南麻布の了聞を見学する⑴

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今日は南麻布の了聞を見学する日だ。了聞は都市型納骨堂で草刈正雄がCMで主演している。4月からオンエアされているが、都市型納骨堂のCMが散見されるなかでも、品があってグレードも高いと好感を持って観ていた。草刈正雄や南麻布のイメージも好感度に大いに貢献している。

たまたま、銀行の後輩だった馬形さんが勤めることになったと聞いて、これもご縁だとますます身近に感じたわけだ。

それと、私が古稀が間近の歳になったということもあるだろう。気持ちは”一生青春、一生燃焼”であっても、身体は歳相応にガタが来ている。だから、一層のメンテナンスの必要性を感じていて、ここのところメンテナンスには怠らない生活をしている。

人生100年時代だ(私は、現役100年、人生120年だが)。

70歳までが私の春夏だが、この70歳が私にとっての大きな区切りのような気がする。今までは「人生二毛作」と言っていたこともあったが、それは現実とは必ずしも一致していない。その点、人生の「春夏秋冬」は夢と現実をミックスさせたベストネーミングと思っている。


生簀でのびのびと育ち育てられた45年間。甘ちゃんのままで苦労知らずの45年間。たくさんの人たちにお世話になった。これが私のベースになっている。 「敬天愛人」と「応援人生」が私の生きるモットーだ。


波乱万丈、七転八倒の25年間。しかし、真っ直ぐに生きてきたことで、温かい人脈はたくさんできた。無駄だったなと思うことも多かったが、それを無駄に終わらせないためにも、70歳までの1年半の整理整頓が重要だ。 起こったことは起こるべくして起こったこと。全ては、私を成長させようと天が与えてくださった磨き砂なのだ。


1年半後からの30年だ。今まで撒いてきた種が大きく実る30年だ。
「もう、君には頼まない」「粗にして野だが、卑ではない」人生を送りたいが、”上善水の如し”の心の広い穏やかな対応を心がけることで、人間のレベルは一段も二段も上がるだろう。

「来る者は拒まず、去る者は追わず」
渋沢栄一は、会って話を聞いてほしいと言う人には、拒まず会っていたらしい。あれだけの人になっても、偉ぶることなく門戸は広く開けていたのだ。たまには騙されることもあったらしいが、それも気にせず、その主義を貫き続けた。騙されると人間は成長する。それで人間不信になって人間嫌いになる人はそれまでの人だ。人間の醜さを知ることは人間の深みを知ることでもある。そして人間がますます好きになるのだ。

一本独鈷の人生は独りで生きる人生ではない。一本独鈷であるからこそ、「人の輪・和」の必要性を誰よりも大切にする。そして、筋の通った人生を送ろうとする。人間の深みを知る哲学者になるのだ。


忘れていた。春夏秋冬には締めくくりに冬があることを。冬は寒く暗い印象があるが、次の年の春の息吹を仕込む季節でもある。
宇宙の大きな流れは絶えることはない。”志”のバトンを後に続く人たちに渡す大切な役割がある。

そして、私は終の住処で永遠の眠りに着くのだ。
それは南麻布の了聞かも知れない。

今日は、じっくりと了聞を見学してこようと思う。

小林 博重

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