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大島康徳さんの逝去に思う。

6月30日、野球評論家・解説者の大島康徳さんが逝った。

大腸がんが肝臓に転移していた。がんとの闘いのなかでも、NHKの野球解説ではその爽やかな語り口に私は好感を持っていた。「頑張れ、大島!」と応援していた。実に残念だ。

1950年10月16日生まれ。70歳だった。私より2歳、人生の先輩だ。

中日、日本ハムでプレーし、監督として日本ハムを率いた。

大島さんは闘病中もずっとブログを書き続けていて、奥さんがその後を引き継いで大島さんの最後の想いを公表した。

「この命を生ききる」

この先の人生、何かやりたいことがあるか?と真剣に考えてみたけれど、特別なことは何も浮かばない(笑)

皆様のおかげです。どうもありがとう。

楽しいこと、やりたいことは片っ端からやってきた。

楽しかったなぁ・・・これ以上何を望む?

もう何もないよ。幸せな人生だった。

命は必ず終わりがある。その時が俺の寿命。

病気に負けたんじゃない。俺の寿命を生ききったということだ。その時が来るまで、俺はいつも通りに普通に生きて、自分の人生を、命をしっかり生きるよ。

70歳。まだまだこれからだったのにと思う。余命幾ばくもないと思うと大島さんのような心境になるのだろうか。大島さんは70歳を生き抜いたから、そんな心境になったのだろうか。

これからが私の二生と思っている、そして今は元気で頑張ることができている私には、大島さんの達観には到底至らない。

しかし、私も来年に数え70歳(古稀)を迎える。そんな歳になったのだ。それは現実だ。

2019年(令和元年)の男性の平均寿命は81.41歳。平成28年の70歳男性の平均余命は15.72歳。

統計上、私が生きるのは、あと20年もない。私は私だから、そんなものは関係ないと思い、70歳から50回の生前葬を目指すと言っているが、この両極のバランスの中で充実した後半人生を送ることが大切であり、それが幸せな人生を送ることになる。

古稀(古来稀なる)とは人間にとっていい区切りではある。還暦も人生一周してリセットして二周目をスタートするということだが、まだまだそんな心境には達しなかった。定年も延びているし、まだまだ元気だから、還暦とは言葉だけだったような気がする。

しかし、古稀ともなると同期の連中はほとんどがリタイヤ。第二の人生も若者に負けない現役ではない人がほとんどだろう。

人生の区切りをつけて再スタートというのは、100年人生(私は100年現役だが)の現代では、古稀(70歳)がいいタイミングのようだ。

長くて短い人生だ。あっという間に70歳になる。残りの人生、一瞬たりとも無駄にせず、大切に生きていきたいと思う。

小林 博重

古稀と生前葬

本格的な梅雨の季節だ。熱海では線状降水帯のせいで甚大な土石流被害が発生した。この線状降水帯はここ数年前からの言葉だ。それまでは梅雨の長雨と言ってもこのような被害は稀だったのではないか。地球が悲鳴をあげているのだろう。お題目でSDGs(持続可能な開発目標)を掲げるのではなく、世界の全ての国・地域・企業・個人が、SDGsを自分ごととしてその達成に取り組んでいかなければならないと切に思う。

今日も東京は一日中雨模様だ。にわか雨で時々止む時があるが、これではちょっと2時間ウォーキングは中止せざるを得ない。
昨日もにわか雨の予報だったが、午後は曇り空で降る気配がなかったので、港区の無料検診で前立腺がんの検査のため、六本木の新赤坂クリニックとの往復の他、靖国神社コースの2時間ウォーキングをした。おかげで歩数は25千歩だった。今日は一休みをせよとのお告げだ。今日のにわか雨は”天の恵み”と考えよう。

そんなことで、今日は晴耕雨読だ。一日中、買って積んであった本を2冊読了した。晴れた時はウォーキング、雨になったら読書。自然に逆らわず生きていくことだ。

今朝、次男から電話があり、生前葬はちょっと早いのではないかとの感想だ。
還暦での生前葬ではそれは早いだろう。しかし、数え70歳の古稀にもなれば、いくら健康体であっても早いということはないだろう。「古来稀なり」の古稀である。孔子の時代は「よく70歳まで生きた」ということでの古稀だ。
私はあと50年生きるかもしれず、明日お迎えが来るやもしれず。そんなことで、生前葬のいい潮時は70歳ではないか。生きている時にお世話になった方々に会っておきたいし、彼らのお役に立ちたい。そんな思いで、二次会はOUEN Company 交流会を開催するのだ。

人生の半ばを過ぎ、古来稀なる歳まで生きて、そこで一生に区切りをつける。そして、それからの二生を新たな心で元気に生き抜く。その区切りが生前葬だ。そして、毎年1回。50回を目指す。

生前葬を区切りに、私は俗名小林博重と戒名(瑞華院の福井住職にお任せしている)の2つの名を持つことになる。そして、厳粛にニ生を生きていこうと思う。

終の棲家(ついのすみか)とは、最期を迎える時まで生活する住まいのことだ。私のそれは、棺を覆ってから棲む永住の地だ。それは南麻布の「了聞」(瑞華院)だ。
終の棲家を決めて、なぜかホッとした気分になった。そして、ニ生を明るく元気に、世のため人のために生きていくのだという心構えができたような気がする。実に新鮮な心持ちだ。

まだまだこの世ですることは山ほどある。与えられた人生の時間をひとときも無駄にすることなく、真っ直ぐな人生を生きていこうと思う。

小林 博重

『実力も運のうち』

今朝の7時からのNHKニュースでアメリカ・ハーバード大学の政治哲学者のマイケル・サンデル教授(68)のインタビューが印象に残った。 本屋でも彼の著書『実力も運のうち』〜能力主義は正義か〜がベストセラーのコーナーに山積みになっている。
スマホでサンデル教授を繰ってみたら、YouTubeで報道ステーションの特集で徳永有美アナウンサーがサンデル教授にインタビューしている動画があり視聴した。アメリカも日本も人間の原点は全く同じだ。

サンデル教授は「現代の能力主義が、アメリカに象徴されるように人類を分断している元凶だ」と警鐘を鳴らしている。
トランプが大統領に選ばれたことも国民の不満・不安が為せる業であり、それは能力主義によって起きているのだと。
すなわち、能力主義は正義ではない。能力主義は人間を傲慢にする。能力主義の横暴が分断を作っている。

人は成功すると、自分の能力が高いが故だと思う(錯覚する)。自分は人より能力が高いから成功したのだと。
自分は人よりずっと努力した。自分が優秀だから成功したのだ。自分はエリートだ。そして成功していない人たちを上から目線で見下す(しかし、彼らはエセエリートだ)。

それはその人の実力だろう。それは間違いない。しかし、サンデル教授は「実力も運のうち」という。たまたま環境がいい生い立ちだったから他の人以上に学ぶ機会に恵まれた。そして努力もできた。素晴らしい家族や友人やビジネスで関わる人たちに巡り会ったのは運が良かったからだ。考え方も前向きになることができるのはそれも自分に与えられた環境が為せる業なのだ。素晴らしい周りの人たちがサポートしてくれたから今の自分の成功があるのであり、自分一人の力で成功を勝ち取ったわけではない。

「能力主義」とは、「実力は自分一人の力」と思い、上から目線で非エリートを見下すことだ。

「実力も運のうち」であると、人さまのサポートのおかげで今の成功、今の自分があると考える謙虚さを持つことだ。そして、サポートしていただいている多くの人たちに感謝の心を持つことを忘れないことだ。そして、お世話になった世間の人たちに恩をお返しすることなのだ。 そんな本物のエリートや本物の政治家(ステイツマン)が増えることにより、世の中が温かく、優しい人間関係で構築された幸せな社会になるのだ。

ノブレス・オブリージュ(高貴なる人の義務)も同様な言葉だ。人の上に立つエリートは、人のために生きるという義務があるのだ。

渋沢栄一が唱えた『論語と算盤』も、ビジネスのベースに相手のことを思いやる「恕の心」を持てということだ。それは現代の私たちが目指しているサスティナブルな社会を創ることに通じる。SDGsを目指すことだ。

ビジネスはシンプルイズベスト。そんなに難しいことではない。それをブレないで徹底することだ。

これからの私の人生の秋冬は、そのシンプルイズベストを徹底して深く掘り下げ続けることだろう。

小林 博重

裕美ちゃんに西櫻亭伊勢丹新宿でご馳走に預かる。

西櫻亭伊勢丹新宿で、7月のスペシャルランチ(5,500円)を裕美ちゃんにご馳走に預かった。西櫻亭は安藤裕美さん(副社長)が経営している高級西洋レストランだ。

私には息子ばかりで娘には恵まれなかった。裕美ちゃんは私の可愛い一人娘として妻共々に大切に思っている。
妻も裕美ちゃんも2人とも成城っ子で、そんなところも気が合う一つの要因かもしれない。

ランチは最初に、夏らしく涼しげな夏野菜からスタートした。全て美味しい。料理長の宮下響さんの創作料理はいつも全て美味絶品だ。 店長の加藤剛さんは、なかなかのキャラの持ち主だ。
私が「この絶品料理は加藤さんが創ったのですか」と冗談まじりに尋ねると、彼は「私は料理は創りません。私は料理をお客様のところまで運んで、宮下さんが創った美味絶品の料理を更に美味しいものにする重要な役割を果たしているんです」とニコッとして愛嬌ある球を投げ返す。憎めない好人物だ。

裕美ちゃんは「社員皆家族」と思い、大家族主義で経営をしている。そして、私同様、稲盛和夫さんを私淑している。生きる哲学が私と似ているのだろう。彼女の愛すべきキャラクターは私の心を和ませる。一生大切にしたい人だ。

そして、24日の昼に妻と西櫻亭に行くことにした。裕美ちゃんと3人でランチをしようと思う。親子水入らずの楽しいランチタイムだ。今から楽しみだ。

20日〜23日に3泊4日で金沢と能登に出張する。今度は、西櫻亭の皆さん宛に金沢土産を買って持参しよう。

さて、私の生前葬の二次会だが、結婚式場はどこも3ヶ月前からでないと予約が取れない。それでは計画は立たないということで、了聞の前川さんが探してくれた日本青年館に決めることにした。

日本青年館は神宮球場とはスタジアム通りを挟んで向かいにあり、赤門鉄声会の総会でもお世話になったホテルだ。オリパラがあるので建て直した。
今は、会場は9月までオリパラ関係で押さえられているとか(もう今になったらオリパラは絶対やるのだろう。やるからには成功してほしいが、そのためには無観客が大前提と私は思う)。

来年6月の土曜日は4日の日しか空いていなかった。他の土曜日は修学旅行で一杯なんだとか(日本青年館はスポーツと若者のための施設なんだ)。

生前葬の予算の目処が立った。
その時までと、その時と、その時からの企画とビジョンをしっかり立てて生前葬を成功裏に終えたいと思う。
サスティナブルな生前葬にしたいと思う。

小林 博重

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生前葬の二次会場を探す。

来年6月予定の生前葬の二次会であるOUEN Company 異業種交流会の会場候補を物色している。
南麻布了聞がある広尾近辺は150〜200名が着席できる会場はない。では、自宅と事務所がある青山近辺ではどうかということだ。
流石に、青山は人気ある土地柄なんだろう。沢山の結婚式場がある。生前葬の二次会は結婚式場では真逆ではないかとも思ったが、いやいやこの異業種交流会は人と人を結びつけるおめでたい会なのだから、結婚式場で開催するのはピッタリなのだと思い直した。

了聞の馬形さん、前川さんがいろいろ調べてくださって、まずは表参道のシャルマンシーナ東京(青山まい泉本店の道を挟んで向かい)を内見した。担当の山川さんはなかなか感じがいい。やはり、婚約しているカップルはいくつかの結婚式場を見て回るのだから、受付は営業だ。その受付の第一印象が選択には大きく影響する。 一番広い会場は最大丸テーブルが20卓入るので150名は収容できるが、残念なことに結婚式場である。結婚式が優先だと。
カップルは3ヶ月後に結婚式を挙げることはほとんどないのだとかで、パーティの会場として予約できるのは3ヶ月前からになるのだと。これは、表参道駅に直結しているザストリングスも同様だ。どうしても結婚式場はこの制約がある。

前川さんから電話があり、日本青年館はどうだと。ここは着席で180名はゆったり入る。今は仮予約だが、9月には本予約になると。私が日本青年館に電話をしてアバウト確認して、今夕伺うことになった。

日本青年館は赤門鉄声会がホームカミングディのおりに利用したことがある。
赤門鉄声会のホームカミングディは、神宮球場での東京六大学野球の東大の試合を応援した後、年次総会と講演会と懇親会を行う。本郷や駒場で開催することが多いが、神宮球場の傍の旧日本青年館で一度開催したことがある。 現在は場所は少し移動したが、神宮球場入口の真ん前に新しく立っている。
今はオリパラ関係がパラリンピック閉会式まで使用するので内見はできないが、特に内見する必要はない。今夕よく説明を聴いてくることにする。

それもこれも、来年半ばにはコロナが収束することが大前提になる。いくらなんでも、1年経ったら収まるだろう。今年はじっと我慢の年だ。 雌伏一年。私はめでたく、来年、数え70歳の古稀を迎える。
今年で「苦労見山の人生の夏」が終わり、来年から「輝く人生の秋」が始まるのだ。その秋は100歳までの30年続く。
『実りの秋』となるように努力精進しようと思う。

小林 博重

井口一弘さんに葬儀委員長をご快諾いただく。

今日は全くアポイントがなかった。時にこういう日がないとメリハリがなくなる。年中無休と言っても、サラリーマンのように定期的に休日があるわけではない。さりとて、自分で休日を決めるわけでもない。図らずも、たまたまアポイントがない日が休日になるだけだ。だいたい、私は図って人生を送ってきてはいない。その点ではほとんど私には先見性はない。結構行き当たりばったりの人生だったが、たとえ災難に遭遇してもそれを磨き砂と考えて前向きに生きてきたおかげで多くの人たちに援けられて運がいい人生を送ってきたと思う。しかし、これからの人生後半戦はそれではいけない。

人さまのお力をお借りするにしても、時代の流れを掴んで行動することだ。目指すところを見据えて足固めをすることだ。すなわち「着眼大局、着手小局」でいきたい。

昨日、井口一弘さんにお会いして私の「生前葬」の葬儀委員長をお願いした。
井口さんは東大応援部の8年先輩、安田信託銀行の先輩でもある。私は応援部現役の時からご自宅にお邪魔して奥さんにご馳走になっていた。そのご縁もあって安田信託銀行に入社した。船橋で自宅を求めた時も井口さんのご自宅の近所だった。人事部でもご一緒して、ともに採用活動をした。なんだかんだと半世紀お世話になっている。

葬儀委員長をお願いした時、井口さんは一瞬驚かれたが、「博重らしい」と笑ってご快諾いただいた。
一つ「奥さんは承知なのか」と。また「年に1回葬儀委員長をすれば、こちらも自ずと健康になる」「明るい生前葬なら引き受ける」とも。 そう言っていただいてありがたいことだ。

なんだかんだ、古稀からの人生は楽しいものになりそうだ。

小林 博重

ウォーキングの効用

今日は天気予報が外れて雲間から日が差す一日だった。5時からの2時間ウォーキングで「本質思考」について考えた。

オリンピックまで1ヶ月を切った。様々な競技で代表選手が決まっている。もうここまで来たらオリンピックは開催されるのだろう。 私はオリンピックは中止すべきと思うが、ここまできたら頑張っているアスリートのことを考えるとなんとか開催して成功裏に終わってくれることを切に願う。

では、コロナの現状はどうか。
ここのところ感染者が少しずつ増えてきており、このままでは開会式には東京の感染者数は1,000人にまで増加するのではないかと懸念されている。

私は、オリンピックとコロナの両立を考えるのであれば、やはり無観客であるべきだと思う。
二兎を追うことは、万難を排して二兎を捕まえることが可能である場合だけだ。このままでは「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということになりかねない。政府や組織委員会は本質思考ができていないのではないか。
開会式前後で緊急事態宣言発令ともなれば無観客にせざるを得ない。その必然性が高いのであれば、姑息な観測気球を揚げることをせず、ストレートにそして素直に「東京オリンピックを是非とも開催し、成功裏に終えたい。試合会場は無観客にする。PVはなしにする。国民の皆さんには申し訳ないがテレビで観戦してアスリートの頑張りを応援してやってください。感動は自宅で味わってください」と菅総理が国民に向かって心からのお願いをすれば、国民は分かってくれるに違いない。そんなことも分からないのだ。

経済産業省のエリート官僚がコロナの家賃支援給付金詐欺で逮捕された。城山三郎は通商産業省(現、経済産業省)の佐橋滋をモデルに『官僚たちの夏』を書いたが、戦後のエリート官僚はまさに日本の国を支える国士だったのだ。今回の不祥事はそれとは真逆だ。

それは、稲盛和夫さんが仰る『人生(成功)の方程式=能力×熱意×考え方』の考え方がマイナスの典型例だ。その積はマイナスになる。彼らの能力や熱意が大きいだけにそのマイナスは膨大なものになる。まだ28歳。若い。まだまだ人生の先は長いが、その人生は真っ暗闇ではないか。こんな官僚はごく稀と思いたい。

「ノブレス・オブリージュ」
高貴なるがゆえの義務と訳される。財産や権力、社会的地位がある人間は、そうでない人間に思いを致す義務があると言うことだ。
上から目線ではない。「矜恃を持って生きよ」「世のため人のために尽くせ」と言うことだ。

これも「何のために生まれてきたのか」と言う本質思考ができていないから、人間の屑のようなことをしでかすのだ。

2時間ウォーキングで人生を考える。
私にとって心身のリフレッシュのために、ウォーキングはベストチョイスだ。

小林 博重

第1回「生前葬」のイメージ⑶

今日はOUEN塾卒業生とのランチを楽しんだ。卒業3年目の吉田梨紗ちゃん、今年卒業の黒田琴音ちゃんと江崎卓君の3名だ。
表参道のまい泉に出掛けたが、やはり日曜日だ。表参道は多くの人出が出ていた。ここ1週間は東京ではコロナ感染者が前週の2割以上増えているとか。オリンピック開会式には緊急事態宣言一歩手前まで行くのかもしれない。政府には、オリパラをやると決めた以上は責任を持って感染者を抑える最大限の努力と対策をしてもらいたいものだ。 “やると決めた以上は、できなかったら責任を取る”覚悟と身の処し方を徹底してもらいたいものだ。

若い3人には、私の「生前葬」の話をして、その時は手伝ってくれるようにお願いした。

彼らを見ていると、私が安田信託銀行に入社して渋谷支店に入社した頃を思い出す。やはり、社会人1年目の新鮮な気持ちは忘れることがない。
綾小路きみまろの十八番ではないが「あれから40年」。あっという間に45年が過ぎた。過ぎ去ってみればほんとにあっという間だ。これから同じ時間を生きることができるだろうか。生きることができるようで、今までに120年を生きた人はいないらしい。それに私は大胆にもチャレンジしようとしている。

今日の天気予報では雨模様とかで、珍しく5時前まで寝ていた。事務所に出かけてなんだかんだしていて、早朝ウォーキングは中止したが、天候は午後まで曇りでにわか雨も降らない。
それではと、午後2時過ぎからウォーキングに出かけた。今日は麻布〜恵比寿〜目黒コースだ。もうウォーキングは習慣になってしまった。ウォーキングなしでは健康を維持できないように思ってしまっているところがある。こういうのを健康オタクというのだろう。

若い時は銀行の人事部で採用担当が長かったせいもあって暴飲暴食の日々だった。全く健康に留意した記憶はない。
しかし、古稀も近づく年齢になると、残りの命のことや、心残りなく人生を生きることを絶えず考えるようになった。健康に生きることが私に与えられた天命を果たすために必須であると真剣に思うようになった。有意注意で健康を考えるようになった。

よく人は「生きていることだけで意味がある」という。「人の命は地球より重い」ということだろうが、私は自分が植物人間で生きていたいとは思わない。もしそうなったら命を絶てるものなら自分で絶ちたいと思う。人の命はそんなことはできないが自分の命はそうしたいと思う。 それだけ元気で仕事をする、人のために仕事をすることに生きがいを持っているのだ。

明日は、表参道の結婚式場に電話して、打ち合わせの時間を持とうと思う。
来年6月の生前葬後の「OUEN Company 交流会」についてアバウトなところ方向性を固めておきたい。

この「生前葬」というイベントは私の人生の大きな区切りになるだろう。新しい人生のスタートになる。
そして、これからは、一年一年、新たな気持ちで人生をスタートするための「第○回生前葬」にしていきたいと思う。

小林 博重

第1回「生前葬」のイメージ⑵

了聞での「生前葬」は50名の参列者で厳かに執り行う。第2ステージは葬儀のイメージを払拭して、表参道の結婚式場を考える。

了聞での「生前葬」に参列された50名の方々は南麻布から表参道までマイクロバスで移動する。
表参道の結婚式場には、100〜150名の交流会に参加する人たちが待っており、そこに南麻布からの50名が合流する。

第2ステージは、私の戒名のお披露目を兼ねて、OUEN Company の皆さんたちの交流会である。
まずは、来年6月に第1回を開催し、それ以降は毎年6月に「生前葬」を開催したいと思う(例年続けているOUEN望年会も来年から再開する)。

ガンジーの箴言「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
の通り、生きとし生けるものは、いつかはこの世とおさらばしなければならない。しかし、それは明日とも、10年後とも知れず。20年後、いや50年後かも分からない。 悔いなく生きること、棺を覆うまで学ぶことを続けることだ。
その確認を、この「生前葬」を執り行うことで行う。各自が自らの来し方行く末を心を鎮めて考えるひと時になればと思う。

「生前葬」は生きている私のための儀式である。明日に向かって前向きに明るく生きるための儀式である。そうありたいと思う。だから、私は毎年「生前葬」を恒例としたい。 そして、お世話になっている方々のビジネスにも貢献したいと思う。その第2ステージは結婚式場がいい。人と人を結びつける縁起がいい施設ではないか。 葬儀の後、結婚式とは、それもまたいいではないか。

何事も考え方だ。私に降りかかる全てのことは、私の成長のために天が降り注いでくださった磨き砂なのだ。「苦」も「楽」も同じことだ。寧ろ、「楽」は人を傲慢にし、感謝の心を失くしてしまう劇薬かもしれない。楽をして身を滅ぼす人間は思いの外多いのではないか。 「苦」も「楽」も精神を磨く磨き砂なのだ。

小林 博重

第1回「生前葬」のイメージ

私の生前葬のコンセプトや具体的概要が少しづつ固まってきた。

昨日は、了聞の馬形さんと(株)自然葬祭取締役の岩切部長がいらして、石川県能登にある小林家の墓仕舞いや来年6月予定の第1回生前葬について2時間に亙り打ち合わせを行なった。

墓仕舞いについて、
小林家の墓は石川県鹿島郡中能登町能登部上、私の実家があった在所の裏の山の麓にある。
小林家は長楽寺という真言宗の門徒だ。祖父は次男であったため、墓は祖父が建てた。「小林米次郎建立」と墓石に刻んである。長楽寺の裏山には多くの墓があり、そちらは長楽寺が管理しているが、祖父が建てた墓は小林家の本家の敷地にあり、本家が管理しているのだろう(本家の墓は長楽寺のほうにあり、在所の裏山にはない)。 その墓には祖父母と父と、独身で亡くなった父の姉(戦前のことで、私はこの伯母のことは話だけでしか知らない)が入っている。
お骨は骨壺には入っておらず、今は骨は既に土に還っているだろう。

私が入る墓としては能登は遠すぎる。子どもたちや孫たちは能登へは観光には行っても墓参りは考えられない。
やはり私の場合、墓は都心だ。それも今住んでいる青山から気軽にお参りができる都心がいい。郊外では困る。そんなことで、南麻布「了聞」の都市型納骨堂を求めたのだ。 ここはメンテナンスも行き届いている。広尾という土地柄、環境も抜群。これからは、墓もハードからソフトの時代だ。

墓仕舞いはなかなか面倒なことが多いようだ。
杉並区下高井戸の(株)自然葬祭さんは馬形さんの推薦だ。一生に一度のことでこちらは何も分からない。いろいろアドバイスもしていただけるようだ。ありがたい。

来年6月に生前葬をする予定だ。
私の人生の春夏が終わり、秋冬が始まる、数え70歳の古稀(令和4年)に第1回の生前葬を行う。

戒名、読経、講話は福井住職にお願いすることになる。お声をかける人たちはOUEN Company の企業の方々や私の友人たちだ。

了聞では50名が限界のようで、50名を限度にご出席いただき、戒名のお披露目会は150〜200名が入ることができる会場に移動して行なうことにしたい。企画はOUEN塾リーダーのOB・OGにお願いしようと思う。

そんなことに思いを致しながら、これから来るだろう30年間の「実りの秋」を悔いのない季節にしたいと心から思う。もう失敗は許されないのだ。

小林 博重