真夜中に目覚める。昨夜の就寝は9時だった。今は3時前。6時間近く眠ったことになる。もう一寝入りすることもあり、眠れないことも間々ある。どちらにせよ、なすがまま、なるがままに生きていくことが幸せだ。こうあらねばならないと生きることは人生を窮屈なものにする。
ただし、何が正しいことか、人間として正しい見方や考え方を追求することを止めてはいけない。なるがまま、なすがままとは、なるがまま、なすがままに、人間として間違ったことをしてもいいということとは違う。生きるベースに「人間として正しいことは何か」を絶えず追求することがあるのだ。

衆議院議員選挙が近い。派閥の領袖は如何に自分の勢力を拡大するか、なりふり構わず発言し行動している。辻褄が合わないことも、「無理が通れば道理がひっこむ」ことを屁とも思っていないようだ。世の中に跋扈している政治家先生は殆どそのような人種のようだ。「悪貨は良貨を駆逐する」のが世の常なのか。

幼い頃、能登の田舎で、大きくなったら政治家になろうと思っていた。ちょうど中学2年の時、吉田茂元総理の戦後初の国葬があった。私は作文で「国葬されるような人間になりたい」と書いたことがあって、それを先生がクラスの皆に話したことを忘れない。 その時は国のために尽くす人になりたいと単純に思っていたのだろう。それが政治家先生なんだと思ったのだろうが、そんなステイツマンは今の日本にはいない。

古稀にならんとする私にできるのとは、やはり、世のため人のために尽くすことだ。

「世のため人のために生きる心は未だも消えず」

これからの後半人生、何をどれだけできるだろうか。

高校の同期が何人か鬼籍に入った。男ばかりだ。大学時代からの親友が岡山で病に伏せっている。妻がお見舞いを送ったが、そのお礼の電話をもらった。昨夜9時過ぎだったが、私が寝入った後で、留守電が入っていた。言葉に元気がない。辛いんだろうといたたまれない気持ちになる。

お互い、まもなく古稀になる歳になった。65歳以上は高齢者。年金も少しもらっている。同期で勤め人だった連中は、殆どが第二の人生だ。

私は来年、前半人生の区切りをつけて、第1回の生前葬を執り行う。そして、人生の後半戦、人生二毛作のスタートを切る。
毎日早暁に2時間ウォーキングをして、活力ある元気な毎日を送ることができることに深く感謝しなければならないと思う。

元気な時にしか生前葬はできないと思う。少なくとも、私は、あと幾ばくもない命だと告げられた時は生前葬はできないのではないかと思う。

そんなことを考えると、生前葬は第二の人生のスタートのイベントであり、第2回以降の生前葬は、「1年元気で頑張って生きてきた。これからもう1年、皆さんのお役に立つように頑張ります」と自他に宣言するイベントなのだろう。 何回できるだろうか。目標は50回と設定しておこうか。

小林 博重