blog

展望台から九十九島を望む。

iPhoneから送信

弓張岳展望台から佐世保市街と九十九島を望む。

iPhoneから送信

観光都市佐世保を認識する。

昨日、ANAで羽田を11時前に出発し、長崎に13時前に到着した。2時間の空の旅だ。乗客は8〜9割程度か。減便のせいもあるのだろう。

応援部の先輩の田口一信さんが空港まで迎えに来てくださった。田口さんは私とは入替の4年先輩だ。先輩をアッシー君にできるとは、東大応援部は何と素晴らしい集団なのだろう。ありがたいことだ。

いつもの長崎空港のレストランでお昼を取って佐世保市に向かう。私は長崎名物の長崎ちゃんぽんをいただく。長崎と言えばちゃんぽんだ。野菜もたっぷり入っている。

15時に朝永佐世保市長とのアポというので、その時刻に市役所に着くように、高速道路を途中で降りて佐世保に向かう。

田口さんは大の車好きなんだとか。17時間かけて何度も佐世保と東京を往復したとか。北海道で運転した時も地元の人に北海道生まれと間違えられたとか。ちょうど14時55分に佐世保市役所に到着した。 この道を通るとどれだけ時間がかかると身体に染みついているのだろう。やはり何事も「好きこそ物の上手なれ」だ。
逆に免許を取るのに、普通は27時間のところ、倍以上の60時間をかけて通った私のような運動神経全くなしの人間は、運転は興味がないし怖い。
昨今、高齢者の事故が問題になっているが、私のような運動神経音痴の人間は勿論のこと、できれば高齢者は運転免許証を返上すべきと思う。しかし田口さんのような車好きはどうしたものか。悩ましいことだ。

朝永市長とは佐世保市の地域活性化について意見交換した。地方創生のためには佐世保市のみを元気にしても限界がある。周りの自治体を巻き込んだ広域の施策を講じなければ、その効果は半減どころか箱物をつくるだけに終わってしまう。まずは足元を固めることだが、○○ファーストでは限界があるだろう。如何に民間とコラボレーションするかだ。

朝永市長との面会を終えて、田口さんは佐世保市が一望できる「弓張岳展望台」に連れて行ってくださった。標高は300m強。

佐世保は明治維新の頃は小さな漁村だったのだとか。ロシアや中国や朝鮮との地政学的観点から軍港ができて佐世保は発展した。だから、佐世保を一望できる弓張岳には民間人は登ることができなかったのだとか。 弓張岳展望台からは内海と外海が展望できる。内海は佐世保港、外海は九十九島だ。それは素晴らしい展望だった。

長崎県は長崎市のみならず佐世保市も素晴らしい観光地だ。その他雲山島原、五島列島、平戸島。対馬も長崎県だ。日本屈指の観光地なのだ。もっと内外を問わず数多くの人たちに長崎県に足を運んでもらいたい。そのためにも広く大村湾全体の開発が不可欠なのだ。

今日も田口さんのご案内で、佐世保市観光コンベンション協会の飯田理事長と波佐見市にある西海陶器の児玉社長を訪問する。

佐世保市、川棚町、波佐見町は、一体として、その魅力を日本のみならず世界にアピールすべきだ。OUEN Japanはその一助になりたいと思う。

小林 博重

有意注意と、忙中に意識して閑をつくること

先週は石川県出張のこともあり、昨日は久しぶりに2時間半のウォーキングをした。1週間ぶりだろうか。週に半分はウォーキングしたいと思っているが、忙しさに紛れてなかなか実行できていない。 今週も今日から土曜日は九州(佐世保〜長崎〜福岡〜北九州)出張だ。予定はビッシリ詰まっている。

私の生活はビジネスとプライベートが混在しており、ビジネス=プライベートのようなところがある。そのため、年中バタバタしている。 人脈づくりの鉄則の一つ「オンとオフを分けない」ことがあるが、それはその通りと思うが、何が何だか分からなくなってしまって、心が多忙を極めてしまうことがある。

「忙しい」の「忙」は「心を亡くす(こころをなくす)と書くように、忙しいと心が貧しくなってしまう。

先週は、新幹線の車内で金沢行きの乗車券と特急券を失くしてしまった。
いくらポケットを捜してもない。きっと、東京駅のプラットホームで落としたのかもしれないと捜すのを諦めた。富山駅に近づいた時トイレに行ったら「あっと驚く為五郎」、切符がトイレのテーブルの上に置いてあるではないか。 私は東京で乗車してすぐにトイレに行ったので、その時に落としたのだろう。その後、トイレに入った人が拾ってテーブルに置いておいてくださったのだろう。ホッとした。

昨日も、銀行の通帳が3冊見当たらない。失くした覚えはない。全く思い出せない。ATMで払い出したとき失くしたのだろうか。それでは3冊失くなることはない。どうしたものか。認知症の前触れなのか。 見当たらないのは通帳だけで、印鑑やキャッシュカードはある。いつか出てくるだろうと思ってウォーキングに出かけた。
ウォーキングから帰って念のため銀行の喪失センターに連絡した。

真夜中にうつらうつらして床に就いていると、古い通帳ばかりを入れている引き出しの中に、古い通帳に混じって失くした3冊の通帳らしきものが混じっている夢を見た。これは正夢ではないか。

目が覚めて、考えた。
どうしても失くした覚えはない。昨日、月末の入出金の整理をしている時に通帳を入れてあるケースから通帳を出した。どの通帳を出したか分からないが、その時、何かの拍子に古い通帳の引き出しに入れてしまったのかもしれない。それしか考えられない。

真夜中に起きて、事務所の古い通帳ばかり入れてある引き出しを捜してみた。
案の定、あるではないか。銀行の喪失センター全てに発見したことを連絡した。
どちらの銀行からも「①出てきた通帳と②届出印と③運転免許証等の顔写真が付いた身分証明ができる書類を持って銀行で発見手続きをするように」と言われた。

マスクは眼鏡同様、外出時は手放せないものになったが、自宅でマスクや眼鏡を捜すことが日常茶飯事になった。

この解決策だが、絶えず意を以て注意すること、「有意注意の徹底」だろう。
それと、私のビジネスは、いくつかの案件を同時並行して走らせているし、それを基本的に私ひとりで処理しているので、「忙中に意識して閑をつくること」だろう。

もうそろそろ、心を亡くす多忙からおさらばしたいものだ。

小林 博重

コスパが高い「Zoom MTG」

昨日は3つのZoom MTGがあった。

⑴赤門鉄声会(東大応援部OBOG会)の秋のホームカミングデイ
⑵OUENリーダー(金沢/石川)統括からの提案に対するアドバイス
⑶ビジネスパートナーとのOUEN Companyの具体的展開について

⑴赤門鉄声会ホームカミングデイ

コロナ禍で、春の東京六大学野球は相手校と1試合のみ、応援団なしで開催された。秋は通常に戻ったが、応援はバックネットで応援団のみの応援だ。 鉄声会総会も3密になるため開催できず、それではZoomでというので昨日の開催となったものだ。

オンラインであるがゆえのメリットもある。全国のみならず海外のOBOGも参加した。
総勢40名といつもの総会より参加者は少なかったが、記念講演や現役の活動報告、分科会や地域鉄声会、同好会報告と盛り沢山だった。

記念講演は、平成4年卒部の、中古住宅再生事業を展開している(株)カチタス代表取締役社長の新井健資さんだった。
新井さんは、三和銀行〜国会議員秘書〜コロンビア大学MBA〜リクルート〜カチタスと波乱万丈の人生を送ってきた51歳のバリバリ。請われて、(株)やすらぎ(カチタスの前身)に入社し、同社を東証1部上場まで持っていった。

経営理念は「戦略と気合」とか。その気合とはネバーギブアップ、決して諦めないことだが、これは応援部で培った精神なんだと。

応援団はともすればエセ右翼と思われているところがあるが、東大応援部は決してそうではない。
理不尽なこともないわけではないが、それは先輩が後からきちんとフォローしてくれる。その理不尽さに耐えることが気合=ネバーギブアップ精神を培ったのだろう。

東大応援部は昭和22年から連綿として続いているが、幹部の運営方針は一律ではない。時代によって変わる。新井さんの時代は「気合」が強くアピールされたのだろう。

一方、私の場合は「気合」というより、「応援道」というのか「応援の本質とは何か」という哲学的思考に走ったきらいがある。一般的な応援部の正道からは外れている。ちょっと変わり者だったということだ。

「応援とは心と心のキャッチボール」
「人を応援することは、その人から応援されること」

分かったような、よく分からない、禅問答のようだ。「応援は気合だ」というほうが応援らしい。

なぜに私はそのようなことを考えるようになったのかと言えば、昭和31年卒部の中島清成さん(元朝日新聞記者)の影響なのだと思う。 中島さんは、名物団長として小林桂樹主演の映画にもなった人だ。東大応援部の3Sスピリッツ(サービス、サクリファイス、スタディ)の生みの親だ。 私の個人会社Mapのフィロソフィーも3Sスピリッツであり、私はサービスを社会貢献、サクリファイスを活私奉公、スタディを人間修養と意訳している。

OUEN Japanも3Sスピリッツだが、それはサポート、ストレングス、サステインだ。
OUEN Japanは、日本人大学生・来日留学生たちが「世のため人のために尽くす」グローバル人財に成長するため、彼らを「支援し、力づけ、そして屈することなく応援し続ける」応援団である。

応援の本質を、私は「横からの目線」であると思っている。
☆相手を思いやる心、相手に寄り添う心
☆施すのではなく、尽くす心
☆宮沢賢治の「アメニモマケズ」の心。すなわち「行って○○する心」、行動することである。
☆縦の規律のなかに横の心(応援の心)を添える。
☆緩やかでありながら強固に結びつく。お互いが対等である。
☆肩組み合って夢を追い続ける。
☆大らかで牧歌的で自由闊達である。
それが「応援の心」だと思う。

そんなことを再確認した。

⑵OUENリーダー統括の砂原路万君からの提案

「お風呂カフェ」が金沢にあったらいいな。

金沢大学や金沢工業大学の学生仲間8名でいろいろ話し合っていると。自分たちが学んで住んでいる石川県を元気にしたいと思う。埼玉県で「お風呂カフェ」に行った時、こんなお風呂が金沢にもあったらいいなと思った。リラックスしていろいろなテーマについて自由闊達に語り合う場所がこんなところかなと思った。スーパー銭湯ではない「お風呂カフェ」だ。

団長、そんな、今は流行っていない銭湯が金沢にないですかね?
どこに相談したらいいでしょうか?石川県庁?金沢市役所?

ビジネスになることが大前提だな。それは民間でないと無理だと思う。発想豊かなビジネスセンスがある経営者でないと。

OUEN塾を絡めて、協賛会社やその若手社員を巻き込んで、地域活性化、地方創生を目指すことは面白い。フランチャイジーでは、いろいろ制約があるだろう等々。

若者たちが地方創生に関心を持ってくれたことが大きいし、嬉しい。その熱はすぐ仲間に伝播する。「友だちの友だちは皆友だち」だ。そんな仲間たちをどんどん増やすことだ。

OUEN Japanは学生たちにつながっている。企業で学生とつながっているところはほとんどないだろう。それはリクルートの観点でしか学生を見ていないからだ。もっと広く長く視野を持つべきだろう。

そうだ、OUEN Japanが学生たちと企業とをつなぐ蝶番になろう。
そしてOUEN Companyの絆を強くしよう。
それぞれのCompanyに喜ばれるOUEN Japanになりたいと思う。

いろいろな人にヒアリングしてみて、それからまた打ち合わせをしようということになった。

⑶ビジネスパートナー野本さんとのミーティング

⑴⑵を踏まえて、OUEN Companyのこれからの展開について打ち合わせをした。
目指す大きなビジョンがあって、具体的に足元を見つめて、行動を起こすことだ。
「横からの目線」の応援の心を持って考動することだ。

小林 博重

68年間に培った”評判”をベースに、”実りある”人生を送る 。

2泊3日の出張でも、出張明けは体調の調整や仕事の滞りの作業があり、通常への回復にはどうしても一日かかる。昨日の夕方になってようやく平常に戻った。

昨夜は早めの夕食を終え、7時前には床に就いた。孫たちよりも早い就寝だ。そんなに早く寝ると真夜中に目が覚め、深夜2時には目が冴えて、もう寝ていられない。 おかげさまで事務所は自宅から徒歩2分のところにある。始発電車は関係ない。2時に事務所に着き、ベランダの植木に水遣りし、パソコンを始動する。 昨日は気乗りしなかったメールの送信を数件発信し、今日のアポイントの準備をする。
5時に朝風呂にゆったり浸かり、心を落ち着ける。

来月で68歳になる。もう68歳なのかと思う。特に、一昨日まで石川県に出張し、その内2日は能登だったことがそんな気持ちにさせる。

七尾線で私の生まれた中能登町を通る。やはりふるさとは懐かしい。幼い頃を思い出す。「ふるさとに錦を飾ろう」と青雲の志に燃えていた。今の私は、往時の私が想っていた「身を立て名を挙げる」人生とは全く正反対の人生を送ってきた。

44歳、サラリーマンとしてエスカレーターに乗ることを潔しとせず、自分の能力も考えず、日本海の荒海に飛び込んだ。
甘ちゃんの私には疾風怒濤の世界が広がっていたが、七転八倒、紆余曲折の日々のなか、何とか24年が過ぎた。よく生きてきたものだと思う。

苦労人から見たら何でもない経験だと思うが「籠の鳥」だった私にとっては試練の連続だったのだ。だから、よく生きてきたなと思う。そして、私は運が良かったのだと思う。

68歳にもなれば、同期たちは悠々自適の生活を送っている。人生では白秋だ。玄冬の入り口にいる人も多いだろう。

しかし、私はそうであってはいけない。なぜこの世に生を享けたかを考えると、このままでは終わることができないと思う。
50代の時は、まだ身体の不調を感じることはなかったのだが、60代後半にもなるといろいろなところにガタが来だした。
気持ちはあと30年の現役とは思っているが、身体はそうではない。30年全力疾走する走り方は今までと同じで完走は覚束ない。それをよくよく考えなければならない。

ただ一つ、私が誇れること、自信を持って言うことができることがある。
それは”評判”と言うソフトだ。お金は全く貯まっていないが、”評判”だけは他の追随を許さないと自信を持って言うことができる。

坂本龍馬は言っている。
「金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然に集まってくるさ」

そうだと思う。それを私は証明しなければならないと思う。
今までは、お金を貯めることができないことを「私の生き方」であると居直っていたところがある。ボランティアをしているからとか、種を撒いている時期なのだからと。そんなことをしていたら、すぐ30年が経ってしまう。その前に、コロナか癌か脳卒中か心臓病かで、あっと言う間にあの世行きになるかもしれない。 「焦らず焦る」という真逆のことを成り立たせることだ。

67歳までは種まきの時期としよう。小林の評判は相当なものだ。それだけは実績として評価できる。
68歳からの32年間は、その評判をベースに”世のため人のため”に尽くし、その分お金を稼ぎ、天が私に求めている「ミッション」を果たすことだ。

私のミッションとは「地方創生」
具体的には、生まれ故郷の石川県、その中でも能登。
そして、九州。長崎から九州に拡げる。そのため、九州の兄貴分”福岡”の役割は極めて大きい。

本腰を入れて頑張ろう。私の足らず分をカバーしてくれる人たちは少なからずいるのだから、彼らの力を借りて。

小林 博重

帰りの北陸新幹線で思う。

金沢発16時47分の”かがやき”で東京に向かう。3時間弱で外苑前の自宅に戻ることができる。

小学校時代(昭和30年代後半)の小学年鑑には新幹線を”夢の超特急”と喧伝していた。中学生の修学旅行は首都圏だったが、米原から新幹線”こだま”に乗って熱海に降りたことを鮮明に覚えている。それほど幼い頃の新幹線は”夢の超特急”だった。それから半世紀以上が経つ。東京⇄金沢が2時間半で行き来できる。往時から比べて1/3に縮まった。夢は夢では終わらない。

私のビジネスは言わば「ついでビジネス」と言えようか。
「ついで」の話が先方には一番の意味のある話ということが間々ある。それゆえ、私がよく存じている先方の秘書の方は、私がアポイントを取る時「どんなご用事ですか」と聞かない人がほとんどだ。どんなアジェンダで訪問するか分からないからだ。これが、私ならではのビジネスのやり方になっている。

脳科学者の中野信子さんは「苦手なことを頑張るのではなく、得意なことを磨いていく」ことが必要だと仰っているが、これはその通りだと私の経験からも確信を持ってそのように思う。

苦手はそれをカバーしてくれる信頼できるパートナーが何とかしてくれる。人間は凸凹だから人を大切にするのだとつくづく思う。
その点、何でもできる天賦の才能を持った人はよっぽどの人格者でないと、鼻持ちならない人になってしまうのではないかと思う。
私は凸凹過ぎるから信頼できるパートナーを作ろうとするし、だから信頼できる友人が多いのだと納得している。

新幹線は平日ということもあって乗客は1/4程度か。しかし、加賀屋さんはGO to トラベルのおかげもあって来年1月まで満室なのだとか。流石、加賀屋‼︎素晴らしい❗️

加賀屋は旅館を経営しているが、それは”おもてなし”という日本にしかない素晴らしい”日本文化”を日本のみならず海外にも伝えていくミッションを持っているのだと。たまたまそれが旅館業というビジネスなんだとか。

その経営哲学は素晴らしい。サスティナブルな考え方だ。
だから30年以上に互り、日本一の旅館の位置を死守している。

私もそのような生き方哲学を持って生きていきたいと思う。

小林 博重

iPhoneから送信

オンとオフのバランスが大切だ。

今日は、金沢発7時40分の鈍行で七尾に向かう。スギヨを訪問。金沢にとんぼ返りして菱機工業を訪問。OUEN塾のお礼やこれからのOUEN塾へのご要望等の他、コロナ禍での経営課題のヒアリング等だ。
北陸経済連合会には、北陸電力から出向している、高校と大学の後輩である岩田さんを訪問して、OUEN塾とのコラボについてご相談する。そして、夕方の新幹線はくたかで東京に帰る。

今回、出張して実感するのは、オンラインの手軽さや便利さ。しかし、オフラインでしかできない人と人との深い交流だ。

わざわざお金と時間を掛けて石川県まで出向くことはないという考え方もあるが、対面でないと相手の思いが分からないこともある。オンラインでは、サラッと聞き流されることも、オフラインでは「それは面白いご提案ですね」と前向きな反応をいただくことは稀ではない。人間は感情の動物だから、それは当然なことだろう。如何にITやDXが進化したとしても、人と会うという人間の本質的な欲望は決してなくなることはないのだ。要はバランスだ。

人間、バランス感覚のある人が成長するものだが、ビジネスも同様だ(私のモットーは「年中無休、オンとオフを分けない」というものだが、私の場合、毎日がオンでありオフであるので、オンとオフがいつも混在している。理想的なバランスなのだ)。

昨夜は学生リーダーたちと、9月のオンラインOUEN塾の慰労会で盛り上がった。よく考えれば、彼らたちは私の孫の年代だ。現に私より若い彼らの祖父母がいらっしゃる。「本当に?」と、ちょっとショックだったが、私はそんな歳になってしまったのだ。

孫たちと、肩肘張らず自然体で、人生論を語り合う。若返るわけだ。
OUEN塾はボランティアだが、私が若返るために、学生リーダーたちは付き合ってくれている。学生たちに感謝だ。学生こそボランティアかもしれない。

学生リーダーたちとの交流を通して「謙虚と感謝」の大切さを思った。

小林 博重

能登に向かう”能登かがり火”に乗る。

特急能登かがり火1号(金沢発8:56〜七尾着9:48)にて七尾に向かう。
今日は、七尾の恵寿総合病院、のと共栄信用金庫、和倉温泉の加賀屋を訪問し、18時過ぎに金沢に戻る。19時から片町の居酒屋で、9月15〜16日に開催した、オンライン[OUEN塾金沢/石川]の慰労会に参加する。学生リーダーたちは13名が出席するとか。

能登はやさしや 土までも

日本海に突き出た能登半島には心優しい人たちが生活している。能登の人たちは皆、人が好い。

跡継ぎはあんか(長男)で、おじ(次男)やこっぱ(三男)は、都会に出る人が多い。都会はほぼ大阪や京都の関西地方(石川県は関西文化圏)に出ることが多い。彼らの職業は豆腐屋か風呂屋だったそうな。

能登の人の人の好さ。口達者な都会の人には騙される。能登の方言は都会の人には馬鹿にされる。だから話さない。話さなくてもできる仕事は豆腐屋か風呂屋だった。朝早くから起きて、夜遅くまで、コツコツ地道に精を出して働く。能登の人にはそれが一番相応しい(私もその血が流れている)。

私は卒業式で送る側が歌う「蛍の光」と、送られる側が歌う「仰げば尊し」に涙を流したものだ。

蛍の光窓の雪
書(ふみ)読む月日重ねつつ

身を立て名を挙げ
やよ勤めよ

能登から出て、立身出世をしなければと思った。

能登かがり火は、金沢〜羽咋〜七尾と1時間足らずで七尾に着く。私が生まれた「能登部」には止まらない。半世紀前を思い出す。私は1時間半を掛けて金沢の高校に通ったものだ。

能登に向かう列車に乗ると、いつも私はセンチメンタルな気分になる。ふるさとは懐かしく、しかし哀しいものだ。

金沢が生んだ詩人、室生犀星の詩を思い出す。

ふるさとはとおきにありておもうもの

小林 博重

日本海の海山の美味を堪能する。⑵