頂く年賀状に、「来年から年賀状は失礼させて頂く」というご挨拶が散見されるようになった。これを「終活年賀状」とか「年賀状じまい」と言うんだそうな。

年賀状の発行枚数のピークは今から20年も前の2003年で約44億6千万枚だったそうだが、今ではピークの半分以下の20億万枚をも下回っているそうな。
若い人たちはメールやSNSで年賀の挨拶は済ませてしまう人たちが多いのだろうし、私の年代以上の高齢者は「終活年賀状」「年賀状じまい」などと洒落たことをすることもあり、この現象はさもありなん。

私のように、昨年の400枚から今年は700枚を超える枚数になったというのは、異例中の異例ということだろう。
私の場合、数え70歳で第一の生を終え、今年は第二の生のスタートであるから、年賀状は300枚増やした。
そして、これからの幅広人生のこともあり、年賀状の枚数は700枚をスタートにどんどん増えていくことだろう。同年代とは真逆の人生というところか。

この70歳(古稀)で人生を区切ることは、精神のみならず肉体にも影響があるように思う。第二の生の今日は3日目だが、なぜか清新な気持ちで生きることができるような気がしている。

元日と今日は2時間強のウォーキングで、無理せず一日2万歩強の歩数だ。速足で歩くから、冬でも汗はじっとり出る。まさに「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」の気分だ。
✴︎1970年代のボーリングがブームのとき、プロボーラーの中山律子さんが花王のCMで一世を風靡した。

そうだ。私の今は、サミュル・ウルマンの「青春」の詩のように『青春ど真ん中』なのだ。

松下幸之助さんはこの詩を愛されたそうな。道理で94歳まで生涯現役を通されたのだ。

青春 サミュル・ウルマン

青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の持ち方を言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、逞しい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さを言う。

青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。
歳月は皺を増すが、熱情を失えば心は萎む。苦悩や恐怖、失望により気力は地に這い、精神は芥になる。

60歳であろうと16歳であろうと、人の胸には、脅威に魅かれる心、幼子のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも我にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲嘆の氷に閉ざされる時、20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ、希望の波を捉える限り、80歳であろうと人は青春にして已む。

私も「一生青春」「一生燃焼」をモットーに生涯現役を貫きたいと思う。

小林 博重