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ウォーキングの効用

緊急事態宣言は3月まで続くだろう。と言ってもそれなりにすることはある。緊急事態ならではのビジネススタイルがある。むしろ、今だからこそ、長期的観点でビジネスを構築することができるのではないか。そう考えると、緊急事態宣言様々と前向きに考えたほうがストレスは軽減される。

先週は土曜日から日月と3連チャンで2時間ウォーキングをした。コースは靖国神社コースと明治神宮コースと麻布十番コースだ。昨日は靖国神社コースだ。2時間のウォーキングなので、それも寒いこともあり、トイレは近くなる。そうでなくても歳のせいで頻尿の気がある。この3つのコースはいずれもトイレに不自由しない。歳を取った人間のウォーキングはそんなことが一番気になる。それと私が生まれた北陸とは、特に冬の天候が真逆だ。北陸では冬のウォーキングなど思いもつかない。

ウォーキングの2時間はオンとオフのどちらかと言ったら、そのどちらもだ。一石二鳥だ。特に、サラリーマンはオンとオフをキチッと分けろだの働き方改革がどうだだの、人に決めてもらわないと何もできない傾向がある。自分で考えろだの、大学の共通テストは考えることを見る試験に変わっただの、いろいろ言っているが、そんなことでどれだけ自分で考える癖がつくのか。
私はどうかと言ったら、オフがオンでありオンがオフである。オンとオフがいつも重なっている。すなわち、人の8時間が私の場合は2倍の16時間になる。だからストレスはほとんど溜まらない。好きなことばかりしているからだ。こんな人生を送っている人間は私だけかもしれない。ここまで来るのに相当時間が掛かった。

ウォーキングをしていて、いろいろなアイディアが頭をかすめる。そんな時はポケットに入っているペンとメモ帳を出して、すぐポイントの単語を書くことにしている。そうでないと、これも歳を取ったせいで、事務所に戻ってそのアイディアを思い出そうとしても思い出せないのだ。そんな失敗が何度もあって、今は、ウォーキングにペンとメモ帳は離すことができない。それとスマホも手放せない。思いついたらすぐ電話することも頻繁だ。相手に「今はウォーキング中です」というと羨ましがられる。私は心の中で「サラリーマンは気重な稼業ときたもんだ。羨ましいだろう。ざまぁみろ‼︎」と思う。

昨日もウォーキング中にいいことが一つならずあった。ウォーキングは身体のためにもいいが精神もリフレッシュしてくれるし、ビジネスにもつながる。いいことづくめだ。 原日出子さんが健康食品のコマーシャルで「いいこと尽くめなんです」と爽やか笑顔で言っているが、私も「ウォーキングはいいこと尽くめなんです」と言いたい。

今日は土曜日だが、今日も仕事だ。入間市の山田食品産業の工場に行く。ビジネスマッチングのためだ。これも私のビジネスの原点だ。コツコツコツコツやっていこうと思う。

小林 博重

得手に帆あげて[OUEN Company]を立ち上げる。

人には得手不得手がある。得手は、それが好きで苦にしないことが多い。好きなことが不得手という話はあまり聞いたことがない。好きであれば、困難なことがあっても諦めず継続することができるだろうから、自ずと得手になってくるのだ。

芸能人のように好きなことが得手になって生きていく糧になることがベストだ。しかし、殆どの人は好きなことで得手なことでも、それでおまんまを食べていくことはなかなか簡単なことではない。 とにかく、若い時はそれを見つけるために、いろいろなことにチャレンジしてみることだ。

そして、自分自身を知ることができて、この道で食べていけると思うまで丁稚奉公だと思って継続すれば、得手が見つかり、それをどのようにビジネスにしていくかも分かるようになるだろう。
その時期が早くくることに越したことはない。私のように還暦を過ぎて自分自身を知る人もいるが、人生100年と思えば遅いことはない(と痩せ我慢で、そのように思っている)。

私のビジネスのベースは「敬天愛人」「応援人生」だ。すなわち、「世のため人のために尽くす。そのため、応援する」ことだ。
それを果たすための得手のキーフレーズは「友だちの友だちはみな友だち」だ。その「友だちつくり」をあらゆる機会を使って持てる力を尽くす。それは自然体でなければならない。わざとらしくなったら友だちはできない。

私が思うに、この私では何でもない「友だちつくり」があまり得手でない人が多いようだ(だから、私の得手が人さまに重宝されるのだが)。そして、人さまが得手なことで私には不得手なことは山ほどある。だから、私は、私の人との差別化のために「友だちつくり」に拘っているのだ。

[OUEN DANCHO]のホームページの一つのコーナーである「OUEN Company」は、そのような発想で構成するものだ。OUEN Companyはお互いが信頼し合う仲間たちだ。どんどんOUEN Companyのメンバーを増やしていきたい。それはメンバーのためのOUEN Companyだからどんどんメンバーは増えてくるのだ。
そして、その主要メンバーはOUEN Japanのビジネスパートナーであり、私とはザックバランな付き合いができる仲間たちだ。このビジネスパートナーもどんどん増やしていきたいと思う。

小林 博重

歯の治療から思いを巡らす。

成人の日の11日に新宿のサンデンタルで割れた歯の応急処置をしてもらった。歯ぎしりで奥歯が割れたのだと。それが原因で虫歯になってしまったのだとか。

何本かインプラントを入れた時にマウスピースを作った。歯ぎしり防止のためだと言われていたが、何度かやってみて面倒と思ってやめてしまった。それが今回の歯の治療につながった。歯を失うのは歯周病や虫歯に限らず、歯ぎしりで歯が割れて失ってしまうケースもあるのだ。先生の仰ることは素直に聞くものだと大いに反省している。

たまたま、応急処置の後、サンデンタルの小山悠子理事長と顔を合わせたこともあり、小山さんに治療をしていただくことになった。 小山さんは私と同い年だ。私と高校同期の仲谷清孝さんとは福岡先生門下だとか。こんなところも「友だちの友だちは友だち」だと思う。世間は広いようで狭い。 小山先生は、バレエをされているだけあって実に若々しい。姿勢がいい。
また、患者には、将棋界のトップ棋士も何人かいらっしゃる。大相撲の谷町でもあるのだろう。19日の治療のあと、大相撲か将棋のカレンダーのどちらがいい?と言われたので、大相撲のカレンダーをいただいた。早速、事務所に掛けた。

歯ぎしりの原因はほとんどがストレスだという。
私は、今はストレスには縁がないと思って思っていたが、眠っている時は自分に嘘はつけない。それなりのストレスを感じて生きているのだろう。 人間、ストレスはなくならないものなら、歯ぎしり防止対策はやはりマウスピースを付けて寝ることだ。今は毎晩、マウスピースをして寝ている。

自分の歳を考える。
壮年を過ぎて老年に差し掛かっている。あと32年は現役と思っているのであれば、誰よりも心身の健康に留意する必要がある。ストレスの解消と人間ドックでチェックする部位の他に、歯も無視してはいけない。そうでないと、心底、仕事はできない。

歳を取るとわがままはいけないと思う。そして、人のアドバイスを素直に聞くことが何より肝心だ。その点では老人は子どもに戻ったほうがいいと思う。 「老いては子に従え」ではないが「老いては若人に従え」だ。そのほうが人さまはいろいろなアドバイスをくださるし、貴重な情報も入ってくる。

そして、老人になると「一匹狼」になるのがいい。私はずっと「一匹狼」だから、それは全く抵抗がないし、スムーズに生きることができる。一匹狼は自由気ままに何でもすることができる。 昔の栄光(大した栄光でもないと思うが)を引き摺って生きている老人がなんと多いことか。それでは幸せな人生を送ることができないのにと思う。

昨日は「長崎IR」で動いたが、それがOUEN Companyにつながっている。OUEN Companyのイメージはどんどん具体的になってきている。全ては有機的につながっているものだと思う。 WIN WINの連鎖はどんどん拡がってくるものだ。「類は友を呼ぶ」という諺は真実だ。

アメリカは20日にバイデン大統領になったが、これからの世界は少しずつまともになっていくだろう。○○ファーストは自己中であり、やはり長続きしないのだ。相手のことを考えないビジネスや政治は邪道だ。 もっと日本の政治家先生は「敬天愛人」「利他主義」の思想を持って活動していただきたいものだ。

小林 博重

コロナと『恕の心』

ある小学校の会報に『恕の心』について下記のような文章が書いてあった。

「恕(じょ)」の心
中国のお話です。孔子(こうし)というえらい人がいました。 あるとき、弟子が孔子に聞きました。

弟子:「ただ一言で、一生おこなっていく価値のあることがありますか?」
孔子:「それは『恕』だろうな。『恕』とは、自分がされたくないことは、人にもしてはならないということだよ」

ある日の児童朝会のときに、子どもたちに話したことです。 論語の中の話ですが、是非、子どもたちに考えてほしいと思って話しました。 学校では「自分がいやなことは友達もいやなのだから、しないようにしましょう」 とよく声かけしています。 子どもたちもきっとよくわかってくれていると思います。
しかしながら、ちょっとしたことでトラブルになることは少なくありません。自分を主張することは大切ですが、気持 ちをもう少し抑えることができればいいと思うこともあります。
コロナ禍で、マスク着用が社会のニューノーマルになっている。勿論、マスク着用で会食はできないから、会話をする時はマスクを着用するというものだ。実際のところ、会話時にマスクをして会食するには抵抗がある。それでは、その趣旨を踏まえて、二人での会食では斜め向かいに着席して、会食は控えめにするくらいか。さもなければ会食はしないことだろう。

政府は「夜8時以降の外出は控えよ。ランチも基本的には感染の恐れがあるから控えよ」等、理屈が通らないことを宣っている。
これでは飲食店はやっていられないだろう。飲食店のみに無理を言っているだけで、飲食店以外の店は開いているのだ。それで、飲食店でのランチを控えよとは全く矛盾でしかない。こんな中途半端な緊急事態宣言を発出したせいだ。店が開いていれば人は街に出掛けるのは当たり前のことだ。 その理由は第一回の緊急事態宣言を出したら補償金が莫大な額になるからだというのが透けて見える。これでは、2月8日の解除は無理だろうと思う。 このような事態の原因は、政府に『恕の心』がないからなのではないか。

私は、少なくとも緊急事態は3月いっぱいは続く、と思って活動している。

マスクについても同様だ。
私はコロナの症状が出ていないから恐らく感染していないのだろう。だから、感染防御のために人と会う時はマスクを着用する。それは相手も同じだ。
私が思っているように相手も思っているだろう。ということは、相手は私がコロナに感染しているかもしれないと思っていることなのだ。私が防御しているのと同様に相手も防御している。

人がしてほしくないことはしない。人がしてほしいと思うことをする。

自分がしてほしくないことは自分が一番分かっているのだから、それは相手にしないことだ(人がしてほしいことは、こちらの想像でしかないのだから、これはTPOを考えて行動することだろう)。

小林 博重

「絶対」はないけれど、冷静になって「絶対」を追求する 。

久しぶりに2日続けて、ウォーキングをした。昨日は、外苑前〜絵画館〜四ツ谷〜半蔵門〜市ヶ谷〜四ツ谷〜外苑前。今日は逆コースで、外苑前〜四ツ谷〜市ヶ谷〜半蔵門〜赤坂見附〜青山〜外苑前。いずれも約2時間のいつものコースだ。
緊急事態モードに突入して2時間ウォーキングが日常になる。人間ドックで、野菜多めの食生活と腹八分目、適度なウォーキングを指摘されたのも影響している。そして、今日は帰りに外苑前のヴィルマルシェ青山で野菜を中心の買い物をした。人生100年、あと32年は現役人生なのだ。健康に一層留意気しよう。

歩きながら考えた。今日のTBSテレビ8時からのサンデーモーニングを観ていたら、1月12日に亡くなった半藤一利さんのことを特集していた。 半藤さんは東大ボート部卒部、文芸春秋の社員・役員を経てジャーナリスト。特に『昭和史』について造詣が深く、私も何冊か読んだ。 彼は太平洋戦争の死にかけた経験がいつも頭にあって「歴史に絶対はない」が彼の哲学だったとか。「絶対、正義は勝つ」
「絶対、神風が吹く」
「絶対、日本は勝つ」
「絶対」「絶対」が日本を敗戦に追いやったと。
そして半藤さんは「絶対」という言葉を使わないようにしたのだと。しかし、たった一つ「絶対」を使わなければならない。それは「絶対に戦争はしてはいけない」ということだと。

ところで今の日本はどうだ。どちらかと言ったら「保守反動(半藤)」と言われていた半藤さんが今は左と言われるような時代になった。安倍政権における「集団的自衛権の憲法解釈変更」が20年先、30年先に一大転換点だと言われるのではないかと半藤さんは心配する。日本はそれだけ右傾化してきた。それを菅政権も引き継いでいる。

半藤さんの仰る通りだ。日本は少しずつ右傾化の道を歩いている。そう思う人はそう多くないかもしれないが、日本人は騙されて「茹でガエル」になっているのかもしれない。知らないうちに、戦争という熱狂に突き進むかもしれない。恐ろしいことだ。

個人的に考えても「絶対」と思っても冷静に考えると「絶対」はない。私も「絶対」が好きだが、深いところで「絶対」はないと思っている自分がいる。世の中は、全て「相対」なのだろう。 しかし「絶対」は気分がいいし、自分は正義になったつもりになる。

「絶対」はないが、「絶対」になるように本質を追求することだ。それは相対であり、冷静であるということだ。

そんなことを、歩きながら考えた。

小林 博重

校歌を想う 。ふるさとをふり顧る。

今日も4時前に目覚めた。

私のふるさとは石川県の中能登だ。

中能登と言えば、七尾や和倉温泉、羽咋(はくい)の千里浜海岸は知られているが、生まれた町のアピールするものは私は思いつかない。

そんな何もない田舎町だが、どうしてか、今日は、夢に私の卒業した能登部小学校の校歌が出てきた(校歌と言えば、私は小学校と高等学校しか思い出せない。なぜか中学校校歌は歌詞も曲も全く思い出せない)。

能登部小学校校歌の歌詞には、

①ふるさとの風景

②ふるさとの歴史

③生きる志

があつた。

素直で多感な児童がことあるごとに小学校で校歌を歌うことで、それが自然に私の感性に訴えかけたということだろうか。

その能登部小学校は平成の市町村大合併のあおりで、合併して、今はない。

[能登部小学校校歌]

1.姿優しき眉丈山(びじょうざん) 

流れは清し長曽川(ながそがわ)

鹿西野々(ろくせいのの)の只中に

歴史は古き能登部校

2.遠つ御代より伝え来て

今に栄ゆる織り布は

生業(なりわい)励む里人の

習わし永遠(とわ)に語るかな

3.学びの道は世を理する

全ての業(わざ)の基(もとい)なり

我らもここに務めつつ

やがて尽くさん国のため

また、金沢大学附属高等学校の校歌は、金沢が生んだ歌人「室生犀星」が作詞した格調高いものだ。

[金沢大学附属高等学校校歌]

1.山を仰ふがぬ日もなきは

山の奥處(おくか)に厳しさの

極まりていく空の色

母校を包み白妙に

2.我らの若さをとどめゆく

市街(まち)の北なる荒海は

白波立ててけぶるかな

窓に寄りそふ友や我

3.学びて去らばふり顧(かへ)れ

学び来たらば不変の自然

野田のみちみち謙虚の

若き我らは歌ふかな

歌詞は、私が在学中に教頭先生をされていた川西先生が、室生犀星の東京の自宅を訪問されてお願いしたのだとか。『附高五十年』に下記のように記載されている。

人は過去をふり顧り、現在に生き、未来を夢見る。過去はふるさとであり、歴史である。そして如何に素晴らしい未来を描くことができるか。「賢者は歴史に学ぶ」というが、ふるさとをふり顧ることも未来を切り開く人間には不可欠な要素のように思う。

小林 博重

校歌『学びて去らばふり顧れ』

「学びて去らばふり顧れ」。附属高校生が折にふれ時にふれ歌い継いできた校歌、そして卒業してもなお同窓会しめくくりに必ず歌われる校歌の一節である。

この校歌の作詞者は言うまでもなく室生犀星である。室生犀星に校歌の作詞を依頼したのは、川西弘晃教頭であった。

川西はその時の思い出を、『金大付高新聞』(第九四号)開校20周年記念の特集「はたちの付高」で次のように語っている。

「東京文京区駒込のお宅に犀星先生を訪ねたのは昭和27年晩秋の一日であった。生垣に囲まれた先生のお宅、門を入ると芝生が美しく、その中に飛び石伝いの道が通じている。その道が自然と曲って玄関へ出た。木造和風平屋建ての可成り年代を経た家である。かねてご連絡申し上げておいた訪問であったので、来意を告げると直ちに通された。部屋の中程には四角な炉が切られ、鉄瓶から静かに湯気が立っている。襖と紙障子に囲まれてガラスが全然使われていない。明治の住居に返ったような静けさである。数分後襖を開けて出てこられた先生は、和服をきちんと着こなされているが、丸刈りの頭で、農村育ちの私には田舎の村長さんに相似たようで親近感を覚えた。話題が金沢に入ると、先生の話ぶりはとつとつとではあるがしばし望郷の念にかられておられたようである。やがて私は、学校の性格と所在を申し上げ、厳しい真理探求の態度、あたたかい友情と謙虚な気持ち、師弟の間の信頼感等を織り込んだ校歌の作詞についてお願いした。先生は校歌は純文学ではないのでむつかしいのだ、と言われたが、二カ月の期限を切って快く承諾して頂くことができた。」

昭和28年(1953)の年が開けてまもなく、犀星から校歌の原稿が届けられた。詞に「疑問なり、希望なりあったら申し越されたい」とのことであった。

川西は「謙虚」は音読したら字足らずになるのであるがどう読めばよいのかという質問を折り返した。


「学びて去らばは、卒業の意味でわすれないように思ひだすよう。学び来たらばは、入学、『不変の自然』自然も変わらないといふ意味を入学者に加へて詠んだもの。とくに不変の自然といふ硬い文字をえらんだのは、いくらか額ぶち的な役割です。野田のみちみち謙虚の、は、けんきょですが、やはりさういふ硬さが必要な気がしたのです。この二文字は私にも不本意なものですが、これは適当にお考へになってお示しを願へればそれに改訂してもよいのです。

一章  学校の所在、総則的な示訓、厳格と清浄

二章  海との関係、生徒の和平

三章  学びて去らば、及び次の『来たらば』の二行は教師から生徒への言葉。次の二行は登校の歌

これが犀星の回答の原文そのものである。なお、「謙虚」は改訂されなかったのは言うまでもない。

作曲は、当時の音楽担当教官吉島喜三郎の提案により、同氏の恩師東京芸術大学教授下総皖一に依頼した。下総も「室生犀星さんの作詞なら」と快諾した。

こうして格調高い校歌が出来あがったのである。

緊急事態宣言モードに突入する。

緊急事態宣言が関西のみならず、福岡はじめ全国に拡がろうとしている。そして、2月7日に解除されるだろうという有識者は一人としていない。この闘いは長期戦を覚悟しなければならない。

私は昨日、来週の九州出張、再来週の金沢出張を全てキャンセルした。
先方からのキャンセルがあってアポが虫食い状態であることもあるが、東京から来る人間と会うことはリスクがあると思うのが皆さんの本音だと思うので、こちらから「申し訳ないが緊急事態宣言中なので」とお話しすると、ホッとされる。 また、どうしてもという案件はwebで対応することもできる。そんなことで、思いの外、スムーズにキャンセルに応じていただいた。

このキャンセルで、私も本格的に緊急事態モードに入った。
今回、万全の体制で出張すると覚悟する以上に、事務所に閉じこもることにしよう。そして、小池知事の言いつけを死守しようと思う。私は思い込んだら一途の性格であり、今回の長丁場はコロナに負けるわけにはいかない。

1月5日の人間ドックの結果が自宅に届いた。一年前の前回と違うのは、血糖値が大幅に高くなっていたことだ。以前もそういうことがあったので、体質的にそうだと流すわけにはいかない。100年現役人生を目指しており、あと32年の現役人生が残っているのだ。

痛風と少し高めの高血圧が私の持病だが、これに糖尿病予備軍が加わった。こうしてどんどん持病が増加してくる。
今日、掛かりつけの藤田クリニック(南青山)で尿酸値と血圧を下げる薬に加えて、血液中の中性脂肪を低下させる薬が増えた。
この他に健康食品も2種類飲んでいる。元気な私ですらこうなのだ。これからも日本の医療費はどんどん増えていくだろう。

これから気をつけること
⑴野菜を多く食べること。
⑵補助食品として、野菜ジュースや青汁を飲むこと。
⑶カップ麺は極力食べないこと。
⑷早食いはしないこと。よく噛むこと。
⑸適度な運動を継続すること(ずっと続いているウォーキングを続けること)。

とにかく、あと32年弱の現役人生であり、52年弱のピンピンコロリ人生なのだ。そのために気合を入れて、健康に一層留意することだ。

小林 博重

失意泰然、得意淡然。笑顔が一番。

人は独りでは生きていくことができない。私は、24年前の44歳の時、組織の柵に耐えて生きることが自分の個性を潰してしまうと考えたこともあって、勤めていた銀行を飛び出した。ある意味でその組織の柵からは逃れたものの、特に、芸術家のように才能を持ち合わせていない普通の人間は、人の力を借りないと生きていくことができない。豊かな才能を持っている人間であったとしても独りでは生きていけないのだ。

一匹狼はある意味では気楽だが、しかし、緩やかなものであっても人の集団である組織の中に生きている。そして、今週はそのストレスをストレートに実感している。

緊急事態宣言で気分が滅入る。入っているアポがキャンセルされる。私は万全な防御でコロナ対策をしていると言っても、それは世間には通用しない。世間の人はそうでない人が必ずいるわけだから、相手の対応は当然のことだ。しかしストレスであることは間違いない。 それに加え、知覚過敏だと思い込んでいた歯が二つに割れていたことが歯痛の原因だと分かって、一層気分が落ち込んだ。

如何ともし難い緊急事態宣言というトラブル、私個人のビジネスの滞り、身体の変調等、悪いことは続く。

稲盛さんの仰る「苦労を磨き砂」にするという達観は、「言うは易く行うは難し」だと実感する。

「失意泰然、得意淡然」という言葉があったなとふと思う。

逆境の時は、落ち込まずゆったりと構えている。順境の時は驕らず淡々としている。

今の世の中も、私個人も今は逆境なのだから「落ち込まずゆったりと構えている」ことだ。

ビジネスパートナーに指摘された。
「団長はここのところ怒っている。怒っているといいことも逃げていく。冷静になってゆったりと、それでいて淡々と構えて仕事をすることが大切ではないか」と。 私のメンターに指摘されるようなことを言われた。

そうなんだ。いくら気心が知れた人に愚痴を言ったり悪態をついても、それは何の解決にもならない。周りを不愉快にさせるだけだ。それでは、運も逃げていくだろう。 また「親しき仲にも礼儀あり」という諺もある。

私の周りの人たちの多くは「私の笑顔がいい」と言ってくださる。そうなのだ。「笑顔が一番」なのだ。

逆境の時も順境の時も変わることなく、「笑顔が売り」の私でいることが幸せを呼び込むことになるのだ。

小林 博重

OUEN Company の構想

静かな3連休を過ごしている。外気温は低く、ウォーキングをする気にもならない。こんな時は、事務所でOUEN Company の構想を練るに限る。

今までは全くビジネスマインドなくビジネスマッチングをしてきた。行き当たりばったりという面もある。構想力を持ち合わせていなかったのだ。これではボランティアも永続していくことはできない。
ビジネスマインドを持って、交渉力を付けることだ。稲盛さんは「値決めは経営」と仰っている。この値決めはやはり人任せではいけない。一匹狼であればなおのこと、私自身が値決めに関わらなければならないのだ。それを人任せにすることと、本田宗一郎さんが言う「得手に帆あげて」とは似ているようで、本質的に全く違う。漸くこの歳になってやっとこの「経営の基本中の基本」の意味を理解したような気がする。

まずはホームページできちんと整理整頓しようと思う。これは机上の空論ではなく、私自身が日々活動してきた整理整頓だ。それを明確に、自分にも人さまにも示すことで、OUEN Company の意味を理解できて、そこに参加していただく企業の方々も納得していただけると思う。

OUEN Company は、OUEN Japanの理念を理解していただいて応援していただく企業の皆さんの集団だ。
それは
①OUEN Japan の協賛企業
②Mapの協力企業
③これから私とパートナーを組んでいただく企業
である。

その企業のビジネスマッチングやビジネスコラボレーションサポートをすることで、皆さんがウィンウィンになる。それを先導するのが、Map=小林博重である。

ホームページは2月にはリニューアルしたい。それまでに、もっとイメージを膨らませよう。
そして、もっと具体的に、カラーで示すことができるように詰めていこうと思う。

小林 博重

今年の最大の課題は「OUEN Companyを構築する」ことだ。

OUEN JapanはNPOであるが、ボランティアとビジネスの両面で運営していきたいと思う。
ホームページのアピールとしては、ボランティアはOUEN Japan(https://ouen-japan.jp)であり、ビジネスは小林博重個人のホームページ(https://ouen-dancho.jp)の1コーナーとしてのOUEN Companyと、その具体的事例としたい。

私は、平成20年に個人会社であるMapをビジネスとして立ち上げた。MapとOUEN Companyはビジネスとして重なるところがあるが、OUEN JapanのOUEN塾(ボランティア)に協賛していただいている企業の皆さんのビジネスサポートをOUEN Companyのビジネスとしたいと考えており、それをOUEN Companyに集約することとする。 勿論、それからはみ出したビジネスマッチングもあり、それはMapのビジネスとしたいと思う。

今までのMapビジネスはビジネスとは言えない、半ばボランティアのようなところがあったように感じている。私の性格からして、私をよく知る皆さんからは「小林はビジネスには向いていない。ボランティアが一番似合っている」と言われることが多い。それは自分も認めるところであるが、それではOUEN JapanもMapも全てボランティアになってしまい、ボランティアは拡がらないし、私自身の生計においても先細りになってしまう。それでは、私が天から与えられたミッションを果たすことができなくなってしまう。

私の人生のミッションは「地方創生」である。具体的には九州と石川だ。学生や企業のサポートを得て地方創生を図ることが私の人生のミッションだ。

残りの人生はあと52年、現役人生はあと32年と、その思いは強いものがあるが、現実には私の人生の長さは天のみぞ知るものである。私はいつ天に召されるのか、あまり悠長なことを言っているわけにはいかない。

今年はビジネスのベースであるOUEN Companyを不退転の決意で構築しなければならない。

OUEN Companyとは何か。
私のOUENJapan設立の主旨を理解して応援いただく企業である。

すなわち、今までのOUEN Japanの協賛企業であり、これから協賛いただく可能性がある企業である。どんどん、そのネットワークを拡大して、OUEN Companyのすべての構成員がハッピーになるようにする。

OUEN Companyの構成員が、その構成員のなかからビジネスマッチングやビジネスコラボレーションサポートを希望するようになるようなOUEN Companyを構築しようと思う。これを今年の最大の課題としよう。

そして、具体的事例はいくつかある。
一つずつ、形にしていきたい。

OUEN Companyの企業の皆さんが、OUENネットワークを活用したいと思っていただいて、その輪が「友だちの友だちは皆友だち」になり、すべての構成員がハッピーになることがビジネスとしてのOUEN Companyである。

小林 博重