見果てぬ夢を見果てる夢に変える‼︎

出張3日目、仕事を終えて17時半に福岡空港搭乗口に到着した。出発時刻は19:25。まだ、2時間ある。2泊3日の出張で丁度いい。今までは3〜5泊の出張がほとんどだった。それも九州出張は佐世保、長崎、福岡、北九州と毎日宿泊先が変わる。連泊でも疲れるのに全て別ホテルでの宿泊はそれ以上だ。ここのところ、長期出張が少し苦になっているのは歳のせいか。「無理はよそうぜ。身体に悪い」(村田英雄の「皆の衆」の歌詞)だが、昔日のバイタリティがなくなってきたことは、少し寂しい気がする。

今日は、8時半〜、10時〜、11時〜、14時〜、16時〜と5件の訪問をこなした。それぞれ、有意義な打ち合わせ、プレゼンテーションだった。その中でも、福岡事業構想大学院客員教授の若林宗男さんから、九州の地方創生について、示唆に富んだお話しを聴くことができたのはこの上ない収穫だった。

以前、九州北部信用金庫協会の篠原専務理事から、九州北部の13信用金庫の取引先を紹介する本(九州北部信用金庫協会監修)をいただいた。その本の推薦文を書いていらっしゃったのが若林さんだったこともあって、ご紹介いただいたものだ。

若林さんは九州観光推進機構(KTPO=KYUSHU TOURISM PROMOTION ORGANIZATION)の九州観光広報センター副センター長兼海外担当、地域活性化伝道師(内閣府)だ。

私が関わっている長崎IRも、OUEN JapanのOUEN塾も、いずれもその目的は九州の地方創生だ。九州が一体となって地方創生に取り組むことが大切なのだが、九州には7つの県があり、また江戸時代にはその何倍もの藩があった。それはそれぞれの個性はあると言うものの、纏まりと言う点では、一体感に欠ける。

北海道は面積では九州より大きいが一道であることもあり、纏まりの面では九州の比ではない。だから、アピールするコスパは遥かに九州を凌ぐ。
また、台湾と比較しても、台湾は一国であり、仮想敵国として大陸の中国がある。その点ではその一体感は九州の比ではない。九州は九州一島と纏まっているようでそうではないのだ。

九州観光推進機構はその問題意識があって設立された一般社団法人だが、なかなかそのミッション達成にはご苦労されているらしい。

若林さんは「ケネディのアポロ計画」の話をされた。

ケネディはライス大学でアメリカの宇宙計画について演説した。流石、希有なリーダーであるケネディの面目躍如だ。

「我々が10年以内に月に行こうなどと決めたのは、それが容易だからではありません。
むしろ困難だからです。この目標が、我々の持つ行動力や技術の最善と言えるものを集結しそれがどれほどのものかを知るのに役立つことを望み、先延ばしすることを望まないものだからです。

そして、これこそが、我々が勝ち取ろうと志すものであり、我々以外にとってもそうだからです」

できるからやるのではない。みんなができないと思う、しかし、やるべきことにチャレンジするのだ。

夢を語り、その夢の達成のために、今何をするのか、地道な努力をコツコツコツコツ積み重ねることなのだ。その階段の先の先に、見果てぬと思っていた夢が見果てる夢に変わる一瞬が来るのだ。

九州の地方創生を考える。九州の地方創生は、県境を取り払った、地方自治体に頼らないチャレンジが必要なのだろうと。それには民間がコツコツコツコツ、県境を越えて、ビジネスマインドで、地道に活動することだろう。

「千里の道も一歩から」と言うではないか。それが私=OUEN Japanのミッションなのだ。

今年の九州出張はこれが最後だ。実に有意義な出張だった。

見果てぬ夢を見果てる夢に変えよう。新たな気持ちで明日からまた頑張ろうと思う。

小林 博重

自らの成長とOUEN Japan

16日の長崎は霙まじりの冷たい一日だったが、昨朝(17日)は冬の関東を思わせるようなスカッとした冬晴れだった。大村湾に昇る太陽が眩しい。

12月の九州出張は本日が最後だ。

この出張の目的は、長崎IR&スーパー・スマート・コミュニティの国内コンソーシアム組成だが、そのミッションは、同時にOUEN Companyのメンバー組成に大きく関わってくる。即ち、長崎 IRは、新しいOUEN Company のベースつくりでもある。
そのメンバー組成は、これからのOUEN Japan を見据えてのものであり、それは、OUEN Japan が大きく脱皮していくベースになる。

OUEN Company はいくつかのテーマで活動していきたいと思う。漠とした構想をこの年末年始で熟考しよう。そして、年明けには、OUEN DANCHOのホームページに反映させていこうと思う。

また、このコロナ禍のなか、OUEN塾のあり方をリセットする必要を感じている。

今までの福岡・北九州で行なってきたOUEN塾はそのままの開催が難しくなっている。コロナが落ち着けば再開と言うものでもない。こちらの体力の問題もある。
オンラインでの展開のほかに新しいOUEN塾を模索していく必要がある。

そして、OUENのサポーターの問題だ。OUEN CompanyとOUEN塾、いずれも一人では何もできない。今サポートしていただいている人たちを基本に、人的コラボレーションのあり方を考えよう。

その前に、私自身がその構想を練り、しっかりとした柱を立てることが必要だ。私自身が考えることだ。あくまでも、サポートはそれを支え肉付けするものでしかない。

自立と自律

自分自身で一人立ちすること。
そして、自分を律し大人になること。
そして、人に優しくなることだ。

強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。

目覚めてそんなことを思う。

小林 博重


ウォーターマークホテル長崎のレストランから、大村湾の日の出を望む。

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無邪気と恕の心

今日(16日)から18日まで、2泊3日の九州出張だ。羽田空港〜長崎空港〜ハウステンボス〜(泊)〜福岡〜(泊)〜福岡〜福岡空港〜羽田空港。 今年最後の出張になる。

9時35分羽田発だが、1時過ぎに起きて事務所に行く。前日に準備はしてあるが、再確認のチェックと事務作業諸々。それでも見落としがあることがある。歳のせいもあるだろう。有意注意の徹底を怠らないことだ。

朝風呂に浸かって、漸く落ち着く。まだ5時半だ。ブログを書いて、電車が混まない(コロナ禍だから混まないだろうが)うちに、8時前には羽田空港に着くように、7時には事務所を出よう。あと1時間半。ブログを書いて、お茶を飲んで、自省の時間としよう。

昨日は私の身近なところで、ちょっとイラッとすることがあった。まだまだ、人間ができていない。そんなにイライラしていいことは一つもない。落ち着いてよく考える。

天真爛漫という言葉がある。三省堂の辞書に「飾らず自然のみの姿が溢れ出ているさま。生まれつきの素直な心そのままで、明るく純真で無邪気なさま」とある。

松下幸之助さんは「素直な心」を次のように定義している。
「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通じる心であります」 お互い人間が最も好ましい生き方を実現していくには、それに相応しい考え方や行動をすることかわ大切で、その根底になくてはならないものが「素直な心」である。

「素直な心」もピンからキリまであるのだ。
松下幸之助さんが仰る「素直」はピン(最高)の素直であり、キリ(最低)の素直は、私たちが何気なく言うところの「あの人は子どものような無邪気な人だ」と言うことか。

私はよく人に無邪気と言われて、それをいいように思っているが、そうではないのだ。
無邪気のなかに、人への思い遣り、論語で言うところの「恕(じょ)の心」がないと、それは「人を傷つける無邪気」と言うことだ。無邪気のピンとキリを同じと思ってはいけない。

恕とは、
他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思い遣り。

孔子は、人生で一番大切なことは「恕=思い遣り」の心であると言っている。自分がされたくないことを人にしてはならないのだ。

小林 博重

補佐役と参謀

3泊以上の出張は身体に堪える。歳のせいかもしれない。そのせいか、出張の次の日はどうしても慣らし運転になる。

昨日は、OUEN学生リーダー3名と大石さんとで、今年最後のランチミーティングを行なった。後は電話でのフォローのみ。18時前に帰宅し、風呂と夕食を取って、一杯の焼酎のお湯割りを飲んだせいもあり、19時前には床に就いてうつらうつらした。この時刻は孫たちもまだ寝ていないだろう。これも老人になった一つの現象なのか。

そんなことで、1時前には目が覚めた。少しうつらうつらしても眠れないので、それではと事務所に向かった。1時半だ。

菅内閣の内閣支持率は低下の一途を辿り40%に落ち込み、不支持率が支持率を上回ったとか。そのせいもあるのだろう。Go To トラベルを年末から全国で一斉に一時停止する。後手後手という批判もある。政治家は絶えず批判されるもので、気楽な稼業ではないが、首相ともなれば、確固とした国家観を持っているか否かが問われるのだろう。菅総理は安倍内閣ではピカ一官房長官だったと言われたが、首相となるとどうしたものか。「自分自身を知る」ことの意味を感じざるを得ない。

私自身のことを考える。組織のトップになる器は持ち合わせていないし、補佐役や参謀の能力もない。今の「一匹狼」が一番相応しい。それを還暦を過ぎてようやく悟った。

しかし、一匹狼であっても一匹で生きていくことはできない。補佐役や参謀がいたら、スムーズに想いを果たすことができるのではないかと思うこの頃である。

そんなことを思って、スマホで「補佐役と参謀」を繰ってみた。

豊臣秀吉の補佐役と参謀について、西大和学園中学・高等学校教諭の浮世博史さんが下記のように書いている。

小林 博重

これまで、豊臣秀吉は多くのNHK大河ドラマに取り上げられてきました。たとえ主人公ではなくても、戦国時代のドラマで秀吉が登場しないものはほとんどないでしょう。

秀吉が関係する話では、弟の豊臣秀長が登場することも多いのですが、秀長についてはわからないことが多くあります。秀吉の異父弟といわれてきましたが、最近の研究では「同父弟である」という説も有力になっています。

これだけ有名にもかかわらず、秀吉の家族には謎が多く、妻の高台院(ねね)も含めて、縁戚関係などは不明なことだらけです。


秀長の名前が史料に見られるようになるのは、1560年の桶狭間の戦い以降です。1561年の織田信長による「美濃攻め」あたりから、秀吉の側にいたと考えるのが無難でしょう。


ドラマや小説では、秀長の通称として「小一郎」という名前が出てきますが、実際に秀吉が黒田孝高に宛てた手紙の中に、以下のような文章があります。

「お前は、弟の小一郎と同じように心許せる存在だ」

臣下の心をくすぐるお世辞だとしても、この表現からは秀吉が秀長に厚い信頼を寄せていたことがわかります。


ドラマや小説での秀長は、「秀吉の暴走を止める」「秀吉を助ける」といった役どころが多く、歴史ファンに「もし長生きしていたら、豊臣政権は安泰だったのではないか」と思わせる存在です。

当時は、秀吉の参謀を黒田官兵衛が、補佐役を秀長が務めていました。経営者にとっては、参謀も補佐役も欠かせない存在です。しかし、それはまったく別物だということが、黒田と秀長の行動からわかります。


参謀とは、方向性や知恵、判断材料を司令官に提供する役割です。ピンチの匂いを嗅ぎ取り、チャンスの到来を教えます。しかし、補佐役は違います。司令官が決めたことを運用するに当たって、より円滑に実行できるようにするのが役割です。


「信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた」という知らせが届いた時の2人の対応は、参謀と補佐役のお手本ともいえるものです。黒田は言います。

「好機到来! 殿が天下人になられる時が来ました。今、ここからすぐに引き返して光秀を討てば、天下は殿のものになりますぞ!」

しかし、秀吉は「それはその通りだ。しかし……」とためらったといいます。秀長は、涙を流しながら言います。


「兄上は、信長様からひとかたならぬ御恩を受けて参りました。今日があるのは、すべて信長様のおかげです。仇を討ち、お恨みを晴らし申し上げずになんといたしますか。ほかの者に信長様の仇を討たれてしまっては、あの世で信長様にお会いした時、兄上はなんと申し開きをなさるおつもりですか」


参謀と補佐役の違いというのは、こういうことです。

補佐役は、司令官の決断に決意を伴わせ、後ろめたさを消して自信を持たせます。司令官に逆らったり、司令官が決めたことを覆したりする役割ではありません。


よく、「秀長は、秀吉に対して唯一意見することができた男」と表現されますが、秀長が秀吉に意見して、その考え方や行動を戒めたことはありません。補佐役は、司令官が決めたことをその通りにうまく実行できるように調整するのが主な役割で、諫止(かんし)や補正は参謀の役割です。


そして、秀長は秀吉の弟でした。現代の会社にたとえれば、比較的ワンマンな社長がいて、その弟が副社長に就いているという感じでしょうか。そして、周りの社員はこう思います。


「この人に相談すれば、社長に話が通じそう」「この人の前でがんばっていれば、社長にも伝わりそう」

こういった空気感が、大切なのです。

秀長は、1585年の四国征伐の時には秀吉の代理として、軍事を任されています。また、徳川家康が上洛した時、家康は秀長の邸宅に宿泊しています。大友義鎮が秀吉に援助を求めて九州からやってきた時には、秀吉はこう述べました。

「内々のことは千利休に、公のことは秀長に相談なされよ」

自分を消して、秀吉の代理ができる人物。秀長の魅力は、このあたりにあるような気がします。

なぜか嫌われない『怒厚かましい』人生を送る。

大学の先輩が私に「小林は借景でビジネスをしている。いや、借景で生きている。そう言うのを[怒厚かましい]と言うんだよ」と笑って仰ったことがある。また、ある社長は「小林さんは[怒厚かましい]にもほどがある」と。こちらは真顔だったから、本当に[怒厚かましい]と思われたのだろう。

[怒厚かましい]とは、たとえは語弊があるかもしれないが、「大阪のおばちゃん」の言動だ。愛嬌以上に嫌らしいところがある。こんな人間にはなりたくないと思う。そのように[怒厚かましい]は、一般的にはいい意味で使われない。

私の[怒厚かましい]は、先輩が言った前者でありたいと思う。

では、先輩が仰った『借景ビジネス』『借景で生きている』とは何か。先輩はその借景が「東大」であり「南青山」だと仰るのだ。小林に似合わないものが東大であり、南青山だと言うことだ。

私が東大を卒業し、南青山に住んでいることは紛れもない事実だ。しかし、それをビジネスにしている、それで生きている。これ見よがしにアピールしているということ。日本ではこの両者はブランドである。そして、そのどちらも私には似合わないから[怒厚かましい]ということになるのだ。しかし、私は、自らのパーソナリティも、ある意味でブランドであると自負している。私のパーソナリティに対する自尊や矜恃は、人一倍持っている。

借景(しゃっけい)
借景とは、景色(=景)を借りること、つまり景色のレンタルという意味だが、日本庭園の造園技法のひとつで、外部の景色を庭園に取り入れ(無断で、金も払わずに借りるので、実際は「パクり」である)、その景色も自分の庭の一部であると言い張る方法をいう。京都などの寺院の名園は、遠景を借景として庭の構成要素としているものが多いので、その景色の邪魔をするような建築物を建てようとすると(もちろん、その寺院からえらく遠い場所に)、「うちの庭にへんなものを建てるんじゃない」と思わぬクレームをつけられたりする。

そんなことで、私は「東大」と「南青山」をこよなく活用(決して、悪用はしていない)している。しかし、両者を自前の庭と思う怒厚かましさは持ち合わせてはいない)。

私の人生は「怒厚かましくても、何故か嫌われない、小林ならではのパーソナリティで、世のため人のために生きていく」人生でありたいと思う。

小林 博重

今年最後の石川県出張

3泊4日の石川県出張が無事終わろうとしている。
石川県は私のふるさとであることもあり、ふるさとを離れて半世紀のブランクはあるものの、人との繋がり(人脈)はそれなりにある。金沢・加賀・能登の土地勘もある。何より一番は「ふるさと石川」への思い入れがあることが、ふるさと石川の地域活性化・地方創生のサポートには重要なポイントだ。

そして、地域活性化・地方創生のサポートをするためには、面展開をする必要がある。石川県内の面展開、および石川県と県外との面展開だ。県外とは東京だけではない。私のネットワークでは、それは福岡県や長崎県や佐賀県になるだろう。東京以外のこの九州北部3県の面展開を、いくつかのコアビジネスで展開・拡大していきたい。

金沢9時46分発〜東京12時20分着のかがやき508号で東京に帰る。乗車時間2時間34分。停車駅は富山、長野、大宮、上野。 富山駅を出たところでは、車両には22名(座席数は、5人掛け×19列+3人掛け=98席)、乗車率は22/98=22%だ。長野駅で多少の乗客が乗ってくるのか。 金沢ではそれなりの人が出ていた。乗客が少ないわけは、金沢駅発が日曜日午前の新幹線だからだろうか。

GO toトラベルで人は動くのだろう。私はビジネスでしか移動しないから、いつもと変わりはないが、私の同年代で悠々自適な高齢者は、GO toで金沢のような観光地に来るのだろう。

昨日、エムアンドケイの木下社長は「私も小林さんも、アクセルとブレーキを踏み間違えることのない暴走老人になろうではないか」と。木下さんは69歳、私は一つ下の68歳だ。 65歳は前期高齢者。とにかく日本の定義では、私たちは高齢者の範疇に入る。
しかし、悠々自適な高齢者では面白くない。高齢者は高齢者でも、ブレーキとアクセルを間違えないで、アクセルを蒸しっぱなしの暴走高齢者になろうということだ。いいではないか。面白いではないか。

OUEN JapanのOUEN Companyでは、私が暴走高齢者になる必要がある。しかし、ブレーキを踏むところをアクセルを踏んでしまうことは稀にあるかもしれない。 そのチェッカーがどうしても不可欠だ。

①長崎案件
②成田案件
③エムアンドケイ案件
④その他、OUEN塾の新展開に絡めたマッチングビジネス
⑤全てに、ビジネスパートナーのビジネスサポートを絡める

有意義な今年最後の石川県出張だった。

小林 博重

世の中を面白くする。

エムアンドケイ(金沢まいもん寿司経営会社)木下社長がドーミーインに迎えに来ていただき、同社グループ店舗の「魚匠庵」でご馳走に預かった。
この店舗は金沢市郊外の駅西新町にある。郊外のため、自家用車で来店されるお客様が圧倒的だ。お酒は出るが、お酒を飲んでいない人が運転して帰るのだろう。閉店時間は21時30分と早い。新型コロナ禍で早くしたわけではないらしい。「新鮮な海産物が売り」だけあってそれなりの価格だが、リーズナブルで、美味。
そして、驚くことに、新型コロナ禍であっても昨年比売り上げは3割増しだという。
昨夜も家族連れやカップルばかりで、お客様はぎっしりだ。勿論、ソーシャルディスタンスは守っている。

このコロナ禍で飲食店の経営はどこもかしこも厳しいと思いきや、こんな店舗があるんだとビックリした。どんな苦境下にあっても、その苦境を梃子にしてビジネスを伸ばすことができる。寧ろ、そんな時だからこそ人の目は肥えてくるのだ。その肥えた目に叶う「他との差別化」をしているところが伸びている。流石、木下社長のような人を実業家というのだろう。

このことは何にでも当てはまることだ。苦を磨き砂にするか、世の中のせいにして自分を磨くことをしないか。知恵を絞るか、ボーッと生きているか。どうしたらチコちゃんに叱られなくなるかを徹底的に考えることだ。

木下社長に「六次の隔たり」を知っているか、と聞かれた。不勉強で知らなかった。Wikipediaで調べた。

[六次の隔たり]
六次の隔たり(ろくじのへだたり、Six Degrees of Separation)とは、全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説。多くの人数からなる世界が比較的少ない人数を介して繋がるスモール・ワールド現象の一例とされる。SNSに代表されるいくつかのネットワークサービスはこの仮説が下地になっている。

「六次の隔たり」は、タモリの「友だちの友だちは皆友だち」の理論版、拡大版ではないか。

木下社長は、「六次の隔たり」で共にビジネスをしようと仰る。勿論、私のビジネスはそれに類する小林流の「六次の隔たり」ごときものだ。
それをもっと広く大きく展開することだ。そのためには人の力を借りるしかない。

「類は友を呼ぶ」と言う。その人の心根と似通った人がその人の周りには集まるものだ。
「私には運がない。人によく騙される」と嘆いている人は、自らもその程度の人なのだ。騙す人と騙される人は同じ類なのだ。そう考えると、人を見る目が養われる。これは、私が心したいことだ。

金沢は狭い。2軒目に行ったワインバーに浦建築事務所の浦社長が来ていらっしゃった。浦社長と木下社長は建築士仲間でもある。浦さんから「どうして木下さんと小林さんが一緒なの?」と。
お二人には、長崎案件でも繋がっていただける。金沢も狭いが、世の中も狭い。このようにして「六次の隔たり」を現実化していけばいいのだろう。

浦社長は「年明けにお会いして打ち合わせをしよう」と。ありがたい話だ。ビジネスは一旦堰が切られたら、その勢いは止まることをしない。その時だと思う感性があるかどうか。
その時だと思ったら、「一気呵成」に事を進めることだ。

世の中は実に面白い。

小林 博重

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ふるさと能登でふるさとを想う。

和倉温泉に来て、加賀屋さんの1階ロビーでゆったりとした椅子に身体を埋めて、神前常務からの連絡を待っている。今は14時だから16時くらいまで待ってみようか。 こんなにゆったりと待つだけのビジネスの時間を過ごすことはない。油を打っているわけではない。これも仕事のうちだ。

今まで私はあくせくとビジネスをしてきたようだ。生涯仕事、生涯現役の気持ちは変わることはないが、そうでない生き方も理解できるようになった。 私自身はせっかちなところがあるので、無駄な時間を過ごすことが罪悪のような気がするだけだ。しかし、ボーッとする時間は、無駄なようで、偶には無駄ではないこともある。

加賀屋のロビーから、鉛色の曇天の空と海を眺めていると、チコちゃんに「ボーッと生きているんじゃないよ」と言われるような気がする。しかし、「ボーッと生きていてもいいんじゃないの」ということも真理のようだ。

人生50年の時代があった。今は人生100年時代。
どちらにしても私の年齢68歳は、人生のピークは過ぎている。燃えるような朱夏は過ぎ、白秋の時を迎えているのだ。
何人かの友はこの世を去り、また介護施設でお世話になっている友もいる。
人生は有限であり、そんなにのんびりしてはいられない。ゆっくりゆったり、そして、焦って生きることが必要なのだ。

能登はやさしや土までも
そして、
ふるさとは遠きにありて思うもの

能登に帰ってくると、本当にそう思う。東京で年中無休、仕事を遊んでいる身にとってみれば、ふるさと能登は180度別世界だ。
私は時々、生活基盤の東京からふるさと能登に来て、ボーッとする時間を持つこともいいのだろう。

小林 博重

金沢尾山町の『そばのはな』

野本さんと尾山町の『そばのはな』で日本海の冬の珍味を堪能した。
『そばのはな』は、金沢ツエーゲンの木村道明さんに連れて行ってもらった。口数は少なく愛想はないが、北陸人らしい誠実さ溢れた親父だ。「加賀ろまん」という長崎県西海市醸造の芋焼酎をボトルキープしている。日本海の冬の幸が美味しい。蕎麦湯割りで焼酎をいただく。お酒もつまみも美味だ。

昨夕は片町の『かぶ菜』、今夕は金沢まいもん寿司の『魚匠庵』。三日続きで北陸の冬の珍味を堪能する。こんなことははじめてだろう。

OUEN JapanのビジネスパートのOUEN Companyのスタートは石川県からスタートした。ホームページも充実して、一方のOUEN塾との両輪で、OUEN Japan のこれからのビジョンを大きく描こうと思う。

今夕まで金沢観光の予定だったが、金沢は雨模様だ。10〜11日のビジネスシーンでは、雨は降りそうで降らなかったが、肝腎要の観光では土砂降りの一日になってしまった。
天からのお告げは「観光はしないで仕事をしなさい」ということだろう。素直に仕事モードに切り替える。私は素直だけが取り柄だ。得意技をもっと磨くこと。不得手なところは信頼できるパートナーに全面委任することだ。だからパートナーを選ぶことは私の死活問題なのだ。そんな最高のパートナーを得ることができて、私は最高に「運がいい」と思う。

特急「能登かがり火」で和倉温泉に向かう。加賀屋さんを訪問する。加賀屋さんはGO toトラベルで来年前半は満室なのだとか。昨日、能美市東振精機の中村社長も「GO toでは、福井の近場に旅行するより、能登の和倉温泉加賀屋に行くだろう。加賀屋はなかなか泊まるにはハードルが高いですからね」と。さもありなん。何せ日本一の和風旅館だ。

金沢〜羽咋〜七尾〜和倉温泉と、私のふるさとを眺めながら和倉温泉に向かう。懐かしい風景だ。

小林 博重

白子の酢の物

香箱蟹(ズワイガニの雌)

ブリ大根

加賀ろまん(芋焼酎)と、アオリイカと万寿貝

おろしそば

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「働くこと」は「遊ぶこと」

昨日は、OUEN塾協賛企業を訪問し、OUEN Companyのビジネスプレゼンをした。

LNSジャパン(能美市)、東振精機(能美市)、苗加不動産(金沢市)、絹川商事(野々市市)、浦建築研究所(金沢市)の5社だ。

皆さん、OUEN塾協賛企業であり、快くお話しを聴いていただいた。ありがたいことだ。

OUEN Japanを応援いただいたら、こちらから応援して差し上げる。そのキャッチボールの好循環がみんなの幸せにつながるのだ。これもOUEN塾のベースがあるからだ。

「情けは人のためならず」の諺にもある。「善因善果、悪因悪果」だ。非常に単純明快なことなのだ。しかし、その単純明快なことが多くの人は分かっていないし、できていない。 OUEN Japanはその先兵になりたいと思うし、そうすることが他との差別化になる。

昨夜も、金沢尾山町の『そばのはな』で日本海の海の幸を堪能した。「加賀ろまん」の芋焼酎のボトルが入っている。石川県限定。販売元は金沢市もりの里だが、製造元は長崎県西海市だ。長崎県は毎月出張している。西海市は先月車で通ったばかりだ。金沢で長崎とは、これもご縁だ。
そんなことで何でも結び付ける。運がいいと思う。そう思うことで、また運がついてくる。世の中はそんなものだ。それが宇宙の真理だと、ちょっと大袈裟かもしれないが、そんなことを思う。自分は「幸せな人間」だと思うが、それがますます幸せを呼び寄せる。不思議だが当たり前のことだ。

今日は金沢観光の予定だったが、急遽、ビジネスパートナーにやむを得ない事情が発生した。そして、生憎金沢は雨模様だ。それでは、金沢観光は次回の金沢出張のおりに延期しようと思う。そして、それでは、土曜日だが、プライベートをビジネスに変えよう。

「転んでもタダでは起きない」

巷では盛んに「働き方改革」が叫ばれている。
私は「働く」ことは人間性を高めることであり、年がら年中休みなく働いて自分磨きをすることだと思っている。そして働くことを遊べばいい。すなわち「働く=遊ぶ」ということだ。そうだから、私には働き方改革なるものはない。そんなことでストレスは溜めない。自由人だ。これは私のような人生を生きてきた人間だからなのだと思う。人に押し付けたりすることではないが。

小林 博重