「強者になる」ということ

出口治明さん著書の『自分の頭で考える日本の論点』(幻冬舎新書)を読んでいる。

出口さんは京都大学法学部を卒業し日本生命に入社、ロンドン現法社長、国際業務部長を経て2006年に退社し、ライフネット生命を起業。2012年上場し、社長・会長を10年務めたのち、現在は立命館アジア太平洋大学(APU)学長だ。バランスが取れた博覧強記の素晴らしい経営者だ。

この本は22の論点をテーマとしているが、基礎知識を記載し、自分の頭で考えるヒントを述べている。全てに「あぁ、そうなんだ」と首肯できる良書だ。

その中の「論点16―自由貿易はよくないのか」は、私の生き方とも重なって、大変興味深く読ませていただいた。

出口さんは「自分の頭で考える」で述べている。

自由貿易は原則的には強者の論理だと思います。自分に力のある者は自由にモノやサービスを売り買いしたいと思うでしょうし、逆に、自分に力がない者は保護してほしいと考えます。主体が強いか弱いかで貿易に対するスタンスは大きく変わります。そして、もう一つ、自由貿易や保護貿易については、時間軸で捉えるという方法もあります。

その典型的な事例に、アメリカの南北戦争があります。圧倒的に競争力のある農産物を有していた南部は自由貿易を主張し、ひ弱な繊維産業や軽工業しかなかった北部は保護貿易を主張しました。

南北戦争は、日本でよくいわれる奴隷制度存続をめぐる対立だけではなく、その根底に、自由貿易vs.保護貿易という、明確で妥協が難しい対立図式があったからでした。

結果は、北部が勝利し、アメリカは保護貿易を行うことになりました。それによってアメリカは工業国としてテイクオフを果たします。ところが、ひとたび大工業国になったら、今度はアメリカが自由貿易を主張し始めます。

つまり、自由貿易か保護貿易かは、必ずしも、主義主張だけの問題ではなく、その国の発展段階に応じた時間軸の問題だということが見えてきます。

私は、これは私自身の生き方そのものではないかと、私個人の自分ごととして妙に納得した。

私の場合、私が大企業に勤務していた時は「寄らば大樹」と、大企業の看板で生きていたのだが、それはいわば保護主義の信奉者だったのだ。そして、一匹狼で独立した今は、頼るものなしの自由貿易論者に衣替えして生きていかなければならないのだと。

それは、ある意味では、組織に属していた時は「弱者の論理」で生きていたのに対して、一匹狼は「強者の論理」で生きていかなければならないのだということ。

一匹狼には、頼りにする組織はないのだから、自らが強者にならないと生きてはいくことができない。そして、一匹狼は少しづつ強くなっていく。守られた生温かい生簀から冬の日本海・玄界灘に揉まれて強くなっていくのだと。

人生の生き方の基本は「強者になる」ことだ。そして、「弱者の立場を理解し援けることができる強者になること」なのだ。

私は自由主義論者でありたいと思う。自由主義は厳しい現実に遭遇することばかりだが、それを一つひとつ乗り越えて「悠々、堂々とした自由主義論者」に成長していく。そして、保護がないといきていくことが困難な人たちのことに思いを致すことを忘れないこと、そしてその解決のために行動することだ。自由主義を原則としつつも、保護主義を主張する人たちにも心を配ることを忘れないことだ。

出口さんが言わんとする論点の趣旨とは全くもって飛んでしまっているが、自分ごととして、そんなことを感じながら読んだ。

小林 博重

ダイバーシティの大切さ

先週土曜日の朝にNHKテレビを見ていた時、島根県邑南町のドキュメンタリーを放映していた。

次男の義父上が邑南町のご出身で、現在は京都のご自宅と島根県のご実家で交互に生活していらっしゃる。邑南町は島根県の中部に位置する町で島根県で一番広い自治体とか。内陸の町だ。孫たちは学校の長期休暇のおり、大阪から自然環境豊かな邑南町に行っている。

そんなことで、興味を持って視聴した。

それは、「地方で暮らすLGBTsのわたし」と言うドキュメンタリーだ。その内容は下記の様だ。

女/男の性別の感覚がなく、恋愛感情もない1人の性的マイノリティ。移住した島根県の集落で貴重な若者として歓迎されるが、「結婚しない」という告白が波紋を広げていく。

女や男という性別の感覚がなく、恋愛感情ももたない、1人の性的マイノリティ。東京の会社に就職するが、女性としての振る舞いを求められ、逃げるように島根県の小さな集落にやってきた。人口減少が進む集落では貴重な若者として歓迎されるものの、「結婚しない」という告白が波紋を広げていく。「性別ではなく“個”で見てほしい」。旧来の男女観が根強く残る地方で、“あるがままの自分”として生きようとする姿に密着した。

LGBTとは、

Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)

Gay(ゲイ、男性同性愛者)

Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)

Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)

の頭文字をとった単語で、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称のひとつだ。

これらがLGBTを構成しているが、それ以外のセクシャル・マイノリティの人もいる。それらを総称して、「s」をつけてLGBTs(エルジービーティズ)と言うらしい。

ドキュメンタリーの主人公は、可愛い若い女性だ。邑南町の皆さんは、彼女には非常に好意的に接してくれている。

彼女は昔、火事に遭遇した時、消防団に救われたことがあって、邑南町でも消防団に加入したのだが、女性は後方で支える役割だということで、男性の消防訓練には参加させてもらえない。しかし、どうしてもその訓練に参加したい。

そこで、消防団長との交渉が始まる。団長は最初は「あなたは女性なのだから、安全なところにいて男性を支える仕事をしてもらいたい」と聞く耳を持たなかった。それは彼女のことを思っての対応だ。差別意識からの発言ではない。男女の区別、それぞれの特色から発した「思いやり」の発言だ。

しかし、彼女は「それはおかしい。私を人間として扱ってほしい」と食い下がる。何度かの話し合いで、団長から「女性の訓練に参加することを条件に、男性の訓練に参加していい」との回答を得た。彼女の思いは達成することができた。

邑南町の人たちは優しい人たちばかりだ。優しいことは、場合によっては人を傷つけることもあるのだ。

人間として人に接すること。既成概念を捨てて人間として人を考えることなのだろう。

ドキュメンタリーの最後に、町内会長が彼女に発した言葉がホッとさせる。

「結婚したい人もいるけど、結婚したくない人もいる。人それぞれ、それでいいんじゃないかね」

私たちは生まれてからいろいろな教育を受けてきた。祖父母や両親をはじめ、周りの多くの大人から「世の中はこうだ。それを分かって、人とトラブルなく生きること」を体中に染み込ませて生きてきた。しかし、そうではない。

「人間として」という本質的な観点から物事を考えてみるくせをつけなければならないのだ。

「女性」「障がい者」「外国人」等々、差別を生む要素は至るところにある。これからの21世紀は「多様性」「ダイバーシティ」の時代なのだ。

心して生きていくことだ。そして、それを行動に移すことだ。

小林 博重

月曜日のウォーキングを楽しむ。

自由業と言えば聞こえはいいが、私は一匹狼で自由気ままに仕事をしている。年中無休ではあるが、年中遊んでいるとも言える。好きなことを好きな時間にしているのだ。これでおまんまが食えれば何も言うことはない。

平成20年5月に個人会社(南青山ビジネスパートナーズ)を設立し、未だ軌道に乗らないまま、平成26年1月にNPO( OUEN Japan)を立ち上げた。
虻蜂取らずになりかねなかったが、この2つの法人を有機的に結びつけて、学生と企業と地域をウィンウィンウィンの関係に持っていくことが私のミッションと思い、ようやくそれを確信にまで高めることができた。

“仕事をしながら遊び、遊びながら仕事をする”ことは最高の生き方であり、それで皆さんが喜んでくださる仕事をする。

“情けは人のためならず”を自らが実践している。最高に幸せなことだ。

今日は月曜日だが、企業訪問は午前の1社のみ。あとは電話でことが足りる一日だった。そして、午後はスマホ片手にウォーキングだ。

久しぶりに明治神宮コースを歩く。
外苑前の事務所を出て、青山通りを渋谷に向かう。渋谷のビックカメラに立ち寄って、明治通りを原宿まで歩く。明治神宮にお参りして、新宿の東急ハンズで小物を買って、伊勢丹新宿の角を曲がり、新宿通りを四ツ谷まで。四ツ谷から新国立競技場を右に見て、外苑前に戻る。約2万歩弱。 いい運動だ。ウォーキング中にいくつか電話がかかる。それを歩きながら処理する。

自民党が衆参3選挙で全敗した。当然の結果だ。
“因果応報”
“驕る平家は久しからず”
政治家先生たちは賢い人たちばかりではなかったのか。
手痛い下野の辛酸を舐めた経験があるのに、政権を奪取し長く続くと、知らぬうちに傲慢になるのだろう。これが人間の性なのだろうか。 その点、哲人経営者と言われる人は、日々の生活の中で自らの至らなさを自覚して、反省の日々を送ることで、「謙虚と感謝」の心を絶えず維持している。 日本には鉄人政治家はいても「哲人政治家」はいない。日本の輝かしい将来は「哲人政治家」の登場にかかっているのではないか。

人には人それぞれの能力がある。それは、天から授かったものだ。それをレベルアップすることは若いうちなら、するべきであろうが、私の歳ではそれは無駄と言うものだ。70の手習いというが、それをできる人もいることはいるだろうが、私にはそんなことはできない。

私ができることは、私の得手を磨き続け、誰にも負けないレベルまで引き上げることなのだ。
人は一人では生きていけないのだから、信頼できる仲間をたくさんつくることだ。それで、不得手をカバーすればいい。

私は、それが恥ずかしいことだとは最近になって全く思わなくなった。一皮も二皮も剥けたような気がする。恥ずかしいと思ったら、それ以上成長しないし、決して大きなビジネスはできないだろう。

歩きながらそんなことをいろいろ考える。ビジネスのヒントもたまにはピカッと光ることはあるが、今日はそのピカッはなかった。
今度歩く時にそのピカッを期待したい。

小林 博重

エビサン整体院八丁堀に通う。

野本さんのご紹介で八丁堀のエビサン整体院を受診した。
院長先生は気さくな性格で、話好きだ。院長は、野本さんから「私の病状(というほどでもないが、腰痛と五十肩)については少し聞いている」とのことだった。 私は、あと31年間は現役で頑張りたいから心身のメンテナンスは怠りなくしなければならないと思っていることを話した。

診察の前に、足を開いて真っ直ぐに立つようにとの指示。その時の左右の足と床面との角度が少し違っていることを指摘された。体の重みが左足にかかっているので、左腰に負担がかかっているのだとのご指摘だった。同様に骨盤を上から触って左右の傾きの差から同様のご指摘を受けた。その確認をして骨盤の修正とマッサージ。 部屋の中を少し歩いても前と後では微妙に違う。
1年以上前から具合が悪い右肩の五十肩も診ていただいた。
自宅近くの整形外科に3ヵ月毎日のように通院したが治らなかったが、少し楽になり腕が回るようになった。
話は半分くらい分からないところがあったが、何せ体がその理屈が正しいと証明している。
先生は定期的に新しい治療法を学ぶために定期的に研修に出ているのだと。そうでないとお客様志向とは言えないと仰る。そして、その研修の日以外は全て仕事なんだとか。それじゃ年中無休ということか。上には上がいらっしゃる。

そんなことで、3週間後の5月16日(日)に予約を入れた。17日から1週間、九州出張のため、体調を万全にしておきたいのだ。

そして、野本さんが1カ月に2回は受診するという意味が分かったような気がした。腰肩が痛いということではなく、私が今の今気がついた、心身のメンテナンスを定期的にされているのだと。 私も糖尿の指摘を受けてから、内科的なチェックには気をつけるようになったが、外科的なことまでは気が回らなかった。
この腰痛をきっかけに頭のテッペンから足の先までのチェックも忘れてはいけないと思った。それが精神にも影響する。

“思い立ったが吉日”
“七十の手習い”
とはよく言ったものだ。
人生は思い立ったが吉日であり、手習いは人生の最後の最後までするものだ。

13時に整体院を出て、日本橋丸善に立ち寄り、その足で外苑前まで早足で歩いた。約14千歩。天候は曇り。いいウォーキング日和だった。体調は万全だ。明日から1週間頑張ろう‼︎

これからの2週間、東京は崖っ淵の緊急事態だ。
私は、読書とウォーキングで、健全な緊急事態を乗り越えよう。

小林 博重

オンライン赤門鉄声会総会に出席する。

昨日(4.24)、赤門鉄声会総会が開催された。昨年と同様、オンラインの開催になった。オフラインでは私より上の年代のご出席が多いのだが、ZOOMとなると70〜80代の出席率は極端に低くなる。致し方ない。 替わりに若い年代や地方に住んでいる方、海外勤務のOB・OGの参加があるのはオンラインならではだ。

15時に開会。小池会長(S58バトン卒)のご挨拶に始まり、応援部現役からの最近の活動報告、鉄声会の決算・予算の審議、今年度の活動予定の報告があった。

東京が本日(4.25)から緊急事態宣言が発出されることに伴い、神宮球場で開催される東京六大学野球春季リーグ戦は本日から無観客試合になる。無観客であるために、応援団部の応援も行うことができない。これは緊急事態であるため致し方ない。

応援部活動はスポーツの黒子であるため、こんな時には、どうしても競技としての運動部の活動とは一線を引かれてしまうようだ。そのため、無観客でも野球は開催されるが応援活動はできないことになってしまう。
応援部員はどのような活動ができるか、果たして活動ができるのか、現役諸君は悩んでいる。特に最上級生である幹部の活動期間は12月までの8カ月余りだ。この短期間でコロナが収束し、活動が元に戻ることはほとんどありえない。どうしても消化不良、不完全燃焼にならざるを得ない。オリパラの選手と同様だ。辛いところだ。

OB・OGとしては、活動自体の支援や精神面での支援はほとんどできない。
都市対抗野球応援のアルバイトがなくなって資金面で苦労しているが、そのような資金面でしかサポートできないのが現実だ。
とにかく、頑張れ‼︎と言うしかない。

16時から1時間、講演会とその質疑応答があった。
講師はOG(H9年チアリーダー卒)の福井県大野市長の石山志保さんだった。

愛知県立岡崎高卒。東大工学部卒。環境官僚を経て、結婚を機に環境省を退職し、夫君の故郷である福井県大野市に移住する。大野市役所に入庁し文化財保護室次長に就任。2018年、大野市役所を退職し、大野市長選挙に立候補し、当選。今日に至る。 北陸3県で初めての女性の自治体首長だ。

誠実な話ぶり。派手さはないが、その市政への真摯さが伝わってくる。市民目線で市政を運営している。優秀な公務員たちに支えられて市政が運営できていると。その偉ぶらない姿勢は市民のみならず自治体首長たちにも可愛がられているようだ。 彼女の「謙虚と感謝」の心は応援部で培われたものだろう。

17時からはオンライン飲み会だ。私は禁酒しているので、烏龍茶で乾杯ならぬ”カンショウ(完勝)”で杯を挙げる。
いくつかの部屋に分かれ、話が弾む。部屋の移動は自由で、話したいOB・OGがいる部屋に移動する人もいる。応援部現役もそれぞれの部屋に分かれて先輩たちと交流する。

どうして応援部に入部したのか。
4年間応援部を続ければ、それからの社会人生活は充実したものになる。今は苦しい時だが、辞めないで頑張れ‼︎

私はある4年生に就職のアドバイスをした。銀行で8年間、採用担当をしていた経験はそれなりに役に立つ。
私の心情だが、「就職は人生そのものだ。嘘をつくな。人にも自分にも。正々堂々と真正面から面接に向かえ。面接官は君が話している話し方や顔を見て、学生が本心から言っているか、テクニックで言っているか、見抜くプロだ。 自分に嘘をつかないでぶつかれば、そのあとに起こることは全てハッピーになる。そして、全てプラス思考をすることだ。その大前提が「嘘をつかないこと』だ。」

そんなことを話していて、20時になってしまった。5時間のZOOMだったが、あっという間に過ぎてしまった。

応援部は素晴らしい‼︎
青春は素晴らしい‼︎

小林 博重

心を打つ箴言、今日は一層心に残る。

昨日は事務所を15時前に切り上げて帰宅し、午後はゆったりと自宅で寛いだ。
通勤時間が徒歩2分とはサラリーマン時代には考えられない。また、事務所が自宅でないのもいい。親子夫婦は「スープの冷めない距離」に住むのが理想であり、それは徒歩5分以内らしいが、私の自宅と事務所は徒歩2分。それは最高のシチュエーションだ。

昨日は、風呂に入り、午後3時半には床に就いた。夕食を摂るのに起きただけで、朝4時過ぎまで熟睡した。
やはり少し睡眠不足だったのかもしれない。適度な睡眠は最大の健康の特効薬なのだろう。
爽やかな心身で5時には事務所に着いて、メールの確認やネットバンキング等、事務作業をこなした。

日めくりカレンダーを1枚繰る。

渦の中心になれ(稲盛和夫さん)

仕事は自分一人ではできません。上司、部下をはじめ、周囲にいる人々と一緒に協力しあって行うのが仕事です。その場合には、必ず自分から積極的に仕事を求め働きかけ、周囲にいる人々が自然に協力してくれるような状態にしていかなければなりません。これが「渦の中心で仕事をする」ということです。 会社にはあちらこちらで仕事の渦が巻いています。気がつくと他の人が中心にいて、自分はそのまわりを回るだけで、本当の仕事の喜びを味わうことができないときがあります。 自分が渦の中心になり、積極的に周囲を巻き込んで仕事をしていかなければなりません。

人生の目的は心を磨くこと(稲盛和夫さん)

心を高めるということは、生まれたときよりも少しでも美しい心になって死んでいくことだ。
生まれたときよりは死ぬときの魂のほうが少しは進歩した、少しは心が磨かれたという状態。それは、身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、やさしい思いやりの心が次第に芽生え、わずかなりとも利他の心が生まれるというような状態だ。 また、そのような美しい心へと、もって生まれた自分の心を変化させていくことこそが、われわれが生きる目的なのだ。

道(あいだみつをさん)

長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道ーーーーー
てものがあるんだな

そんなときは その道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を吐かないでな

黙って歩くんだよ
ただ黙ってーーーーー
涙なんか見せちゃダメだぜ‼︎

そしてなあ その時なんだよ
人間としての いのちの根が
ふかくなるのはーーーーー

3つとも、素晴らしい箴言だ。いつもより深く腹に落ちる。

一生青春、一生燃焼
世のため人のために生きる

生涯に亙り心がけたいことである。

小林 博重

病魔を味方にする。

金沢出張の前に少し腰に違和感があったが、出張中はほとんど感じることなく1泊2日を過ごすことができた。しかし、帰宅するとまた時々腰痛が出た。今朝は腰を曲げながら早暁に事務所に出かけた。それからがいけない。いつもは早足で歩くのだが、徒歩2分の事務所と自宅の短い距離だが人に抜かれてしまう。ちょっとショックだった。

昼過ぎに野本さんが打ち合わせにいらした時、事務所内を腰を曲げて歩く私を見て驚かれた。顔に生気がないと。
そうなのだ。体のどこが悪くても、それが顔に出て仕事どころではないのだ。
彼女は腰痛持ちとかで、八丁堀のかかりつけの整体院を紹介してくれた。25日の日曜日に受診するように予約もしてくれた。また、「ロキソニンS」という鎮痛消炎効果抜群のテープも買ってきてくれた。ありがたい。

早速、帰宅して風呂に入り、ロキソニンSを貼り、一寝入りした。2時間は眠ったろうか。
妻は、腰痛用のコルセットを探し出してくれた。私が50代前半の時だったか、同じような腰痛になった時に使ったことがあるコルセットだ。 明々後日の整体院に通院するまでは何とか持つだろう。

私が1年半後に古稀を迎えるに当たって、そして私の人生の夏を終え、実りの秋を迎える時に、糖尿病やら腰痛やらが表に現れたことは、これは私にとって”僥倖”ではないか。
痛風や少しの高血圧は「薬で何とか誤魔化そう」と思っていたが、それでは100歳現役の長丁場を生き抜くことはできないのだ。それを自覚させるために、天は私に糖尿病や腰痛という病気を恵んでくれた。これが癌なら、こんな気楽なことを言っていられないだろう。とにかく私は運がいいのだ。

この機会を境に、健康には一層留意することだ。妻に分からないように酒を飲むとか美食に舌鼓を打つとか、そんなごまかしでは100歳現役は夢のまた夢だ。

何せ、これから私の前には、たわわに人生の「実りが現実化する秋」が横たわっているのだ。それを楽しむためにも健康を強く意識することだ。自分に勝つことだ。

やはり最近の睡眠時間は短いようだ。気持ちを落ち着けて生きると、適度な睡眠時間をとることができるだろう。

OUEN DANCHOとOUEN Companyのホームページのリニューアル制作も着々と進んでいる。OUEN塾in金沢/石川も学生リーダーたちが頑張って2回目のオンラインOUEN塾を開催してくれるだろう。

「実りの秋」をしっかりと見据えて、そのことを脳裏に叩き込んで、正々堂々たる70歳からの30年を送りたいと思う。

小林 博重

石川県出張を終えて、帰宅の途に着く。

1泊2日の石川県出張を終えて、新幹線[はくたか]で東京に向かう。今回の出張は、加賀屋さんと菱機工業さん、それにOUENリーダーの砂原路万君とのランチMTGのみ。
私の出張は、早朝に事務所を出て飛行機(か、新幹線)で移動し、フルに会社訪問する毎日だ。最終日も最終の飛行機(か、新幹線)で帰宅するのがほとんどだ。今回のような出張は珍しい。

ありがたいことに、全て順調に話が進み、ハッピーな気持ちで新幹線に乗っている。

そして、今日の北陸の春は日本晴れだ。富山平野を新幹線が通る。雪を頂いた立山連峰が雄々しく美しい。

富山県民の歌
♫仰ぎみる立山連峰
 朝空に輝くところ
 躍進の理想かざして
 高らかに生産の歌
 声揃え声揃え
 共に歌わん共に歌わん
 嗚呼我ら我ら
 富山富山県民♫

私が生まれた能登は富山湾を挟んで富山県があることもあり、金沢からよりも富山からの電波がきれいに届く。私は幼い頃からこの「富山県民の歌」を耳にタコができるほど聴いて育ったものだ。また、富山県民の歌は歌いやすく、私には「石川県民の歌」よりも愛着がある。

砂原路万君は、
「団長に会えることを楽しみにしていました。最近ちょっと元気がなかったので、団長に元気をもらおうと思ってきました。
団長は人と人を繋ぐビジネスをされていますが、どうしたらそのようなことができるのですか」
と言う。

「それは私が人を大好きだと言うことだろう。そして、人に2回目に会う時には、その人とは10年来の友だちのような気持ちと口ぶりで話をするんだな。 最初は相手の人はびっくりするようだが、人の心は鏡のようなものだから、相手も自然とオープンになるんだな。
そして、『実はですね。こうこうこうなんですよ』と、普通は言うことのない本音を話してくれるんだ。
人と仲良くなるのはそんなに難しくないよ。その人に好意を持って、そして本音で話をすれば良いんだ」

路万君とは、金沢駅ビルの「かなえきのちくわ」というおでん屋で楽しいランチをした。金沢にはたくさんのおでん屋がある。
金沢はいつごろからか知らないがB級グルメの”おでんの町”なのだ。

「今年9月のOUEN塾はオンラインになるだろう。オフラインは来年に持ち越そう」

そして、9月には学生リーダー中心のOUEN塾オンラインを開催しようと思う。

小林 博重

加賀屋さんのこと

いつも金沢出張のおりには、6時台発の[かがやき]に乗る。昨日は加賀屋さんのみの訪問であったこともあり、8時台の予約をした([かがやき]は全席指定)。 1時間早く東京駅に到着したので、7時台の[はくたか]自由席に乗る。この[はくたか]は、金沢に[かがやき]よりも数分早く着く。
[かがやき]の停車駅は、上野〜大宮〜長野〜富山、終点金沢だが、[はくたか]はほぼ各駅停車のようなものだが、3時間で金沢に着く。[かがやき]より30分時間がかかるだけだ。停車駅の風情を垣間見ることができて、時間に縛られない時には各駅停車もいいものだ。 乗客は1車両に10名前後。人出は多いと言っても、長距離の旅行となるとさほどでもないということか。

20分程度、金沢駅で待っただろうか。[かがやき]の到着を待って、七尾線特急[能登かがり火]が金沢駅を出発した。停車駅は、宇野気〜羽咋〜七尾。1時間強で和倉温泉駅に到着した。

駅前には加賀屋グループの迎えのバスが来ているが、宿泊客が揃うのを待っていること、グループ旅館の[あえの風]〜[松乃碧]を経て[加賀屋]に到着するので、それでは時間がかかると思い、タクシーに乗る。

運転手さんは親切にも「加賀屋さんに行くには迎えのバスが来ていますよ」と言ってくれるが、事情を話して乗せてもらう。
能登を言い表す時によく言われる言葉に”能登はやさしや、土までも”があるが、まさに、能登の人は「人が好い」。私も例に違わずかもしれない。

加賀屋は能登の和倉温泉にある旅館であり、加賀ではないのに、どうして加賀屋なのかと子どもの頃から思っていた。創業者の出身が加賀の津幡だったことが名前の由来なんだとか。

加賀屋は押しも押されもしない日本一の和風旅館だ。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」では36年連続トップだった。一度は3位に落ちたが、直ぐにトップに返り咲き、現在も引き続き、堂々1位に輝いている。
私が幼少の頃は、加賀屋は和倉温泉のトップの旅館だったが、決して全国区ではなかったように思う。それがどうしたらこうなったのだろうか。小田相談役の力に依るものだろう。会社のレベルは経営者で様変わりする。

加賀屋さんでは川端経営企画部長と三井企画関連事業部長と面会し、約40分のプレゼンと質疑応答をした。

「是非、九州・長崎IRへの出店していただけないか」とのお願いだ。
“日本のおもてなし”を海外の富裕層に堪能していただきたい。加賀屋さんは台湾政府の要請もあって、台北の北投(ペイトウ)温泉にも出店した。日本のおもてなしを親日の台湾の人たちにも味わってほしいという想いだったとか。九州・長崎IRには、それと同様な想いがある。きっと前向きにご検討いただけるだろう。

和倉温泉から[能登かがり火]で金沢まで戻る。
せっかく金沢に来たのだから、夜は寿司屋で日本海の珍味でもと心は逸ったが「いや、一人だから、今日はホテルの部屋で」と思い直し、駅ビル2階のマーケットで、カニ弁当とサラダとザバスを買って駅前のドーミーインに直行する。夜の”夜鳴きそば”も抑えて、健康そのものの夜を過ごした。

これから朝風呂に浸かり、一日のスタートを切ろう。今日も北陸は爽やかな過ごしやすい晴天の一日になる模様だ。

小林 博重

私の想いをホームページに表現する。

一昨日、昨日と2時間のウォーキングをした。同年代と比べても相当早足だと思う。ウォーキングは早足でなければ、体力増進にはあまり意味がないらしい。食事療法も怠りない。少しずつ、私なりの「健康オタク」モードになってきた。もう半月は心がけているか。この調子でずっと続けようと思う。

今日から1泊2日で石川県出張だ。メインは能登の七尾市和倉温泉の加賀屋さん訪問だ。私が生まれた中能登町は七尾市に隣接している。
北陸新幹線[かがやき]で、東京から金沢へ。2時間半で金沢に到着する(学生時代は夜行列車で帰省したものだ。今は夜行急行「能登」が上野⇄金沢間を走っているらしいが、ビジネスでは使わない。よっぽどでないと使わないのではないか)。 金沢で七尾線に乗り換え、特急[能登かがり火]で金沢から終点和倉温泉に向かう。1時間強。
ふるさと能登は半年ぶりだ。やはり、能登と七尾線には格別の想いがある。いつも私を育ててくれた祖父母を思い出す。

東京に住んでいるからふるさと”能登”が懐かしい。やはり、私にとって、”ふるさとは遠きにありて思うもの”なのだ。

昨夜は9時前に就寝したが、12時前に目が覚めて眠れない。こんな時は、眠ろうとしてもストレスが溜まるだけだ。
私の19歳歳下のメンターは、こんな時「起きて仕事をしたら良いんじゃないですか。そして、眠くなったら寝ればいい。自然体が一番ですよ」とアドバイスしてくれた。私は、そのアドバイスに素直に従うことにしている。

12時過ぎに事務所に着く。地下鉄外苑前の入り口はまだ閉まっていない。
事務所でNHKラジオ「ラジオ深夜便」を聴きながら、雑用をこなす。昨日は出張の準備を済ませたが、念には念を入れてチェックを怠らない。それでもいつも何かを忘れている(どうということがない忘れ物がほとんどだが、忘れ物がゼロに越したことはない)。

22日に野本さんがOUEN DANCHOとOUEN Companyのホームページの件で来所される。

新たにOUEN Japanでのビジネスをスタートさせるにあたり、新しい名刺の印刷を依頼した。次はホームページの作成だ。その次に、ホームページをベースとした、配付用の小冊子だ。 これらは、私の春季と夏季の総決算、実りの秋季に向けての決意表明になる。ワクワクする(だから、12時前に目覚めて眠られなかったのだろうか)。

人生の総決算は120歳時点でいいのだろうが、私の春夏が終わるのに当たり、ありがたいことに私のミッションが総天然色で明確になったことは、私は極めて運がいい人間だと思う。その想いを堂々と表現したいと思う。

小林 博重