ネバーネバーネバーギブアップ

何事も当初考えていたようには上手く事は運ばない。それは人は皆、自分とは同じ価値観を持っているわけではないこと、その人が同じ価値観を持っていたとしてもサラリーマンであれば所属している組織の意思に従わざるを得ないということだ(だから、私はサラリーマンを卒業したのだ)。

OUEN塾を福岡で開催しようと考えた時もそうだった。
OUEN Japanは「日本で学ぶ大学生や留学生の応援団」として設立したが、具体的にはどんなことをしたらいいのか、試行錯誤の連続だった。元九州大学総長で現福岡女子大学理事長兼学長の梶山先生のアドバイスがあり、福岡でOUEN塾を開催しようと考えた。 このOUEN塾は「福岡の地域活性化と国際交流を目的とした、日本人大学生や来日留学生と地元企業の交流イベント」だが、福岡の企業を訪問した時の皆さんの対応は、 ①福岡に縁もゆかりもない人間(私)がどうして福岡のためにボランティアをするのか。
②地域活性化を考えるのは地方自治体であり、私企業は利益を追求することを目的としている。そのため、僅かな協賛金だとしても私企業が負担するものではない。 ③参加学生は大学1〜2年生であり、リクルートには直結しない。そのようなイベントに協賛金は支払えないし、協力できない。
というものだった。

回り回って自分に返ってくると「偉い皆さん」に説くことは失礼だ。ネバーギブアップ精神で毎月1週間通い続けて、訪問から2年経った頃に、少しづつ「小林は純粋に福岡のためにOUEN塾を開催しようと考えている『バカ』だ」と思う企業が出てきて、漸くOUEN塾を開催することができた。そして、本年2月のOUEN塾で3回を数えるまでになった。

今度取り組んでいる新しいプロジェクトも同様だ。しかし、福岡のOUEN塾に比べたら、その抵抗のレベルは決して高くはない。楽勝というわけではないが、それなりの努力と創意工夫、戦略と戦術を駆使すれば、思いの外、実現性が高いのではないかと楽観している。何事も「未来進行形」で考えることだ。

チャーチルは第二次世界大戦中に首相に就任して、ドイツと戦うについて「ネバーネバーネバーギブアップ」と言った。ネバーを3回重ねて、不退転の決意で戦うことを国民にアピールしたのだ。

ネバーネバーネバーギブアップ‼︎

小林 博重

鳥の眼と虫の眼(バランス感覚の大切さ)

67年間の人生を振り返ってみると、自分はあまりバランスを意識して生きてこなかったのだと思う。
バランス感覚が豊かであれば、もっと成功の域に至っていたのではないかと思うようになった。

一つことには集中して突き進むところはあるが、それ故にどうしても一方に片寄る嫌いがあり、土台を作ることができないのだと思う。 一本気は森の石松であり、大政小政ではない。いわんや清水の次郎長には程遠いのだ。

理想を追いかける時、長期を見据えて行動を起こすことと同時に、短期と中期を考えて、足元を固めることが大切だ。そのバランス感覚がなければ、目指す理想にたどり着くことはできない。

私はともすれば、長期ばかりを頭において短期を蔑ろにしていた感がある。足元を固めなければ、長期は暗澹たるものになり、理想は夢に終わってしまうだろう。

OUEN Japanしかり。ボランティアに注力することはいいのだが、ベースとなる私の個人会社Mapのビジネスを手抜きしていたため、OUENの目指すところも遙遠いものになっているのではないか。 OUEN JapanはNPOだが、ビジネスができないわけではない。ビジネスをして利益を上げ、それを原資にしてOUEN Japanの目指すところを実現する。 OUEN Companyは、OUEN Japanの応援団であり、その応援団をOUEN Japanが応援する。

その有機的繋がりが、長期・中期・短期のバランスを意識することにもなる。

物事を俯瞰して見る鳥の眼と、足元を固めるために物事を凝らして見る虫の眼のバランス感覚を大切にしたい。

小林 博重

生涯に亙り、健康寿命を維持する。

昨日は3日ぶりのウォーキングだ。

外苑前→(外苑西通り)→四ツ谷→富久町→(靖国通り)→防衛省前→市ケ谷→靖国神社→千鳥ヶ淵緑道→(外壕通り)→半蔵門→(麹町大通り)→四ツ谷→赤坂御所前→絵画館前→外苑前の、約10キロ強、2時間半のいつものコースだ。ウォーキングコースはいくつかあるが、このコースが、トイレが適度な距離で至る所にあって、一番利用している。

67歳になって、健脚だけは人に誇れる。妻は「過ぎたるは及ばざるが如し」と、1日8千歩くらいがベストと言うが、私としては「無理はよそうぜ。身体に悪い」ことは承知している。無理せず、楽しく、健康的に、何事も好きが一番であり、無理は良くない。身体がノーと言ったら即座に止める。

それにしても、歳を取ると身体の至る所にガタが来る。
髪の毛は細くなる。抜けて地肌が透けて見えるようになった。白髪も出てきて、定期的に自分で染めている(そのままでもいいが、黒いほうが気持ちが若返る。気分の問題だ。黒髪にするのは、自分を鼓舞するためだ)。

病気については、高血圧と痛風と五十肩。

少し高血圧。140台を薬で120台に抑えている。ウォーキングも適度な運動。これは治療の一環でもある。

30歳台後半から痛風になり、一生薬を飲まないといけない。尿酸値は6mg/dl台をキープしており、ここのところ発作は起きてはいない。飲食については、痛風に悪いといわれる魚卵やレバーは止められないが、飲酒は、コロナの緊急事態宣言中は全く飲まなかった。飲酒は、私にとってコミュニケーションツールのようなもので「酒あれば楽し」というものではない。その点では自粛でも自制でもない。元々、お酒に強いほうではないのだ。コロナはそのことを明確に教えてくれた。

五十肩はこの前まで整形外科に通ってほぼ毎日マッサージを受けていたが、なかなか元通りというところまでにはいかなかった。
コロナ騒ぎで通院を止めている。動きは今一だが痛みはない。薬は飲んでいないので、まぁ、これでもいいかというところだ。

いつもは9時までには就寝し、朝は4時には起床する。どうしても仕事で遅くなる時はあるが、それは週に1〜2度だ。いたって健康的な生活と思う。 100歳まで生涯現役。いや、それから20年間の余生があるのだから、健康寿命を何より意識しなければならない。
私は何のために生きているのかを思うとき、私は「世のため人のために生きる」ことができてこそ生きている価値があると思っている。そのためにも健康であることが不可欠な大前提なのだ。

小林 博重

「自利利他」の精神

OUEN Japanの事業として、ボランティアのOUEN塾、ビジネスのOUEN Company、これら二つの事業の延長としての地域活性化事業の3つがある。それに加えて、企業研修・コーチング、人財育成コンサルティング、企業ブランディングは、私が主体的にやりたかったこと、しかし私の能力がなくてできないと思っていたことだが、私が「その能力と意欲がある信頼できるパートナーたち」を得ることができたことで、彼らを側面支援して、その想いを果たすことができるようになった。

これらの事業はそれぞれ独立してあるものではなく、お互いが有機的に関連しあって成長していくものだ。コラボレーションしてこそ事業は発展成長する。これは人間と人間、企業と企業はもちろん、個人の活動にも確実に言えることだ。
この「有機的に関連しあって成長していく」ためのキーワードは、当に「自利利他」ではないかと思う。

ベンジャミン・フランクリンは名言を残している。
「私が自分だけのために働いているときには、自分だけしか私のために働かなかった。
しかし、私が人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれたのだ」

相手(お客様)がこうしてほしいと思うことに思いを致し、それを自分が何とかできないものか、自分が直接できなくても、人の力を借りて何とかできないものかと頭を巡らすこと、考えて行動に移すこと(考動すること)、そして形にすることだ。

三波春夫が言った「お客様は神様」は当に至言だ。自分以外は全て神様。人は神様に助けられて生きている。その神様に手を合わせて拝む心を持つことだ。松下幸之助翁は「部下に手を合わせて拝む心がビジネスを成功に導く」と言っている。

OUEN Companyを有り体に言えば、BtoBマッチングだが、これはビジネスだけのことではない。これこそ、「お客様は神様」であり「部下に手を合わせて拝む」ことに通じるものであり、人生を生きていく基本「自利利他」の精神なのだと思う。

ビジネスをしようと思う前に、相手が何を求めているかと考え、自分は何ができるかと考え行動することが「自利利他」であり、それが「人が自分のために働いてくれる」ことになるのだ。

穏やかに、そのことを行動に移すことだ。

私は最近になって、少しずつだが、そのことができるようになってきたように思う。
それが私の生き方であり、それが私の特長である。それは絶対であり、人との比較は全く意味がないことだ。

人間は少しづつ成長していく。天才は夭逝する人が多いが、私は凡才中の凡才だから、成長も少しづつ。だから極みにたどり着くには時間がかかる。神様は「仕方ないな」と思って、私を長生きさせてくれる。「少しづつ」しか成長しないが、そのおかげで長生きができる。世の中はよくできたものだ。

小林 博重

私のイメージカラー

「イメージが9割」と言われる。
OUEN Japanは東大カラーのライトブルー(淡青)、今回のOUEN DANCHO(応援団長)はオレンジだ。

学生リーダーから「OUEN Japanのカラーはライトブルーなのに、どうしてOUEN DANCHOをオレンジにしたのですか」と質問を受けた。
私は全く意識しなかった。どうしてだろう。

このホームページは、私がアコーダー(調整役)を務めているジブンインキュベーションの3人のインキュベーター(コーチングセッション、フォトセッション、デザイン)が考えに考えて制作した作品だ。では、コーチングセッション担当の野本知里さんに聞いてみようと思い電話した。そして納得した。

1.大学のスクールカラー
OUEN Japanのベースカラーは東大のライトブルーを拝借した。私は、東大応援部時代の4年間があってこそ私の人生はあると思っている。OUEN=応援であり、当然ながらOUEN Japanのイメージカラーはライトブルーしか考えられなかった。

東大のスクールカラーはどうして決まったのか。
それは東大と京大のボートレースに由来がある。ライトブルー(淡青)とダークブルー(濃青)のボートにどちらが乗るかとくじ引きをして、東大がライトブルーのくじを引いたのだとか。ちなみに、ライトブルーはケンブリッジ大学のスクールカラー、ダークブルーはオックスフォード大学のスクールカラーであり、ケンブリッジとオックスフォードのボートレースを真似て始まったそうな。

その他、私が親しくしていた東京六大学のスクールカラーは下記の通りだ。

早稲田大学→臙脂(えんじ)
慶應義塾大学→紺(青)と赤
明治大学→紫紺
立教大学→紫
法政大学→オレンジとブルー

2.色が人間に与える印象
「目は口ほどに物を言う」という諺がある。これは「人間が喜怒哀楽の感情を最も顕著に表すのが目だということから、何も喋らなくても目つきから相手の感情が分かるものだ」という意味だが、その目が見る、会社の「カラーが会社のイメージを作る」ということも真実だろう。

⑴青のイメージ
爽やか、クリーン、安心感、安息、信頼感、誠実、公平、忠実、包容力、集中力、リラックス、清涼感、鎮静、広大、開放感、知的、クール、カッコいい、ストイック、謙虚、神秘的、上品、若さ、平和、許可、眠り、

⑵オレンジのイメージ
温かさ、温もり、親しみやすい、陽気、緊張を和らげる、人の心を開く、コミュニケーションを活発にしてくれる、人との繋がりを重視する、仲間意識を持たせる、活力を感じる、挑戦、エネルギッシュ、元気、賑やか、親切、喜び、健康、家庭的、幸福、カジュアル、オープン、ノリがいい、親切、

⑶赤のイメージ
興奮、闘争心、炎、注目、苛立ち、温かみ、情熱、熱狂、挑戦、元気、明るい、力強い、生命、エネルギッシュ、鮮烈、長寿、

3.小林博重=OUEN DANCHOのイメージカラー
私自身の自覚として、私はクールでもないし、カッコいいわけでも、上品でもない。OUEN Japanのライトブルーは私自身のイメージカラーとは言えないだろう。

また、心は「燃える(炎える)赤」のところがあり、熱狂、情熱的、挑戦的なところがあるが、バランス感覚にやや欠けているところがあり、少し抑えた赤でなければならないと思っている。

さすれば、私のイメージは『オレンジ』なのだろう。ジブンインキュベーションの3人はオレンジが私のイメージカラーが一番合っていると思ったのだろう。

言われてみて、私もそうなのだと思う。私のセールスポイントは、鋭いところ、スマートなところではない。

人を大切にする、オープンで、仲間で目標にチャレンジする、人間集団を引っ張っていく、応援団長なのだろうと思う。

私は、自分をよく知り、自分の得手を磨き続けて、夢を追いかけ、果たさんと、明るく元気に仕事をすることなのだろうと思う。

小林 博重

人生の生き方

本日(18日)、前法務大臣で衆議院議員の河井克行容疑者と、河井容疑者の妻で参議院議員の案里容疑者が、昨年7月の参議院議員選挙広島選挙区を巡って、票の取りまとめなどを依頼する趣旨で地元県会議員らに現金を配ったとして、検察当局は公選法違反(買収)の疑いで逮捕された。

「法にもとるような政治活動を行ってきたことはない」「裁判になっても決して負けることはない」など、二人とも強気の発言を宣うが、何をか言わん。
政治家は国民のために働く職業ではないのか。恥ずかしげもなく政治家を続けているものだと思う(多かれ少なかれ、今時の政治家はそんなものだと思う今日この頃だが)。

政治家に「嘘をつくな。正直であれ」「人のために尽くせ」「もし間違ったことをしたら、素直に謝ることだ」など、人として正しい行いをすることを求めることは無理なのだろうか。「先生」呼ばれる「人の模範」とならなければならないのが本来の政治家ではないのか。
人間は弱い動物だ。聡明才弁な人が政治家に立候補する。選挙で選ばれると、自分が優秀だから選挙に受かったのだと勘違いして、一票を入れてくださった選挙民の方々への感謝の心を忘れてしまう。偉くなった気になって増長してしまい、悪い心が持ち上がってきて、欲望のままに、自分の懐を暖めることばかりを第一に考える。

先生と呼ばれるほどのバカでなし

そんな政治家先生があまりにも多いではないか。国民がそのような政治家を選挙で選んでいるのだから、国民の民度の問題なのかもしれないが。

私は44歳の時、21年勤めた安田信託銀行を退職した。世間知らずだから若気の至りで退職したのだ。それは家族のことを考えず、自分の想いだけの決断だったことは事実だ。そして、その「若気の至り」を何度か後悔したこともあったが、今はその決断をしたおかげで、辞めなければ見ることのなかった「人間の温かさ」や「真っ直ぐ生きる幸せな心」を実感することができたと思う。

人間の偉さとは何か?
それは、地位や名誉ではない。
その人の「人生の生き方」ではないのか。
私が銀行の人事部で「人の査定」をしていた時は、サラリーマンの階段を一速く登っていく人が人間として偉い人だと思っていたようだ。
しかし、銀行を辞めてみて、私なりに苦労を重ねて、その価値観は180度ひっくり返った。偉いのは、決して、サラリーマンの階段を速く登っていく人ではない。偉いのは「深沈厚重」な生き方をしている人だ。深く人生を生きている人だ。

真っ直ぐに生きること
しかし、人と争わないこと
苦労を磨き砂にして成長すること
人のために尽くすこと
裏表のない人間になること
義理と人情を大切にする温かい人間であること
本質志向をすること
考えて動くこと
必死に人生を生きること
後悔しない生き方をすること
毎日の反省を欠かさないこと
オンとオフの境のない人生を生きること
人生は全てオンでありオフである

小林 博重

「ふるさとはとおきにありておもうもの」

室生犀星は金沢が産んだ歌人だ。

私が卒業した金沢大学附属高校の校歌の歌詞は室生犀星が作詞したものだ。

金沢大学附属高校校歌

山をあふがぬ日もなきは

山の奥處(おくか)にきびしさの

極まりてゆくそらのいろ

母校をつつみ白妙(しろたえ)に

われらの若さをとどめゆく

市街(まち)の北なるあら海は

しらなみ立ててけぶるかな

窓によりそう友や我

學びて去らばふり顧れ(ふりかえれ)

學び来たらば不変の自然

野田のみちみち謙虚の

わかきわれらは歌ふかな

今、思い出しながら口ずさむと、昭和43年4月から46年3月の3年間、野田の山々に囲まれた金沢大附属高校で過ごした多情多感な青春時代を懐かしく思い出す。

犀星の歌詞にはふるさとへの思い、人との触れ合いの温かさが溢れている。

犀星の詩に「小景異情(その二)」がある。下記の詩は誰でも知っていることだろう。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや

ふるさとに受け入れられず寂しくふるさとを去っていく犀星の想いを詩にしたものだそうだが、私のように、半世紀前にふるさと石川を離れて東京で暮している人間にとって、この詩は「東京から石川をふり顧る」想いでもある。

「ふるさとは遠きにありて思うもの」だ。ふるさとは懐かしく温かい。その想いが東京にいると募ってくる。

私が大学を卒業して、勤めていた安田信託銀行についても、ふるさと石川・金沢・能登を想うのと同様に「安田信託は遠きにありて思うもの」のような気がしている。安田信託も私の一つの「ふるさと」であるのだろう。

6月15日、みずほ信託銀行(旧安田信託銀行)を訪問し、後藤常務と栗原執行役員に、OUEN Japanの地域活性化事業に関するビジネスについてご相談した。

お二人には温かいご対応をいただき「私は安田信託を卒業したのだな」と懐かしい心持ちになった。

当に「ふるさとは遠きにありて思うもの」なのだ。

小林 博重

人間としての矜恃

昨日は久しぶりに西櫻亭伊勢丹新宿で美味しいディナーに舌鼓を打った。西櫻亭経営者の安藤裕美さんに予約してもらった。
野本知里さん(4月)、妻(5月)、水谷歩さん(6月)の合同誕生日祝いだった。緊急事態宣言で開催できなかったが、解除されたことで合同で開催した。 店長の加藤剛さんや料理長の宮下響さんも歓迎してくださって最高の「日本の西欧料理」を堪能した。
伊勢丹新宿もまだまだ以前の来客数とはいかないが、客単価は以前よりも高いそうだ。お客はストレス発散で買い物をしているのだろうか。 西櫻亭も夜の顧客はまだまだのようだが、昼は以前同様の賑わいになってきたとか。
徐々に客足は戻ってくるだろう。

午後は野本さんと企業訪問したが、誕生日会まで時間があったので、伊勢丹傍の星乃珈琲店で2時間近く時間を潰した。
雑談の中で野本さんから「団長、どうして東大に入ろうと思ったのですか。何か東大を目指す切っ掛けがあったのですか」と質問を受けた。

私には「大学は東大」しか頭になかった。中学校の修学旅行は、鎌倉〜東京〜日光だった。東京では貸切バスで、皇居・東京タワー・浅草など、島倉千代子の♬東京だよ、おっかさん♬よろしく、お上りさんのコースだった。宿泊は本郷の「ふたき旅館」(今でもこの旅館の名前は覚えている。懐かしくてこの旅館を探して、東大入学式に能登の父母や叔父叔母が上京した時はふたき旅館に宿泊してもらった)だった。この旅館に行く途中に本郷の東大赤門前を通った。バスガイドが「みんなのなかで東京大学に入ろうと思っている人はいますか」と言われた時、私だけが「僕は東大に入ります!」と言ったことを覚えている。東大一直線のようなことだったのか。どうしてそこまで「東大」だったのか? それは祖父の刷り込みだったのだろう。

祖父は旅順でロシアと戦った。金沢の第9師団7連隊だったか。上司は昭和の軍閥内閣首班だった林銑十郎閣下だった。旅順攻撃のトップは乃木希典将軍だ。祖父は、いつも戦場で颯爽と馬に乗っている乃木将軍を拝んだと言っていた。乃木将軍は当に軍神だったのだ。

祖父はロシアに取られた軍旗を取り返した功績で金鵄勲章を受賞した。そして軍曹に推挙されたのだとか。しかし祖父はそのありがたい申し出を断ったのだそうだ。どうしてか。祖父は文字が読めなかった。文盲だった。文盲は人の上には立てないと思ったとか。だから、私に勉強して東大に入って「世のため人のために尽くす」ことを説いたのだ。祖父と炬燵に入っていると、祖父はいつも日露戦争の話をした。そして、軍旗を取り返したこと、軍曹に推挙されたこと、軍曹を固辞したこと、そして私が東大に入ること、世のため人のために生きることを説いて話した。それが私の潜在意識に深く染み込んでいたのだろう。

野本さんにそんな話をした。
私は祖父母に育てられた。父母は別のところで仕事をしていた。私の育ての親は祖父母だったことを懐かしく思い出したのだった。

東大でもどこでもいい。大学に行かなくてもいい。自分は何をするためにこの世に生まれてきたのかを真剣に考えながら、そのミッションを果たそうと生きることだ。それは、きっと夢の途中で倒れることにはなるだろうが、しかし、その想いを継いでくれる志ある人は必ずいる。それを信じて倒れるまで闘い続けることだ。それが人間として生まれてきた矜恃ではないか。そんなことを思う。

小林 博重

OUEN Japanの今後の取り組み

OUEN JapanはNPO法人である。すなわち、非営利活動法人であり、営利を目的としていないボランティア活動をする団体である。

活動費用は、会員からの会費やイベントにおける協賛金、および寄附金から賄うのが一般的だか、現実問題としてなかなかそんなに簡単なことではない。 日本には非営利活動に寄附をする文化は醸成されているとは言い難いし、税制の特典もない。
認定NPO法人になれば税制の特典はあるが、その特典を享受しようと思えば、そのための費用は人件費をはじめとして相当なものであり、収支のコスパは決して高くはない。本来しなければならないボランティアどころではなくなる。クラウドファンディングという方法もあるが、私としてはこちらもコスパは高くないと思っている。私のボランティア活動がいい加減なものなのか、人の芳志をあまり期待していないのか。

やはり、『自主独立』、自分のことは自分で何とかするのが、一番早く目的を果たすことができ、現実的だと思っている。

ここ一年、そんなことを考えていて、OUEN Japanを人の芳志に頼らず、人のために尽くして、そのお礼をいただくことにより、OUEN Japanの費用を賄うことがベストと考えた。それをOUEN COMPANYとした。B to Bマッチングだ。

そして、その延長として、私が主体的にやりたかったこと、しかしその能力がないためにできないと思っていたことを、信頼できるパートナーたちの力を借りることによって果たそうと思う。それは、私が主役ではないが、OUEN COMPANYとは違い、私が主体的に関わるという意味だ。 それは、企業研修・コーチング、人財育成コンサルティング、企業ブランディング等だ。ヒトスパイス(野本知里社長)とのコラボレーションだ。

さらに、地域貢献事業は私の生涯を通してのミッションである。

OUEN塾をベースとして、まずは、福岡県と石川県の地域活性化のサポートをしたいと思う。
福岡県から九州全域にも拡げていきたい。また、石川県は私の故郷でもあり、特に過疎化の先進地域である「能登地方」の活性化には何としても関わりたいと思う。

人生の後半戦だ。

APU学長の出口治明さんは、人生100年を考えると20歳までの20年間は人間の基礎づくり。21歳から60歳までの40年間が前半戦、61歳から100歳までの40年間が後半戦だと仰る。私は67歳だから、後半戦の7年目を生きているわけだ。

私が唱える「人生二毛作」では、51歳からが人生の後半戦だから、今の私は後半戦の17年目だ。

いずれも、人生の後半戦は生き生きと元気に仕事をしていきたいものだ。
仕事こそが認知症の最高の特効薬だから。

小林 博重
【OUEN Japan】全体像202004.pptx

人生修養ということ

できた人間は『謙虚』であり、『感謝の心』を持っている。
絶えず相手の立場に立って、相手がして欲しくないことはしない。それは論語でいう『恕の心』だ。

明の哲学者である呂新吾は言っている。
「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と。

やはり、戦後の日本は、第三等の資質を持った『聡明才弁』なる人物を重用してきたのだろう。
そのため、政治家や官僚や企業トップに、思いのほか、戦前よりも『人物』と言われる人物が輩出されていないような気がする。

麻生副総理は、外国の要人から「どうして日本人はコロナ感染者が少ないのですか」と聞かれて「それはお宅の国民より日本人の民度が高いからだ」と宣われたそうな。相手に対して失礼な発言であるかどうかは別として、その言わんとしたことは正にその通りと思う。

日本人は、戦前はもっと民度は高かった。小学校では、『修身』の授業があり、先生は『人間の生き方』を教えていた。
「嘘をつかない」とか「正直である」とか「真っ直ぐに生きる」とか「人のために生きることが尊い人間だ」とか、人間であれば「当たり前」のことを教えていた。家庭でも祖父母や父母は、日頃から日々の生活の中で至極当然のこととして教えていたのだ。
しかし、戦後は戦前の修身教育が日本の軍国主義を助長したとかいうお門違いの言い草で、日教組や若い親たちは修身教育を否定してきた。それでも民度は世界のどの国より高い。

戦前の昔に戻れということは言わないが、やはりもっと日本は、無私利他の心を持った『深沈厚重』なる人物を重用する国になってほしいと思う。

世の中は100%「できた人間」ばかりということはあり得ないから「できる人間ではあるが、できた人間ではない」人ともそれなりに付き合うことをしなければならない。昔は若気の至りでよく人とぶつかったが、私も少しは大人になったと思う。

「人間を磨く」ということは、それが何の蟠り(わだかまり)なく、さらりと彼らと付き合っていくということなのだろうか。

小林 博重