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OUEN DANCHOのポケット

OUEN DANCHOのリーフレットを持参してOUEN Company の候補先を訪問する。
改めて、OUEN Japanのミッション、私の人生の春夏秋冬、OUEN塾とOUEN Company、毎年末に開催しているOUEN望年会(コロナが落ち着く来年末から再開する)、私の生前葬(毎年6月に定例で行い、50回の開催を目指す)等々を話す。 みんな、半ば笑いながら、半ば真面目顔で聴いてくださる。
全て「図らずも」ではあるが、それも私らしい。人生は一寸先は闇だ。120歳まで生きることを考えると同時に、明日天国へ召されることも頭の片隅に置いておかなくてはならない。

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
ガンジーの箴言が絶えず脳裏に焼き付いている。

7月4日投票の東京都議会議員選挙の投票用紙が自宅に届いた。今秋には衆議院議員選挙がある。今年は選挙の年だ。

人間は愚かな動物のようだ。平家物語の冒頭で「驕れる者久しからず ただ春の世の夢の如し」とあるように、人間は先人の教えに学ぶことをしない。つい調子がついてくると「感謝と謙虚」の心を忘れて、驕りの心が湧き上がるようだ。その現実が今の自民党政権ではないか。

私は今度の選挙は棄権することも考えたが、「選挙は国民の義務」であり、それはしてはならないと思った。支持する政党はないが、こんな無様な政治の時は、政権与党には投票すまいと思う、してはいけない。どの野党に投票するかはこれから考えるが、とにかく自民党には投票しない。そう決めた。

一昨日、安藤裕美ちゃんが青山事務所のドアノブに「父の日」のプレゼントを掛けていった。シンガポール創業のTWG Tea、世界屈指のラグジュアリーティーだ。やはり裕美ちゃんは「成城っ子」だ。いつも最高のものをくれる。 私は在室していたのだが、裕美ちゃんは私が朝が早いからもう帰宅したんだろうと思ってブザーを押さなかったらしい。

7月1日には西櫻亭伊勢丹新宿で、7月のランチの試食をご馳走になる。一人娘の心優しい対応に心がほっこりと温まる。

ありがたいことに、ここのところ、OUEN Company の皆さんは私に付き合ったらいいと考える会社をよくご紹介してくださる。昨日も2社ご紹介いただいた。 タモリの「友だちの友だちは皆友だち」を地で行っているようだ。

私の売りは、私のキャラや人脈であり、それが商品だ。商品がどんどん増える。ドラえもんのポケットならぬ「DANCHOのポケット」だ。ポケットの数が私の価値でもある。

せいぜい人さまのお役に立つ人脈の形成に注力しようと思う。

小林 博重

もう君には頼まない。

昨日、赤坂の国際医療福祉大学赤坂キャンパスにて2回目のワクチン接種を受けた。2回目は副反応が強く出ると聞いていたが、今朝まで全く異状がない。まずは一安心。しかし、感染防止対策を怠ることなく、日々を送ることだ。

東京オリパラは菅総理が「安心・安全なオリパラを万全な体制で執り行う。昭和39年10月の東京オリパラの感動をもう一度」と、国民感情に訴えた。これは国民が求めている回答か。これはわざとなのか、全く感性を持ち合わせていないのか。
このような人が日本のトップとはと思うと、私たちは故石坂泰三の『もう君には頼まない』と言う台詞をもう一度心に思い、自分のことは自分が守る、そして、それぞれに与えられた「生まれてきたミッション」を再確認し、そのミッションを果たすべく真剣に人生を生きていかなければならないことを痛感する。

チャーチルは言っている。
「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試された全ての形態を別にすればの話であるが」と。

国民はそんなに賢くはない。あまり賢くない国民の声を聞くことは『国民のため』にはならないから、『国民のための政治』をしようと思ったら、国民の声に耳を傾ける『民主主義』という政治形態は最悪の政治形態かもしれない。

コロナの全貌が見えてきた今、賢い国民であるならば、その感染防止対策を守ることをすれば、感染拡大は避けられるだろう。
しかし、如何せん、国民はそんなに賢くないのだ。だから、日本のコロナの現状では、コロナ感染は拡大していくだろう。
それを分かっているのなら、あまり賢くない国民の命を守ろうと言うのであれば、今回の東京オリパラはコロナ感染拡大は当然のことであり、それを避けるためには中止か、せめて無観客が必須ではないのか。

ある時は国民は賢いと言ってみたり、ある時は国民はあまり賢くないと思ってみたり、そんなちぐはぐなことで国民の命は守れるのか。

とにかく、昨今の政治家先生たちはどうしようもない。だから、自分のことは自分が守ることだ。

もう君には頼まない。

小林 博重

白水優衣ちゃんと1時間近くLINEで話す。

昨日、[OUEN塾in福岡・北九州]でお世話になった白水優衣ちゃんからLINEで電話があり、1時間近く話が弾んだ。

彼女は、OUEN塾のリーダーとして大学1年生から頑張ってくれた。福岡でのOUEN塾は、OUEN Japanを立ち上げて最初のイベントだった。私は福岡に住んだことはないし、人脈も殆どない。ただ、東大応援部の大先輩で元大蔵事務次官の篠沢恭助さんから福岡女子大学理事長兼学長(元九州大学総長)の梶山千里さんをご紹介され、梶山先生だけが頼りだった。梶山先生から福岡の地方活性化のためにOUEN塾を開催することを考えるようにといろいろアドバイスをいただき、先生の幅広い人脈をご紹介いただいてスタートした。

このOUEN塾は、大学生・留学生と地元企業の交流を通じて、学生たちが頑張っている地元企業のことを知り、延いては住んでいて、働いている地元を元気にすることをミッションとしている。
梶山先生からは、福岡の大学や多くの企業のトップをご紹介いただいた。それぞれの大学のトップから学生部をご紹介いただき、OUEN塾リーダーを募集した。その1人が白水優衣ちゃんだ。

当初は20名以上の学生リーダーが集まったが、何せ始めてのことであり、私も学生も暗中模索状態だった。半年も経つとリーダーは5名になってしまった。OUEN塾は2ヵ月後に迫っている。そんな絶対絶命のピンチの時に、白水さんは新入生ながら、頑張ってくれた。
中国に語学留学したが、それでもリーダーは続けてくれた。ガッツある、人の心が分かる、心優しい女性だ。よく4年間、OUEN塾リーダーで頑張ってくれた。「団長が困っているのに、今更止めるわけにはいかない」と、泣かせるではないか。

その彼女が、今春、めでたく卒業し、明治安田生命(福岡)に入社した。私も4年間、生命保険エージェントとして明治安田生命にお世話になったから、尚更親密感は増す。
会社から「健康に関するアンケート」入手の業務命令があったらしい。それで私に電話してきたのだが「団長、10分ほどで終わりますから」と言う話だったが、1時間近くに及んだ。

質問
この1年、以前より健康に気をつけるようになりましたか。

私は「コロナ」もあるが、ここ最近、人間ドックで「糖尿病」と診断された。
このままでは高血圧や痛風、高脂血症等々、年並に持病があるが合併症になって足を切断するようなことになったら、仕事どころではない。
「私は何のために生まれてきたのか」と考えると、冗談ではない。健康を真剣に考えなくてはと一念発起。週5日の2時間ウォーキングや食事療法、ベジタブルファースト、腹8分目、糖質のものは控えめに。ここ2ヵ月、青汁、ザバス、野菜ジュース等々、徹底的に健康を意識する毎日を送るようになった。体重は5kg減量し、腹囲はマイナス5cmと、少しずつ健康体に近づいている。このまま続けていけば、100歳現役、120歳天命は夢ではない。一病息災とはよく言ったものだ。コロナを奇貨として健康になったとも言える。全て、私のみに降りかかることは災いも磨き砂なのだ。そう考えればストレスもなくなる。
それと「人と争うことはストレスであり、いいことは何もない」ことも実感した。頭の中で「この人とはレベルが違う」と思ってグッと我慢すると、次の日にはいいことが起こる。実感するとそれは確信になる。

そんな話を孫のような可愛い女性と1時間近く話す。私は幸せ者だとつくづく思う。
今度の日曜日に、OUEN塾リーダー卒業生3人とランチをする予定だ。私の「生前葬」の企画をお願いしようと思う。さぞビックリするだろう。

小林 博重

「父の日」にあたり、

午前は雨だったが、午後は曇り時々晴れ。蒸し暑かったがウォーキング日和だった。

瑞華院の福井住職は早朝の明治神宮にウォーキングを兼ねて参拝される由。早朝5時が開門だとか。
今日は早朝ではないが、福井住職に倣って、明治神宮に参拝することにした。昨日は一日中雨で外出はしていない。体調は万全だ。歩数は29千歩強。15kmは歩いた。

外苑前→(青山通り)→渋谷→(明治通り)→明治神宮→新宿→(靖國通り)→防衛省前→市ヶ谷駅→麹町→半蔵門→(逆時計回りに皇居一周)→皇居前広場で休憩→半蔵門→(麹町大通り)→赤坂見附→(青山通り)→外苑前

事務所に帰ってじっくり新聞に目を通す。OUEN Company のビジネスマッチングのチェックをする。明日の活動の準備をする。

ベランダから夕焼けが眩しい。明日の天気予報は一日中晴れだとか。
明朝のウォーキングはいつも通り、2時間の靖國神社コースとしようか。

次男からの父の日のプレゼントが届いた。私の大好物の『蟹の詰め合わせ』らしい。ウォーキング中に妻が受け取り、LINEで連絡してくれた。皇居前広場からお礼のLINEをする。 私は息子は3人だが、親の私が言うのも何だが、3人ともできた息子たちだ。それぞれの連れ合いも似た者夫婦だ。世の中上手いようにできている。

娘がほしかったが、妻は「男腹」だと言うので諦めたが、世の中これも上手いようになっている。
三男の1つ歳下の可愛い娘ができた。安藤裕美さん(日欧フーズ副社長、西洋レストランの『西櫻亭』を経営している)だ。私も妻も「裕美ちゃん」と呼んでいる。可愛い、気がきく、心優しい娘さんだ。

昨日は外苑前の礼華青鸞居でコースランチをしたが、裕美ちゃんは妻の5月の誕生日祝いを1ヶ月遅れで持参してくれた。豪華な花束だ。紫陽花が眩しい。

裕美ちゃん、ありがとう。心から感謝します(私の「父の日プレゼント」はお預けだ笑)。

息子3人、娘1人。私たちは幸せな夫婦だと思う。

小林 博重

「東京オリパラのPV中止」に思う。

東京都のオリンピックPVが全て中止になった。やっとのことで、東京都は中止を決めた。こういうところからも、政府や東京都のオラパラに対する前のめりのスタンスが明確に出ている。

このオラパラありきのスタンスのみならず、最近私の周りに起こったいくつかのプライベートな出来事から、私は「自分自身を客観視する」ことの大切さを学ぶことができた。 パッションだけではともすればスムーズな人間関係を維持することができない。争いごとにつながり、成ることも成らなくなる。

心で思っていることを言葉で発することはよくよく考えてからのほうが良い。その時の感情のままに言葉を発すると、一旦発せられた言葉はもう引っ込めることはできない。そして人間関係は悪くなり、表面的には元に戻ったようでも、決して元の鞘に収まることはない。

菅総理しかり、小池都知事しかり。「国民のための内閣」とか、「都民ファーストの政治」とか言ってはみても、人は『私利私欲』の政治家と思ってしまう。もう彼らの言葉を信じることはない(政治家はそんなものかもしれないが)。

否定的な内容が含まれる言葉であれば、その時の思いをそのまま発することはしてはいけないと思う。
一日置いて、一晩寝て、よく考えて冷静な心で、冷静な物言いで、言葉を発することだ。すなわち、「有意注意」を意識することだ。

人生の夏の終わりになって、やっとそんなことが分かったように思う。少し晩生過ぎるが、人生120年、残り50年強だから、人生半ばのところで気がついたということで勘弁していただこう。

できたらトラブルは心して回避することだ。自分はまだ若いと思って「若気の至り」は「匹夫の勇」でしかない。もう意気がることはやめよう。

「一生青春」「一生燃焼」の心と「若気の至り」や「意気がる」こととは似て非なるものである。

小林 博重

改めて「生前葬」を考える。

今日は南麻布「了聞」で、福井住職の読経・講話に参列し、同社との法人(Map)・個人(小林博重)の契約調印をする日だ。
今朝は2時半起き、3時16分に事務所を出てウォーキングを開始した。
外苑前→赤坂見附→三宅坂→半蔵門→千鳥ヶ淵緑道→市ヶ谷駅→防衛省前→富久町→四ツ谷→絵画館前→銀杏並木→外苑前
事務所には5時26分着。早足で、2時間10分、15千歩強。
2日振りだったので、体調はすこぶる良い。やはり、週に1〜2日は休みを入れるほうがいいように思う。何事も経験だ。

朝食を摂って7時半に自宅を出る。外苑西通りを歩いて、8時前には南麻布「了聞」に到着する。うっすら汗をかいたので、7階の休憩室で涼んで読経が始まるのを待つ。

心静かに福井住職のありがたい読経を聴く。落ち着いて読経を聴いたのは何年振りだろうか。
ビジネス&ボランティアと年中無休の日々を送っているが、心は余裕を持って生きている。
しかし、このような静寂(しじま)の時を持ったことはここ10年あっただろうか。月に何回かはこのような仏の前で心を洗うひと時があっていい。何せ、私は人生の春夏を終え、秋冬に向かうのだ。その意味で私にとって古稀(70歳)は人生の大転換の年齢なのだ。

来年は数え70歳になる。6月には第1回の生前葬を行おうと思う。
小椋佳さんは70歳のおり、NHKホールで「生前葬コンサート」を4日間に亙り、1日25曲、合計100曲を歌い上げたそうな。

小椋さんが生前葬を行おうとした理由について話している。
「僕は白洲次郎同様『葬式無用、戒名不要』と考えていますが、家内は常識人なので、僕が死んだらきっと人並みの通夜や告別式をやるつもりでしょう。僕としてはそんな煩わしいことを家族に押し付けるのは本意ではないので、僕が生きているうちに済ませてしまおうと思いました」
「僕の同級生や同期の人間のほとんどは、既に会社、職場をリタイヤしています。僕もそろそろと考えていますが、この仕事には『定年』がない。だったら自分で『けり』をつけようという考えに至りました」

私は小椋さんと考えは一致するところとそうでないところがある。死んだ後の『葬式は無用』だが、『戒名には拘る』これは祖父との心の交流から来るものだ。『けりをつける』意図は、私の『人生の春夏』との決別のための『けり』であり、『人生の秋冬』に向かって生まれ変わるための生前葬だ。何せ、あと残された私の人生は50年はあるのだから。

「了聞」の前川さんと生前葬についてアバウトながら私の考え方を話した。
6月27日にはOUEN塾OBOGが事務所に来る。ランチミーティングで私の生前葬の企画をお願いしてみようと思う。まだ、1年先だが、OBOGたちは「団長がとんでもないことを頼んできた」と思うだろう。しかし、彼らにとっては人生の先輩たちとの貴重な接点を持つ機会でもあり、そこで学ぶことは他ではなかなか経験できないことだろう。これもOUEN塾の一環だ。

よくよく考えてみる。私の人生の春夏秋冬の通りに世の中は動いているようだ。これは「図らずも」だ。私は図って事を進めることは不得手だ。だから経営者には向いていないと自覚している。だから一匹狼で、皆んなをつなぐビジネスやボランティアが私の天職と思っている。そのことを還暦を過ぎて少しずつ分かってきた。自分の能力がどうすれば一番活きるのか、それは地位でも名誉でもない。人間の本質を追求することに尽きるのだ。一皮も二皮も剥けて古稀を迎えるのだ。古稀からが私の第2の人生であり、それは実りある豊かな人生であると思う。

小林 博重

祖父「小林米次郎」を想う。⑵

妻がYouTubeで映画『二百三高地』をLINEで送ってくれた。

https://youtu.be/UdTze_0gXb4

この『二百三高地』は1980年の日本アカデミー賞受賞作品である。

主題歌はさだまさしの「防人(さきもり)の詩」だ。

馬形さんが「旅順要塞攻囲総攻撃仔細」「旅順港山岳図」をメールしてくれた。

また、祖父が遺してくれた「2個の胡桃(くるみ)」のことも「祖父の想い」に思いを致してくれたメールを送ってくれた。

祖父小林米次郎は、弱小明治日本陸軍の歩兵、すなわち「防人」として、当時世界最強と言われたロシア陸軍と戦った。

「日本国の命運をかけて、まさに命をかけて、日本のために戦ったのだ」と改めて想い、目頭が熱くなった。

『二百三高地』に限らず、戦争ドキュメンタリーは、視聴者に、戦争の高揚感のなかから、何気なく平和な現代を生きている我々に、「平和の有り難さ」や「命の大切さ」を真摯に考えさせるものではないのか。私が今生きているのは祖父がロシアと戦って勝ってくれたおかげであり、生きて日本に帰ってきたおかげである。

改めて、「世のため人のために生きる」とは何かを考える。

祖父が私に「お国のために尽くせ」と言った意味は決して戦争で勝ってこいということではない。現代に生きる私にとって「世のため人のために生きる」とは、私に与えられた個性(キャラクター)を思う存分発揮し、全身全霊を以って「人さまのお役に立つこと」を果たすことなのだ。

青春を謳歌し、七転八倒の朱夏を乗り越えて、来年は数えで古稀の70歳。実りの秋のスタート台に立つ。

OUEN Japan は、学生・留学生を応援する[OUEN塾]と、彼らを応援してくださる企業の皆さんを応援する[OUEN Company]の二本柱で成り立つ。

また、学生・留学生の皆さんとOUEN Companyの皆さんで手を取りあって、私たちが生きている[地域]の応援団になることも、もう1本の柱に加えたい。

そのベースを「私の夏」が終わる69歳のうちに作りたいと思う。そして、コロナ禍を奇貨と思い、その活動を計画的・積極的に行なっており、ベースは着々とできつつある。

生前葬のおりに、私の戒名を付けていただく。特に拘っているわけではないが、祖父との想いのなかで「不動院」をいただくことができたら嬉しいと思う。

祖父との思い出はいろいろある。

能登の七尾の「青柏祭」という山車が出る5月の祭がある。いつも祖父と青柏祭に出かけ、行きつけのおばさんの果物屋で、当時は高価だった「台湾バナナ」を鱈腹食べた。そして、「山藤」という七尾では由緒ある食堂で食べたうどんが忘れられない。今も出張で七尾に行った時は山藤でうどんを食べて祖父を思い出す。小中学校では年に1回の相撲大会にいつも来て相撲を応援してくれた。

また、高校の思い出だ。私が高校3年の9月に祖父は亡くなった。ちょうど、89歳、老衰で亡くなる1週間前だったか、私が金沢の下宿から帰っている時だ。

全国模試で私がトップになった。いつもは金沢大附属高では10番前後の成績だった(同期は25名東大に合格した)が、高校のトップどころか全国模試トップだ。まぐれ中のまぐれではあるが、それを祖父に報告した時のことだ。祖父は寝たきりで起き上がることができなかった。その祖父が私がその報告をした時に、「万歳、万歳」と手を上に挙げて万歳をしたのだ。祖父が言うには、「いつも守ってくださっているお不動様から大きな石が転がってきて、その石が胸に飛び込んできて万歳をさせた。そして大声も出た」のだと。私に東大東大と言っていた祖父にとって、私の報告は何よりの冥土の土産になったのだろうか。

人生後半戦。充実した秋冬にしたいと思う。

人生の目的は「魂を磨くこと。棺を覆うまで魂を磨き続けること」だ。そのためには「世のため人のために生きる」ことだ。

世のため人のために生きることで魂を磨き続けて、生まれた時より少しでも美しい魂になって旅立つことだ。それが祖父が私に期待していることだろう。

小林 博重

祖父「小林米次郎」を想う。

馬形さんから、日露戦争の旅順攻防(二〇三高地)につき、メールをいただいた。
過日、株式会社「了聞」から畑山部長と前川さん、馬形さんが事務所にいらして、生前葬や戒名を含めた私個人の行く末の打ち合わせのほか、OUEN&Mapのビジネスとして同社を如何にサポートしていくかについても打ち合わせを行った。

私は中学生卒業まで祖父母に育てられた。
祖父は私にとって優しい父であり、祖母は厳しい母であった。祖父は祖母のことを「おかっさま」と「さま」をつけて呼んでいた。男尊女卑の能登地方でそれは異常なことだった。私は今でいう「ダイバーシティ」の走りではないかと思う。 祖母は結婚前は東京広尾の格式ある家で女中をしていたようで、言葉遣いや礼儀作法も「鄙には稀な」勝気で厳しい女性だった。

祖父は結婚前は、明治37〜38年の日露戦争に金沢の第9師団から出征した。そして、旅順の二〇三高地の戦功により金鵄勲章を受章した。そのことは祖母も誇りのようで、金鵄勲章の話は祖母から聞くことが多かった。

祖父は私にただ「お国のために尽くせ。戦争に負けた今は陸軍士官学校や海軍兵学校はないのだから、目指すは東大だ」といつも言っていた。そして、「玉磨かざれば光なし」と私のために炬燵に入って2つの胡桃をずっと磨いていた(その胡桃は私の何物にも変えがたい宝物だ)。

「二〇三高地」という映画があった。たしか金沢第9師団の士官だったあおい輝彦主演の日露戦争の映画だ。そこに新沼謙治も出ていて、露軍に奪われた軍旗を奪還した場面があった。あぁ、これは祖父が語っていたことと同じではないか。祖父は軍旗を奪還した功績で金鵄勲章をいただいたのだった。それは祖母にとっても誇りだったに違いない。

祖父は血の川の水を飲み生き延びて帰国した。日本は勝ったのだ。司馬遼太郎の「坂の上の雲」の世界だ。小林米次郎は生きて祖国の土を踏んだおかげで、今の私がいる。

馬形さんは安田信託を辞めて第2の職場で中国に長期間に亙り出張していた。そのこともあり、旅順には5回足を運んでいるそうな。 日露戦争のことは詳細に亙り調べている。まるで日露戦争オタクだ。
そんなことだから、私が祖父が軍旗を奪還したことで金鵄勲章をいただいたことを話した時、鳥肌が立ったのだと。

馬形さんからのメールだ。

203…爾霊山(二人の息子を亡くした乃木さんが名付けた)博重さんのお祖父様が奪還した軍旗は、おそらく序盤戦で第9師団(金沢)が、初の敵陣の要塞を陥落させた、盤龍山の独立堡塁(通称:一戸堡塁)が露軍に奪還され(一度は堡塁に立てた軍旗も奪われた)後に、一戸少将が自ら中隊を率いてさらに奪還した、有名な一戸堡塁の戦闘だと思っています。そうでないと、東郷さんや、山本権兵衛などしか拝受できていない金鵄勲章を頂けません。一戸堡塁奪取保持は、大損害の序盤戦での士気を高めた戦功として、私ごときでも知っている話です。(中略)
私はつぶさに調べて、現地/旅順港-203高地にも五回は足を運んでいますから、コロナがあけたら必ず私がご案内いたします。二泊三日、予算は飛行機+ホテル代+メシ=10万円でOKです。—鳥肌がたちました 旅順港を直近の白玉山から眺めおろすと、天の橋立の100倍のスケールで美しい。
お祖父様が軍旗を奪還した盤龍山の一戸堡塁にも、私はご案内できます(場所を特定できます/旅順港を南から北に見て、北東に位置するのが盤龍山/203高地は西北4kmに位置して、旭川と東京の師団が攻撃の任にあたりましたので、203に登って遠く旅順港を眺めるのは二の次です)。
旅順は、水師営の会見場のほか、男装の麗人-川島芳子(清朝/愛新覚羅家の娘でありながら犯され男装に変じた)の邸宅や、安重根の投獄されていた刑務所-房も見ることができます。

私は日本男子「小林米次郎」の血を受け継いでいるのだ。

祖父は軍旗奪還の功績で上等兵から軍曹へと昇格の話をいただいたらしいが、学校に行っておらず、字が読めないということで、断腸の思いで軍曹昇格を辞退したのだと私に語った。残念だったろう。だから、私に「勉強して東大を目指せ」と優しい祖父にしては珍しく、何度も何度も私に発破をかけてくれたことを忘れない。

「不動院積徳永寿居士」が祖父の戒名だ。戦時中は、お不動様建立に精魂を傾けた。
私は、物心ついた時から祖父と定期的にお不動様の参道をボランティアで掃除したことが忘れられない。

私はやはり、祖父の想い「世のため人のために生きる」ことを全うすることが私の生きるミッションだと思う。それはすなわち、OUEN Japan のミッションを果たすことだ。そして、肉体と精神を磨き上げ、100歳現役で頑張ることだ。

馬形さん、ありがとう。
馬形さんのおかげで、祖父を熱く思い出し、その精神を一層磨き上げようと思うことができた。

小林 博重

20歳前後の若者たちとの交流

昨日は早朝ウォーキングと八丁堀の整骨院通院で、歩数は35千歩強。一昨日も同様に35千歩強。先週は雨が降らなかったので、休みの日なしでウォーキングをした。今日は生憎の雨模様であり、ちょっと一休み。今週は雨の日が続くようでいよいよ関東も梅雨入りか。

昨晩7時から、東大野球部(対法政2回戦)2対0で勝利した「赤門鉄声会の祝勝会(ZOOM)」があった。鉄声会員のほか、現役も出席して和気藹々の祝勝会だった。

64連敗で敗戦から脱出したということは、1年20連敗だから3年強の期間勝利から見放されていたということだ。現役諸君は誰一人として勝利の美酒を味わっていない。

昨日は新入部員の一部も参加したが、現在のところリーダーは3名、ブラスバンドは11名、チアリーダーは17名、合わせて31名の新人が入部したとのこと。コロナ禍で神宮球場の応援部応援は外野席であり、内野の応援席とは分離されていて今ひとつ盛り上がらないと思うが、それでも応援部には31名の新人が入部してきた。応援部もメジャーな運動部になったものだ。
そして、圧倒的に女子部員が多いのだとか。東大では初めての女子のリーダーも誕生した。また、慶應を卒業して東大医学部大学院に入学して応援部に入部してきたという「気合いが入った、可愛いチアリーダー」もいる。2年部員には留学生もいる。

私が在籍していた半世紀前は応援部は女子禁制で「男臭さが売りの運動部」だったが、今は圧倒的に女子が多く、帰国子女ばかりか留学生もいるダイバーシティの先頭を走っている、まさしく日本のリーダーを生み育てるに相応しい運動部に生まれ変わった。 政財界の偉いさんたちも見習ってほしいものだ。

東大応援部の現役諸君、OUEN学生リーダー、いずれも20歳前後の若者だ。私とは50歳前後の歳の差がある。私の孫たちはまだ小学生や幼稚園だが、こんな大学生がいてもおかしくない。
私のことを先輩とか団長とか呼んでくれて若い気になっているが、私は、コロナ禍で「65歳以上の重症化する可能性が高い高齢者」なのだ。気持ちは若い者に負けていないが「思えば遠くへ来たもんだ」と思う。

古稀になって、肉体と精神の根本改造をして、後50年の後半生を見据えるというのは、同年代の友人知人たちは「空想以外の何物でもない」と思うらしい。

私は言葉に発すればそのようになる、思えば叶うと、気合いを込めて言っているのだが、だんだんとそれが自然体になってくるから不思議だ。 口に出して言って行動に移すこと、「有言実行」は人間の弱い心を奮い起こさせる巧妙なテクニックだが、その効果は甚大だ。

今日は南麻布「了聞」から3名の方々がいらして、いろいろ打ち合わせをする。私のこれからの人生航路のことでもある。真剣に話し合おうと思う。

小林 博重

紀伊國屋書店で5冊の本を買い求める。

2時間ウォーキングのコースはいくつかあるが、皇居一周コースはその中に入っていない。
今朝は新規開拓と意気込んで、今まで通ったことのない道を通って半蔵門を目指した。半蔵門から逆時計回りにぐるっと皇居一周だ。北の丸公園入口の傍には石川県の県の花「黒百合」のプレートがある(皇居一周コースには全国47都道府県の花のプレートが道路に埋めてある)。やはり、「ふるさと石川」は私にとって特別な県だ。

午後4時から新宿のサンデンタルクリニックで歯の治療があったので、少し早めに事務所を出て、午後のウォーキング(往復)だ。合計35千歩。今日はいつもにも増してよく歩いた。 体重は65kg台。あと5kgの減量を目指そう。

4時までに時間があったので、新宿東口の紀伊國屋書店に入った。本はAmazonで買うことのほか、ぶらっと本屋に立ち寄り、その時に気になった本を買うことも間々ある。日本橋と丸の内の丸善が多いが、三省堂や紀伊國屋にも立ち寄る。

今回買い求めた本は5冊。いつもより多い。

①「あなたの会社は、その働き方は幸せですか?」(上野千鶴子、出口治明、共著)
②「人生、何を成したかより、どう生きるか」(内村鑑三 著、佐藤優 解説)
③「伝記 小泉信三」(神吉創二 著)

④「在り方」〜自分の軸を持って生きるということ〜(永松茂久 著)
⑤13歳から分かる!「7つの習慣」〜自分を変えるレッスン〜(「7つの習慣」編集部 監修)

ここのところ、いろいろ問題意識を持つことが多かった。1年半後に古稀を迎えることで人生を振り返ると言うこともある。
ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言った。70年間の経験は失敗の連続だったが、諦めなければ失敗は成功の母になる。しかし、それだけでは愚者のままだ。歴史に学ぶことだ。そして、賢者たちの書物からも多くを学ぶことだ。 そんな問題意識を持っていたのだろう。スッとこの5冊を買い求めた。
古稀にあと1年半。「実りの秋」の準備期間として、肉体と精神の構造改革をしよう。大極を見据えて、個々の問題について冷静に対処することだ。

明日も雨は降らないようだ。
早朝ウォーキングに加え、八丁堀の「エビサン整骨院」まで約1時間(往復)のウォーキングをしよう。
「エビサン整骨院」では肉体のバランスを正常に保つ治療を行う。

「健全な肉体に健全な精神が宿る」

大坂なおみさんのうつ病のカミングアウトには驚いたが、健全な肉体であっても精神は脆いものなのか。精神の鍛え方は肉体のみならず、経験を積んだ年の功に依るところもあるのだろうか。

バランスよく肉体と精神を鍛えることだ。

小林 博重