サラリーマンから足を洗って20年近くになる。当初はどうなることかと不安だったが、なりふり構わず動いてみると何とかなるものだ。
日々の生活費を稼ぐのに四苦八苦で、哲学なるものを考える余裕もなかったが、「三つ子の魂百まで」は真実だ。幼い頃、祖父母にことある毎に言われていた「人として恥ずかしい生き方はするな」という教えと東大応援部で叩き込まれた3Sスピリッツ(Service、Sacrifice、Study)は、知らず知らず私の血肉になっていたのだろう。それに、稲盛哲学(忘己利他、世のため人のために生きる)が祖父母の教えと東大応援部の精神をアウフヘーベンさせてくれたのだ。

人は何のために生まれてきたのか。私は、人は「天が人をこの世に送り出す時に与えてくれたミッションを果たすために生まれてきたのだ」と思っている。

自分のミッションが何かを自覚し、そのミッションを果たすことが私の幸せだ。それは第一に私のためであり、それが世のため人のためになる(活私奉公)。そして、私は幸せな人生を送ることができる。 さだまさしも「いのちの理由」で「しあわせになるために誰もが生まれてきたんだよ」と歌っているではないか。

ウォーキングをしながら考える。私の宮仕え時代は順風満帆。そして、私の自由業(フリーター)時代は七転八倒から七転び八起き。
どちらが楽しかったかと言えば、どちらも楽しかったし楽しい。しかし、下らない忖度をすることのない今の自由業が私には一番性に合っている。それと、自分の裁量で仕事をすることの喜びは会社の比ではない。

そして、私の自由業が作家やタレントのような自らの力量で勝負する種類のそれではないことが、私が人とのつながりを他よりも大切にしなければならない理由だ。

「類は友を呼ぶ」という諺は、私にとってビジネスのベースになっている。
人生100年時代を私は現役100年と解している。そのためには「類は友を呼ぶ」ことでなければ現役を100年続けることができないと思う。そして、それは私のような自由業でなければならない。宮仕えは長くても80歳が関の山だろう。

そんなことで、私の人生の選択は間違っていなかったと自信を持って言うことができる。
これからも誰にも負けない努力で、得手を磨き続けることだ。

小林 博重