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日帰りの札幌出張③

コロナ蔓延防止等重点措置の期間とは言え、その趣旨を理解して万全の対策をした上でビジネスをすることだ。その期間だからと言って、折角アポを取ったチャンスを自分から断る人がいる。その中の一部には、コロナを言い訳に使って、仕事をしない人がいるのではないか(大企業は一つのルールを引いていると思われ、致し方ないところはあるが)。

今回の日帰りの札幌出張は、初対面はリアルに限る、Webでは殆ど意味がないことを身を持ってもって強く感じた。
その意味は、話の派生による雑談がお互いの人間性を理解し合うことで、スムーズなビジネスの展開が進展するものだということだ。

それと、ビジネスには大義が不可欠だということ。大義を高く掲げることで、それが旗印となって人はついてくる。また、自らの意志も有言実行で堅固になる。
さらに、大義の達成が難儀であればあるほど、あえて大義を高く掲げることだ。さすれば、意志はますます堅固になり、それによって誰にも負けない努力をするようになるものだ。

自分の何気ない前向きの行動が自分でも思いもよらない展開になることがある。その努力は成功の確率を否が応でも高めることになる。

人生は正直なものだ。その人の努力を決して裏切らない。

小林 博重

日帰りの札幌出張②

久しぶりに北海道に行く。日帰り出張だが、心は旅行気分だ。銀行時代の地方勤務は神戸4年と札幌2年だが、なぜか札幌時代が深く印象に残っている。

札幌時代は、子どもたちが小中学生だったこともあり、北海道の至るところを観光で訪れた(神戸時代は、妻は3人の子の子育てにかかりっきりで、どこも旅行をしなかった)。

北海道は梅雨がないこと。杉の植林が少なく花粉症が発症しなかったこと。私は冬は苦手だが、北海道の春夏秋は自然豊かでまさに「でっかいどう北海道」そのまま。そのまま北海道に住みたいものだとマンション購入を本気で考えたこともある。
特に社宅があった真駒内は大通りにも南北線一本で近く、自然の中に住んでいる気分だった。まだ、バブルの最中だったこともあり、ほとんど毎日、夜はすすきので美酒と美食に舌鼓を打った。忘れられない楽しい思い出だ。

今日は、JRで新千歳から札幌まで。地下鉄サッポロから一駅乗って大通りへ。道銀ビルのアビタシオン北海道を訪問する。その後のメディカルシステムネットワーク訪問はコロナのため、キャンセルになった。

アビタシオンは福岡本社の介護施設運営会社だ。関東や北海道にも積極的に進出している。さらに中国への海外展開も視野に入れているアグレッシブな会社だ。日本のみならず中国も高齢化社会に突入しているから介護施設のニーズは高い。

同社の大原会長は東大の後輩で、福岡のOUEN塾では協賛会社になっていただいているOUEN Companyの1社だ。
今回は、大原会長に北海道支店をご紹介いただいての訪問だ。

羽田→新千歳は搭乗時間が1時間17分。羽田→福岡より30分以上短い。距離は同じくらいと思うが、この差は気流のせいか。

人生も同じだ。宇宙の大流に如何に乗って生きるか。宇宙の大流には「全て善かれかし」という宇宙の意思がある。その大流に逆らうことは人の道に外れることでもあるだろう。宇宙の大流は人生の王道を歩くことでもある。

そんなことを機内で考えていると、あっという間に新千歳空港に到着だ。

小林 博重

日帰りの札幌出張

20時に就寝、3時に起床。日々8時間の睡眠が理想な日常生活のベースになっている。
今朝は2時半頃目が覚めた。額に手を当てて、体温が正常であることを確認し、ホッとした気持ちで事務所に出かけた。
これがコロナ禍の最近の私の朝の行事になっている。

しかし、世の中、なかなか、思ったようにはいかない。20時以降まで起きていたり、3時前に目が覚めてしまったりしてしまう。世の中はそんなものだと思わないと、そんな感性的悩みがストレスになって心身の体調が狂ってしまうことになる。 人間、真面目一辺倒だと生きづらい。ちょっとアバウトなところがあるのがいい。
私は最近になってようやくこの両面が身についてきたようで、これが第二の生が「下駄を履いて」スタートしたということだろう。

ありがたいことに、私の周りには多くの人たちがいらしてくださる。その人たちは、玉石混交ということか、玉もあれば石もある。

その見分けは一度会っただけで100%分かれば苦労はしないのだが、そうは問屋が卸さない。
慎重居士であれば、ちょっと胡散臭い人と思ったら深入りはしないで遠ざけるのだろうが、私はそれができるような性格ではない。
それが性悪な人に騙されてしまうことにもなっているのだが、私のような愚者でも「経験から学ぶ」ことは多く、少しずつ成長してきたように感じている。

人間は性善だが性弱な動物だから、ウイルスのバリアを構築する努力をしない人はその性が弱いため、ウイルスに侵されてしまう。そのような人との距離を取ること(コロナでいえばマスクや手洗いを欠かさないこと)で、ウイルスを避けることができる。私ももっとバリアを構築する努力をしなければいけないと思う。

それには、素直な心で真実を見つめることだ。そして、恕と慈愛の心で相手と付き合うことだ。人さまのおかげで今の自分があると感謝の心を持つことだ。自分は大したものではないと人さまのおかげで生きているのだと思うと自ずと謙虚な心になる。

そして、相手との相応しい距離感を決めて、それなりに付き合うことだ。それでも騙されることがあるかもしれないが、それは人を見る目が今一だったのだ、まだ修行が足りなかったと思うことだ。それは相手を恨むことではなく、自分の至らなさのせいだと自責の心を持つことだ。

穏やかに、心静かに、ちょっと一呼吸置いて、言葉を発することだ。

今日は、日帰りの札幌出張だ。
冬の札幌は何年ぶりだろうか。10年以上かもしれない。いや、銀行の札幌勤務は40歳前半だったからもう30年近く前かもしれない。

12月に札幌勤務を命ぜられた雪の札幌。妻が運転して行った夏の道北と道南の家族旅行。東京転勤が決まって、タクシーで周った雪の道東旅行。 私は法人営業課長をしていたので、定期的に全道の信用金庫を訪問していた。北海道旅行をしているようなものだった。
家族旅行は私の旅の行き先の紹介でもあった。遠い昔のことだ。

小林 博重

安藤裕美さんに『出陣式』の司会をお願いする。

昨夕、安藤裕美さん(日欧フーズ副社長)に事務所に来ていただいて、6月4日午後(13時〜16時)に行なう私の第二の生の「出陣式」について、司会をお引き受けいただきたい旨お願いをした。そして、即、裕美ちゃんから快諾のご返事をいただいた。あとは、3月にはコロナ第六波が落ち着き、生前葬と出陣式の打ち合わせ、準備活動が順調に進み、4月にご参列をしていただきたい方々にご案内を出すことができることを願うばかりだ。

また、3月には裕美ちゃんとYouTube用の対談をしたいとのお願いもした。こちらのほうも快諾いただいた。

対談のテーマは、
①彼女との出会い
②安藤明さん(裕美ちゃんのお祖父さん、昭和天皇とマッカーサーの会談の影の仕掛け人)のこと
③同じく私淑している稲盛和夫さんのこと
④生きるとは、働くとは、人間にとって幸せとは何か等々、二人の人生哲学について
彼女と話す話題は尽きない。

彼女とは親子ほど年齢は違う。私の三男より1歳歳下の女性だ。
私に娘はいない。彼女は、私の可愛い愛娘だ。そんな娘と、人生の話をする。生きる意味について話をする。何と私は幸せな人間だろうと思う。

やはり、人生のスタートには心が通じ合っている愛娘に司会をお願いしたいと思う。

✴︎安藤明さんのことを書いた本はいくつかある。
その中でも詳しいのは「昭和の快男児、日本を救った男、安藤明」(古川圭吾編、中山正男著、講談社出版サービスセンター)

その帯には、

半世紀余の時を超えて、歴史の封印が解かれた終戦秘史!

敗戦日本ヲ救エ!
終戦直後、焼け野原の東京・築地に「大安クラブ」が誕生した。多数の美女たちが雇われ、GHQ高官相手に接待攻勢が繰り広げられた。 酒、女、破格の贈り物・・・・・私財を投げ打って、この昭和「鹿鳴館」を開設した男の名を安藤明という。その目的はただ一つ。

天皇制護持ー。

歴史の彼方に消え去った快男児の生涯が甦る。

小林 博重

慈とは何か。

蔓延防止重点措置期間は雌伏の時と思い、解除後のビジネス展開の準備期間と前向きに捉えることだ。身に降りかかる全てのことはいいことでも悪いことでも全てを磨き砂と考えることで、人生は明るく幸せで豊かなものになる。

今週は札幌、再来週は富山の出張があり、コロナ感染防止対策を万全にして出張することにする。
来週の長崎・福岡と京都の出張はキャンセルになった。これからの出張のアポは2月中旬以降に入れることにする。

昨日は南麻布了聞にて、馬形さんと小野里さんと、6月4日に執り行う生前葬と出陣式について打ち合わせをした。
まだまだ先だと思っていたが、イベントまであと5ヶ月弱しかない。時はあっという間に経ってしまう。

生前葬は6月4日(土)午前に南麻布了聞にて行なう。
瑞華院の福井住職から不動院の戒名を頂戴し、そのあとで生前葬を行なうことになる。約50名の方々にご参列いただく予定だ。
生前葬の写真は、写真家の齊藤文護さんに、また動画撮影はankスタッフにお任せしている。動画はYouTubeからもアップする。
葬儀委員長は、私が大学応援部以降、半世紀に亙りお世話になっている井口一弘さんにお願いしている。また、司会進行は了聞の前川さんにお願いすることになるだろう。

生前葬を終え、50名の参列者の方々はマイクロバスで神宮球場傍の日本青年館に向かう。
日本青年館ではOUEN Companyの方々150名が参集いただいており、合流して200名にて、私の第二の生の出陣式を行なう。

私の想いとしては、生前葬の流れでもあるので、「幸せに生きる」ことをテーマに福井住職にご講話をいただきたいと考えている。
死を考えることは「幸せな生」を考えることでもある。世界情勢、コロナ禍等、世知辛い世の中を如何にして幸せな心で生きていくか。

私が生前葬を執り行おうと思ったのは、70歳の古来稀なる古稀まで生き生かされてきた、この歳で区切りを付けて、新たに第二の生の50年を明るく幸せに生きていきたいと思うに至ったからだ。
幸せに生きるために、生きたままで死ぬことだ。それはこれからの生を、より良く生きるためである。

打ち合わせの最中、私は『慈愛』という言葉を思い浮かべた。

ウィキペディアでは『慈』について、下記のように記してある。

慈(英語では、loving-kiodness)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に深い友愛の心、慈しみの心を持つこと。また、それらに楽を与えたいという心を持つこと。「抜苦与楽」の「与楽」に相当する。慈愛とも訳される。

「いつくしむ」は「慈しむ」とも「愛しむ」とも書く。慈は愛である。仏教もキリスト教も表現はさまざまだが、その本質は慈なのだ。

「自利利他の心」
「自分の利を求めるなら、まず他を利することから始めよ」と言うことではないか。
「忘己利他(もうこりた)」のレベル、己を忘れて他を利する、滅私奉公のレベルには凡人は辿り着かない。しかし、自分が一番可愛いのであれば、その可愛さを追求するためには相手のことを慈しみ(愛しみ)、相手のことを考えて尽くすように努めることだ。
この自利利他であれば、凡人でもできることではないか。自分を究極まで愛するのであれば、それは人のために尽くすことからなのだ。「情けは人のためならず」と日本の諺にもある。

お釈迦様はそれをどのようにお話しされているのだろう。福井住職には、そのことを私のレベルでも分かるようにお話しいただきたい。

そんなことを考えた。

小林 博重

苦を楽しむ人生を送りたい。

先週の土日は久しぶりに2時間ウォーキングを楽しんだ。
土曜日は靖国神社コースで16千歩、日曜日は八丁堀のエビサン整骨院通院の往復で皇居一周コースを兼ねて24千歩。私の歩数は1時間で約7,500歩平均だから、土曜日は2時間強、日曜日は3時間強歩いたことになる。周囲の景色を楽しみながら歩くから、「健康のために」と思って無理して歩くわけではない。無理して歩くと逆に健康には良くないだろう(村田英雄の「皆の衆」も♫無理はよそうぜ、身体に悪い♫と歌っている)。 一年で一番寒い季節なので、日中の気温10度前後の時間帯にしている。ジャンパー着用でスタートするが、早足で歩くのでじっとりと汗を掻く。

特にウォーキングをした日は20時前には眠くなる。妻は「孝ちゃんよりも早い。みのりちゃんといい勝負だ」と笑う(孝ちゃんは孫の小学校2年生、みのりちゃんは同じく幼稚園の年少組。歳を取ると子どもに帰る。ただ、私は3時前には起きて事務所に出勤するが)。

事務所では、メールのチェックから、その日の予定の再確認、朝風呂。明るくなるとベランダの植木に水遣りだ。特に月曜日はその週のスケジュールの再確認をする。

今は蔓延防止重点措置期間なので、解除後を見据えて、この期間に何をしておくべきかを考える。「災い転じて福となす」だ。

今日は休眠中の[OUEN塾in金沢/石川]のことが夢に出てきて目が覚めた。withコロナのOUEN塾を考えなければならない。 「能登地方の地域創生」、「石川県の地域創生」にどう取り組むか。
この時期に構想を練っておく必要がある。

OUEN Companyの中でも特に注力してサポートしている会社については、アドバイザー以上の想いで、私からいろいろ提案する。しかし、出しゃばり過ぎると逆にご迷惑になる。その塩梅は第一の生を「生きてきた知恵」だ。 第ニの生は、第一の生の時のように「若気の至り」というわけにはいかない。アウフヘーベンする必要がある。

ここのところ、多方面からサポートしてほしいと頼まれることが多くなった。何事もバランスだが、今は私のミッションである『地域創生』という柱から外れるサポートはできないと思う。
いくらお人好しの私でも昔のようなダボハゼよろしく何でもお手伝いというわけにはいかない。お断りすることも仕事の内なのだ。あまり得手ではないことだが、それができないと虻蜂取らずになってしまう。私には第ニの生のミッションがあるのだ。

大相撲は、千秋楽で御嶽海が照ノ富士を破り13勝2敗で3度目の幕内優勝を飾った。大関にも昇進するようだ。
私は不思議に思うのだが、今も昔も成績が良かったから大関になったのだが、それが大関になるとなぜか勢いがなくなり、関脇と大関を行ったり来たりする。それならまだいいが、大関を陥落して平幕まで落ちてしまって精細がない力士になってしまう。
怪我のせいや年齢のせいなら致し方ないと思うが、精神の問題であればちょっと情けないと思う。現実は「精神のせい」がかなりあるのではないか。照ノ富士のようなケースは稀なのではないか。照ノ富士は「苦難を糧にして」横綱になったのだ。

人間はそうありたい。苦難を糧にすること、苦に立ち向かうことだ。苦を楽しむ心境にまで持っていければ最高だ。

私の第二の生も、苦を楽しむ心境まで辿り着くことを目指したい。そして、冬なし、休みなしの「実りの秋」の最中に倒れる人生でありたいものだ。

小林 博重

久しぶりのウォーキング

久しぶりに2時間ウォーキングを楽しんだ。1週間ぶりだろうか。
先週は月〜水が石川県(金沢と能登)、木が東京、金が日帰りで福岡県と、東奔西走、飛び回った1週間だった。ウォーキングどころではなかった。

やはり、習慣にしているウォーキングをしないと体調はよろしくない。同時に精神にも支障を来たす。そんなことで、昨日のウォーキングで心身の回復はできたような気がする。

ウォーキングについて
ウォーキングは私の肉体年齢を見るには適している運動のように思う。2時間のウォーキングを無理なくできることで、老人臭くない自分を確認するのだ。勿論、肉体は若い頃とは違い、全ての点でガタが来だしているが、今のところフルタイムで仕事をこなすことができている。それで精神も若さを維持している。 これをあと50年続けたいが、どこまで続くだろうか。行き着くところまで、無理をせずに頑張るつもりだ。

今日はマッサージをしてもらいに八丁堀のエビサン整体院に行く。行きは外苑前から八丁堀までウォーキング、帰りは八丁堀から皇居を逆時計回りで3/4周して三宅坂から青山通りを通って帰宅しようと思う。リフレッシュの一日だ。

東京に1月21日から2月13日まで「蔓延防止重点措置」が発令された。アポをいただいている先からパラパラとリスケの電話が入ってくる。 この期間、札幌と富山に出張予定だがどうなることやら。先方からキャンセルがない限り万全の態勢で出張したいと思う。

基本的には、蔓延防止重点措置が解除されるまでは仕事は小休止ということになるだろう。この期間は、来るべき解除後の活動のための準備期間であり、これは天啓なのだと前向きに捉えることにしよう。

身の回りに起こる全てのこと(いいことでも悪いことでも)を、自分を磨く磨き砂と「前向き」に捉えることが、ストレスフリーになることなのだ。
これも、第一の生で七転八倒して私なりに苦難(今考えるとそれは全く大したことではないのだが、その当時の私にとっては、それは大した苦難だったのだ)を乗り越えてきたことが、そう思うに至っているのだと思う。

第二の生は、「仕事のさなかに倒れること、これこそ正常な老人の正しい経過であり、およそ人生の最も望ましい終結である」というヒルティの言葉のような人生になるだろうし、私はそのような人生を送りたいと思っている。

小林 博重

吉塚うなぎとゼオライトさん

昨日は実に有意義な日帰りの福岡出張だった。

盛和塾塾生のゼオライト河村会長と嶋村社長とのランチは、出前で「吉塚うなぎ」をご馳走になった。この「吉塚うなぎ」は、福岡の人なら誰でも知っている福岡名代の別品だ。
https://yoshizukaunagi.com/

ゼオライトさんとは昨年4月からのお付き合いで、まだ10ヶ月も経っていないが、稲盛哲学を学んだ同志として実にスムーズに長年の友人かと思うほど肝胆相照らすお付き合いをさせていただいている。

ビジネスのベースはHeart to Heartだ。心のベースがあってビジネスはサスティナブルになるのだと実感する。

特に、私のビジネス&ボランティアの特徴は、心と心をつなぐネットワークであり、いわば私個人の温かいインフラのみが売りだ。
私は、そのネットワークをつないでいる太いパイプを持っているだけだ。そのパイプに、どんな液体を流すか。如何に多く、人のお役に立つ液体を流すことができるか。それが私の存在意義だ。

ゼオライトさんの商品・サービスは、その液体であり、それは実に美しく、純粋で、高付加価値の液体だ。この液体を私のパイプにどんどん流していきたいと思う。
https://www.zeolite.co.jp/

朋あり遠方より来たる
また楽しからずや

小林 博重

『応援の心』を極め続ける。

今日はこれから日帰りで福岡に出張する。朝イチの地下鉄(都営)で青山一丁目から大門へ、徒歩でモノレールの浜松町に行き、浜松町から羽田空港だ。いつもは新橋から京急で羽田空港なのだが、モノレールが10分ほど早く羽田空港に着く。どちらも6時半発のANAには間に合うのだが、今日はなぜかモノレールにしようと思う(ちなみに運賃はモノレールが京急よりも100円高い)。

私はどちらかと言うと生真面目で何でも物事は早め早めにする性格だ。待ち合わせ時間も10分どころか30分前に待ち合わせ時刻に着く。それを分かって、相手の方の中には、早めに来る方もいらっしゃるが、ほとんど私が早い。これは性格なので直しようがない。

九州北部信用金庫協会の篠原専務と知り合いになったのは、福岡でOUEN塾を開催しようと月に1週間、福岡に出張するようになってからだから、まだ10年は経っていない。しかし、気が合うと言うか、私はそう思っているからお互いがそう思うようになるのか、ずっと昔からの友人のような気がしている。 人間関係の深さは付き合う年月の長さではない。Heart to Heartが深くも浅くもなる。その深い数が多いだけ、心の襞が増えて豊かになる。

昨日、篠原さんからメールをいただいた。雑誌「OWNERS I」2022 jan号に掲載されていたクリエーティブディレクターの箭内道彦(やないみちひこ)さんの記事(「達人に聞く『仕事の心得』」)を送ってきて下さった。

箭内さんは、東京藝術大学教授。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」やキューピーハーフのCMシリーズなど、数々の広告キャンペーンを手掛ける。フリーペーパー「月刊 風とロック」の発行やラジオのパーソナリティ、ロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど。

箭内さんは「僕のやっている仕事って”応援”なんです。一言でまとめるなら」「広告も学生に教えることも僕にとっては応援です」「広告も、実は応援なんです。商品の魅力を皆んなに伝えたいし、出演するタレントの魅力を引き出すことで応援したい」と。

篠原さんは、私が箭内さんに「応援」だけでなく、上手く言えないけれども似ていると仰る。

私は箭内さんのようなマルチプレイヤーではないし、クリエイティブなところは全く持ち合わせていない。それは自分が誰よりも分かっている。素直な心で自分を見つめると、自分のことがよく分かる。 篠原さんはどうして私が箭内さんに似ていると仰るのか。

箭内さんの『仕事の心得』は、
①相手の中に答えを見出す
自分一人でアイディアは思いつかない。相手と向き合うことで、相手の中にある答えが見えてくる。

②AかBではなく、別視点のCを提示する
反対か賛成かという二項対立の軸にとらわれるのではなく、全く別の視点を差し込む。それがクリエイターの仕事だ。

③ハードルを上げ続ける
23年前に金髪にしたが、目立っているのに仕事ができないのは恥ずかしい。自分にプレッシャーをかけた。

では私はどうかと言えば、
私は人好きであり、相手がどんなことに困っているのか、会話の中でそのことを知ると、私ができることはないのかといつも考える。

私自身はその解決能力は待ち合わせていないので、私の友人知人の中に信頼できる、その解決能力を持っている人がいたら、お互いを引き合わせることを即座にすることくらいだ。
そして、その二人の会話の中から、解決策が炙り出されることが間々あるのだ。相手が困っていることを顕在化すること。その問題を解決するため、信頼できる能力ある人をセッティングすること。全て人さまが解決してくださる。 私はその解決策は持っていないが、第六感でセッティングするだけだ。それがどんどん拡大していっているだけだ。
これが箭内さんの①に当たることか。

②は私が提示するのではなく、それがセッティングすることで自然に炙り出されるということで、私は全くクリエーターではない。

③について言えば、人間、完璧になることは生涯ないと思うので、生涯を掛けて自分のこのセッティング能力を磨き続けることを続けようと思う。そして、自分自身を磨き続けることだ。それがハードルを上げ続けることなのだろうか。

私は「生まれた意味」とか「仕事の意味」とか「生きるとは何か」とか、考えることが好きなのだ。その柱になったのが稲盛哲学であり、私が大学応援部で過ごしたこともあり、それが私流の「応援哲学」として私の生きる柱になっているということだ。

その延長で、古稀を区切りに自分をリセットして新たな気持ちで第二の人生を生きていこうと思っている。

これからも『応援の心』を極め続けようと思う。

小林 博重

生前葬と出陣式の意外な意味

人間若い内は、まだ自分がよく分からない。自分自身を知るためにいろいろなことにチャレンジする。自分の得手と不得手が分かってくると、その得手を磨くこと、不得手を何とか克服しようと努力することは、若い内に必須なことだろうと思う。 自分のことを思うと、それはせいぜい30代までだろうか。では、40代以降はどうしたらいいのか。

私が思うに、得手を磨き続けることに集中し、不得手な分野は、それが得手な信頼する仲間たちに任せ、パートナーシップを構築することに注力することだと、私はそう思う。つまり、40代以降は、何よりも人を見る目を養うことが肝要だと思う。
幸せな人生を送るためには、生涯青春の心であることだが、如何せん肉体が衰えることは避けられないのだから、人生のコスパを考えると人さまのお力をお借りすることが幸せな人生を送るための要諦のような気がする。

では、私の得手は何か。
さしたる得手を持っているとは思わないが、あえて言うとすれば「人の懐に、『嫌われないで図々しく』入っていくこと」のような気がする。ある人はそれを「ど厚かましい」と表現したが、一般的に「ど厚かましい」人は嫌われるのだから、それが『嫌われない』というのが、私ならではの得手ということだ(そう私は思っているだけかもしれない。妻には時々指摘され注意される)。

人と人との間を取り持つことはビジネスには必須だろうし、ビジネスに限らず人間関係は人間世界での幸不幸の全てと言っていいだろう。 それをビジネスにすることはニッチではなく、ビジネスのメジャーなのではないか。いつの時代になってもこれがビジネスになるのだ。

しかし、これをビジネスと言って看板を掲げている人はほとんどいない。私もビジネスになるとは全く思っていなかったが、45歳から70歳までの25年間で私のビジネスにすることができた。

ボランティアをするにもお金がないと何もできない。人を幸せにするためにもお金が不可欠だ。あり余るお金は寧ろ心を貧しくすることがあるが、塩梅のよいお金は絶対に必要だ。また、お金を如何に散ずるかによって人のレベルが分かる。

私はこの人の世を渡っていくことについて、ニッチでありながらもメジャーである「人間関係」を飯の種とし、世のため人のためにボランティアに精力を注ぎ込みたいと思っている。 稲盛哲学をベースとして、小林流の応援哲学を構築し、芯をぶらすことなく、真っ直ぐに生きることなのだ。

漸く、それが少しずつできるようになってきたことを実感している。
これも、生まれ変わって第二の人生を生きていることがそうさせているのだと思っている。

私にとって生前葬と出陣式は、思いの外、威力抜群のイベントなのだ。

小林 博重