ウォーキングしながら「天職」について考える。

・「天職」とは、天が与えた、その人にぴったりあった、天性に最も合った職業
・やりがいを感じ、意欲的に取り組め、たとえ貰えるお金が少なかったとしても続けたいと思える職業

幼い頃は政治家を志望した。大学の時は官僚になろうと思った。銀行員になった時思ったことは、「高い志を持った経営者の想いを実現するために、人間の血液とも言える資金を供給する」銀行家になりたいと思った。しかしながら、現実には、組織の中で高い志の銀行家になることは、私の力量では不可能との思いが沸沸と湧いてきて、44歳6ヶ月で退職するに至った。

それで天職を探すために転々としたわけではない。そんなかっこいい人生は送っていない。
「生活をするために働く」という現実に追われて彷徨う日々の連続だった。そういう中にも心の底で「私にとって何が天職なのか」を求め続けて生きてきたということだ。

還暦を過ぎ、今年は数え70歳の古稀を迎えた。馬齢を重ねて70年を生きてきたというところか。

成り行きで、個人会社とNPOを立ち上げた。大望があってのことではない。サラリーマンとおさらばして、一匹狼で生きていこうと思った。そう生きるしか生きる術がなかったというのが偽らざる事実である。

それまでのいろいろな人たちからの教えを反芻しながら、七転八倒しながら生きてきて、嘘偽りなく自分を見つめ直すと、結構突っ張って生きてきた自分を発見した。

人間、自分をよく見せようととの思いがどこかにある。これが手かせ足かせになって、今ひとつ素直に自分を表現できないでいたのだろう。
そのまま生きるほうが気楽でいい。素で生きることだ。そうすれば、相手も素直に接してくれる。私はオールラウンダーではない凸凹な人間なのだから、突っ張ったって人はすぐそれを見抜いて心の底から信用してくれない。 凹んだところを包み隠さずそのまま表現することで、それは気楽でストレスはなくなり、相手もこちらの懐に入ってきてくれることに気がついた。
組織内で生きる時にはどうしても人間関係は上下関係がつきものだが、人間は人間、皆平等だ。一匹狼になったのだから、全ての人と対等な関係で付き合うことにしよう。偉い偉くないは関係ない。それは生きるための役割に過ぎない。そう思ったら、誰とでも物怖じせずに付き合うことができるようになった。大会社の社長でも偉い顔をした政治家でも、そんなことは私には何の関係もない。

自分の天職は何か。
その天職はいつ頃見つけることができるのか。
それは人さまざまだろう。たとえば、天才は幼少期かもしれない。ピアニストの辻井伸行さんや将棋棋士の藤井聡太さんなどの天才は幼くして天職を見つけたと言えるだろう。我々 凡人が20代で天職を見つけることは至難の業なのではないか。

私は人生120歳と設計している凡人だが、古稀の年齢は私にとって、42.195kmのマラソンで例えれば、まだ25km地点だ。人生100年としてもまだ30km地点になる。 ラストスパートにはまだ早い。しかし、いつくたばるかもしれない。一層健康に留意することだ。

いずれにしても、人生100年時代は古稀に天職を見つけることは決して遅くはないのだ。

私の天職は、OUEN Japanで、若者と企業の皆さんと力を合わせて地域創生をサポートする応援団長になることだ。

応援は黒子。黒子に徹すること。決して主役になってはいけない。そのことを忘れて欲を掻くと、晩節を汚すことになる。せっかく築き上げてきた「人格」を貶めることになるのだ。 「汝自身を知れ」ということだ。

小林 博重