10連休のウォーキング

漸く長い10連休も今日で終わりだ。実際のところ、ホッとする。仕事で飛び回っているほうが心が安まる。所詮、私は仕事人間に生まれついているのか貧乏性で捻くれ者だと思う。人と同じことをするのを良しとしないのだ。

この連休では毎日ウォーキングをした。

4月27日 13,988歩
4月28日 9,558歩
4月29日 23,207歩
4月30日 3,616歩
5月1日 9,779歩
5月2日 15,593歩
5月3日 17,189歩
5月4日 9,105歩
5月5日 16,950歩
5月6日 17,873歩

28日は、新宿伊勢丹の西櫻亭で妻とランチ。新宿からウォーキングで帰ってきた。
30日は雨天だったのか一日中読書に明け暮れていた。
1日は、高校の同期会で池尻大橋のフランス料理店でランチ。帰りはウォーキングだ。
4日は、母が青葉台の特養施設に入所しているので息子夫婦と訪問した。
その他の日は、ガッツリと2時間前後のウォーキングだ。

ウォーキングでは体重は減らない。食生活習慣が減量のポイントのようだ。早食いは慎もう。ベジタブルファーストを心掛けよう。

連休明けの仕事のために、滞りなくいくつかのメールを送信した。
明朝は来週の福岡・北九州出張のアポイントをはじめとした電話攻勢だ。
明日することは山ほどある。ありがたいことだ。

仕事のさなかに倒れること、これこそ正常な老人の正しい経過であり、およそ人生の最も望ましい終結である。 (ヒルティ)

こころよく我に働く仕事あれ それを仕遂げて死なむと思う (石川 啄木)

我々は何のために仕事をするのかといえば、第一に自己の主体性・自立性を練磨すること、自由を確立することであり、進んでは、それによって、発達する自己を通じて、何らか世のため、人のために尽くさんがためである。 (安岡 正篤)

小林 博重

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働くことと「ノブレス・オブリージュ」ということ。

天皇陛下はひと時の休みもなく国民のために祈っておられる。日本で一番仕事をなさっているお人だ。

仕事とは何かと考える。
仕事について考えるとき、私はいつも武田鉄矢さんが歌う『母に捧げるバラード』の台詞を思い出す。

行って来い。何処へでも行って来なさい。母ちゃん、お前のごたぁ息子がおらんごとなっても何もさびしうなか。が、いうとくがなぁ、なまじ腰ば降ろして休もうなんて絶対思うたらつまらんど。死ぬ気で働いてみろ、テツヤ、人間働いて、働いて、働き抜いて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、一度でも思うたら、はよ死ね、それが人間ぞ。それが男ぞ。お前も故郷を捨てて都へ出ていく限りは、帰ってくるときは輝く日本の星となって帰って来い。行って来い。行って来い。

フランスに『ノブレス・オブリージュ』という言葉がある。「高貴なる者の義務」だ。最近では主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。ノブレス・オブリージュの核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理だ。もちろん法的義務ではないため、これを為さなかったことによる法律上の処罰はない。
日産の前会長であるゴーン氏は裁判で徹底的に争う姿勢を示しているが、法律上では無罪となったとしてもフランス人として「ノブレス・オブリージュ」から完全に反しているのではないか。 これは多かれ少なかれ、世の政治家や経営者にも言えることだ。

私は高貴なる者ではないが、心は高貴なる者でありたいと思う。その矜持があってこそ、私は人間として生きることができるのだ。

日本国憲法は、下記のようだ。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

経営者は社員が家族のようなものだ。私は会社は大家族主義を以って経営することが最善最高の経営だと思っている。家族としての社員を守るのが経営者の最低の義務ではないか。日本国憲法第25条はそれを言い表している。
経営者はそのために「高貴なる者の義務」を果たさなければならない。働いて、働いて、働き抜いて、一度でも遊びたいとか休みたいとか思ってはいけないのだ(これは心の問題であって、もちろん、経営者は仕事に疲れて眠りたいとか、少し休んで英気を養いたいとか思ってもいい)。

天皇皇后両陛下は、そのようなお気持ちで国民のことを考えていらっしゃるのだろう。
不肖小林も、そのような心で以って、これからの我が天職に誠心誠意努めたいと思うものだ。

小林 博重

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天皇陛下のお言葉に生きる原点を見る。

いつものウォーキングは赤坂御所と明治記念館の間の道を歩くことが多い。日本の道100選にも選ばれている、絵画館前から権田原を経て四ツ谷までの美しい道だ。

赤坂御所は、天皇陛下が皇太子時代は東宮御所だったが、皇居の改築のために当分の間は天皇皇后両陛下は赤坂御所にお住まいになり、皇居へお通いになるとか。今回の譲位は一代限りということだから両陛下は生涯現役として「国民を思い、国民に寄り添って」天皇と皇后という天下人をお勤めになるのだ。もちろんプライベートなお時間はあるにはあるだろうが、実際のところ、心はやはり公としての天皇皇后だろう。ありがたいことだ。

そんなことを考えて歩いた。
私はウォーキングは健康のため、それは究極的には生涯現役を貫くため、「世のため人のため」と大層大げさな思いを持って歩いている。 しかし、1日24時間仕事漬けではないし、マイペースで突然休んだりする。ある意味では気楽な稼業だ。
日本国の象徴であるお方がフルフルでお仕事をされるのとは比較をするのもおこがましい。

天皇陛下は即位後の最初のご挨拶で「国民を思い、国民に寄り添う」象徴でありたいと宣言された。天皇はご生誕から59年の間、帝王学を学ばれ、なるべくして天皇になられたのだ。その言葉の重みをひしひしと感じた。それは天皇陛下が「無私利他の心」で国民のことを思っておられるせいだろう。
日本国民で誰が無私利他の心で国民を思うだろうか。安倍首相の言葉にそのような重みを感じるだろうか。日本国民としてそのような人がいるとしたらそれは西郷どんの西郷隆盛くらいだと思う。「無私利他」とはそれくらいの重みがある心だ。

私たち一般平民は、天皇皇后両陛下を親と思い、誠実に、嘘をつかず、真っ直ぐに、世のため人のために尽くす人生を送りたいものだ。 その先頭に天皇皇后両陛下がいらっしゃる。

小林 博重

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忘れるが勝ち!

今日は憲法記念日だ。新聞では与野党が改憲か護憲かでそれぞれが自らの主張を繰り返している。
憲法は何のためにあるのかといえば、全ての国民が幸せな人生を送るためにあるのだ。それぞれの政治信条があっての主張なのだろうが、私などは皆んなが虚心坦懐に議論を尽くせば自ずといい憲法に収斂していくのではないかと思うのだが。
憲法の生い立ちがどうだとかは枝葉末節なことだろうし、憲法が制定されて70年以上経っており、その時代の変化は制定当初とは隔世の感があるにも関わらず、全てを変えてはいけないとする固陋な考え方に固執することも何が国民のためかと思ってしまう。所詮、現在の政治家は下らない人種と思っているのは私だけではないだろう。

今日は午後1時から3時半までウォーキングを楽しんだ。外苑前→赤坂見附→三宅坂→半蔵門→千鳥ヶ淵緑道→靖國神社→市ヶ谷→四ツ谷→新宿御苑→青山→外苑前。約10㌖強。今日は夏日になったのか、時間帯は午後2時を挟んだ2時間強だったせいか、四ツ谷当たりで足取りが重くなってきた。暑さのせいだけではない。 歳のせいだろう。今まで何でもなかったことでも、少しずつできなくなってくる。自分を知ることだ。自己観照をして、客観的に自分の現状を知らないと正しい一歩を踏み出すことができない。

事務所に帰って、春陽堂書店社長の伊藤良則さんからいただいた「忘れるが勝ち!」(外山滋比古著)を一気に読んだ。どれだけ学んだこと、経験したことなど、記憶に留めているかどうかで秀才か鈍才かが決まる。 今までの世の中はその秀才を高く評価してきた傾向があるが、「忘れる」ことに頭を柔軟に保つポイントがあるのだと。いくら許容量が大きい頭でも限界があるのだから、頭に既成の知識が一杯では入るものも入らない。忘れて頭を空っぽにすることは豊かな発想に繋がるのかもしれない。

現に外山さんは1923年生まれの96歳だ。英文学者、評論家、エッセイスト。
忘れる頭はいい頭である。詰め込んだ知識や人生の苦悩を忘れることで生きてきた。頭の中のよけいなゴミを出して人生を有意義に生きる。 講演を聴講するときはメモを取ってはいけない。メモを取ると肝心なことが頭に残らない。
1日は朝起きて始まるのではなく、夜眠って(レム睡眠)、頭を空っぽにして、朝の仕事をスタートさせる。そして1日しっかり仕事をして、疲れて眠る。

そうかもしれない。私たちはどうしても既成概念に凝り固まっているようだ。そうでないと思っていてもそうなんだと間々感じる時がある。 前向きに生きるコツは「忘れるが勝ち!」にあるのかもしれない。

小林 博重

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30年前、今、30年後の自分

昨日は金沢大学附属高校同期の8名(男子6、女子2名)で池尻大橋のフランス料理店「リアン」(世田谷区池尻3-5-22)でランチのコースをいただいた。大津(旧姓 友枝)恵さんが時々利用しているとかでこの店になった。
池尻大橋駅から徒歩5分程度の住宅街にあるビル(マンション?)の1階だ。気取った風でもない、席は10席強。30代かと思われる数人のイケメンの若者がすべてを賄っている。道理で若い女性客ばかりだ。彼らはそれぞれが独立するためにこのような料理店を共同で経営しているのか。きっと期限付きのビジネスではないかと思った。

池尻大橋から外苑前までは、田園都市線と地下鉄半蔵門線〜銀座線で、3駅(渋谷〜表参道〜外苑前)だ。同期は、私が毎日ウォーキングをしていることを知っているので、歩いて帰っても1時間くらいだというので、小雨が降っていたが、せっかく傘を持参していたので、歩いて帰った。歩いて帰るというと「ほんとに歩くのか」という。みんな、雨の中を歩いて帰ると思わなかったのだろう。
私のように気軽にウォーキングをしている者にとっては小雨なら何でもないが、みんなはそうではないらしい。ハードルの高低とはそんなものだ。好きであったり、興味があったり、自分には必要であると思うのであれば、自ずとハードルは低くなる。また、若さはハードルを低くする。こんなことでも「生き方」が出てくるものだ。いや、日々の行動全てに「生き方」が現れるものだ。

帰宅してテレビを付けるとどのテレビ局も「令和時代」特集だ。今日は令和の最初の日だから当然だ。
特に令和に元号が変わったことで世界は何も変わるわけではないが、30年ぶりの大きな区切りとして、自らの人生の来し方行く末に想いを致すことは大いに意味があることだ。

30年前、私は36歳。安田信託銀行人事部で人事企画・異動や関連会社の役員の給与裁定や採用の仕事をしていた。その後の企業の新規開拓の仕事も楽しかったが、やはり7年あまりの人事の仕事は私のビジネス人生で一番やりがいがあった業務だった。 66歳の今はといえば、やはりOUEN Japan で大学生や留学生の応援団をしている。私には人事(ひとごと)の仕事が一番性に合っているのだろう。
では、30年後の96歳の私はどうだろう。現役を続けているだろうか。100歳まで現役、それから20年が余生と宣言している手前、まだまだ現役を続けているだろう。その頃は、OUENのビジネススタイルは出来上がっており、後継者の目処もついているだろうか。

今日から10連休の後半戦だ。天候は晴れの日が続くらしい。夏日にもなるらしい。7日以降のビジネスの準備もしなければならない。今日のウォーキングコースはどうしよう。いつものコースではない初めてのコースを開拓しようか。アマゾンで買った「日本人の勝算:人口減少×高齢化×資本主義」(デービッド・アトキンソン 著)も読もう。

小林 博重

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令和の時代を生きる。

令和の幕が開いた。新しい時代の幕開けだ。30年前の平成のスタートとは違い、国民全てが、平成天皇に感謝申し上げ、令和天皇のご即位を寿ぐ時代の交替は素晴らしい。私も、晴々しく令和時代のスタートを切りたいと思う。

昨日は東京は雨模様。昨日買い求めた本を2冊読んで一日を過ごした。なかなか面白い。その中から佐藤愛子さんのエッセーをひとつ。

「人生は美しいことだけ憶えていればいい」(佐藤 愛子 著)

明るくて無邪気な人が人から好かれているから、自分もそうなりたいと無理して冗談を言ったり愛想をふりまいたりしても逆効果になってしまうのは、それが彼女にとっての「自然」でないからである。無理はいけない。技巧は鼻につく。その人にとっての最も自然な姿、ありのままを磨くのが一番早道なのだ。

協調性の持てない私は、自分の自我の強さを「苦労を引っかぶって元気よく生きる」という方向へ持っていった。したくない、しない、いいたいことをいわずにはいられないという我が儘を、「正直」という美徳(人によっては正直は悪徳というかもしれないが)の方へ引っぱった。

少しは生きる苦労があったほうがいい。われわれを自分自身に対して目覚めさせるような、なんらかの不安、なんらかの情念、なんらかの苦しみがなくては幸福は生まれてこない。

苦しいことができた時、逃げようとすればもっと苦しくなりますよ。困難は逃げないで受け止める方が楽なんです。

人生は理屈じゃない。損得を考えるような人間は下司野郎。

楽しいつき合いというものは、ありのままの自分を見せ合うことのできるつき合いである。そのためには時間をかけて、何でもいい合え、何を聞いても驚かず、理解と信頼を深めていなければならないだろう。

人には負けるとわかっていても、闘わねばならない時がある。

ほんとうの魅力というものは機微に属するものなのである。ハウツーで身につけるものではなく、その人のキャラクターと人生経験の多寡によって自然に醗酵して身につけていくものであろう。

悲しいことは忘れなさい。人生は美しいことだけ憶えていればいい。

波瀾に明け暮れた人生でした。でも、苦労したとは思いません。この世に起こることは、すべて修行だと思えばいい。力一杯生きて、「ああ、面白かった」と言って死ねれば、それがいちばんじゃありませんか。

佐藤愛子さんのエッセーを読んで「人生に対する覚悟」を思った。やはり、覚悟があるとその人間の生きざまが美しくなる。美しいことは逞しいことだ。強いことだ。

レイモンド・チャンドラーの箴言を思い起こした。
「逞しくなければ生きて行けない。優しくなければ生きている資格がない」

これからの令和の時代を、逞しく、美しく、生きていきたいものだ。

小林 博重

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ちょっと気張ったウォーキング

明日明後日は東京は雨模様とかで、今日のウォーキングはちょっと気合いを入れた。
コースは、外苑前→赤坂→虎ノ門→新橋→銀座→八重洲→大手門から逆時計回りに皇居半周→靖國神社→市ヶ谷→四ツ谷→外苑前。約12㎞。

途中、八重洲ブックセンターに寄って、3冊の本を買った。
「人生は美しいことだけ憶えていればいい」(佐藤 愛子 著)
「誰かを幸せにするために」(伊集院 静 著)
「結局、『すぐやる人』がすべてを手に入れる」(藤田 達蔵 著)

本はアマゾンで買うことが多いが、ふらっと書店に立ち寄りパラパラページをめくって気に入った本を買うのも悪くない。
最近はビジネスのノウハウものにはあまり触手が動かない。小説も同様だ。66歳にもなると、自分の生きてきた人生の失敗がノウハウであり、それが小説でもあるからと言い訳している。専ら「生き方」に関する本ばかりになる。いわゆる、人生の深掘りのための読書だ。もう、この歳になると生き方哲学は変えることができない。深掘りを極めることに集中することを心がけている。

外苑前のピーコックが閉店したので、事務所には菓子と果物がない。成城石井やベルマルシェは近所にあるにはあるのだが、なぜかあまり足が向かない。少し不便を感じている。ちょうどウォーキングコースに四谷三丁目の丸正があるので、纏めて買った。どうでもいいことだが、人は理由もない行動をするものだ。理屈でもない、さりとて感情だけでもないのだ。

高校同期の当時のマドンナから、明後日のミニ同期会(池尻大橋のフランス料理店でランチ)のリマインドメールが来た。総勢8名。いつもの東京同期会は私が幹事で25名前後集まる。春と夏の年2回だが、この春はパスさせていただいた。そこでマドンナが気の合う同期に声かけての会になった。こじんまりしたのもたまにはいい。

何ということはないが、心地よい汗をかいた1日だった。

小林 博重

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妻と西櫻亭伊勢丹新宿にてランチ

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楽しい京都旅行

今日は久しぶりに妻と外出した。

安藤裕美さんが副社長をしている日欧クラブが経営している「西櫻亭伊勢丹新宿」でランチをしようということになった。こんなことでもないと妻と出かけることはない。

連休前半は天候に恵まれないそうだが、今日は快晴のウォーキング日和だ。新宿三丁目の伊勢丹までウォーキングでもいいが、妻も一緒だ。地下鉄で新宿まで行くこととする。ちょうど、5月11〜12日に高槻の二男家族のところに三男家族と、私と妻と長男が行くという、突然の家族旅行が持ち上がって、その往復新幹線の切符を買うためだ。
私たち夫婦はJR東日本の「大人の休日・ジパング倶楽部」に入っている。一定以上の距離を乗車すれば、乗車券と特急券が3割引になる。私は専ら北陸新幹線の東京⇆金沢で使用しているだけだが、今回は初めて私用で使う。妻も初めてだ。

西洋レストラン「西櫻亭」では、2人ともコンビプレートとサイドサラダを注文した。コンビプレートは、5種類のメニューの中から2種類選べる。私と妻は別々のメニューにしてそれを分け合った。全て美味だ。“お値段以上ニトリ🎶”というところか。 西櫻亭は、連休の日曜日ということもあって、若いカップルや家族連れやマダム同士が来店している。美味しさにきっとリピーターも多いのだろう。
私は安藤さんの応援団長として、今以上のお店の賑わいに貢献しなければならない。売上アップ、経費ダウン。リピーターもさることながら、新規顧客開拓だ。ターゲットも明確にした戦略と戦術の駆使だ。もっと知恵を絞ろうと思う。この美味しさをどのようにより多くの顧客にアピールしていくのか。

美味しいランチの後は、私は新宿三丁目から外苑前までウォーキングだ。快晴で気持ちがいい。
ふと思いついた。5月の家族旅行では、私は12日が広尾でイベントがあって11時半までに東京に戻らなければならず、家族旅行を中途で切り上げなければならない。せっかく孫たちとの触れ合いができず残念と思っていた。 しかし、ちょうど6月1日に京大で七朋会(国立七大学応援団OB会)ががあるではないか。私七朋会幹事長でもあり、その会には絶対に出席しなければならない。
その週はOUEN塾の準備活動で金沢出張中だ。6月1日は、金沢から京都に向かう。1日は京都に宿泊と考えていた。だったら2日に孫たちと再会できる。それこそ、二男家族5人を西櫻亭伊勢丹京都でランチに招待できるではないか。一石二鳥とはこんなことだ。

早速、安藤さんに6月2日のランチの予約をお願いした。そして、二男には1日のホテルの予約をお願いした。
5月の家族旅行、6月の七朋会と西櫻亭のランチはいずれも楽しい京都旅行になることだろう。今から楽しみだ。

そんなことで、10連休は専ら東京からどこも出ないで、ウォーキング三昧、健康第一と行こうと思う。

小林 博重

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“せっかく”の人生を生きる。

いよいよ10連休のスタートだ。

決まった予定は、5月1日に高校の同期が10人足らず集まり、池尻大橋のフランス料理店でミニ同期会を催すので出席することと、西櫻亭伊勢丹新宿に妻とランチを食べに行くことの2つだ。

専ら毎日のウォーキングで体力強化とダイエットに励もうかと思う。ダイエットは運動よりも摂食が効果があるらしい。人生の長期戦を考えると、やはり健康第一。健康でなければ想いは叶わない。それとどうしてもその想いを叶えるために多少のお金が不可欠だ。健康に留意して生涯現役で仕事をして稼ぐのが、夢を叶える一番の近道だろう。

長男が次男と三男に声を掛けてくれて、5月11〜12日に1泊2日の大阪旅行が実現する。高槻には、次男夫婦と3人の孫たちがいる。動画では毎日のように孫たちの成長を見ることができるが、ここのところ会っていない。妻も義母の介護でなかなか旅行とはいかない。義母のショートステイがその前後に決まったとかで、それでは孫たちの元気な顔でも見に大阪に出向こうということになったらしい。私は妻の付け足しだ。 私は12日の昼に予定があるので、それに間に合うように新大阪8:33発ののぞみで帰る予定だ。それでも孫たちの顔を見て彼らの活力をもらいたいと思う。

今日のウォーキングコースは、外苑前→渋谷→明治神宮→新宿高島屋。高島屋に着くと雨足が少し強くなったので、ウォーキングを中止して地下鉄で帰ることに変更した。約12,000歩。 明日は晴れるようだが、明後日からの連休前半はあまり天候に恵まれないらしい。残念だ。事務所で連休明けのアポイント先の整理でもしようと思う。

考えればすることは山ほどある。私くらいの歳になると毎日が日曜日だ。現役時代に高給取りだった人たちは老後も高額年金で、働かなくても生活ができる人たちが多い。多い年金は幸せなことと思うが、そのために働くことをしないようでは、それは幸せとはいえないのではないか。
私は自分勝手に会社を辞めてしまったので、その恩恵には預かることはない「貧乏暇なし」の生活だが、考えようによっては余儀なく生涯現役を貫かざるを得ないことは幸せではないか。そう思うしかないのだが、ものは考えようだ。

小出監督は、有森裕子さんや高橋典子さんに、「人生には無駄なことは何もないんだ。“せっかく”と思って励みなさい」と仰ったそうな。
折角(せっかく)には、いろいろな意味があるが、小出監督の「せっかく」は、滅多に得られない、恵まれた状況を大切に思う気持ちを表す言葉だ。「折角の○○だから」と使うのだろう。 自らに降りかかった出来事全てが、滅多に得られないこと、恵まれた状況を天が与えてくださったと思うこと。だから全てに感謝しなさい、ということだろう。

与えられた仕事を天職と思い、精魂尽くす人生でありたいものだ。

小林 博重