「順境よし、逆境さらによし」の哲学的意味について、私 の考えるところ

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今朝3時30分過ぎに起きて事務所に行く。昨夜に福岡出張の準備は済ませておいた。
事務所で朝風呂に入り、再度、持参品のチェックをする。外苑前始発5時5分の電車まで少し時間があったので、少し石川出張の事務整理をする。4時50分過ぎに事務所を出る。

いつもは外苑前→新橋→(京急)→羽田空港だが、今日はモノレールにする。運賃はモノレールコースが京急コースよりも190円高いが、JALの福岡行きは6時25分でANAより5分早いので、9分早く着くモノレールにした。 余裕を持って行動したいので、こんな時は9分早いモノレールだ。何事もTPOが肝心だ。

久しぶりのモノレールなので、いつもの京急よりも有意注意して行動する。羽田空港第一ターミナル(JAL搭乗駅)は終点ではない。 いつもの京急であれば無意注意でも問題ないと思うが、そうでない時は有意注意が不可欠だ。そして有意注意は認知症防止には不可欠な心構えだと思う。

地下鉄の車内広告に「強運」についての書籍が掲出されていた。これをすれば強運になるとか、それをすると運が遠のくということが書かれた本なのだろう。

しかし、「強運」についての私の考えはそうではない。「強運」は心の持ち用次第だと思う。

松下幸之助さんや稲盛和夫さんは「順境よし、逆境なおよし」「順境よし、逆境さらによし」と事あるごとにお話しされている。
お二人とも身に降りかかる全ての事象は、人が順境といい逆境ということであっても、それを全て「心を磨く磨き砂」と考え、前向きに明るい考え方をされるのだ。

時には天は人に順境を与え、逆境も与える。
「禍福は糾える縄の如し」の諺があるが、私は禍の縄と福の縄があってその縄が人生には交互に現れるという考え方はしない。お二人がお考えのように、禍も福も己を磨く磨き砂なのだと考えるほうが前向きな明るい人生を送ることができると思う。

人は禍を悪、福を善と考えるが、むしろそれは逆ではないか。禍は人を謙虚にして、人を成長させる。しかし、福は人に驕りをもたらすことがある。それは失敗の前触れかもしれない。

最近、私に降りかかってきたことは一般的には禍と思われることではある。しかし、それは私を磨く磨き砂と思い、真実一路、心をピュアにして真っ直ぐ地道に進んでいけば、それは成功の一里塚になるのだと思う。

コロナが収まってきた。第6波に備える必要があるが、有意注意を心掛け、真っ直ぐ地道に歩いていけば、道は必ず開ける。私は、そのことを少しづつ実感している。

人さまのおかげで現在の自分がある。それであれば、人さまにそのお礼をする努力を実行しなければならない。
応援とは「援けに応える」ことであり、応援されたら応援して差し上げることが必須だ。応援とはキャッチボールなのだ。
それが人生70年で確立した私の[応援哲学]だ。

小林 博重

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