『人生100年時代』と呼ばれるようになった。
漫画「サザエさん」の波平はまだ50歳代だ。結構お爺さんだ。まもなく定年なんだろうが、定年後の余生はせいぜい10年あまりだろう。 しかし、人生100年ともなると、余生は余生ではなくなる。それまでの社会人人生と同じ期間の人生が残されていることになる。
趣味にのめり込む人生というわけにはいかなくなる。大袈裟に言えば、「人間は何のためにこの世に生まれてきたのか」という哲学的な思索が不可欠な時代になったと言える。

「リカレント教育」という言葉をよく聞くようになった。検索エンジンで「リカレント教育」を繰ってみた。

「リカレント教育」とは、義務教育期間や大学で学んだ後に、「教育」と「就労」のサイクルを繰り返す「教育制度」のことを指す。 スウェーデンの経済学者レーンが提唱し、1970年代に経済協力開発機構(OECD)で取り上げられたことで、世界的に知られるようになった言葉だ。 もともとの「リカレント(recurrent)」という単語の意味は「反復」や「循環」であり、ビジネスシーンでは「回帰教育」や「循環教育」と訳される。 社会人になってからも必要に応じて学び直すため、「学び直し教育」とか「社会人の学び直し」とも呼ばれている。

すなわち、教育→就労→教育(リカレント教育)→就労ということだ。

私の友人たちの中にも、大企業の幹部を経験した後で、再度大学を受験し子どもたちの年齢の若者と一緒に学んでいる人は決して珍しくはなくなってきた。私からすれば、そのチャレンジ精神に脱帽してしまう。

では、私の場合はどうなのか。

私は大学を卒業して銀行に入り、そのまま、(社員→役員を経て)定年まで勤め上げていたとしたら、そしてその時、大学を受験するレベルの学力が備わっていたとしたら、リカレント教育で大学受験というコースを選択していたかもしれない。

しかし、如何せん、44歳で中途退職し七転八倒の人生を彷徨ってしまったことで、回帰は回帰でも、「第一の生を終えて第二の生に生きる」というコースを選択したのだ。

すなわち、古稀(70歳)を機に、
「生前葬」から「出陣式」を経て、第二の生のスタートを切る人生を選択し、120歳の天命を全うしたいと思うようになった。
これが、一旦、生きたままで死んで、生まれ変わって第二の生を生きるという「私なりのリカレント教育」なのだ。

同年代の友人たちと四方山話をすると、人生の考え方にギャップを感じることが多くなってきた。

それは、彼らは人生100年を一本道で走ろうとしているからなのではないか。
皆さん、利口な人たちばかりだから「リカレント教育」で自らをリフレッシュしているのだが、それが基本的には一本道であるがゆえに、よっぽど意志堅固でないとダラダラとして疲れてしまうのではないか。

私は第一の生を葬って、新しく第二の生を生きようと思うから、そのリフレッシュさは半端ないということではないか、と私なりに解釈している。

人生は長いが長いままでは弛れて(だれて)しまう。
私のように人生を切ってしまえば、新たな燃える青春がスタートし元気潑剌と第二生を送ることができるのではないか。

そんな勝手なことを思っている。

小林 博重