、長崎IRは九州北部の3県(長崎県、佐賀県、福岡県)がリードすることで、九州創生の象徴となることができる。そのような熱く清い想いが長崎IRを成功に導いていく。

昨日、大村市に本社がある九州教具の船橋社長と、同社が経営する長崎市駅前のホテルで、約1時間半、九州創生の話で盛り上がった。船橋社長は新橋の三千和商工の家令社長から紹介された方だ。家令社長が仰るには、船橋社長は熱い想いがあるアイディアマンだと。きっと小林さんと気が合うだろうと。家令社長の想像はピタリと当たった。

仲間がどんどん増える。同じ想いの仲間だ。熱く清い仲間たちだ。きっと想いは実現するだろう。まずは想いありきだ。

船橋社長は長崎IRに手を挙げている別の事業者から声をかけられていたのだとか。しかし、そのコンセプトや想いに同意できなかったので、協力企業になることをお断りしたのだとか。

船橋社長は、私が話した「OUEN Japanの想いが地方創生にあり、その手段として長崎IRがある」ことに心動かされたと。そして、その想いを実現させようと。ありがたいことだ。

何がなんでも勝ち抜こうと思う。改めて、そんなことを強く思った一日だった。

小林 博重

九州・長崎IRプロジェクトで一体感ある長崎県にする。

九州出張3日目。中村調理製菓専門学校校長の中村哲さん(東大応援部の1年後輩)、九州経済連合会会長の麻生泰さん(麻生セメント社長、麻生副総理の実弟)に九州・長崎IRプロジェクトの現状を報告し、いろいろとアドバイスをいただく。 また、ザイマックス藤原常務は大阪から来福・同行いただいて、JR九州やゼオライトをご紹介いただいた。
心温かい人たちのおかげで、人とのご縁は拡がっていくことを痛感する。

若い時はこうはいかなかった。歳の離れた人たちは皆人生の大先輩であり、同年代の仲間づくりが唯一の人脈づくりだった。
しかし、歳を重ねるにつれ、人間は練れてくる。人付き合いも老若男女、当然その幅は拡がってくる。

その中で、人脈を深掘りすることができる要諦は、人間みな対等であるという偉ぶらない謙虚な心と人さまへの感謝の心を持つことだろう。そうすれば、人は人を紹介してくださり、自ずと人脈は拡がる。 「言うは易く、行うは難し」という諺があるが、私にとって人脈づくりだけは「行うは易し」だ。自然体でできることだ。「好きこそ物の上手なれ」を地で行っているだけだ。 いいチームワークとは「好きこそ物の上手」の人たちをバランスよく集めて纏め上げることだろう。

福岡出張を終え、特急かもめで博多から長崎に向かい、長崎IRプロジェクトの協力企業の皆さんと情報交換の会食の時間を持つ。

OUEN Company は九州の地方創生を目指す。
そのために多くの福岡・長崎・佐賀の九州北部3県の地場企業にOUEN Companyに加わっていただき、緩やかで強固な仲間づくりをすることだ。九州北部から中南部に拡げていくことだ。
そのためには、福岡銀行グループや西日本シティ銀行グループ、九州北部信用金庫協会等、地元金融機関の力を借りることが不可欠だろう。そして、彼らが応援している有力企業を仲間に入れることだ。

OUEN Japanイコール小林博重だ。その一匹狼のOUEN Japanが如何にして九州を元気にするか。その仕掛けを一つづつ地道に作っていこうと思う。

今日と明日の2日間は、長崎と佐世保の企業と長崎国際大学を訪問する。長崎市と佐世保市は同じ長崎県であるのに、歴史と文化が違い今一一体感に欠ける。
今回の九州・長崎IRプロジェクトを通じて、まずは一体感ある長崎県になることだ。そして、九州北部、次に九州全県へ拡げる。OUEN Japanはその一助になりたいと思う。

小林 博重

人をベースとした価値観

6件の中身の濃い、怒涛の企業訪問を終えて、博多駅の博多シティ9階のレストラン街にある加賀屋で加賀能登料理を堪能した。加賀と能登の新鮮な海山の幸を材料にした上品な日本料理だ。福岡への出店は、加賀屋の小田社長夫人が福岡のご出身ということもあるのだろう。

福岡に来るたびに加賀屋に出向く。加賀屋は能登の和風旅館だ。30数年に亙り、和風旅館日本一にランクされているふるさと能登の誇りの名店だ。その食事もさることながら、おもてなしが半端ではない。福岡の加賀屋でもそのことを実感している。

仲居の森田さんは、私が初めて訪ねた時、私の生まれは加賀屋がある七尾市の隣町の中能登町だと、親しげに話したことを覚えていらして、3ヶ月くらい間があいていたろうか、2回目に訪ねた時「小林さん、いらっしゃいませ」と私の名前を覚えていらした。これには驚くやら感心するやら。それから私は森田さんの大ファンになってしまった。おもてなしとは、そんなちょっとしたことだ。自然体で人の心を惹きつけ和ませる。しかし、誰でもできるようでできない。日本のおもてなしは世界に誇れる日本文化だ。

夕方、古屋三郎君が東京から合流した。私たちと同じく1週間の九州出張の予定だったが、東京での打ち合わせが多忙を極め、1泊2日の福岡出張のみになった。何せ、九州・長崎IRプロジェクトでは、大石さんの片腕となって泥縄状態で仕事をしている。私が「ブラック企業に入ったね」と笑いながら冗談まじりで話すと、言われてやっているのではないからブラックではない。心が通じていればブラックではないのだと。 素直で誠実な好青年だ。

勿論、ハード過ぎて身体を壊すようでは問題だが、好きなこと、人間らしい心が通じる人間関係が維持されていれば人はブラックとは思わない。

中央官庁の高級官僚も昔日は国家を支えている、国民のために尽くしていると心から思って仕事をしていたのだろう。だから、たとえ仕事は超ハードであっても、矜恃を持って仕事をしていたのだ。
しかし、今はどうだろう。高級官僚を志望する東大のエリートは以前より減っている。エリートはベンチャービジネスに魅力を感じるのだ。政治主導と聞こえはいいが、官僚の矜恃を持つことができない現実がある。

私は44歳で銀行を辞めたが、結果オーライ。68歳でも生き生き働いている。健康に留意すれば100歳現役だ。そして、70歳からの30年を”実りの秋”にすることは絵空事ではない。

そして、私の人生の夢構想は、少しづつ現実化してきている。

小林 博重

九州出張1日目

久しぶりの九州出張だ。昨年11月以来。5ヶ月振り。4泊5日。OUEN Japan専務理事で、”九州・長崎IR&スーパー・スマート・コミュニティ”プロジェクト代表の大石惠津子さんとの弥次喜多道中だ。

10時半羽田のANA。1時間45分で福岡に着く。搭乗客は定員の半数程度。春休みが終わって新年度がスタートしたせいか。大石さんと隣り合わせで雑談しているとあっという間に福岡に到着した。

九州出張はこのプロジェクトの仲間づくりが目的だ。何せ”長崎”を起点とする”九州創生”がミッションだ。
九州の仲間たちが地元に根を下ろして地方を創生する。その応援団がこのプロジェクトであり、”OUEN Japan=小林博重”はその応援団長なのだ。

福岡の企業を2社訪問。2社とも前向きに協力していただく感触だ。タモリの「友だちの友だちは皆友だち」を地で行けば、人脈はどんどん拡がる。そして”類は友を呼ぶ”。心根の良い人たちが私たちの友だちになってくださる。

昼は福岡名物のうどんとやまかけ、夜は仙台名物タンとやまかけ。お酒は飲まない。何せ、痛風もちで糖尿病の入り口なのだ。1〜2ヶ月は食事療法に努めて、体質改善をしなければならない。

9時前に就寝。いつものように真夜中に目覚める。
高校の同期たちからメールが入っている。ZOOM同期会をきっかけに何人かの同期とのメールのやり取りがある。金沢大学附属高校はこじんまりしたアットホームな高校だが、私たちの同期は特に仲がいい。そして同期たちとの交流で、心は多感な10代に戻る。そして、半世紀前が走馬灯のように甦る。やはり青春は素晴らしい。肉体は老年でも心は青春でありたいものだ。 そして、彼らにメールを返す。若返った心、新たな気持ちで、今日からの仕事にチャレンジしようと思う。青春の友はいいものだ。

今日は6社訪問と多忙だ。
“忙しい”は心を亡くすと書くが、多忙は認知症予防になる。”忙しい”の中身が問題なのだ。
多忙とは、認知症予防の特効薬でありたいものだ。

小林 博重

「世のため人のため」は私にとって偽りではない。

今日(5日)から9日まで、4泊5日の九州出張、今年初めての出張だ。5〜7日は福岡、8〜9は長崎。フルでアポが入っている。緊急事態宣言が解除になったとはいえ、現実は緊急事態に変わりはない。政府がそう言っているだけで、賢い人は「自分のことは自分で守る」しかないと知っている。決して気を緩めることがあってはならない。それと私の場合は、糖尿病対策で食事に気を付けることが加わる。

昨日は久しぶりのウォーキングをした。外苑前〜絵画館〜四ツ谷〜半蔵門〜靖国神社〜四ツ谷〜外苑前の約2時間。

昼食は四谷三丁目の日高屋でレバニラ定食だったが、夜は日清医療食品の宅配弁当。ボリュームはお子様ランチのようで物足りないが、味は悪くはない。これから当分、自宅での夕食は宅配弁当になる。

ここのところ、血圧は120前後〜60前後、尿酸値は6台と正常値。しかし、中性脂肪が少し高い。
これを機に、肉体を健康体にすることだ。

とにかく、100歳現役で世のため人のために働くことが私のミッションなのだ。目標と意志があれば、人間は何でもできる。ネバーギブアップだ。

高い目標をもつ(稲盛和夫塾長)
高い目標を設定する人には大きな成功が得られ、低い目標しかもたない人にはそれなりの結果しか得られません。自ら大きな目標を設定すれば、そこに向かってエネルギーを集中させることができ、それが成功のカギとなるのです。明るく大きな夢や目標を描いてこそ、想像もつかないような偉大なことが成し遂げられるのです。

あいだみつをさんの日めくりカレンダーには「人の為と書いて、いつわりと読むんだねぇ」とある。

私は、私のミッションを「世のため人のために尽くすこと」と自らを鼓舞するためにも言っている。
私は今「世のため人のために尽くす」ことは「自分のため」だと思っている。
私もあいだみつをさんのように「人の為はいつわり」と思っていたからだ。しかし、深掘りすると「世のため人のため」は「自分のため」なのだ。

自分のために生きることが「世のため人のため」と思うに至って、「人の為」はいつわりではないと心が定まったのだ。

私はちょっと理屈っぽいなと思うが、それが性格だから致し方ない。

自分の心をいつわることなく生きることだ。それが「世のため人のために生きる」ことにつながる。

小林 博重

幸せな人生を送るために

『人は考えたとおりの人間になる』

イングランド生まれのジェームズ・アレンの著書だ。稲盛和夫さんのお話しにもよく登場する。

人間の心は、たとえてみれば庭園のようなものだ。よく手入れをして美しい庭にすることもできれば、荒れるにまかせてしまうこともできる。手入れをしようとしまいと、庭には必ず何かが育つ。役に立つ種を蒔かなければ、どこからか雑草の種子が運ばれてきて芽ぶき、庭は雑草におおわれてしまう。雑草が生えていれば、そのしは次の雑草を生む。

人間が現在置かれている立場には、それなりの原因がある。つまり、自分自身の中で育んできたものの考え方が、現在の彼を位置づけているということである。人生に偶然や運という要素はない。人生を決定するもの、それは、その人自身であって、これは、周囲の人や環境にうまくなじめない人にも、反対に、周囲と何の問題もなく協調してゆける人にも、あてはまることである。

自分は環境に左右される生きものだと信じている限り、人は自らの状況や環境に打ち克つことはできない。しかし、いったん自分には創造力があり、自分こそが環境や状況を生み出す土壌であり種である、と気づくとき、人は本当の意味で自分自身を支配したといえるのである。

環境や状況といった外の世界は、ものの考え方という心の内側の世界に似るものである。外的な環境は、たとえそれが悪いものであっても、その人の進歩のための大きな要素である。つまり、人間は喜びの中からだけでなく、苦しみの中からも多くのことを学んでいるということだ。

稲盛和夫さんは、著書『心。』で、「人生の目的は心を磨き、他に尽くすこと」と仰っている。

人生の目的とは、まず一つに心を高めること。いいかえれば魂を磨くことにほかなりません。

ともすると私たちは、富を手に入れたり、地位や名誉を求めたりすることに執着し、日々の欲望を満たすために奔走してしまいがちです。しかし、そうしたことは人生のゴールでもなければ目標でもありません。

生涯の体験を通して、生まれたときよりもいくばくかでも魂が美しくなったか、わずかなりとも人間性が高まったか、そのことのほうが、はるかに大切なのです。

そのためには、日々の仕事に真摯に取り組み、懸命に努力を重ねること。それによって心はおのずと研磨され、人格は高められて、より立派な魂へと成長を遂げる。まずはそのことに私たちが生きる意味があります。

そしてもう一つ、人生の目的をあげるとすれば、人のため、世の中のために尽くすこと。すなわち「利他の心」で生きることです。

自らの欲得を抑え、やさしい思いやりの心をもって、他のために尽くす。それもまた、私たちが命を与えられた大切な意味だといえるでしょう。

心を高めること、そして「利他の心」で生きること。この二つは一体かつ不可分で、他のために尽くすことによってこそ心は研磨され、また美しい心をもつからこそ、世のため人のために働くことができるのです。

自分の思いや振る舞い、行いを省みることによって、利己とエゴに満ちた悪しき我をできるだけ抑え、利他と思いやりにあふれたよき我をできるかぎり発現させていく。

そのことが魂を磨き、心を高めることにつながります。そしてそれによって人格が陶冶され、人生はさらにすばらしく、豊かなものになっていくのです。

どんな人でも、この世に生を受けたかぎりは幸せになる権利があります。それどころか、幸せになることが私たちの生きる義務であろうとすら思っています。

美しい利他の心をもって世のため、人のために力を注ぐとき、私たちの人間性は磨かれ、幸福や充実がもたらされ、その人生もより深い意義と価値あるものになっていくのです。

すべては、”心”に始まり、”心”に終わる。それこそが、私が歩んできた八十余年の人生で体得してきた至上の知恵であり、よりよく生きるための究極の極意でもあります。

『美しい利他の心』と、人生は偶然や運ではなく”自らの意思”がつくるものであるという『自助の精神』が、幸せを運んできてくれるのだ。

小林 博重

恐ろしい「糖尿病」

協会けんぽから生活習慣病予防健診のご案内が届いた。5月1日にいつも人間ドックでお世話になっている新赤坂クリニックで受診することにした。
私は毎年1月初めに六本木の新赤坂クリニックで人間ドックを受診しておりそれで事足りていたのだが、少し糖尿の気があるというので、南青山にあるかかりつけ医の藤田クリニックで再度、血液検査をしてもらったところ、糖尿の気どころか正真正銘の「糖尿病」の数値が出てしまったのだ。

痛風や高血圧では、服薬しているがそれほど深刻に思っていなかったが、糖尿病となるとそうはいかないらしい。藤田先生には、入院して食事療法をすることも考えなさいと脅された。悠々自適な生活ならそれも可能だが、私には年中無休の仕事がある。

糖尿病で血糖が高い状態が続くと血管が侵され、重症化すると失明、腎不全、人工透析、足の切断、心筋梗塞、脳梗塞等に至るようだ。軽く流すことができない病気なのだ。

入院せずに、ここ1〜2ヶ月は適度な運動(ウォーキング)と食事療法を徹底的に実行して、どれだけ数値が下がるか見てみることにしようと思う。

人間切羽詰まらないと、本腰が入らない。100歳現役も夢のまた夢になる。ベジタブルファーストだという。野菜ジュースはあくまでも補助。天ぷらはご法度。カレーもあまりよろしくない。等々、ちょっと気持ちが暗くなる。
昨日のランチも野菜サラダセットで通した。パンが半切れと鶏肉が少々。何とか完食して、量が量だけに満腹になった。全く美味しい感覚はないが、慣れればそうでもないかもしれない。

とにかく、妻は「素直に言うことを聞いて食べれば大丈夫」という。「世のため人のため」と思って真面目にチャレンジしようと思う。

私は、天から与えられたミッションを悟ったと思っている。人生哲学は私なりに確固としたものになりつつある。そのおかげで、健康についても真剣に取り組もうと思う。健康が優れないと、ミッションどころではない。死んでも死に切れない。

有言実行。とにかく、頑張ってみようと思う。

小林 博重

老け込むには早過ぎる。「老境」は101歳から

3月23日に金沢大学附属高校同期のZOOM同期会を開催した。同期は150名強で3クラス。私たちの頃は1クラス50名だった(今は3クラス120名前後になっている)。学年によって様々だろうが、私の同期は定期的に同期会を開催していることもあり、皆、仲がいい。

久しぶりのZOOMでの同期会のあと、同期の間でメール交換が多くなった。オンラインならではの現象だろう。

そして、あと2年足らずで古来稀なる古稀(70歳)になることもあり、残りの人生を如何に生きるか、「生き方」が話題の中心だ。 勿論、身体能力の衰えや、増えて減ることがない基礎疾患等の話題が尽きない。同期155名の内、6名が鬼籍に入っている。皆、男子。死因は癌、心臓疾患、自殺。

「65歳以上の高齢者はコロナで重病化リスクが高い」
「生産年齢とは15歳〜64歳」
「65歳から年金受給開始」
等々、否が応でも、65歳になると老人になったと思うようになる。

しかし、65歳以上の政治家は我が物顔に居座っているし、オーナー経営者は年老いてますます盛んの人たちが多い。
要は、意識の問題、気持ちの持ちよう、責任ある仕事の有無だ。すなわち、人生のミッションを自覚して、それに沿って生きること、そして、そのために、今まで以上に健康に留意することだ。

私の人生の春夏秋冬では、まもなく夏が終わり、70歳からの30年は「実りの秋」になっている。
世のため人のために生きること、人さまを幸せにすることが、私が幸せになることだ。
「実りの秋」はウィンウィンの連鎖をつくること、その考え方を見える形で示すことだ。

小林 博重

私は運がいい。

私はつくづく「運がいい人間」だと思う。
そのことは高校時代から大学・社会人に至るまで、数えたら限りないくらいだ。

東大に入ったこと。妻と出会って結婚したこと。稲盛和夫さんとの出会いがあったこと。周りに私を支えてくれる多くのクレバーな女性たちがいること。心清い友人知人がどんどん増えていくこと等。ただ、お金にはあまりご縁がないが。

スマホで、運がいい人に共通する特徴を調べてみた。

何人かの人が言っている。

ある人は、
1.運がいい人は素直で正直
2.運がいい人は自分を大切にする
3.運がいい人は「自分は運がいい」と思い込む
4.運がいい人は無駄な心配はしない
5.運がいい人はチャンスを拾う
6.運がいい人は一人で全部持っていかない

また、別の人は、
1.常に明るく穏やかな笑顔を絶やさない
2.物事を前向きにとらえることができる
3.人のことはもちろん、自分のことも大切にする
4.その日にできることは、その日のうちに行う
5.常に夢や希望、目標を持って行動する
6.簡単に諦めず、粘り強く頑張れる
7.人に対する気遣いや感謝ができる

私には上記がほとんど当てはまっているように思う。私は「運がいい」人間だと思う。

私の人生のカレンダー(春夏秋冬)は、あと1年半で夏が終わり、古稀(70歳)からの30年は「実りの秋」になっている。
今までの半生は実に波乱万丈の70年弱だった。それは決して「成功」にはほど遠いものがあるが、「成功」の種は至るところに撒いてきた。

せっかくの、私に与えられた「運のよさ」を実りの秋に結実させたいと思う。そして、これからの後半生の道程は少しづつ色がついてきて、総天然色に近づいていることを日々感じている。

昨日もそんなことを実感した。

2週間前だったか、パソコンでCDやDVDが再生できない。一度はビジネスパートナーに見てもらって直ったかに思ったが、それも束の間。まぁいいや、と捨てておいたものの仕事がらDVDを視聴しなければいけないことになって、それではと契約しているリコーコールセンターに電話してみてもらった。その時、リコーさんが長崎IRに関わってもらうことはどうだろうと閃いた。

そこでリコー代理店でお世話になっている三千和商工の細金常務(銀行時代の後輩)にお電話して、昨日伺った。いろいろお話しを聴いていただいた。ちょうどその時、家令社長が外出から帰社されたので、常務は社長に引き合わせてくださった。社長は、長崎で相応しい総合代理店をしている会社があり、その会社はグループで多角化経営をしている。留学生採用にも注力している。ボランティア活動にも積極的だ。即断即決のクレバーな社長だと。ビジネスを超えた付き合いをしていると。
私に紹介すると仰って携帯にお電話していただいた。ちょうど私は来週に九州出張で、この時間でお会いできないかとお願いしたところ、大村市の本社から長崎市まで出向いてくださるという。

何から何まで運がいい。

このところ、お付き合いしている方々がいろいろな方をご紹介してくださる。

「類は友を呼ぶ」

皆さん、誠実な方々ばかりだ。私が種を撒いてきたこともあるが、皆さんが私の人脈を拡げてくださるおかげで、私の秋は、多種類の実がたわわに実る「繁茂の秋」になるだろう。

謙虚と感謝の心で、OUEN Japanのミッションを果たしていこう。

小林 博重