2021年 11月 の投稿一覧

一本道からダイバーシティへ

11月28日に満69歳(数え70歳)の誕生日祝いをしていただいた。
これからは、これまでの一本道の価値観から卒業し、ダイバーシティ(多様性)の価値観の中で生きていこうと思う。

人生の春夏秋冬


一本道をひたすら真っ直ぐ走り続けた45年間ではなかったか。
幼い頃から東大を目指し、人生の坂の上の雲を追いかけてきた。大学は応援部三昧にかこつけて勉強に身が入らず、就職は公務員試験で挫折した。しかし、柄にもなく、金融の世界で坂の上の雲を目指そうと、21年走ってきた。 そして、若気の至りで44歳6カ月で銀行を中途退職した。


45歳から70歳までの25年間は、一本道の価値観との闘いではなかったか。
自分自身を知ることなく大組織を飛び出した甘ちゃんにとって世間は絶えず冬の日本海だった。その荒海に揉まれ、右往左往しながら生簀の魚の精神はズタズタに切り裂かれた。精神を病み、もう我が人生はこれまでかと思ったことも一度ならず(こんなどうしようもないどん底に落ちた甘ちゃんを支え続けてくれた妻には心から感謝の気持ちでいっぱいだ)。

しかし、世の中は捨てたものではない。
七転八倒しながらも素直な心で真っ直ぐに生きていると、一縷の光明が差し込んでくるものだ。少しずつ薄皮が剥がれるように苦しみは遠のき、幸せの女神たちが私に近づいてきてくれた。ほんとにそれは女神ばかりだったことは不思議なことだ。
そして、老若男女、皆さんのお支えをいただきながら、私の一本道の価値観は少しずつ、今で言うダイバーシティの価値観に変わっていったように思う。この価値観の変化の根っこには、祖父が祖母を大切に思っていた「女神信仰」があるのではないか。

そして、数え70歳を迎えた今、ダイバーシティは多くの幸運を私に引き寄せてくれる。一本道の価値観を脱ぎ捨てることが幸せの入り口なのだ。


この秋こそが、まさに「実りの秋」だ。
第一生(春夏)の財産をフルに生かして、老若男女、多くの人たちの支えをいただきながら、その支えに恩返しすることを忘れず、誰にも負けない努力を続けていくことだ。そして、感謝と謙虚を忘れないことだ。

そして、老人の最も幸せな最期は、仕事の最中に倒れることであるなら、私の冬はないほうがいい。秋の盛りに天に召されることが最高の幸せだろう。

そうであれば、秋は100歳までではなく、「私の秋は120歳まで」と修正しよう。

小林 博重

楽しく明るい誕生日祝いの会

昨夜は、西櫻亭副社長の安藤裕美さんが気のおけないみんなに声かけしてくれて、西櫻亭伊勢丹新宿にて、私の満69歳の誕生日祝いをしていただいた。
応援団同期で元東北大学応援団長、元東北大学副学長の木島明博夫妻、生命保険エージェント時代に気心があった日生の中川美和子さん、私のメンターの水谷歩さん、息子ばかりの私にとって愛娘のように可愛い裕美ちゃんと私たち夫婦の合わせて7名の小パーティーだ。

みんな、OUEN Japan望年会で顔見知りの人たちばかり。ザックバランで楽しい明るい会だった。
ミンちゃんからいただいたシャンパンで乾杯して始まったが、気分が良くてちょっと飲みすぎた。帰宅して風呂にも入らずにバタンキュー。朝までにはアルコールが抜けるかと心配して床に就いたが、何のことはない、5時過ぎには爽やかな気分で目が覚めた。

午前に2件のビジネスマッチング、午後はミーティング。15時過ぎからは昨日サボった2時間ウォーキングで、完全にアルコールは抜けた。私はお酒は強いほうではない。みんなと楽しく飲み語り合うのが大好きなだけだ。 やはり、「酒あれば楽し」。酒は楽しく飲むのが一番だ。

満69歳=数え70歳。
一生と二生の、いい区切りの歳だと思う。これが還暦(60歳)では早すぎる。80歳では遅すぎる。ちょうど70歳がいい。区切りの儀式が「生前葬」と「出陣式」だ。ゼロからのスタート。気分は青春。私は運がいい。

明日は、早朝にインターネットバンキングで月末の支払いと朝食を済ませ、午前は2時間ウォーキングをしよう。
14時に了聞の前川君が来社する。家銘板彫刻の打ち合わせだ。祖父(小林家の初代)から恐れ多くも小林家は「不動院」の院号を授かっている。御厨子の銘板はやはり「不動院」にしよう。 金鵄勲章の祖父は「不動院積徳永寿居士」。おじいさんを超えることができるように世のため人のために尽くそうと思う。

小林 博重

人生をリセットして、素晴らしい第二生を生きる。

ひょんなことで生前葬をしようと思った。ちょうど今年が数え70歳の古稀という区切りの歳でもあった。来年11月は満70歳で、最近では、このような祝い事(?)は満年齢で行うことが多いらしいが、そんなことで、私の生前葬と出陣式は図らずも、数え70歳と満70歳のちょうど中間地点の来年6月4日(土)になった。

「ライフシフト」や「ワークシフト」がベストセラーになって、世間では「人生100年時代」が到来したかのようだ。しかし、現実は健康寿命と平均寿命との差は男女とも10歳前後とか。介護老人施設が不可欠な所以だ。自宅で介護の面倒を見ることは老々介護になって親子共々不幸な人生になりかねない。

やはり、私の人生120年(私が勝手にそう決めている)は、ピンピンコロリといきたいものだ。120年の人生の春夏秋冬では、私の冬は100歳以降の20年と想定しているが、よくよく考えてみると、実りの秋(70歳〜100歳)は延長戦があり、それは120歳までの50年が理想だと思うようになった。その途中でバタッと倒れ、命尽きることを希望する。そのために、身体と心のメンテナンスは、これでもかと念には念を入れることが肝要に思う。

そして、70歳を区切りに人生を切り分けることが、後半生を生き生きと生きることになると思うのだ。
なぜなら、人生120年はやはりあまりにも長い。ダラダラ生きてしまう。それは心の健康のためによろしくない。身体の健康にも影響する。

70歳で人生をリセットして一旦ゼロにする。まだ私は生きているのだから、それまでの人脈(人脈は生きている間は老若男女、どんどん拡がっていく)や生きる哲学(稲盛哲学、応援哲学)やノウハウは私のなかに生き生きと息づいている。コストパフォーマンスはこの上なく高いものになる。

同年代が、ゴルフ三昧、旅行、盆栽いじり、ちょっとしたボランティアなど、悠々人生を送ることを理想としているようだが、それよりも、最高のコスパで生涯現役を通すことが、私には幸せ人生であり、それが一番似合っている。

素晴らしきかな、我が人生‼︎❗️❣️

小林 博重

年賀状の宛名データを完成させる。

昨夕から今日の午後、約1日をかけて年賀状リストを宛名フォーマットに入力した。合計627件だ。これから多少増減はあるが、ほぼ完成といったところだ。せいぜい増えても650件くらいだろう。
このようなデータは一気呵成に済ますのがいい。昨年までは、裏に印刷してもらったものを手書きで宛名を書き、コメントも書いていたのだから、とんでもない時間の無駄をしていたものだ。アナログでもこんなアナログは全く意味がない。

後はデータを送って、表裏を印刷してもらい、それからゆっくりとコメントを書くことにしよう。

今年は私の第一生の締め括りの年でもあるのだろう。禍福は実に明確に私の周りに起こった。「禍福は糾える縄の如し」と言われるが、その禍福が今年は集中してやってきたように思う。 たとえ禍であっても、その禍は「己を磨く磨き砂」と思えば、それは福の始まりになる。「災い転じて福となす」ということだ。
禍は己を謙虚にしてくれるが、福はともすれば驕りが出て、その福が災いを招くことにもなりかねない。禍も福も全てが己を磨く磨き砂なのだ。

生前葬というイベントを思いついた。そして、それにより私は人生の腹を括った。腹を括るということは、それが妙に「人生を変える力」になる。青春の心意気が湧き上がってくる。そして、なすこと、なすこと、いいことづくめのような気がする。 私が禍も福も磨き砂と思っているからかもしれないが、妙に調子がいいのだ。こんな時は気をつけることだ。「あっと驚く為五郎」にならないとも限らない。 日々の感謝と謙虚を忘れてはいけないと心に言い聞かせる。

年賀状の宛名のデータ作成が終わったところで、3日ぶりに皇居1周の2時間ウォーキングを楽しんだ。快晴でも風は強い。木枯し1号ではないか。 明日は西櫻亭伊勢丹で私の誕生日祝いをしてくれる。第一生の最後の誕生日祝いになる。楽しみだ。

小林 博重

人生は全て必然

他業種の多くの人たちからご連絡いただきお目にかかる。私からも多くの人たちと連絡を取る。
「類は友を呼ぶ」諺通り、私の人生観やキャラクターをよくご存知の人たちが「小林は福の神」だと思っていただいていると勝手に思っている。

時には、心の濁った人たちも声をかけてくる。こちらのほうは「類は友を呼ぶ」とは真逆だ。今までの私はダボハゼと言われて、全ての来る人は拒まないでいたが、そのような輩は強かさでは私が及ぶところではない。何度も手痛い目に遭ってきた。
やはり、これからは、君子ならずとも「君子危うきに近寄らず」の諺をモットーとしたい(かの渋沢栄一翁もそのようなところがあり、いろいろと痛い目に遭っていらしたようだ)。

昨日は午前のビジネスマッチングはスムーズに進み、来春早々、コラボレーションのスタートを切ることができる。

午後一番はドタキャンがあったが、「転んでもただでは起きない」を実践して、新たなビジネスマッチングの機会をつくることができた。

写真家の崔珉徑さん(ミンちゃん)が事務所に訪ねてきて、私の誕生日祝いのシャンパンを持ってきてくれた(彼女は、28日の誕生日会には仕事で参加できない)。
もう日本の生活が韓国よりも長くなったのだとか。日本語も韓国なまりはなく、日本人以上に日本語を話す。しかし、今のところ日本に帰化する予定はないとか。日本に帰化することは母国を捨てることにもなると考えるのだろうか。私のふるさと石川能登への想いと同じだろうと思うと、腹にストンと落ちる。よく他国で頑張っている。私のできることはしてあげたいと思う。

夕方は馬形さん(安田信託の後輩、南麻布了聞の顧問)がデロイトトーマツの作井博さんを事務所にお連れになった。
作井さんは安田信託銀行時代の後輩で金沢市の出身だと。
平成1年入社といえば私が人事部の時だ。昭和60年から採用担当をしていて、平成1年は人事企画の仕事だった。採用の手伝いはしていたが、それは昭和時代までだった。作井さんは同じ石川県出身でもあり、新入社員の頃は私に会って話をしているとか。そう言われるとそのような気がする。 そして、少しづつ思い出した。「石川県出身で『作井』という珍しい名前の男がいたな」と。

齢70にもなると認知症と言わないまでも、間々人の名前が出てこない。相手が覚えていることでもこちらは全く覚えていないことが増えてきた。いただいた名刺は何千枚もあるが、年賀状の宛先整理のため名刺帳をめくると、こんな人にいつ会ったのだろうと、自分でもビックリする。

やはり、ここは一旦生前葬で区切りをつけて、新しく生まれ変わって人生をやり直すことだ。
来年6月4日の生前葬と出陣式を企画したことを妙に納得する。

人生はそのようになっている。巡り逢うことは全て必然だ。神が、天が、そのように仕向けているのだ。苦労に遭遇してもそれも必然。それを自分がどう受け止め、前に進めるか。明るく前向きに人生を見ることが幸せな人生を送ることになるのだと改めて思う。

昨日の巡り逢いは全て必然。私の想い次第で全てを善き方向に向けることができるのだ。

小林 博重

年賀状を書き始める。

11月も下旬。朝夕は少し寒さが堪える。今日は仙台(東北大学)に日帰り出張だが、やはり仙台は晴れていても東京より数度気温が低い。まだコートの出番ではないが、上着の下にチョッキを着込んだ。案の定、この判断は正解だった。

そろそろ年賀状の準備をしようと思い名刺帳をめくる。個人会社を立ち上げた時からの名刺が五十音順に挿してあるが、300枚挿すことができる名刺帳は12冊はある。ほぼ埋まっているから3千人以上の人たちと名刺交換をしたのだろう。しかし、今付き合っている人は千名もいないと思う。名刺を整理して、もう付き合っていない人のものは断捨離してもいいのだろうがなかなか捨て難い。何年か前に会ってもう私とはご縁がない人と思っていた人と、ひょんなご縁ができることがあるからだ。名刺はそんなに嵩張るものではないから、これからもきちんと整理しておこうと思う。

昨年は年賀状を600枚くらい出した。今年は私の夏の終わり、来年は秋の始めの年でもあるので、出す枚数は600枚どころか700〜800枚くらいになるかもしれない。これだけになるとやはり表裏は印刷していただかないと本来の仕事ができない(ただし、裏のコメントは自筆で書く)。来年は第二生の始まりの年でもあるのだから、もう時代遅れと言われる年賀状は私にとって不可欠な第二生へのチャレンジのアピール手段になる。

今日からその整理活動をスタートさせる。整理することで新たな戦略・戦術が浮かんでくることもある。年賀状書きは、公私に亙り必須な年中行事の一つである。

小林 博重

地域創生のキーワード

昨日は勤労感謝の日
神奈川県の湘南台から江崎卓君が事務所に見えた。江崎君は[OUEN塾in福岡・北九州]のリーダーOBだ。今年4月に日立の関連会社に入社した。
最近の若者には珍しい(?)、よく気がつく好男子だ。最初に給与をいただいた時は横浜の焼売と福岡の明太子煎餅を送ってくれた。昨日も私の誕生日祝いだと言ってハンカチ3枚をいただいた。ありがとう。

コロナ禍でOUEN塾は休眠状態だがこれからどうするのかとの質問だ。

勿論、リニューアルして再出発する。学生リーダーが企画実行する学生主体のOUEN塾を再開しようと思う。私の役割は多くのOUEN Companyを募ることだ。あくまでも中心は学生リーダーたちだ。

学生たちとOUEN Companyの交流の在り方も今までのスポットから常時交流する形に変えたい。
そして、学生たちとOUEN Companyが協働して地域創生に関わるスタイルを構築したい。
地域創生は地元企業が主体であることが必須と思う。それにどういう形で学生たちが絡んでいくのか。
学生が考えて行動することが大切だ。OUEN塾は人生を主体的に生きる若者を育てる塾だ。

江崎君とはそんな話をした。

また、江崎君には、彼が中心になって、[OUEN塾OB・OG会]を立ち上げることをお願いした。その第1回の集まりを来年1月の新年会にしようと思う。

ランチを済ませて、いつもながらのウォーキングだ。皇居一周コース2時間だ。
OUEN Japanのミッションについていろいろ考える。そして、ランダムにキーワードを頭に浮かべながら2時間を過ごした。

・ミッション
・社会貢献活動
・地域創生
・草の根運動
・B to C
・ボランティアをビジネスにする
・サスティナブルな地域創生運動
・SDGs
・地域信用金庫協会
・信用金庫
・中小零細企業
・Win Win Win
・主役と脇役
・仕掛人(黒幕)
・応援団(黒子)
・若者(大学生、留学生)
・よそ者(中央の大中小企業)
・バカ者(OUEN Japan)
・活私奉公

これからのOUEN Japanはアナログとデジタルの融合だ。
強みを持った多くの一寸法師がコラボすることで丸い球形になり、大に対抗するのだ。地域創生は一寸法師の集まりでサスティナブルになり成功すると思う。 勿論、お題目は必要だし必須だが、お題目だけでは人は動かない。
熱い心、想いを永続して持つことだ。そして、人が動く仕掛けをすること。

まず「利を追い求める」人間の本性に焦点を当てる。そして、もう一つの「美しいもの、きれいなものを愛する」本性につなげることだ。

OUEN Japanは、活私奉公で地域創生をサポートする。

小林 博重

来年からの[リニューアルOUEN塾]

今日は、福岡でOUEN塾リーダーだった江崎卓君が来社してランチをご一緒する。ここのところ、土曜日や祝日にはOUEN塾リーダーとランチすることが続いている。

OUEN塾は地元企業と学生たちの交流イベントであり、学生たちにとって企業や地元を知る機会でもある。学生時代に経営者をはじめとする社会人の皆さんと交流することは、社会へソフトランディングする一助になることであり、学生にとってメリットは多い。 そして、特に、OUEN塾に人間的成長を求めている学生は、特にOUEN塾リーダーの中に1人ならずいるように私は感じている。

OUEN塾の目的は、企業を知り、地元を知り、地元をより愛し、自分たち若者が生き働く地域の活性化のために尽くすということだ。 そして、その活動の中から、自分の生き方を深掘りし、確固とした生きる哲学なるものを確立するという、本質的一面があると私は考える。

社会人になって1〜2年目の若者が、親父より10歳以上も歳上の”若いおじいさん”を訪ねて、人生(仕事や恋愛、結婚)のことを話していく。私も自分の人生を振り返り、またこれからの後半生の展望を語ることで、彼らの人生の参考になればと思い真剣に応対する。

やはり、人間は青春の心意気を持って明るく前向きに人生にチャレンジすることだ。そうでないと、彼らのようなピュアな若者たちとの会話はできないし、彼らが生きていく参考にもならない。わざわざ、このおじいさんを訪ねて来てはくれない。

そんなことを考えると、OUEN塾を続けてきて良かったと思う。そして、コロナが収束するであろう来年からリニューアルOUEN塾を再開したいと思う。 次回からは、彼らが自主的に企画して行動するOUEN塾にしたいと考えている。

小林 博重

『敬天愛人』の心を忘れない。

人間が人生を後悔なく生きていくためには、揺るぎない「生きる哲学」が不可欠だ。
盛和塾で学び、ビジネスやボランティアの現場で学んできたが、齢70になって漸く腹にストンと落ちたような気がする。「遅かりし由良之助」ではある。

私の書斎の壁には『敬天愛人』の文字が一つならず貼ってある。たえず『敬天愛人』を座右の銘として物事を処することで、幸せな人生を送ることができる。

この『敬天愛人』は、2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択されたSDGsの根っこの思想でもある。
『敬天愛人』は人間の目指す理想であり、凡人は生涯をかけても辿り着くことはできないが、その頂点を目指して日々切磋琢磨することが人間を磨き、幸せな人生を送ることができる。

私の書斎の壁にはところ狭しといくつもの箴言が貼ってある。

敬天愛人
動機善なりや 私心なかりしか
至誠而不動者、未之有也
有一言而可以終身行之者乎、其恕乎、己所不欲、勿施於人也

天を敬い 人を愛す
無私の心で 事を成す
至誠にして動かざる者は、未だ之有らざるなり
人間として生きていく上で一番大切なことは、相手のことを思い遣る「恕の心」を以って人と接することだ

どれも一朝一夕でできることではない。生涯を通じても到達することは不可能だろうが、その頂点を目指して生涯を真摯に生きていくことだ。

雨の早朝に、机の前に座って箴言を反芻しながら、そんなことを考える。

今日は週の初め。いくつかのビジネスマッチングがある。
一皮剥けて、第一生を締め括り、第二生をスタートしたいと思う。『敬天愛人』の心を絶えず心に留めおこう。

小林 博重

リニューアルオープンして、新たな生を生き生きと生きる 。

11月20日は裕美ちゃんが経営する西櫻亭伊勢丹新宿のリニューアルオープンの日だった。28日には、裕美ちゃんが気のおけない友人たちに声かけしてくれてリニューアルした西櫻亭で私の69歳の誕生日を祝ってくれる。あと1週間先だ。とても楽しみにしている。

リニューアルオープンと言えば、私の人生も同様だ。
古稀を機に一旦人生をリセットし、心身とも新たにしてリニューアルオープンするのだ。

①OUEN塾
コロナ前の福岡でのオフラインOUEN塾、コロナ最中の金沢でのオンラインOUEN塾をベースにして、来年からのコロナ後(withコロナ)のOUEN塾は、学生OUENリーダーが企画実行する新たなイベントとしてリスタートしたいと思う。 OUEN塾は、地元企業を知ることから発展して、地元企業と協働して地域創生を考え、それを行動に移す学生リーダー主体のリニューアルオープンする第2ステージに入いる。

②OUEN Company
私の個人会社南青山ビジネスパートナーズ(Map)で行なっていたマッチングビジネスの手段はアナログのみのビジネスだった。
これからは、アナログとデジタルを融合させることにより、MapマッチングビジネスをOUEN Companyとして進化(深化)発展させる新たな段階に入る。まさにリニューアルオープンだ。

③地域創生サポート
私が天から与えられたミッションは日本各地の地域創生だ。
まずは、私が生を享けた「ふるさと能登」の地域創生。それを石川県、更には富山と福井の北陸地方に拡げていくことだ。
並行して、OUEN Japan が初めてOUEN塾を開催した福岡県と、佐賀県と長崎県を入れた九州北部の地域創生だ。九州北部を皮切りに、九州全域に拡げていきたい。

そのために私ができることは、「OUEN塾の学生たちとOUEN Companyの皆さんとの協働による地域創生」の応援団長として、黒子となって地域創生をサポートすることだ。

今年は第一生の締め括りであり、来年は第二生のスタートの年になる。
リニューアルオープンの儀式が6月4日(土)午前の第一生の生前葬であり、午後の第二生の出陣式になる。

心も身体もリフレッシュするためには、何事も区切りを付けることが必須だ。
リニューアルオープンは新たな生を生きていく不可欠なイベントなのだ。

小林 博重