コロナでオンラインの意見交換を抵抗なく行うことができるようになったが、やはり、リアルなオフラインには敵わない。あくまでも主役はオフラインであり、オンラインはその不足をカバーするものでしかない。

昨日、お昼をOUEN塾OGの吉田梨紗さん、夕食を東大応援部後輩の池田智子さんとご一緒した。大きな孫のような梨紗ちゃん、歳の離れた妹のような智子さんだ。

いずれも青山事務所で30分ほどお話しして、それから食事をしながら、約2時間の人生談義に花を咲かせた。それは有意義で楽しいひと時だった。

人間、生きていれば悩みは尽きない。
ザックバランに人生を語り合う仲でないと、その時間は長く、詰まらなく、時間の無駄だ。しかし、心が通い合う友であれば年齢は関係ない。会話は弾み、時間はアッという間に過ぎる。楽しく、明るく、お互いが明日への活力を注入し合う、有意義な会話をすることができる。

私は老若男女を問わず、そのような心の友が数多いることを幸せに思う。

人間、古稀にもなると、人生の後半戦だ。野球で言えば8回裏表というところか。次は最終回だ。
来し方を振り返ることばかりで、あとは如何に健康で長生きができるか、が健全な老人の生きがいというのが一般的なのだろう。しかし、「健康が目的」ではそんな人生は詰まらないではないか。健康で生きることはあくまでも、何かを成す手段であって、決して目的ではない。

人間は健康になるために生まれてきたわけではない。何かを成すために生まれてきたのだ。

私はこの古稀という歳を人生の大きな区切りとしたい。
70歳は、孔子の時代では、古来稀なる年齢であり、人生の最終盤だった。
今は、人生100年時代になった。
そして、私は人生を120年と設定している。そして、古来稀なる70歳は、人生のターニングポイントだ。第一生を終え、第二生をスタートする。新たな生まれ変わる。
第一生で学んだ人生経験をベースに第二生のスタートを切るのだ。その意味では、第二生は相当下駄を履かせていただいている。同じ「生きる」でも、この「下駄を履いてスタートする」人生はラッキーではないか。

そんなことを若い梨紗ちゃん、脂の乗った智子さんに話す。
人生の考え方で肉体も変わってくる。心と身体はつながっているから当然だ。心が若くなると身体も若返る。勿論、フィジカルなメンテナンスは不可欠だが。

明日の11月8日は、私の69回目の誕生日だ。人生の来し方を振り返る。

七転八倒しながらも何とか生きてきた。
半世紀前、私が想像していた70歳の自分は、大会社の社長か会長か、相談役だったかもしれない。一歩づつ出世の階段を登り、悠々人生を送っている自分を想像していた。
しかし、実際の自分は「一匹狼」で、自由奔放に思うがままに生きている。生涯現役、100歳、いや120歳まで現役のままで朽ちる自分を目指している。これが自分の生きざまだ。そして、この生き方が最高だと思う自分がいる。そんなふうに思う自分を最高に幸せな人間と思っている。

人生は楽しい。
「一生青春」「一生燃焼」の人生が最高だ。

小林 博重