昨年(2020年)の日本人の平均寿命は女性が87.74歳、男性が81.64歳で、いずれも過去最高を更新したことが30日、厚生労働省の集計で分かった。日本は女性が世界1位、男性が世界2位だとか。

私は今年、数え70歳になった。11月で満69歳だ。

私は、「我が人生は120年」と想定しており、来年6月には第一生の生前葬と第二の生の出陣式を予定しているが、平均寿命まであと13年というのも厳然たる事実ではある。

そう考えると「人生遠くに来たもんだ。今は人生の終盤戦なのか」とちょっとセンチになる気持ちも心の片隅にあるにはある。

この両極端をバランスよく心に持って生きることが大人の人間なのだが、その成長度合いが私はまだ今一だ。

一生懸命に生きて働いているのだが、いろいろな障害にぶつかって右往左往する自分を発見する。

信頼する人たちのアドバイスをいただきながら「そうか、そうなんだ」と思うことも一度や二度ではない。

そして、最後には、いつも稲盛和夫さんのご本に行き着く。全てのご著書は読んでいるのだが、それがまだまだ血肉になっていないのだ。

今日は夜中の1時過ぎに目が覚めて寝つかれない。えいゃと思って起きて、2時に自宅から徒歩2分の事務所に来て、稲盛和夫さんのご著書を読み直した。

『生き方』はもう何十回読んだことだろう。もう一度読み直して、少しでも血肉にしなければと思う。

『生き方』〜人間として一番大切なこと〜

表紙をめくるとそこには稲盛さんの直筆で『敬天愛人』と書かれている。

[混迷の時代だからこそ「生き方」を問い直す]

混迷の時代に最も必要なのは「人間は何のために生きるのか」という根本的な問いだ。そのことに真正面から向かい合い、生きる指針としての「哲学」を確立することが必要だ。

[魂を磨いていくことが、この世を生きる意味]

人生の目的は心を高めること、魂を磨くことにある。

「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわち僅かなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだと答える。

俗世間に生き、様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて生き絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として己の人間性を高め、精神を修養し、この世にやって来た時よりも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。このことより他に、人間が生きる目的はないと思う。

現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は、心を高め、魂を錬磨することにある。

[単純な原理原則が揺るぎない指針となる]

魂は「生き方」次第で磨かれもすれば曇りもするものだ。人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなる。

人格は「性格+哲学」という式で、表せる。人間が生まれながらに持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格は成り立っている。つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものを付け加えていくことにより、人格(心魂の品格)は陶冶されていく。

したがって、どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、その人の人格が決まってくる。哲学という根っこをしっかりと張らなければ、人格という木の幹を太く、真っ直ぐに成長させることはできない。

では、どのような哲学が必要なのかといえば、それは、「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳だ。すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、誰もが子どものころ、親や先生から教わった単純な規範だ。

私の成功に理由を求めるとすれば、たったそれだけのことなのかもしれない。人間として正しいことを追求するという、単純な、しかし力強い指針があったということだ。

人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないか・・・このことを生きる上で最も大切なことだと肝に銘じ、人生を通じて必死に守ろうと努めてきた。

今こそ、人間としての根本の原理原則に立ち返り、それに沿って日々を確かに生きることが求められているのではないか。

稲盛さんの仰ることを反芻し、「そうだ。人間としての根本の原理原則に立ち返ることだ。何も難しいことではない」と今、改めて思うに至った。

ほんとに私は70にもなって何を悩んでいたのか。成長が遅いにもほどがある。

小林 博重