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ミッションを持って生きる意味

今日は彼岸明けだ。漸く朝晩のみならず日中も秋めいてきた。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。

早朝はいつものウォーキングをした。休みでも自宅から徒歩2分の事務所に出かけ、仕事をしたり読書をしたり。妻と2人の生活であり、お互い日々の活動には干渉しない。冷めた関係ではなく、これが私たち夫婦の行き着いたベストな関係なのだろうと思う。 私は私なりのミッションを持った仕事があり、妻も妻なりのやり甲斐のあることがあるのだろう。夫婦のあり方は100組100様だ。

数え70になった。早いものだ。この前、孫が誕生したと思ったが、あっと言う間に、小学3年、2年、幼稚園年長、年少と、孫たちの成長で、こちらも寄る年波を実感する。

心は未だ青年のままだが、身体はその青年のままには留まっていてはくれない。
しかし、精神年齢は晩生ではあるが、20歳の時より相当成長したと自負している。
歳を重ねる意味は、身体の老化と同時に精神の成長を伴うものだ。身体の老化に比して精神の成長が幾何級数的に伸びることが、真の成長と言える。馬齢を重ねるだけでは動物と同じだ。

孫たちには2年以上会っていない。しかし、定期的に子どもたちが、妻に孫たちの動画を送ってきてくれるので、全く2年も会っていない感覚はない。 その他にも、私には仕事という道楽があるから全く寂しいとは思っわない。こんなところにも仕事の意義がある。

同年代の連中は悠々人生を送っている人たちが殆どだが、私は現役人生バリバリである。

「人生二毛作」
70年の前半人生に区切りをつけ、これからは後半人生のスタート。今は後半人生の0歳だ。
悠々人生は100歳からと思っているが、それは次の世に譲って、今の世ではずっと現役でもいいと思う。

「仕事の最中に倒れること、これこそ正常な老人の正しい経過であり、およそ人生の最も望ましい終結である」
とヒルティは言っている。
そう思うと先行きが明るくなる。何事も考えようだ。

明日も元気で頑張ろうと思う。

小林 博重

災い転じて福となす

月1回、土曜日に近くのかかりつけ医である藤田クリニックに受診している。ちょうど今日はその日だった。

基礎疾患は14種あり、私が該当するのは、
①心臓病(高血圧含む)
②糖尿病
くらいだ。
①も②も、4月からの食事療法と毎日のウォーキングによってほぼ完璧なまでに改善している。

その他、30代後半からの持病である、
③痛風
④中性脂肪過多
だが、これも禁酒をはじめとして暴飲暴食を慎めば、改善することは間違いない。

とにかく、あと50年は元気で仕事をすることに決めたのだから、意志堅固を貫き、目的を貫徹しなければならない。

藤田先生は、「そろそろ糖尿病は卒業ですかね」と血液検査のために採血した。朝食を摂ったのだが検査に問題はないらしい。

古稀を迎え、人生の春夏に区切りをつける「生前葬」と秋冬のスタートの「出陣式」を来年6月に予定している。

「災い転じて福となす」の諺を地でいこうと思う。コロナを疫病神から福の神に転じさせることで、人生は先が明るくなる。コロナを磨き砂にすることだ。

私のミッションである九州の地域創生は、長崎IRの尻拭いから地元中心の「草の根運動」にアウフヘーベンさせようと思う。

緊急事態宣言は今月末には解除されるようだ。感染防止対策は怠りなくしなければならないが、これから足腰を据えた「草の根運動」を始めよう。

あいだみつをさんと稲盛和夫さんの日めくりカレンダーは好対照で、いずれも心に響く。

あいだみつをさん

「ぐち」
ぐちをこぼしたっていいがな
弱音を吐いたっていいがな
人間だもの
たまには涙をみせたっていいがな
生きているんだもの

稲盛和夫さん
「強烈な願望を心に抱く」
願望を成就させるためには、並に思ったのではダメだ。生半可なレベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思い続け、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、切れば血の代わりに「思い」が流れるほどまでにひたむきに、強く一筋に思うこと。そのことが、物事を成就させる原動力となる。

「自らを追い込む」
困難な状況に遭遇しても、決してそこから逃げてはいけません。追い込まれ、もがき苦しんでいる中で、「何としても」という切迫感があると、ふだん見過ごしていた現象にもハッと気づき、解決の糸口がみつけられるものです。火事場の馬鹿力という言葉があるように、切羽詰まった状況の中で、真摯な態度でものごとにぶつかっていくことによって、人はふだんでは考えられないような力を発揮することができます。人間はえてして易きに流れてしまいがちですが、常にこれ以上後に引けないという精神状態に自らを追い込んでいくことによって、自分でも驚くような成果を生み出すことができるのです。

小林 博重

有言実行で夢を追いかける。

独立自尊の精神を持ち、一人で立つことができる力を身につけなければ幸せになることができない。
しかし、一人でできることは限られている。そして、一人はさびしい。

だから、自分の心をできるだけオープンにして、足らずを埋めてもらう信頼ができる人たちを仲間にして、一人ではできないことをみんなの力を結集して成し遂げる。

21世紀は個の時代だ。そして、それは「価値観」の時代だ。SNSが個の力を大きくした。
その代表的な例が、スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンデリさんだ。彼女は未成年だが、彼女の環境に関する価値観を誰よりも熱い心でもって世界に訴えたことで世界は動いた。 もう20世紀の「大きいことはいいことだ」の時代は終わったのだ。

私はしがない一匹狼ではあるが、一人であって一人ではない。多くの人たちが私の周りに集まってきてくれる。それは、曲がりなりにも、私なりの「生きる価値観」「生き方哲学」を持っているからだと自負している。 そして、私の凸凹な能力の凹んだところを、隠すことなくそのままオープンにしている。だから、その凹んだところを埋めてやろうと思う心温かい人たちが埋めてくれるのだ。 その代わり、私の尖ったところ(誰にも負けないところ)に一層磨きをかけて、相手の凹んだところを埋めようと努力する。

21世紀は個の時代であるが、一人ぽっちの個ではなく、揺るぎない価値観を持った個同士が集まってチームワークよろしく肩組み合って夢を追いかける「力のある個の集まりの時代」なのだ。

SDGs「Sustainable Development Goals」(17の持続可能な開発目標)を考える。

①貧困をなくそう
②飢餓をなくそう
③すべての人に健康と福祉を
④質の高い教育をみんなに
⑤ジェンダー平等を実現しよう
⑥安全な水とトイレを世界中に
⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに
⑧働きがいも経済成長も
⑨産業と技術革新の基盤をつくろう
⑩人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさを守ろう
16.平和と公平をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう

OUEN Japan のミッションは、①学生たちの応援と、②学生たちを応援してくれる企業の皆さんの応援と、③学生たちと企業の皆さんと共に力を合わせて、私たちが住み働く地域を創生することだ。

17のSDGsの目標を少しでも達成したいと思う。
まず思うことだ。思っていれば、それはだんだんと本物になってくる。心から達成したいと思うようになってくる。
言葉に出すこと、有言実行だ。言葉に出して、それを実行する。

私は弱い人間だから、私には無言実行はできない。

小林 博重

iPhoneから送信

小粒でもピリッと辛い山椒を目指す。

昨日の1時起きはいくら何でも早すぎた。もう5時になったら仕事も落ち着いたので早々に帰宅の途に着いた。と言っても徒歩2分もすれば自宅だが。

21世紀の働き方として私のような職住接近のそれは理想の働き方ではないか。自宅=職場ではないし、東京のど真ん中に働いていても満員電車に詰め込まれて職場に通うわけでもない。

コロナ禍で社会ではテレワークをはじめとした新しい働き方が喧伝されているが、図らずも私はその先頭を走っていると思う。これも青山に住んでいた一人娘の妻と結婚したおかげであり、この点でも妻に感謝しなければならない。松下幸之助さんではないが「私は運がいい」と思う。 そのおかげもあって、毎日のウォーキングは花のお江戸のど真ん中でもひときわ緑豊かな観光地を散策している。

6時前に夕食を摂り、7時には床に就いた。小学校低学年や幼稚園の孫たちより早い。どんどん幼稚化しているのか。
今朝は4時過ぎまで眠ることができて、すこぶる身体は快調だ。少しパソコンを見て、4時50分には事務所を出た。
今日は明治神宮コースにした。夏は5時開門だが、夜明けが遅くなったせいで5時20分に延びた。5時18分に表門に着いたので少し待ってお詣りしたが、若い人たちが10人足らず先にお詣りしていた。 私同様、ウォーキングなのだろう。

明治神宮〜(明治通り)〜代々木〜新宿〜(靖國通り)〜富久町〜曙橋〜防衛省前〜市ヶ谷駅〜靖國神社〜千鳥ヶ淵緑道〜半蔵門〜三宅坂〜(青山通り)〜赤坂見附〜青山〜外苑前

4時半から7時半前まで、約3時間弱。約2万歩強。いい運動だ。

昨日はLANの垣添さん、石川さん、川村さんが事務所に見えた。何かOUEN Japan とビジネスができないかとの思いでの来所だ。

OUEN Japan のミッションである『地域創生』でのコラボが考えられないか。
今取りかかっているOUEN DANCHOのホームページの話とか、能登の七尾の街づくりのサポート、九州北部の地域創生の取り組みについてお話しした。

垣添さんは、「七尾市の街づくり」がなかなか印象的だとの感想をお持ちになったようだ。このプランは画家の梅野亮さんが20年来温めていた「ブロードウェイ構想」だ。

のと共栄信金の鈴木理事長にプレゼンの時間をいただこうと考えており、そのプレゼン資料はankにお願いしている。
そんなこともあり、LANの川村さんをankの榎森さんにご紹介した。

一つの想いが伝染して、多くの仲間たちの得意技が集まってコラボレーションする。
21世紀のビジネスは、山本直純さんが登場していた「森永エールチョコレートのコマーシャル」のような”大きいことはいいこと”ではなく、”小粒でもピリッとした山椒のような”他との差別化ができている、ハートが温かい仲間たちが集まり、肩組み合って夢に向かって走っていく、そんな躍動的な人間集団がつくっていくのではないかと思う。

私の立ち位置はOUEN DANCHOとして、温かい仲間たちの蝶番になることだ。

小林 博重

朝の明治神宮(参宮橋から月を観る)

明治神宮参宮橋から表参道を望む

明治神宮境内

明治神宮参道

明治神宮代々木門

活私奉公の応援人生

真夜中の1時。目覚めて眠れない。私の周りに起きた理不尽なことで目が冴えて眠れないのだ。
メンターは言う。「そんな時は起きて仕事をしなさい」と。確かに、それがストレスを溜めない最善の方法だろう。

世の中には理不尽なことが多々ある。そして、その事象に私も関わったがために、こちらも巻き添えを喰らってしまう。しかし、そんな愚痴を言っても事態は改善しない。自分が撒いた種の部分もあるのだから、少しでもいい方向になるように努力することなのだろう。

「敬天愛人」
「無私利他」
「忘己利他」(もうこりた)

私が目指す「応援人生」だ。
私にとって応援は人生哲学であり、経営哲学だ。人生を生きる真っ直ぐな揺るぎない一本の芯棒だ。
しかし、そのような「己を無にして、人に尽くす」ことはまだまだ私にはハードルが高い。Sacrifice(自己犠牲、生贄(いけにえ)はちょっと自虐的だ。 まずは、活私奉公(己を活かして人に尽くすこと)で、忘己利他の境地の入り口まで到達することだ。

応援は「援けに応える」ことだ。私を信じたために困っている人がいるのなら、それは私のせいだと思って最大限のことをしなければならない。「応援哲学」は、利他の精神の入り口なのだ。私は、そんな「応援人生」を生き抜くことを決めたのだ。

私の「応援人生」の柱は「地域創生」だ。ふるさと石川(能登、加賀、金沢)と第2のふるさと九州北部(福岡、佐賀、長崎)の地域創生だ。これをぶらしてはいけない。OUEN Japanのミッションは『地域創生』なのだ。

来月には、OUEN DANCHOのホームページが完成するだろう。「OUEN塾」と「OUEN Company」。そして、その先に『地域創生』がある。

今年中に私の夏の締めくくりをする。その儀式は来年6月の「生前葬」だ。
そして、来年は私の秋のスタートの年になる。その儀式が同じく6月の「出陣式」だ。
ちょうど全てはタイミングがいい。Good timing!、私は運がいいと思う。

まもなく、4時半になる。これから早朝ウォーキングだ。
外苑前→(青山通り)→三宅坂→半蔵門→千鳥ヶ淵緑道→(靖國通り)→靖國神社→市ヶ谷駅→防衛省前→富久町→(外苑西通り)→四ツ谷→国立競技場前→外苑前

爽やかな1日にしたいものだ。

小林 博重

「天職」について考える。

ウォーキングしながら「天職」について考える。

・「天職」とは、天が与えた、その人にぴったりあった、天性に最も合った職業
・やりがいを感じ、意欲的に取り組め、たとえ貰えるお金が少なかったとしても続けたいと思える職業

幼い頃は政治家を志望した。大学の時は官僚になろうと思った。銀行員になった時思ったことは、「高い志を持った経営者の想いを実現するために、人間の血液とも言える資金を供給する」銀行家になりたいと思った。しかしながら、現実には、組織の中で高い志の銀行家になることは、私の力量では不可能との思いが沸沸と湧いてきて、44歳6ヶ月で退職するに至った。

それで天職を探すために転々としたわけではない。そんなかっこいい人生は送っていない。
「生活をするために働く」という現実に追われて彷徨う日々の連続だった。そういう中にも心の底で「私にとって何が天職なのか」を求め続けて生きてきたということだ。

還暦を過ぎ、今年は数え70歳の古稀を迎えた。馬齢を重ねて70年を生きてきたというところか。

成り行きで、個人会社とNPOを立ち上げた。大望があってのことではない。サラリーマンとおさらばして、一匹狼で生きていこうと思った。そう生きるしか生きる術がなかったというのが偽らざる事実である。

それまでのいろいろな人たちからの教えを反芻しながら、七転八倒しながら生きてきて、嘘偽りなく自分を見つめ直すと、結構突っ張って生きてきた自分を発見した。

人間、自分をよく見せようととの思いがどこかにある。これが手かせ足かせになって、今ひとつ素直に自分を表現できないでいたのだろう。
そのまま生きるほうが気楽でいい。素で生きることだ。そうすれば、相手も素直に接してくれる。私はオールラウンダーではない凸凹な人間なのだから、突っ張ったって人はすぐそれを見抜いて心の底から信用してくれない。 凹んだところを包み隠さずそのまま表現することで、それは気楽でストレスはなくなり、相手もこちらの懐に入ってきてくれることに気がついた。
組織内で生きる時にはどうしても人間関係は上下関係がつきものだが、人間は人間、皆平等だ。一匹狼になったのだから、全ての人と対等な関係で付き合うことにしよう。偉い偉くないは関係ない。それは生きるための役割に過ぎない。そう思ったら、誰とでも物怖じせずに付き合うことができるようになった。大会社の社長でも偉い顔をした政治家でも、そんなことは私には何の関係もない。

自分の天職は何か。
その天職はいつ頃見つけることができるのか。
それは人さまざまだろう。たとえば、天才は幼少期かもしれない。ピアニストの辻井伸行さんや将棋棋士の藤井聡太さんなどの天才は幼くして天職を見つけたと言えるだろう。我々 凡人が20代で天職を見つけることは至難の業なのではないか。

私は人生120歳と設計している凡人だが、古稀の年齢は私にとって、42.195kmのマラソンで例えれば、まだ25km地点だ。人生100年としてもまだ30km地点になる。 ラストスパートにはまだ早い。しかし、いつくたばるかもしれない。一層健康に留意することだ。

いずれにしても、人生100年時代は古稀に天職を見つけることは決して遅くはないのだ。

私の天職は、OUEN Japanで、若者と企業の皆さんと力を合わせて地域創生をサポートする応援団長になることだ。

応援は黒子。黒子に徹すること。決して主役になってはいけない。そのことを忘れて欲を掻くと、晩節を汚すことになる。せっかく築き上げてきた「人格」を貶めることになるのだ。 「汝自身を知れ」ということだ。

小林 博重

爽やかな秋の一日、心身のリフレッシュをする。

台風一過、今日は湿度も40%前後、爽やかな秋晴れの一日だった。今週はこのような秋晴れが続くようだ。毎朝のウォーキングが楽しみだ。

今日は月1回の整体の日だ。外苑前から八丁堀のエビサン整体院まではウォーキングで1時間。しかし、今朝は2時間ウォーキングで汗を流したので、これ以上のウォーキングは止めにした。 「何事も過ぎたるは及ばざる如し」だ。

整体院で下半身のみならず、持病の一つが五十肩であり、そのため上半身もズレを修正してもらった。すこぶる調子が良くなった。身体が軽くなったような気がする。

古稀にもなると身体の至るところにガタが来ていることを実感する。食事療法と適度な運動、および、歯を含む肉体のズレの調整は、ここのところ、意を以って注意している。
あと30年は現役を続けたいし、そのあと20年は悠々人生で余生を送りたいと思うからだ。ほんとのところは、余生なしに、50年走り続け、ピンピンコロリと次の世に旅立ちたいというのが理想なのだが。

整体を終えて、日本橋丸善で「名刺ファイル」2冊と来年の「週間ダイヤリー」他、文房具を買う。
今日は事務所に帰って名刺の整理だ。
石川県と九州北部(福岡県、佐賀県、長崎県)の名刺。整理した。
それぞれを2冊に分けて、50音順に整理する。整理すると、これからのアプローチ先が見えてくるし、何よりも気合が入る。

地域創生のスタートは、
①石川県(特に能登)と
②九州北部(特に福岡県)だ。
これから、そのスタートを切るのだ。

買い求めた本は三笠書房の「知的生きかた文庫」の2冊だ。
①渋沢栄一、うまくいく人の考え方
②超訳「人生巧者」はみな孔子に学ぶ

渋沢栄一はNHK大河ドラマ「青天を衝け」で注目されているが、渋沢栄一の考え方は、これからのSDGsの時代にフィットした先進的なものだ。

渋沢栄一は、1世紀以上も前に「論語と算盤」の『人生=経営哲学』を唱え、実践し、日本を世界に伍す先進国にまで持っていった「日本資本主義の父」である。 その先見性は素晴らしいの一言に尽きる。

優れた先人から学び、私の器量を知り、得手を磨いて、世のため人のために尽くそうと思う。

小林 博重

田島直忠さんのアドバイス

昨日、松井建設の田島直忠さんが事務所にいらした。田島さんは安田信託銀行時代の1年後輩、学習院大学卒。
がらっぱちの私とは真反対の、品がいい、誠実な、実に好人物だ。私は銀行時代から存じていたが、寧ろ銀行を退職してから親しくなった。職場の繋がりでないこのような関係が、長続きして、真の友情を育んでいくのだろう。

特にこれはと言った話題があったわけではないが、最近の私の活動状況をお知らせして、田島さんなりのご意見を拝聴しアドバイスをいただきたいと思ってお会いしたものだ。

私のホームページをリニューアルするが、①OUEN DANCHO(小林博重個人)のそれをコアにして、私のミッションを果たす具体的活動が、②OUEN Japan(OUEN塾)と③OUEN Company(ビジネスマッチング、ビジネスコラボレーションサポート)になる。 そして、①②③が力を合わせて、④地域創生をサポートする。

④地域創生は、まずは能登をはじめとした石川県であり、九州北部の福岡県と佐賀県と長崎県だ。

田島さんにこの地域創生サポートのお話しをしたところ、「能登・七尾の街づくり(ブロードウェイ構想)はなかなか面白い」とのご評価をいただいた。

地方自治体や金融機関、地元企業の賛同と協力を得ると言うハードルはあるが、ブロードウェイ構想は日本ではじめての街づくりの提案であり、これをモデルケースにすることで全国展開ができるのではないかと。

また、九州北部についても福岡市をコアにして、OUEN Japanのミッションである「小林流の地域創生サポート」のベースづくりを地道にすることではないかと。

いいアドバイスをいただいたと思う。素直な心でいろいろな方々のお話しを聴くと、構想に厚みが出てくるし、問題点も浮き彫りになってくる。松下幸之助さんが仰る「素直な心が経営の成功には一番」という意味がよく分かる。

オールラウンダーではない私は、このように、多くの信頼がおける皆さんのアドバイスをいただいて夢に向かって走っていくことで、夢の実現を果たすことができるのだ。

小林 博重

太田秀和さんと応援談義をする。

昨日、太田秀和さんが事務所にいらした。太田さんは慶應義塾大学応援指導部卒部の応援団同期だ。OUEN Japanの年末の望年会は常連だ。来年6月の私の生前葬も喜んで参列すると。お互い気が合うのだろう。

彼は南青山に住んでいることもあり、時々直前に電話して事務所に来る。お互いの近況の話が多いが、いつも話題になるのは「応援談義」だ。

太田さんは、西武グルーに入社し、コクドや西武ライオンズ(社長)やプリンスホテル等を経て、今は学校法人西武学園(5つの幼稚園を運営している)の理事長をしている。理事長就任からもう10年になるとかで、孫のような幼稚園児と接するのは、人好きな彼には一番合っている。

太田さんはバランスが取れた慶應ボーイだが、慶應は大学からだ。現役の時は北の大地に憧れて北大を目指した。馬術部に入りたかったらしい。一浪して慶應に入り応援指導部に入部した。私より1才歳上。今月満70歳になったのだとか。
彼も応援の真髄は「人を喜ばせる利他の心」だと言う。そして、西武グループに入って、人を喜ばせるサービス業に携わったことは大学の応援の延長であり、この選択は間違っていなかったと。

仕事は須く、人を喜ばせることで報酬をいただくものであり、特にサービス業は、直接、人の喜ぶ笑顔を見ることができるものだ。その点では一番、人の喜びを感じることができる。 太田さんも私も人が大好きで、人と直接接するサービス業は一番合っていると思う。

港区は満70歳になると、港区を周遊するバスの無料パスや銭湯の無料入場券を貰えるらしい。
昨日は、南青山にある清水湯で入浴して私の事務所に来たのだとか。老人ばかりと思ったが若者が多く入っていてびっくりしたと。東京はサラリーマンばかりいるわけではない。夕方から仕事をするような若者が入っているのか。

お互い神宮球場は歩いていくことができる南青山に住んでいる。今度は、一緒に東京六大学野球応援に行こうと言うことになった。

私のような一匹狼で老後を送る人生もあれば、太田さんのようなサラリーマンを勤め上げて、70歳過ぎても仕事のお呼びがかかる人生もある。 どちらにしても、『応援』というキーワードでつながっている。人生は楽しからずや。

小林 博重

『能登・七尾の街づくり』のスタートを切る。

昨日は梅野亮さんと同行して大阪のankに出向いた。「能登の七尾の地域創生(賑わいのある街づくり)」に関しての初めての打ち合わせだ。 東京駅で8時半の待ち合わせだったが、梅野さんも私もせっかちな性格なのだろう。待ち合わせ1時間前の7時半には二人とも待ち合わせ場所に着いていた。
そして、予定よりも1時間前の「ひかり」に乗車した(私は「大人の休日倶楽部」の会員であり乗車・特急料金は3割引きだが、この切符だと「のぞみ」には乗車できないからだ)。

ankに11時過ぎに着き、午前と午後をかけてじっくりとディスカスすることができた。対面での打ち合わせはZOOMではできない奥深いところまで話ができる。対面があってのオンラインだ。

方向性はほぼ決まり、次の段階は七尾に出向き、のと共栄信金の鈴木理事長と金沢の浦建築研究所の浦社長へのプレゼンになる。
漸く、七尾のみならず能登の地域創生サポートのスタート台に立った。長丁場になるが、私のふるさとのために不退転の決意を持って頑張ろうと思う。 そして、七尾の街づくりがこれからの地域創生のモデルケースになることを夢見ている。
10月中にはプレゼン内容を固めて、11月には七尾と金沢に出張したいと思う。

その後、京都で写真家の齊藤文護さんにお目にかかり、これからのOUEN Japanの取り組みをお話しした。能登の地域創生の他、私の生前葬の撮影もお願いする。これから長いお付き合いになるだろう。

力強い味方がどんどん増えてくる。ありがたいことだ。

小林 博重