物は考えようで全てが幸運につながる。

いろいろ雑念がある内はあれこれ悩むことが多いが、人間、腹を括ると実に前向きになるものだ。そして、冷静に事を進めることができる。
雑念があると言うことは、心がピュアでないからだ。経営も人生もそんなに複雑なものではない。人間として如何にあるべきかをトコトン追求すれば、心がピュアになり、方向性を間違えることはない。そして、好回転の人生になっていく。

昨日の一つのビジネスマッチングは不調に終わったが、その会話の中で新しいビジネスマッチングの種を見つけることができた。当に「灯台下暗し」「犬も歩けば棒に当たる」というところだ。 動いて、人と会って会話をすることで、ビジネスは拡がっていく。

また昨日は、その勢いで、全く関連のないビジネスマッチングを深掘りすることもできた。

それもこれも、ゼロからスタートしようと思って腹を括って動いたからだ。

真夜中に目覚めて眠れないことがある。昨夜は8時前に床に就いて、1時過ぎに目覚めた。4時間しか眠っていない。そのあと3時過ぎまでうつらうつらして、3時半には事務所に着いてパソコンを開いた。

眠れないことを前向きに考える。仕事をせよとの天からの指令と思い前向きに捉えることにする。また、眠くなったら寝ればいいと思うことにすればイライラもしない。物事は全て考えようだ。

真夜中の小雨は上がって、5時前、昨日出来なかったウォーキングをスタートしよう。7時過ぎまでの2時間強はウォーキングシンキングの時間だ。 今日は11時に池袋、15時に新宿。空いた時間は喫茶店でシンキングタイムとしよう。

小林 博重

誰にも負けない努力で得手を磨き続ける。

サラリーマンから足を洗って20年近くになる。当初はどうなることかと不安だったが、なりふり構わず動いてみると何とかなるものだ。
日々の生活費を稼ぐのに四苦八苦で、哲学なるものを考える余裕もなかったが、「三つ子の魂百まで」は真実だ。幼い頃、祖父母にことある毎に言われていた「人として恥ずかしい生き方はするな」という教えと東大応援部で叩き込まれた3Sスピリッツ(Service、Sacrifice、Study)は、知らず知らず私の血肉になっていたのだろう。それに、稲盛哲学(忘己利他、世のため人のために生きる)が祖父母の教えと東大応援部の精神をアウフヘーベンさせてくれたのだ。

人は何のために生まれてきたのか。私は、人は「天が人をこの世に送り出す時に与えてくれたミッションを果たすために生まれてきたのだ」と思っている。

自分のミッションが何かを自覚し、そのミッションを果たすことが私の幸せだ。それは第一に私のためであり、それが世のため人のためになる(活私奉公)。そして、私は幸せな人生を送ることができる。 さだまさしも「いのちの理由」で「しあわせになるために誰もが生まれてきたんだよ」と歌っているではないか。

ウォーキングをしながら考える。私の宮仕え時代は順風満帆。そして、私の自由業(フリーター)時代は七転八倒から七転び八起き。
どちらが楽しかったかと言えば、どちらも楽しかったし楽しい。しかし、下らない忖度をすることのない今の自由業が私には一番性に合っている。それと、自分の裁量で仕事をすることの喜びは会社の比ではない。

そして、私の自由業が作家やタレントのような自らの力量で勝負する種類のそれではないことが、私が人とのつながりを他よりも大切にしなければならない理由だ。

「類は友を呼ぶ」という諺は、私にとってビジネスのベースになっている。
人生100年時代を私は現役100年と解している。そのためには「類は友を呼ぶ」ことでなければ現役を100年続けることができないと思う。そして、それは私のような自由業でなければならない。宮仕えは長くても80歳が関の山だろう。

そんなことで、私の人生の選択は間違っていなかったと自信を持って言うことができる。
これからも誰にも負けない努力で、得手を磨き続けることだ。

小林 博重

夏の衣を脱ぎ捨てて、実りの秋をスタートする。

会社とNPOのゴム印(住所と法人名と代表者名)が潰れて、紙に押しても字が読めなくなった。土曜日に日本橋丸善に出かけてそれぞれを注文した。1週間程度かかるそうだ。これも、第二生のスタートとして一つの区切りだ。

ついでに、本を3冊買い求めた。

⑴稲盛和夫一日一言〜運命を高める言葉〜(稲盛和夫著、致知出版社)
稲盛さんの箴言集だ。日々悩むことの連続だが、この箴言集の一言一言を心に刻んで生きることだ。

⑵増補版 90歳。何がめでたい(佐藤愛子著、小学館文庫)
⑶98歳。戦いやまず 日は暮れず(佐藤愛子著、小学館)
「最後のエッセイ集」と銘打っているが、佐藤愛子さん、益々お元気で、否が応でも読者を元気にしてくださる。私も佐藤さんのような逞しい後期高齢者になりたいものだ。

私は今年が数え70歳。私自身の「人生の春夏秋冬」で言えば、「夏の終わり」の年だ。
春の45年は順風満帆、夏は七転八倒の25年だったような気がする。しかし、七転八倒から七転び八起き。人間的には少し成長したように思う。失敗の数だけ人間は成長するのが人間なんだろう。苦は磨き砂だ。

何事も思いよう、考えようだ。私は「古来稀なる70歳」を春と夏の区切りの歳と考えたのだが、人生100年時代はこの考えがちょうど時代に合っているようだ。還暦の60歳では、まだまだひよっこで、夏の終わりというには早すぎる。

私の夏の終わりの日は今年の大晦日。数え70歳の最後の日になる。また、秋の始まりは来年の11月8日。満70歳になる日だ。
来年1月1日から11月7日までが、夏と秋の入れ替わりの期間。まだまだ暑くなったり涼しくなったり。その期間に夏の締めくくりである「生前葬」と秋の始まりの「出陣式」を行う。それが6月4日(土)だ。
図らずも、ちょうどそういうことになった。いや、天がそのように采配してくださっているのだろう。私の周りの人たちが天の意思を感じ取ってアドバイスなり指導なりしてくださる。ありがたいことだ。

そして、秋には夏の名残りを引きずっていってはいけない。今年の年末までに七転八倒の夏に纏わり付いた塵芥を綺麗サッパリと拭い去って、新たな衣装でスタートを切る。そして、実りの秋を迎えるのだ。

そう腹を括ると、何も怖いことはない。自信を持って、堂々とした人生を突き進むのみだ。

小林 博重

「災い転じて福となす」ためには、「渇しても盗泉の水は 飲まない」ことだ。

「犬も歩けば棒に当たる」という諺は相反する2つの意味がある。

⑴物事をしようとする者は、それだけに災難に遭うことも多いものだ。
⑵何かやっているうちには、思いがけない幸運に会うこともあるものだ、また、才能のない者でも、数やるうちにはうまいことに行き当たることがある。

私の場合は、両方に当てはまるようだ。
コロナ禍の中でも私は犬のように歩き回っていた。歩き回ると必ずといっていいほど棒に当たる。

今年は⑴の棒に当たってしまった。これは、私の脇が甘いせいなのだが、「災い転じて福となす」と気持ちを切り替えて、人生前向きに考えることにした。 災いを人生の磨き砂と思うことで幸運に切り替えることにしよう。

今月、漸く緊急事態宣言が解除され、まだまだ油断は禁物だが明るい兆しが見えてきた。世の中、気分も前向きになってきたことで、私の「災い転じて福となす」活動で、少しずつアクセルを踏み込んでいる。
訪問活動を増やし、電話セールスも訪問のアポ取りで積極的にしていると、思いがけない⑵の棒に当たることになる。それが一つや二つではない。連鎖反応というのだろう。私の声にも迫力が出てきて、それに相手も貴重な情報を投げてくれる。実に空気とは不思議なものだ。

災難と僥倖はコインの裏表だ。災難が僥倖に転じるには、人間の心が真っ直ぐで素直であることだ。

「渇しても盗泉の水は飲まない」という諺があるが、災難を僥倖に転じさせるときには、決して盗泉の水を飲んではいけない。人間として正しいことを貫くことだ。

「災い転じて福となす」
心を清く美しくして、誰にも負けない努力をすることだ。

小林 博重

人間として生きる

漸く、秋らしい爽やかなウォーキング日和になってきた。今朝も、外苑前→三宅坂坂→皇居を逆時計回りに一周→三宅坂→外苑前と2時間のウォーキングを楽しんだ。

歩きながら何度も何度も同じことを考える。

稲盛さんから教えられたこと「人生や経営に不可欠なこと→単純な原理原則を揺るぎない指針とする」ことは、私の応援哲学のど真ん中にある。

稲盛和夫さんは仰っている。

京セラは、私が二十七歳のときに周囲の方々につくっていただいた会社ですが、私は経営の素人で、その知識も経験もないため、どうすれば経営というものがうまくいくのか、皆目見当がつきませんでした。困り果てた私は、とにかく人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと心に決めました。

すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わった、そして大人になるにつれて忘れてしまう、単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。

経営について無知だったということもありますが、一般に広く浸透しているモラルや道徳に反することをして、うまくいくことなど一つもあるはずがないという、これまた単純な確信があったからです。

それはとてもシンプルな基準でしたが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って経営していくことで迷いなく正しい道を歩むことができ、事業を成功へと導くことができたのです。

私の成功に理由を求めるとすれば、たったそれだけのことなのかもしれません。つまり、私には才能は不足していたかもしれないが、人間として正しいことを追求するという、単純な、しかし力強い指針があったということです。

人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないか、私はこのことを生きるうえでもっとも大切なことだと肝に銘じ、人生を通じて必死に守ろうと努めてきたのです。

一方、また考える。

ガンジーは言っている。

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

北朝鮮の拉致被害者である横田めぐみさんの母である横田早紀江さんや、池袋暴走事故の遺族である松永拓也さんは、ガンジーの箴言をどのようにお聞きになるだろうか。

「許す」ということは本当に強さの証であるのか。強い人間であっても、決して「許す」ことができないことがあるのではないだろうか。

この私にも、決して人を許すことができないことがある。それでは、私はまだまだ強くはないのだろうか。

怒りの炎を心の奥深くに持ちながら、その炎を「世のため人のために」一層燃え上がらせよう。そうでなければ、私は「人でなし」になる。

坂本龍馬は言っている。

金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。

金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。

信なくば立たず

名こそ惜しけれ

私は人間として生きる。

小林 博重

魑魅魍魎な妖怪を相手にしない人生を全うする。

10月7日に、古典落語の第一人者で人間国宝の柳家小三治さんが亡くなった。享年81歳。
まもなく、衆議院議員選挙が行われる。日本経済新聞朝刊には「引退議員に聞く」コーナーで、今回の衆議院議員選挙に立候補しない議員のインタビューが載っている。
皆さん、八十路過ぎかと思いきや、七十路過ぎの議員の方々も多くいる。麻生副総裁や二階前幹事長のような妖怪もいることはいるが、一般的には70歳が政治家の区切りの年齢と考えるのだろう。

人生100年時代、サラリーマンの世界は、定年は70歳まで、それ以降も働く時代になったが、それは現役バリバリで働くわけではない。年金の不足分を労働で稼ぐこと、認知症防止対策等、下り坂の人生であることは間違いない。 政治家はそんなわけにはいかないから七十路を期にリタイヤを考えるのだ。

ところで、私は今年に数え70歳になった。来年11月には満70歳になる。
古来稀なる『古稀』にあたり、来年6月4日、午前に第一生の生前葬(於、南麻布了聞)、午後に第二生の出陣式(於、日本青年館)を執り行う予定だ。

私は、議員のリタイヤや老醜の妖怪とは全く違う人生観を持って、第二生のスタートを切りたいと思う。

昨日のブログでも書いたが、その心意気は「嗚呼玉杯」だ。
逆巻く波をかき分けて自治の大船勇しく、大海に漕ぎ出す堂々たる第二の人生のスタートだ。

人間とは性善だが性弱な動物だ。性が弱なゆえに、中には魑魅魍魎と化す可哀想な人間の顔をした妖怪がいたるところに蠢く。
生まれ持った性善を守り通して生きている人間と魑魅魍魎の妖怪との区別は、その妖怪が極めて強かなため、人間ができてこないと善と悪との見分けがつかない。

第二生は、第一生の七転八倒の人生から学び、魑魅魍魎の妖怪を相手にしない人生を全うしたいと思う。

行途を拒む ものあらば
斬りて捨つるに 何かある
破邪の剣を 抜き持ちて
舳に立ちて 我呼べば
魑魅魍魎も 影ひそめ
金波銀波の 海静か

小林 博重

嗚呼玉杯に花うけて

ウォーキングをしながら寮歌を口遊む。今朝は、旧制第一高等学校寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」だ。第一高等学校寮歌の代表的な寮歌だ。寮歌中の寮歌だ。「嗚呼玉杯」は「紅燃ゆる」「都ぞ弥生」を加え、日本三大寮歌と呼ばれている。

私が卒業した金沢大学附属高校は、私が高校生だった昭和40年代前半、今から半世紀前、夏休みに校庭でファイヤーストームの定例行事があった。そのおりには、火を囲んで旧制高等学校の寮歌を歌う。第一高等学校から第八高等学校のナンバースクールの寮歌、札幌農学校の寮歌等々。毎日、昼休みには校舎の屋上で、多くの生徒が寮歌の練習をしたものだ。

私はロマンチックな第三高等学校(現、京大)や札幌農学校(現、北大)の寮歌を好んだ。
第一高等学校(現、東大)の寮歌は天下国家を背負う権力者志向の歌のような気がしてあまり好まなかった。そんなこともあり、大学は京大が第一志望だった(しかし、担任の米谷先生に東大を薦められて、祖父の想いもあって東大を受験した)。

私は、ファイヤーストームのリーダーであったこともあり、全ての寮歌を誦んじた。今朝はなぜか、その中で、今まであまり好まなかった「嗚呼玉杯に花うけて」を歌っていた。

嗚呼玉杯に 花うけて
緑酒に月の 影やどし
治安の夢に 耽りたる
栄華の巷 低く見て
向ヶ丘に そそり立つ
五寮の健児 意気高し

芙蓉の雪の 精をとり
芳野の花の 華を奪ひ
清き心の 益荒雄が
剣と筆とを とり持ちて
一たび起たば 何事か
人生の偉業 成らざらん

濁れる海に 漂へる
我が国民を 救はんと
逆巻く波を かき分けて
自治の大船 勇しく
尚武の風を 帆にはらみ
船出せしより 十余年

花咲き花は うつろひて
露おき露の ひるがごと
星霜移り 人は去り
梶とる舟師(かこ)は 変わるとも
我が乗る舟は とこしえに
理想の自治に 進むなり

行途を拒む ものあらば
斬りて捨つるに 何かある
破邪の剣を 抜き持ちて
舳に立ちて 我呼べば
魑魅魍魎も 影ひそめ
金波銀波の 海静か

昔日、東京帝大を卒業すると高級官僚を経て国を司る政治家を志望する人たちが多くいた。
世のため人のために生きることは、天下国家を論じることだと思っていた。高級官僚から政治家、それが延いては一国の総理大臣を目指すことが世のため国のためと思っていた。 しかし、そうではない。一介の市井人であろうと、天から世のため人のために生きるミッションを授かって生まれてきているのだ。

私は一介の市井人であるが、草莽の士でありたいと思う。そう思って「嗚呼玉杯」を口遊む。

第三高等学校の「紅燃ゆる」や札幌農学校の「都ぞ弥生」もいいが、今の私には「嗚呼玉杯」の心意気を持って生きることが求められているのだ。

そう思って、何度も何度も口遊む。その志やよし。後半生は「嗚呼玉杯」の心根で生きようと思う。

小林 博重

お世話になったご恩をお返しする人生

土日のウォーキングは3時間コースが多い。ビジネスのアポイントがないこともあるが、土日は気持ちが少し緩むのだろう。ゆったりとした気持ちでウォーキングを楽しむことができる。

今日は6時前に事務所を出て、明治神宮・靖国神社コースで3時間だ。9時前に事務所に戻り、朝風呂に浸かり、ゆったりと日曜日の休日を過ごす。

44歳で銀行を中途退職したおり思ったことは、「44歳は人生80年の半分を過ぎた年齢だ。私の人生は、あと半分弱の40年前後しか残されていない。定年を過ぎて、思うところを果たそうとしてもその期間はあまりにも短い。たとえ、トップに昇り詰めたとしても、その期間はもっと短い。それでは生まれてきた意味がない。ここが退職する潮時だ」と(そう思って古稀になってしまった。人生80年であればあと10年だが、ありがたいことに人生100年時代になった。私はさらに加えて20年の人生120年だ。もうこれ以上伸ばすことはできないだろうから、今は不退転の決意で人生を生きていこうと思う)。

その時は、私の生まれてきたミッションはこれだと思っていたわけではない。銀行で勤め続けることは、私の思うところの人生とは違う、よく分からないけれども何か違う。このまま勤め続けることできっと後悔することになるのではないかと言った「漠然とした不安と不満」があったのだろう。
その時は、稲盛哲学に傾倒していたこと、バブル崩壊で銀行が本来の金融機関の使命を果たすことができない環境になっていたこともあるし、私を誘ってくれた会社があったこともある。いろいろなことがあって、「えいや」と清水の舞台から飛び降りた。

早いものでそれから四半世紀が経つ。
「山あり谷あり」七転八倒の25年間だった。谷底に落ちて「我が人生は何だったのだろう」と深い後悔をしたこともある。しかし、後悔しても先が明るくなるはずはない。冬の日本海は荒れていたが、時には穏やかな凪になることもあった。今までお世話になった人たちの中には去っていく人もいたが、救いの手を差し伸べてくれる人が圧倒的だった。 また、振り返ってみれば、44歳以降の人生でお世話になった人たちはそれまでお世話になった人たちよりずっと多いことに気がつく。

そんなことを考えると、私の44歳の決断は間違っていなかったと思うようになった。
勿論、銀行を辞めなかったとしても多くの人たちにお世話になっていただろう。しかし、人生は一本道だ。別の道を歩くことはできないし、だから比較することもできない。今まで歩いてきた道が一番なんだ。出逢ってお世話になった人は、きっとそうでない道を選んだよりもずっと多いだろうし、その人たちは素晴らしい人たちだ。中にはとんでもない人たちもいたことはいたが、その比率は少しずつ低くなってきている。いい人たちが圧倒的に多い。 「私は幸せな人生を歩いている」そう思うと、これからはもっと幸せな人生を送ることができると思う。

そんなことを3時間のウォーキングで考える。

私は運がいい。多くの人たちが援けてくださる。
これからの人生で、精一杯、そのお返しをしようと思う。

小林 博重

私の「地域創生」への想い

10月7日に福岡に日帰り出張して、ゼオライト嶋村社長および福岡女子大学梶山最高顧問との対談を行なった。
まもなく、OUEN DANCHOのホームページ、YouTubeに掲出する運びだ。

対談のテーマは、下記のようだ。
①大学生・留学生と地元企業との交流イベントであるOUEN塾(コロナ禍のあとのOUEN塾は、学生が運営するOUEN塾にする) ②学生たちを応援してくださる企業(OUEN Company)同士のビジネスマッチングについて(ゼオライトの企業紹介)
③学生たちとOUEN Companyが、力を合わせて、彼らが住み働く地域を元気にする「地域創生」(私が考える「地域創生」)

「地域創生」と言うキーワードを絶えず意識することで、それに関わるみんながhappyになる。地元の人たちが主体となって「地域創生」を推進すること。

学生たちは地元を知り、地元を愛し、それが彼らの人間性を豊かにする。そして、彼らは社会人として大きく成長する。
また、企業は地域創生に貢献することによって、企業同士がWin Winの関係になり、自ずと彼らのビジネスが大きくなる。

私は今年、数え70歳になった。18歳でふるさと石川県を離れ「花の東京」に出て、はや半世紀だ。中学生まで祖父母に育てられた。 私にとって祖父母は実の親以上の存在だった。享年は祖父が89歳、祖母が95歳と2人とも長命だったが、私もその年まで19年と25年。

私の人生は120年とは思うものの、祖父母の年齢が近くなったと思うと、最近は祖父母の教えを頻繁に思い出す。そして、天が私に与えてくださった「天命=ミッション」を果たすことを強く意識する。

では、天が私に与えた天命=ミッションとは何か。

それは「地域創生」を通じて、それに関わる人たちが幸せになることを応援(OUEN)することだ。

そして、ミッションを果たすために、3つの教えを脳裏に深く刻む。

⑴ 祖父母から教えられたこと
①正直に生きること
②嘘をつかない人生を生きること
③後ろ指を刺されない人生を生きること
④真っ直ぐな人生を生きること
⑤お国のために生きること
⑥世のため人のために生きること
等々

⑵ そして、東大応援部で学んだ「3S-スピリッツ」
①Service→社会貢献
②Sacrifice→活私奉公
③Study→人生修養

⑶ ⑴と⑵を哲学にまでアウフヘーベンさせた「稲盛哲学」=6つの精進
①誰にも負けない努力をする
②謙虚にして驕らず
③毎日の反省
④生きていることに感謝する
⑤善行、利他行を積む
⑥感性的な悩みをしない

私の魂を磨くために、⑴⑵⑶の教えを肝に叩き込んで、私のミッションである「地域創生」のサポートに生涯を懸けることだ。

勿論、主役は地元の人たち。応援の精神は「主役を立てること、黒子に徹すること」なのだ。

そして、その「地域創生」は、OUEN塾の九州北部(福岡県、佐賀県、長崎県)と石川県からスタートする。

小林 博重

福岡の日帰り出張

今日は福岡の日帰り出張だ。
外苑前駅始発で京急羽田空港駅に向かい、羽田6時30分発〜福岡8時25分着のANAに搭乗する。

午前はゼオライト株式会社の嶋村社長と、午後は福岡女子大学の梶山最高顧問との対談だ。OUEN DANCHOのホームページ用(YouTube)の動画撮影をする。

OUEN Japanと地域創生、OUEN塾とOUEN Company、盛和塾で学んだこと、その学びを社会で如何に行動に活かすか等、話題は尽きない。

福岡は私にとって第二のふるさとだ。銀行時代は人事部の臨店と称して、福岡支店や北九州支店の社員の皆さんとの面談訪問をしたくらいで福岡県とは殆どご縁がなかったのだが、[OUEN塾in福岡・北九州]を通じて多くの福岡県の皆さん(学生さん、大学や地元企業の皆さん)との交流ができた。 そして福岡のみならず九州の地域創生のサポートができないかと強く思うようになった。
これは私独りではできないことだ。九州に住み働く皆さんが主体となり、活動する「九州の地域創生」を側面から応援すること、あくまでも黒子になって応援することだ。九州地方以外の皆さんからも応援をお願いしようと思う。 とにかく、応援哲学を実践することだ。そのステージを創ることが私、小林博重=OUEN DANCHOの役割なのだ。

昨夕は久しぶりに生命保険修士会で仲間だった日本生命の中川美和子さんにお会いし、四方山話に花を咲かせた。
中川さんは私より1歳お姉さんだ。8月で満70歳になったので、ご兄弟や甥御さん姪御さんたちが鎌倉の小洒落た料亭で古稀の祝いをしてくれたのだとか。
私も今年は数え70歳になった。気持ちは青春の時代以上に若いままだが、肉体はもう若くはない。見かけ以上にガタが来ていると実感している。来年は3人の息子たちは古稀のお祝いをしてくれるだろうか。

独り住まいの老人が人知れず自宅で亡くなって、それが事故物件化している件数が増えてきているらしい。そして、事故物件は賃借人が借りることを避けるため、売買や賃貸借の条件は通常よりも悪いことになる。自ずと老人に貸す不動産物件は大幅に減少することになる。また、それだけをビジネスにしている不動産会社もあるらしい。 こんなことを聞くと、歳は取りたくないものだと思う反面、年齢を重ねることで人間は成長するとも思う。

お互い、老境を語り合う歳になったものだ。二人とも前向きな人生を送っているから、これからの老後は明るいものになるだろうと思っているが。

浅田美代子さんが樹木希林さんのことを書いたエッセー『ひとりじめ』が話題になっている。
浅田美代子さんと言えば、「時間ですよ」(森光子さん主演のドラマ)で、可愛い「隣のみよちゃん」の印象が強い。「赤いふうせん」のデビュー曲もある。釣りバカ日誌のみちこさんのイメージもある。

私にはアイドルのイメージが強かったが、年齢を重ねて人間としての襞が出てきて、深みのある女優になってこられたような気がする。

「隣のみよちゃん」は、可愛いおばあちゃんになっていく。私もこのような歳の取り方をしたいものだ。

小林 博重