9月の九州出張とミッション

今日から土曜日まで、3泊4日の九州出張(北九州⇨福岡⇨長崎⇨佐世保)だ。メインは、九州・長崎IR&スーパー・スマート・コミュニティの企業へのプレゼンだが、コロナ禍で体制の変更を余儀なくされた、これからのOUEN Japanのあり方の模索でもある。

OUEN Japanは、日本人大学生・来日留学生の応援団だ。そして、それに加えるに、彼らを応援してくださる企業の皆さんの応援団でもある。

そして、OUEN塾は、企業と大学生・留学生との交流イベントだ。そのスタートを、OUEN Japan理事の梶山千里先生(福岡女子大学理事長兼学長、元九州大学総長)の後押しもあって福岡で開催し、第2回から北九州が加わり、今年2月、コロナの前に第3回を開催した。

しかし、コロナ禍で来年2月開催予定の第4回OUEN塾は一年延期することを余儀なくされた。
加えて、大学では授業がオンラインのため、新入生とコンタクトできないため勧誘活動ができない。悪いことは続くもので、北九州の2〜3年生学生リーダーの殆どは退部してしまい、現在のリーダーは最上級生である4年生が殆どだ。彼女たちは来年3月には卒業してしまう。

今のOUEN塾の喫緊の課題は学生リーダーを採用することだが、その方策が思いつかない。この際、学生リーダーはゼロからのスタートにならざるを得ない。

しかし、今まで協賛いただいた企業の皆さんは卒業ということはないので、企業とのパイプを太くすること、新しい企業を増やすことだ。OUEN Japanは企業の応援団でもあるのだから、企業に喜んでもらうビジネスサポートをすることで、企業とのパイプを太くすることだ。OUEN塾の活動は、学生リーダーたちが集まってきたところでリスタートしようと思う。

OUEN Japanはどんなサポートができるだろうか。私は月に九州に出張するとしても1週間。
それもテリトリーは長崎や佐世保が増えたので、福岡や北九州を訪ねる頻度は減らさざるを得ない。どうしたものか。ない知恵を絞っていた。

ところが、天は私に味方してくれたのだろう。
誰にも負けない努力をしていれば、清い志で精進していれば、神さまはかわいそうになって手を差し伸べてくれる。稲盛和夫さんはそれくらいの努力精進をしなさいと仰る。努力精進していないから神さまは手を差し伸べてくださらないのだ。全て自業自得だと。

そんな時、天から素晴らしいビジネスパートナーが舞い降りてきた。美しい天女だ。
彼女は北九州出身だ。長崎には祖父母の家があって、子どもの頃はよく長崎に出かけていたのだと。そして、これからは東京と九州とに均等に住んでビジネスをしたいのだと。OUEN Japanの九州出張所にもなれるだろうと。ほんとかいな。そんな奇跡的なことがあるのだろうか。 さだまさしの「奇跡」という歌が頭に浮かんだ。さだまさしはちょうど長崎出身ではないか。

「九州創生は長崎から」と思っていたが、九州の兄貴分は福岡と北九州だ。福岡と北九州が長崎を援けて、九州のリーダーとして九州を引っ張っていく、そのサポートをOUEN Japanがしよう。それが私のミッションだ。

小林 博重

二生30歳にて立つ(而立)。

4連休の最終日だ。今日も爽やかな秋空だった。2時間半のウォーキングで靖國神社を往復した。これが私のいつものウォーキングコースだ。

9月19日、安倍前首相が7年振りに靖國神社を参拝した。中国は現役の首相が参拝すれば非難するが現職を離れると非難はしない。安倍さんはずっと靖國神社に対する想いは変わってはいない。中国は現首相が参拝することが許せないのだろう。本人の想いは全く変わらないにも関わらずだ。国際政治とは本音と本音のぶつかり合いということはないのだろう。それは国内政治でも変わらないのかもしれない。だから政治は駆け引きばかりが目立つ。だから、それが政治家の本来のあるべき姿と思ってしまう。そうでない本当の政治家はいないわけではないだろうが日本にはそんなステイツマンはお目にかからない。"日本の李登輝、今こそ出でよ‼︎"の想いは私だけではないだろう。

法政大学から初めての総理大臣が出た。今まで東京六大学からは、東大を筆頭に、早稲田、慶應、明治から総理大臣が出ている。法政が出て後は立教だけだ。

私が応援部主将の時、甲子園組が東大以外全て1年生に入学して神宮は一躍華やかになったことを鮮明に覚えている。その筆頭が法政の江川選手だ。彼は慶應を希望していて受験勉強のため野球としばらくおさらばしていたのだろう。昭和49年春のリーグ戦には最終戦に肩慣らしで東大戦に出てきた。その時は、東大は打つことができず、敗戦の憂き目を見た。 秋こそは、と東大野球部も我が東大応援部も夏の合宿は格別気合が入った。
案の定、江川は秋の東大戦に出てきた。東大応援席は「江川を倒せ‼︎」と盛り上がった。結果、東大は江川を打ち崩した。江川の東京六大学野球に於いての最初の敗戦は東大戦だった。そんなことがあった。

戦後の高度経済成長の時は東大卒の総理大臣が続いたが、それを破ったのがかの田中角栄だ。今太閤、ロッキードで退任してからは闇将軍として総理大臣を影でコントロールした。功罪半ばしたが、実に魅力的な総理大臣だった。

今度の菅総理はどうだろう。東大卒のエリート官僚たちを上手くコントロールできるだろうか。特に、法政とは東京六大学野球の思い出が鮮明であるため、菅総理には格別の思いがある。頑張ってほしい。

私は44歳でいろいろあって銀行を中途退職したが、早いものであれから24年が経った。一匹狼で生きてきたこともあり、人間に対する価値観は180度変わった。地位が高い、高くない、はその人の努力の証明のようなところもあり、それなりに評価し、TPOを弁えて考動しているが、私の人生遍歴は「地位が人間のレベルの本質ではない」と言うことを確信した24年間であったと思う。

組織で偉くなった人は同じ偉い人と付き合う。ビジネスでの交渉もそうだろう。人付き合いもそうだ。しかし、彼らは彼らの地位よりも高い人、ずっと高い人との付き合いはあまり得意ではない。地位がそうさせるのだろう。 その点、私は一匹狼だ。そんなことはお構いなしだ。それが私ならではの他との差別化だと思っている。
なまじ、組織で偉くなると、そのための束縛があるのだろう。組織人はそんなに気楽な稼業ではないのだ。なかなか殻から脱皮することは難しい。私は、そのような組織人には向いていない。天才バカボンではないが「これでいいのだ」。

人それぞれの生き方がある。どんな人生がその人に一番相応しいのか。なかなか分からない。それを見つけることは至難のことだ。私はそれを見つけるために一還り(還暦)してしまった。
これからは、人生二毛作。二毛作目は50歳からだから、私は二生の18歳というところだ。15歳で学に志ざし、今は30にして立つ(而立)まで頑張ることがとりあえずすることだ。 人生は長い。而立が一生の80歳なのだから、年老いているわけにはいかない。

小林 博重

自然教育園を歩く。

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暑さ寒さも彼岸まで

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。彼岸の入りは19日、明日は中日の秋分の日。例年以上の猛暑だった今年の夏も漸く収まった感がある。後はコロナを残すのみ。

先週からウォーキングを再開したが、今日はいつものコースをやめて、外苑西通りを南下し、目黒区にある自然教育園に出かけた。
入園の料金はいくらかと思ったが、受付のそばに「65歳以上は無料」と書いてある。身分証明証がわりの運転免許証を提示して入園した。65歳から老人ということだろう。もう青年とは言うまい。壮年だと思っている。しかし、世間的には老人の仲間入りなのだ。年金は65歳から貰っているし、こんなときだけ壮年と言うのも片手落ちだ。 気持ちはサミュエル・ウルマンの『青春』だが、至るところガタが来ていることも事実だ。「無理はよそうぜ、からだに悪い」というところだろう。

この4連休はコロナも落ち着いてきているようで、日本全国、人手が多く出ているようだ。私もマスクをして出かけたが、人とのすれ違いはあまり多くない。マスクを顎まで下ろしてのウォーキングだ。自然教育園の中は、流石に家族連れでそれなりの人手があったが、3密と言われるようなことはない。

連休で3密の中に出掛けることはないと思うのだが、人それぞれで私があれこれ言うことではない。

東京では今日のコロナ感染者は2桁になったそうな。ここのところ、一日の感染者が200人前後が続いている。
これが3月だったら、えらいことでどうしたものかと生きた心地がしなかっただろうが、今は慣れたせいか、いや、感染対策が身に付いたせいなのだろう。 こんなものだ、万全な感染対策をすれば大丈夫、「正しく恐れる」ことで充分経済活動はできると思っているのだ。
人々は、平常心でコロナと対することができているのではないか。愚者でも経験から学ぶことができるのだ。

歩きながら考える。日本人はこの4連休は家族サービスで3密の中でも出掛けている。それに比して、私はマイペースで事務所で好きなことをしたり、ストレス解消と言ってウォーキングしたりとわがまま気ままの日々を送っている。 23〜26日は九州出張だが、それも仕事に託つけて好きなことをしていることに変わりはない。

そんなわがまま勝手ができるのは妻の理解があるからだろう。100%私のことを認めているわけではないだろうが、特にあれこれ小言も言わずに好き放題させてくれていることに感謝しなければならないと思う。
そんなことを考えて、そうだ、今夜はどこかで豪華な夕食でもと、ちょっと仏心が出てきたらしい。どこにしようか。妻は「ありがとう。ごはんの用意はできているけど」と殊勝なことを言う。 ちょっと奮発して、外苑前のどこかのレストランに出掛けようと思う。
今日は、私には珍しい「妻孝行」の真似事でもしてみようと思う。

小林 博重

東京六大学野球 対法政2回戦を応援する。⑶

昨日から東京六大学野球秋季リーグ戦がスタートした。今日、私は応援部現役の管理人として彼らと同行して外野席から応援した。事務所から神宮球場まで徒歩5分。 平常は内野席が応援団席(応援団と学生を中心とする応援団)であったが、コロナ禍では外野席が応援団、内野席が観客だ。
応援団には一般学生は含まれていない。応援団(リーダー、ブラスバンド、チアリーダー)のみだ。メインリーダーのみがマスクを外して声を出すことができるが、その他のメンバーはマスクをして声を出しての応援だ。 内野席に入った学生は声を出して応援することができない。このように、コロナ感染防止対策は徹底している。

マスクを付けての応援ではあるが、春季は応援できなかった。応援部現役は1年ぶりの応援ができて、皆んなは心から喜んでいる。そして、新1年生はゼロかと思いきや、ホームページから10名以上が入部してきたという。流石、伝統ある応援部だ。オンラインで入部するとは。学生もせっかく大学に合格してオンライン授業では東大生になった実感は沸かないだろう。例年の半数程度の入部だが、ゼロでなくて良かった。

残念ながら、野球は1対10の一方的試合だったが、2時間半以上の応援は、試合を通して休みなく応援し続け、その気合は途切れることがなかった。私も大声で応援歌も歌うことができて、大いにストレスを発散することができた(昨日の石川赤門会でもZoomで応援歌「ただひとつ」を斉唱したが、やはり神宮球場での応援歌斉唱は格別なものがある。

今日は、「一生青春、一生燃焼」を実感できた充実一日だった。

小林 博重

東京六大学野球 対法政2回戦を応援する。⑵

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東京六大学野球 対法政2回戦を応援する。⑴

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石川赤門会のZoom講演会と懇親会

今朝は久しぶりに真夜中に目覚めたが目が冴えて眠ることができない。こんな時は、いつも「ままよ」と思って起きて、徒歩2分の事務所に出掛けることにしている。

事務所に2時前に着いて、深夜のNHKラジオを聴く。
私にとってラジオは深夜聴くメディアになっている。昭和に流行った流行歌をはじめ、様々なジャンルの音楽を聴く。MCの会話やインタビューも気に入っている。パソコンで仕事をしながら聴くのもいい。 今の東京の日の出は5時半くらいだから、3時間半ほど秋の夜長を楽しむことができる。
何事もいいように考えるとストレスはなくなる。

昨日の石川赤門会のZoomでの講演会と懇親会は実に有意義だった。ほとんどの都道府県の東大同窓会が中止になっているが、幹事の皆さんがオフラインで集まり、「オンライン石川赤門会を開催しよう」ということになった(私も幹事だが、金沢での開催であったこともあり欠席せざるを得なかった)。 参加者は20名弱であったが、懇親会での自己紹介と意見交換はこのくらいの人数がちょうどいい。

講演は水野一郎会長の「金沢散歩」だった。金沢がなぜ魅力的な都市なのか、その理由が良く分かった。

金沢の中心には、金沢城址(金沢城址公園)と兼六園がある。東京で言えば宮城である。宮城は江戸時代は江戸城であり将軍の住まいだった。明治時代になって天皇陛下のお住まいになった。
一方、金沢城は加賀藩主であった前田家の住まいだ。江戸時代の火災で天守は焼失し、それ以降天守は再建されなかったこともあり、金沢城には天守閣がある城はない。戦後は金沢大学があったが、今は郊外の角間町に移転した。

また、金沢市の中心にあった石川県庁は駅西地区に移転して、その跡は椎木会館になっている。その傍に石川四高記念館がある。旧制第四高等学校のレンガ造りの趣きある校舎が往時のまま残っている。 ことほどさように、金沢の中心は歴史と文化の香りが満喫している。

なぜそうなのか。
金沢大学や石川県庁は全ての人が行く施設ではない。金沢の中心は県内外、外国人観光客に至るまで、全ての人たちが訪れる場所にしたいという、金沢の町家衆の想いがあったのだとか。

水野会長は建築家と明治以降の歴史的視点からそれを解き明かしてくださった。

明治以降、中央集権が進み、各都道府県は中央政府の方針に従って街造りをした。街の中心に県庁や大学などの公的機関を建設したのだが、それに異を唱えて金沢市は金沢独自な街を作ったのだとか。これには町家衆の力が大きかった。金沢の歴史に誇りを持った金沢の町家衆は、中央と一線を画した街造りを目指したのだ。今になってみれば、金沢は、同じような街造りをした他の都道府県庁所在地とは一味も二味も違う、個性ある「城下町金沢」である。

withコロナの時代になって、東京一極集中の是正が叫ばれている。これからは、地方独特の個性が溢れる「地方の時代」だ。その先頭に金沢市はある。

これは、私たち人間にとっても言えることだろう。
一人ひとりは世界に一人しかいない個性を持った「心のある人間」なのだ。全ての人は、その個性を輝かせ、世界にひとつしかない花を咲かせることが21世紀には求められているのだ。

小林 博重

ビジネスパートナーとのご縁を大切にしたい。

縁を大切にする人は、人好きな人だと思う。私はその際たる人だと思う。

私は18歳で上京し大学に入学した。大学ではボディビル&ウェイトリフティング部に入部したが、この部は個人競技であり、特にボディビル部の部員は身体を鍛えることに異常なまでストイックで、日頃の食事内容から生活態度に至るまでどうしたら身体を鍛えるにコスパは高いのか、年がら年中考えている人が多かった。だから、東大のボディビル部は絶えず大学のトップを維持していた。
受験生活から解放されて、お酒も嗜むようになった大学生にとって、そのストイックさは、私には耐えられないものだった。そんなにコスパを考えて生きなければならない青春など面白くもないと思った。この部を1年で退部して、ちょっと理不尽なところがあると思われた「応援部」に入部した。だから、私の応援部生活は2〜4年の3年間である。

能登の田舎者は理不尽ななかにも温かい人情に惹かれたのだ。いくら心から応援しても、セミプロ級の部員で構成された東京六大学の東大以外の野球部には易々と勝利することができない。
応援の優劣で野球は勝つことができないことは分かるが、では応援の存在意義とは何か。そんな哲学的な思考を日々考え、仲間と議論を伯仲させ、応援部の3年間を過ごしたのだ。 こんなことを考えて応援部活動をしていたのはきっと私だけだろう。そのおかげで、私の人生において「応援」は哲学になり、私の人生を豊かなものにしてくれたのだ。

人とのご縁を何よりも大切にしたい。大才は袖触れ合う縁をも生かすという。私にとって、応援は深くご縁につながっている。

東大のOBOG会は、都道府県によって様々だが、銀杏会や赤門会と称して活動をしている。私も石原信雄さん(元内閣官房副長官)にお世話になっているご縁もあって、いくつかの地区同窓会の幹事を仰せつかっている。大学の同窓会では圧倒的に慶應義塾大学の三田会が活性化しているが、東大も遅ればせながら慶應三田会に近づきたいと思っている。

異業種交流会なる集まりも至るところで行われているが、これは全くのビジネスライクで、あまり人の心を感じることができない。私も独立したおりにいくつかの異業種交流会に参加したことがあるが、そこに心というか生きる哲学を感じることができなかったので全て脱会した。どう言ったらいいか表現は難しいが、人間として長く付き合っていきたい人の集まりではないような気がしたのだろう。 私は私の温かい人脈を私流のやり方で構築すること、その拡大再生産を永遠に拡げていくことを独立してからずっと実行しているのだ。

最高のビジネスパートナーは、そんじょそこらにはいない。
昔は結婚適齢期があって女性はクリスマスイブまでが結婚適齢期なのだという、今ではセクハラど真ん中がまかり通っていたが、それはいまは昔のことだ。
ビジネスパートナーについては、サミュエル・ウルマンの『青春』の通り、生涯現役の私にとって、まだまだ長い選択期間はあると思っているが、如何せん、現役時代はいつまで続けられるか、これは神のみぞ知ることだ。その意味では68歳にならんとする今がその時ではないかとも思う。そんなことを考えていた時に、森信三先生ではないが「人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える」の箴言通り、私の前にそのビジネスパートナーは突然現れたのだ。それは「しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に」現れた。

私が会った人は全てご縁がある人だ。その出会いは、どんな出会いであっても全て私の血肉になっている。

そのなかでも妻子はそのご縁の際たるものだが、ビジネスパートナーもそれに劣ることなく、その出会いは私の人生にとってエポックメイキングな出来事だった。

100歳現役であるなら、あと32年。人生=ビジネスと思う私にとって、ビジネスパートナーに多くを学ぶこととともに、私が何を尽くすことができるのか、これから呻吟しなければならない。

小林 博重

ビジネスパートナーの要件

人生68年近くを生きて、数えきれないほどの多くの人に出会ってきた。特に私は人間好きなところがあって、人と出会う機会があれば積極的に出かけるし、私を訪ねてきてくださる人をよっぽどのことがなければ避けることはしない。

私は、柳生家の家訓に言う「大才は袖触れ合う縁をも生かす」をモットーとしている。その出会いは、心から尊敬でき、その人の行いや考え方を自分の血肉にしたいと思うメンターから、ごく一般的な人や、人間として如何なものかと思う人まで、百人百様、ピンからキリまでである。そして、その全てがいい出会いである。ピンの人から得るところが多々あることは勿論だが、キリの人からも多くの行動と考え方を学ぶことができる。他山の石である。
松下幸之助さんは「順境よし、逆境なおよし」と。また、稲盛和夫さんは「逆境を磨き砂として人格を高める」と仰っている。
人との出会いも同様だ。ピンの人との出会いは順境、キリの人との出会いは逆境。どちらもよい出会いであり、自分を高める磨き砂だ。

哲学者森信三先生の言葉に「人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」という箴言がある。

全ての人との出会いは早過ぎることなく遅過ぎることなく訪れるものだ。結婚然り、ビジネスパートナー然り。

私が思うに、結婚は1回でいい。生涯添い遂げることができるというのが一番だ。
しかし、ビジネスパートナーとなると1回というわけにはいかない。私のような、何を仕事にしているのかどこで稼いでいるのか(あまり稼いではいないのでそう思われても当然だが)分からない人は、一匹狼ということもあり、ビジネスパートナーはなかなか定まらない。今までの人は「帯に短し襷に長し」だ。
ベンチャービジネスにおいても、共に起業したパートナーと長く続くケースはさほど多くはない。
ソニーの井深さんと盛田さん、ホンダの本田さんと藤沢さんは素晴らしい好例だが、その長続きしたわけは、それぞれの得手、才能才覚の違いのコラボに加え、ベースに共通した「人間哲学」があったからではないか。
利を追うビジネス(そのポイントは「能力」と「熱意」である)だけの共通項ではビジネスは長続きしないのだろう。絶えず、お互いに人間に対する温かい愛情がなければならないのではないか。

西郷南洲は『敬天愛人』の生き方を貫いた人だが、敬天愛人は、天を敬し、人を愛すことが「生きる意味」だということだ。
天から授かった己の天分を出し尽くし、世のため人のために生きる「人間哲学」を持った人とでなければ、私はビジネスパートナーとして、肩を組み、共にビジネスを極めることができない。

森信三さんは言う。
「人間の偉さは、才能の多少よりも、己に授かった天分を生涯かけて出し尽すか否かにあるといってよい」
「結局最後は、『世のため人のため』という所がなくては真の意味で志とは言いがたい」

小林博重