2021年 9月 3日の投稿一覧

不毛の政治/守山淳さんの評論

経営コンサルタントの守山淳さんは、私のメールに政治・経済を中心とした評論を定期的に送ってくださる。
今日は、本日の菅総理の自民党総裁選不出馬について、下記のように思うところを送ってくださった。

小林 博重

 菅総理が総裁選に不出馬を表明しました。安倍総理の後を受け圧倒的支持率で総理になって僅か1年での交替となります。
 コロナ対策などでの不手際、発信の稚拙さなどで評価が急落しましたが横浜市長選の敗北が大きく基盤の弱い党内若手議員から菅総理の下では選挙が戦えないという声が大きかったと思います。

 コロナは誰がやっても苦労すると思います。その意味では気の毒な面はあります。連日マスコミに酷評される夫を見て賢婦人は心を痛め総理を辞めて欲しいと願っていたのではないでしょうか。少なくとも嘘で固めた前総理や夫人よりはまともであったと私は思います。

オリンピック開催の年は総理大臣が交替するというジンクスも破れませんでした。64年の東京オリンピックは池田総理、札幌の佐藤総理、長野の橋本総理という具合です。

 次の総裁=総理大臣は誰になるのか。誰が成っても自民党の体質は変わらず、どんなに支持率低迷しても「野党よりはマシ」で自公政権は揺るがない処に日本の悲劇があります。
 岸田氏は立候補表明の際に「二階おろし」を明確にしました。それに不快感を示した二階幹事長が今まで疎遠にしていた石破支持で動いているとの報道もあります。要は岸田になったら自分は幹事長を解任され影響力が低下するから、でしょう。こんな政治家は早く去ってほしいと思っています。せめて世界に誇れる国家・国民目線の新しいリーダーを選出して欲しいと思います。

自民党総裁選に思う。

今朝は3時に起きて事務所に出向いた。今日も一日中雨。5時の気温は19°。9月初めとは思えない。ウォーキングは中止。靴擦れで足の状態は完璧でないから、ウォーキングは休めということなのだろう。

アリストテレスは『汝自身を知れ』と言っている。自分の無知を知ることから全ては始まる。人間の成長は自分自身の無知を知ることから始まるのだ。
しかし、人は自分を素直に見つめることはなかなかできないらしい。たとえ見つめて分かったとしても、人は見栄や外聞を気にする。他人に良いように思われたいと思うから自分に素直になれない。そこで自分の成長を止めてしまうのだ。

しかし、いくら自分を隠しても、他人はそんなことはお見通しのことがほとんどだ。隠し事は自然と顔や態度に出てしまう。そして、隠そうとしていることで疲れてしまう。心が貧しくなってしまう。

人は自分には甘いが人には厳しいからだ。人間はそれほど浅はかな動物だ。「人間ができた人」はそんじょそこらにそういるものではない。

私は自民党員ではないし、その他の党の党員でもない。いわゆる無党派層だ。
生まれは石川県能登地方なので、幼い頃は能登から3人の衆議院議員が選出されていた。全て自民党だ。能登はいわゆる保守王国だ。その時は、私は政治は自民党と思っていた。しかし、長ずるにつれ無党派になった。

政治家は私とは住む世界が違う人、人間がピュアでない人のイメージができてしまった。
西郷隆盛のような『国ために命を懸ける』人はいない。私服を肥やすことに血眼になる、権力の亡者と化した政治家が多いような気がする。

特に今の総理大臣はその極みのように思う。口では「コロナ優先」と言っているが本音は自己保身でしかない。総裁選ではそれが如実に出ている。 それに対して、挑む岸田前政調会長は前回の総裁選での敗戦から臥薪嘗胆、一皮も二皮も剥けたような気がする。
今までは実力者と言われる人たちに対し、エリートゆえの忖度があったように思うが、「岸田は終わった」との世間の評価を乗り越え、力強い頼り甲斐がある政治家に生まれ変わったように思う。 BS-TBSの「報道1930」に出演されていたが、それは顔に出ていた。

私は自民党員ではないし、全く政治に関わろうとも思っていない。忖度しなければならない組織に属しているわけでもないし、影響力がある人間でもない。

私はどんな人間がリーダーとして相応しいか、人間如何に生きるべきか、といつも考えを巡らしている一市井人でしかない。

カリスマ経営者から学ぶところは多いが、政治家はそうでなかった。しかし、リーダーとしてあるべき能力、熱意、考え方、人格、高潔性、品性は自民党総裁選で学ぶことができる。

小林 博重

リンカーンの箴言

40才を過ぎた人間は、自分の顔に責任を持たなくてはならない。

大統領にしても、靴磨きにしても、世のため、人のために働く公僕だ。世の中に卑しい業というものはない。ただし、心の卑しい人はいるものだ。

君の決心が固いものなら、もうすでに希望の半分は実現している。
夢を実現させるのだという強い決意こそが、何にもまして重要であることを決して忘れてはならない。

自己の向上を心がけている者は、喧嘩などする暇がないはずだ。
おまけに、喧嘩の結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、いよいよ喧嘩はできなくなる。

細道で犬に出会ったら、権利を主張して咬みつかれるよりも、犬に道を譲った方が賢明だ。
たとえ犬を殺したとしても、咬まれた傷は治らない。

こうして人間に生まれてきたからには、やはり何か生きがいが感じられるまで生きている義務がある。

そのことはできる、それをやる、と決断せよ。
それからその方法を見つけるのだ。

もし、木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう。

私は一つ、痛切な願いを持っている。
それは、私がこの世に住んだがゆえに、少しだけ世の中が良くなったということが認められるまでは、生きていたいということだ。