「歳をとる」ということ

新渡戸稲造が「歳をとる」ということは「歳の分だけ熟する」ことだと言っています。

歳をとるということは一体どういうことか。去年はかくかくのことがあったが、今年はそれがなくなった。去年は酒のために失敗したが、今年はそれがやんだ。去年は人の悪口を言ったが、今年はそれを言わなくなった。去年は人を羨む癖があったが今年はそれがやんだ。というように、自分の決心と実行が両々相まって、より以上の向上発展が実現されれば、それが本当に歳をとったというべきだろう。いたずらにただ暦を繰り返したからといって、これは決して本当に歳をとったとは言われまい。いわゆる馬齢を加えたと言うに過ぎぬ。
したがって歳をとって恥ずかしくない歳のとり方は、歳をとっただけの何かを自分に体得することでなければならない。歳をとって新しいものを見つけるということ、これが本当に歳をとること。歳をとれば歳をとるほど精神的に若返る人、それは老いてますます盛んなりで、老衰しないで成熟する人である。

古稀(70歳)〜喜寿(77歳)〜傘寿(80歳)〜米寿(88歳)〜卒寿(90歳)〜白寿(99歳)〜紀寿=百寿(100歳)〜茶寿(108歳)〜皇寿(111歳)〜大還暦(120歳)〜天寿(250歳)のお祝いをするということは、やはり馬齢を重ねただけでは「祝事」にはならないということです。

歳をとればとっただけ、人さまに迷惑をかけることが多くなるわけですし、それをお祝いとは言えることではありません。

「老いてますます盛んなり」こそがお祝いに値するのです。そのような歳のとり方をしたいものです。

小林 博重

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北陸の冬の味覚「ズワイガニ」と「香箱ガニ」

金曜日に、一金会(石川県と富山県の合同学生寮である明倫館のOB有志の会)が市ヶ谷でありました。目黒駅から市ヶ谷駅まで山手線と中央線を乗り継いで行ったのですが、乗車した電車はいずれも車内全てに「かにを食べに北陸へ」の吊り広告が吊ってありました。
北陸とは北陸三県(富山、石川、福井)のことです。JRの仕掛けなのだと思いますが、JRが中心になって三自治体にアプローチしたのでしょうか。それとも自治体は絡んでいないのでしょうか。一金会メンバーの一人は「北陸三県はそんなに仲が良かったのか」と言っていましたが、自治体は絡んでいないのでしょう。

それにしても、北陸新幹線開通で北陸は首都圏から近くなり、日本人のみならず、外国からも多くの観光客が北陸に訪れるようになりました。
北陸は雪国ですから冬は観光はどうかとも思いますが、日本海の海の幸を堪能する観光旅行は冬が一番です。
冬の味覚と言えば、ブリやタラもありますが、私にとってはカニが味覚の王様と思います。
JRがキャンペーンでカニを前面に出しているのは、さもありなんと思います。

北陸のカニと言えばズワイガニですが、これも観光客向けにいろいろ工夫しています。
福井県は「越前ガニ」のブランドで先行していますが、石川県は「加能ガニ」のブランドを作りました。富山県はズワイガニとは違う紅ズワイガニで、そのブランドは「高志の紅ガニ」なんだとか。私は知りませんでした。それぞれ、ブランドを守る証のタグを付けて販売しているようです。

また、ズワイガニは雄ガニですが、雌の「香箱ガニ」もまた美味です。香箱ガニは石川県で言われているネーミングで、香の箱と言うのは加賀百万石らしい上品な名前だと思います。福井県では「せこガニ」と言われています。

雌の香箱ガニは、繁殖のため年が明けると禁漁になってしまうので、毎月金沢出張している身としては、11月の金沢出張は楽しみなのですが、[OUEN塾in福岡・北九州]を来年2月に控えているので、11月は福岡に2週間出張することになり、金沢はなし。12月は師走で東京にいる必要があり、金沢での「香箱ガニ」堪能はお預けです。
代わりに、赤門鉄声会(東大応援部OBOG会)運営委員会が先週の木曜日に三田であり、その会のあとで入った店が「金沢の家」と言って金沢が本店の東京での出店でした。ちょうど香箱ガニがあり、その美味に舌鼓を打ちました(一緒に行った連中はこの香箱ガニの美味を分からないのかあまり食が進まず、私が「赤い内子」の殆どを食したことは実に幸運でした)。私が生の魚が食べられず、マグロの刺身を食べたいと思わないのと同じく、香箱ガニの美味を分からない人もいるのです。

何はともあれ、食でふるさとを思い出すのです。久しぶりに「香箱ガニ」を堪能してふるさとを懐かしみました。

小林 博重

「働き方改革」は「心の改革」から

「働き方改革」が姦しい昨今ですが、これはあくまでも宮仕えの人たち、いわゆるサラリーマン(給料取り)の話です。

企業がスローガンを掲げても、なかなかパワハラ、減点主義、隠れ残業はなくならないのが現状です。
たとえ、所属企業が人を大切にする企業であっても、組織の中で働くということは、いろいろなしがらみから抜けることができず、人は自尊心を失い、自分で考えることをせず、正義感を持って行動する意欲勇気を失ってしまう。上を見て目先の業績の目標達成に血眼になる。私も20年以上サラリーマンをしていましたからそのことは実感としてよく分かります。

やはり、人として自由になるということが必要なのです。
稲盛和夫さんは、仰います。

「親や先生から教えられた、至極当たり前のこと。人として正しいことをする。正義を価値判断の基準にすることだ」と。

正しいことをするとスッキリします。
お客様のお役に立って、ありがとうと誉められると嬉しくなります。

その、心が豊かになる、というプラスの感情が前向きに物事を考え行動することになるのです。

そのような「心の改革」があっての「働き方改革」なのだと思います。

小林 博重

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[OUEN塾]を通して、国際親善を

来年2月に福岡市と北九州市で二元開催する[OUEN塾]は、参加学生の定員を100名(日本人大学生、留学生、各50名)としていますが、企業訪問には7台のマイクロバスを用意するので、学生は一台平均15〜20名として最大140名になります。間を取って120名くらいがいいところだと思っています。 福岡市の姉妹都市である釜山からも日本の企業訪問を希望する大学生が10名程度参加する予定です。

11月11日の産経新聞やNHKテレビでも報道されていましたが、韓国では、日本で働きたいと思っている若者が多いらしく、7日にソウルで大韓民国投資振興公社(KOTRA)が主催した「日本就職博覧会」の就職面接会は大変盛況だったとか。

韓国の学生の意見として、
*韓国では努力しても報われない。
*歴史認識は違うが機会を与えられれば日本に感謝しないと。

また、日本の企業は、
*地方企業は東京で採用活動をしても人は集まらないが、就職難の韓国での面接では良い人材が採用できる。
*韓国人社員にも長く働けるよう受け入れ体制を整えたい。

慰安婦、徴用工、竹島等、日韓には、多くの歴史的課題が山積しています。しかし、昨今の日韓関係の悪化にも関わらず、若者たちは「国と個人は別」ということなのでしょうか。 私がお付き合いしている韓国人の人たちは、人間的にも素晴らしい心根をお持ちの方々であり、どうして国同士は仲良くできないのかと単純に不思議だと思います。

私はMapやOUEN Japanを通じて彼らと知り合ったのですが、国と国との歴史認識の違いは致し方ないとしても、人と人との心の交流から相手を尊敬し合う関係を構築していきたいものです。

小林 博重

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福岡と金沢の地域活性化とOUEN塾

漸く[OUEN塾in福岡・北九州]の協賛企業が固まりました。北九州が加わったこともあり、前回の1.5倍です。もっと増えるかとも思っていましたが、まだまだ力不足です。イベントの内容を充実させて、もっと魅力あるものにしなければなりません。
第2回が第1回と明らかに違うのは、学生リーダーの活性化です。第1回のリーダーは自信たっぷりで、新人リーダーをしっかり指導しています。人間的にも大きく成長しました。人間力が付いたということです。これがOUEN塾の最大の目的なのです。
企業や社会を通して、人間を創る。これは企業としてもそのような新人が入ってきてほしいと思っています。OUEN塾はリクルート会社がしているビジネスオンリーでなく、人間を創ることが第1なのです。結果、その人間が社会に羽ばたいていくのです。 あとはどうしてサスティナブルなNPOにしていくかです。

昨夜は、認定NPO法人[趣都金澤]東京交流委員会があり、私が講師として、[金沢/石川の活性化とOUEN塾]というテーマで話し、みんなでディスカッションしました。福岡の実績から金沢でのチャレンジを話したのですが、いろいろな意見が出ました。

みなさんの意見を聴いて、「へー、そうなんだ」と思ったことは、金沢の人間はあまりアグレッシブではないということです。前田氏が徳川幕府から加賀百万石を守り通したのも、幕府から目をつけられないように文化に力を入れて、逆らう力がない、バカ殿を装ったことによると言われますが、金沢市民もその影響を多分に受けているのかもしれません。チャレンジ精神今一なんだそうな。 私は金沢には高校時代の3年間しか住まなかったので、それも高校生ですから殆ど金沢のことを分かっていません。

福岡も外様ですが、黒田官兵衛が創始者であり、その才覚は福岡市民にも受け継がれているのでしょう。福岡はチャレンジ精神旺盛な都市だと思います。

そんな福岡と金沢ですが、私にとってはいずれも思い入れのある元気でメジャーな地方都市です。
いずれの都市も、OUEN塾が地域活性化のサポートをすることができれば幸せだと思っています。

小林 博重

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セレンディップ『人生の結論』を読んで

OUEN Japanを応援していただいている(株)情報工場さんのセレンディップが『人生の結論』(小池一夫著、朝日新書)を紹介していました。

今、日本は超高齢化社会です。人生100年時代、心身ともに健康で100年人生を生き抜きたいものですが、100年生きたとして、どれだけ「成熟した大人」に向かって成長し続けている人がいるでしょうか。

私たちは、歴史上の人物から多くの人生訓を学ぶことができますが、彼らは人生50年と言われていた時代に生きていたのです。
徳川家康は70年以上の長命でしたが、織田信長は49年、豊臣秀吉は60年、西郷隆盛は45年、吉田松陰や坂本龍馬に至っては、30年あまりの短い人生でした。しかし、その短い人生を駆け抜けて歴史に名を残したのです。

私は今月で66歳になりました。彼ら歴史上の人物からすれば、当に「馬齢を重ねた人生」です。人生100年とすればあと34年。余生20年と目算している私であれば、残りの人生はあと54年もあります。小池一夫さんが言う「成熟した大人」に一歩でも近づきたいものだと思います。

では、小池さんが言う「成熟した大人」とは、

⑴自分がニセモノの大人であると自覚している。
「成熟した大人」とは、自分が成熟していないニセモノの大人であると自覚している大人のことである。そして、少しでもホンモノになろうと考えることができる大人のことである。

⑵「いちばんよかったときの能力」は自分の実力ではない。
アベレージの能力が自分の能力だと認識することである。
成功体験が自分を高めてくれるのは、「才能」と「実力」が時として同一ではないということをしっかりと自覚することである。

⑶「生産すること」をやめると精神的に老いる。
何かを生産する生活のきっかけは、何かを好きになること。その中でも、人と関わる生産をすることである。

⑷歳を重ねたからこそ「少ない可能性」に自信を持って集中できる。
歳を重ねることの喜びの一つに、「可能性が少なくなる」ことがある。歳を取ると、できることが限られてくるので少ない可能性に集中することができる。己を知ったジフに残された数少ない可能性は確かなものである。年老いても自信と確信を持って挑戦できる。
また、歳を重ねると、「知らないことは知らない」と正直に言えるようになる。成熟した大人とは「それは何ですか?」と、知らないことを素直に聞ける余裕である。

自分でコントロールできないことで悩まないで、自分が今やるべきことを淡々とやることである。
どうにかなることをやり続けると、どうにもならなかったことが、どうにかできるようになることもある。

「『これまで』が『これから』を決めるのではなく、『これから』が『これまで』を決める(理論物理学者の佐治晴夫さんの言葉)。
今の自分が未来に向けて希望を持った瞬間から、過去の解釈が変わる。もっと以前からそう考えられたらよかったのにと思わないこと。そう思えるまでには今までの全人生が必要だったのだと考えることだ。

「成熟した大人」を目指して、自らは未熟な人間だと自覚して、生涯に亙り切磋琢磨して生きることです。
自分を買いかぶらず、自分は人様のおかげで生きていることができていると謙虚と感謝の心を持って生きることです。
分かった振りをすることなく、自分に正直に、幼子の心を忘れずに、人と関わることです。
人生を前向きに明るく考え、生きることです。
これからがこれまでを決めます。
「人生は、終わり良ければ全て良し」なのです。

小林 博重

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AIの時代でも「素直な心」があれば夢は叶う。

時代はAIロボットの時代です。AIロボットがどんどん、今まで人間が携わっていた仕事の領域に入り込んできています。日本では人手不足が常態化する時代になって、その穴埋めに外国人労働者がなし崩し的に日本に入ってくるようになります。
グローバル化と一口に片付けられる問題ではありませんが、グローバル化に伴い、日本人は働き甲斐ある仕事をして生き甲斐を持って生きるためには、しっかりと自立・自律して自己を確立するする必要があります。

私の課題として、まだまだ先のことかと思いますが、私のミッションをしっかりと引き継いでくれる体制、仕組み作りを考えなければならないことです。
その引き継いでくれる人を育成するためには、やはり100%私の属人的で、私のパーソナリティで続けているMapなりOUEN Japanなりのアナログに加え、それを補強するデジタル的な仕組みとのバランスが不可欠のように思います。 そのためには、属人的な広がりをフル活用して、仕組み作りの取り組みを始めなければならない時期に来たように思います。

私のような極めて凸凹な人間であっても、素直な心を持って自分の強さと弱さを客観的に自覚し、弱さをカヴァーしてくれる人財とのコラボレーションができれば、私の想いを永続させることができるように思います。

何にも増して、「素直な心」が夢を叶えてくれる最大の要素のように思います。

小林 博重

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OUEN塾と金沢の地域活性化

明日は、認定NPO法人“趣都金澤”東京交流会の例会が東洋大学キャンパスの教室であり、私が講師を務めることになりました。

“趣都金澤”は、金沢に住んでいる人、金沢出身者、金沢に関わりがある人、および金沢ファンの方が会員です。
金沢の魅力を再確認するとともに、その魅力を広く多くの人に伝えようとの想いがあります。
私は、金沢の魅力を[OUEN塾in金沢/石川]の開催を企画した経緯を通してお話ししようと考えています。

昨今、東京一局集中化と日本の構造的な人口現象化で、地方における活性化の必要性が叫ばれています。
各自治体はいろいろ創意工夫を凝らしていますが、その地域の潜在的魅力がどれだけあるかが大きなポイントです。
OUEN塾は公的組織ではないし、財政的力もありませんので、どうしてもその魅力がある自治体でないとサポートをすることができません。その意味でOUEN塾の開催は福岡が第1号であり、福岡に続く次の開催は金沢だと考えているのです。また、金沢/石川は私のふるさとでもあります。

金沢の魅力
⑴加賀百万石の日本で屈指の城下町であること。
人口50万人弱の北陸の一地方都市であるが、雅では右に出る地方都市は他にはないこと。
⑵日本海の海の幸が豊かであること。
⑶北陸新幹線が開通したことにより、東京⇄金沢が2時間半になり、陸路での時間距離が適度に近くなったこと。

OUEN塾を通して、金沢をメジャーな地方都市として、国内外に力強くアピールしていきたいと思うものです。

小林 博重

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李(Lee)さんのこと

昨夜、昨年から親しくしている李(Lee)さんが私の事務所にいらして、現在のフォトグラファーの仕事を一旦お預けして、昔日からの夢であったフランスに渡り、新しい人生をスタートさせたいと考えていると。

私が驚いたのは「李さんが私の思考では考えられない発想で人生を考えているんだ」ということでした。

彼女は40歳。私より26歳若いですが、20歳代の若さではない。普通に考えれば、全く新しい人生をゼロからスタートするには少し遅いのではないかと思ったことです。

また、彼女は在日韓国人であり、韓国語と日本語と英語が堪能なトリリンガル。人柄は穏やかで情を解する人間性豊かな女性です。しかし、フランス語は全く学んだことがないのだと。 住みたいのはイギリスやアメリカやドイツではなくフランスなのだと。
フランスは英語は話せてもプライドがあって話さないのだとかで、ゼロからフランス語を習得すると。
では、フランスで何をしたいのか。それはまだ分からない。まずは、その前にフランスで生活するために不可欠なフランス語を学ぶのだと。 私の「フランス語を学ぶことは手段なのだろう。どんなことをフランスでやりたいのか」の質問にも「まだ分からない。先ずは語学を学ぶこと」なのだと。

私など、命が有限であることや、目的を明確に定めることを大前提に、残りの人生を考えて、物事にチャレンジしようと思うのですが、李さんの、私のいう大前提を無視して人生を生きる勇気に感服したのです。

彼女はお母上を若い時に亡くしていて、お母上は我慢の人生だったのだとか。だから、悔いを残さず人生を生きたいのだとか。独り身ということもあるのでしょう。

私では全く考えられない発想に、彼女には大陸の血が流れているのだろうか、中国の華僑も同様なところがあるのだろうと思います。

兎にも角にも、人それぞれの人生です。自分の得手を磨き、自分の人生にチャレンジすることです。
李さんの人生が幸せでありますように祈るばかりです。

小林 博重

「私は運がいい」・・・39回目の結婚記念日に当たり

昨日は私の結婚記念日でした。昭和54年(1979年)11月10日(土)に京王プラザホテル。27歳でした。早いもので満39年になります。

あっという間の39年間でした。これが折り返しなら105歳がゴールという計算です。人生100年は当に一瞬の感がします。

昭和51年に大学を卒業し、安田信託銀行に入社。渋谷宮益坂下にあった渋谷支店に配属。武蔵小杉(川崎市中原区今井仲町)の川崎寮から東横線で通勤。
妻とは、昭和53年12月の川崎寮のクリスマスパーティーで知り合いました(妻は自由が丘支店配属の同期入社)。54年1月にプロポーズ。11月に結婚という電光石火の早業でした。

安田信託銀行では、渋谷支店〜神戸支店〜人事教育部〜人事部〜新宿支店〜札幌支店〜本店営業部〜法人部と8部署を経て、平成9年5月に21年2ヶ月勤めて44歳で退職。それからの社会人人生が22年を超えてしまいました。
安田信託銀行では何だかんだと言っても銀行員らしからぬ自由奔放な銀行員生活をさせていただきました。私の若気の至りで中途退職に至りましたが、それはそれまでの自由奔放が銀行ではやっていけないと本能的に感じたからということが底辺にあったのではないかと思います。
今から考えると、何も実力がない自分がよく辞めたなと、ある意味ではゾッとしますが、私にとっては結果いい選択だったのかと思っています。妻には多大なる心労と経済的不安を掛けましたが、よく22年間支え続けてくれたと思います(友人知人からは、「普通なら離婚されてもおかしくないのに」と言われますが)。

私の半生を振り返ってみると、幼少から社会人に至るまで「運がいい人生」だったと思います。
高校も大学も最初に勤めた銀行も、その後は七転八倒でしたがずっと神様がいつも傍に付いていてくださったように思います。
松下幸之助さんも、「私は運がいい」と心から思っていらっしゃったそうですが、自分のことを考えてみても、「運がいい」と思っていると運が良くなるのです。まずは思うことからですが、だんだん心からそう思う人生になっていくような気がします。

残りの人生、このままいけばずっと「運がいい」人生になっていくと思っています。

何事も、
自分の個性を大切にして得手を磨き、
前向きに、
コツコツ努力で、
世のため人のために、
の人生を送ることです。

小林 博重

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