漸く、秋らしい爽やかなウォーキング日和になってきた。今朝も、外苑前→三宅坂坂→皇居を逆時計回りに一周→三宅坂→外苑前と2時間のウォーキングを楽しんだ。

歩きながら何度も何度も同じことを考える。

稲盛さんから教えられたこと「人生や経営に不可欠なこと→単純な原理原則を揺るぎない指針とする」ことは、私の応援哲学のど真ん中にある。

稲盛和夫さんは仰っている。

京セラは、私が二十七歳のときに周囲の方々につくっていただいた会社ですが、私は経営の素人で、その知識も経験もないため、どうすれば経営というものがうまくいくのか、皆目見当がつきませんでした。困り果てた私は、とにかく人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと心に決めました。

すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わった、そして大人になるにつれて忘れてしまう、単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。

経営について無知だったということもありますが、一般に広く浸透しているモラルや道徳に反することをして、うまくいくことなど一つもあるはずがないという、これまた単純な確信があったからです。

それはとてもシンプルな基準でしたが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って経営していくことで迷いなく正しい道を歩むことができ、事業を成功へと導くことができたのです。

私の成功に理由を求めるとすれば、たったそれだけのことなのかもしれません。つまり、私には才能は不足していたかもしれないが、人間として正しいことを追求するという、単純な、しかし力強い指針があったということです。

人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないか、私はこのことを生きるうえでもっとも大切なことだと肝に銘じ、人生を通じて必死に守ろうと努めてきたのです。

一方、また考える。

ガンジーは言っている。

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

北朝鮮の拉致被害者である横田めぐみさんの母である横田早紀江さんや、池袋暴走事故の遺族である松永拓也さんは、ガンジーの箴言をどのようにお聞きになるだろうか。

「許す」ということは本当に強さの証であるのか。強い人間であっても、決して「許す」ことができないことがあるのではないだろうか。

この私にも、決して人を許すことができないことがある。それでは、私はまだまだ強くはないのだろうか。

怒りの炎を心の奥深くに持ちながら、その炎を「世のため人のために」一層燃え上がらせよう。そうでなければ、私は「人でなし」になる。

坂本龍馬は言っている。

金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。

金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。

信なくば立たず

名こそ惜しけれ

私は人間として生きる。

小林 博重