リーダーには、才よりも徳が求められる

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一昨日、昨日と、2時間ウォーキングに精を出している。

昨夕、「明日は五月晴れだ。自信を持って言います」と、ウエザーマップ創業者で天気予報士の森田正光さんが言っていた。今日もウォーキングだ。3日連続のウォーキングを楽しもうと思う。昨夕のテレビニュースで、緊急事態宣言にも関わらず3密を無視して行楽を楽しんでいる人たちを放送していた。「因果応報」の言葉を思い起こして行動していただきたいものだ。

ウォーキングは心身の健康のために一石二鳥の運動だ。健康は勿論のこと、歩きながら物事を整理できるし、アイディアが閃くことも間々ある。

2時間ウォーキングをすると、私は速足なので歩数は1万5千歩強くらいだ。「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」と諺にあるが、無理をすることなくウォーキングを楽しむことにしよう。

稲盛和夫さんのロングベストセラー『生き方』〜人間として一番大切なこと〜(サンマーク出版)を読む。

もう何回読んだことだろう。いつも新鮮な気持ちで読む。私の最高のバイブルだ。

私は一匹狼で生きているが、「人間として、そのリーダーでありたい」と思っている。

第3章「心を磨き、高める」の中の「リーダーには、才よりも徳が求められる」が、私が目指すところの指針だ。

稲盛さんは仰る。

私が考えた「人生の方程式」は、考え方、熱意、能力という三つの要素の乗数で表されます。

不祥事を起こしたエリートたちはみな、人並みすぐれた能力をもっていたはずです。熱意や使命感もあり、これまた人並み以上の努力もしたにちがいありません。しかし肝心の「考え方」に問題があったため、せっかくの能力や熱意も正しい方向へ発揮されなかった。そのために誤った行為を犯し、社会に害をなしたばかりか、自らの首を絞めるようなことにもなってしまったわけです。

ここでいう考え方とは、生きる姿勢、つまり哲学や思想、倫理観などのことであり、それらをすべて包含した「人格」のことであります。謙虚という徳もその一つに数えられるでしょう。その人格がゆがんでいたり、邪なものであれば、いくら能力や熱意に恵まれていようがーーーーーいや恵まれていればいるほどーーーーーもたらされる結果の「負」の値は大きくなってしまうのです。

道徳の崩壊、モラルの喪失がいわれる昨今こそ、こうした言葉の意味を肝に銘じるべきでしょう。人の上に立つ者には才覚よりも人格が問われるのです。人並はずれた才覚の持ち主であればあるほど、その才におぼれないよう、つまり、余人にはない能力が誤った方向へ使われないようコントロールするものが必要になる。

それが徳であり、人格なのです。徳というと、そこに復古的な響きを感じる人もいるかもしれませんが、人格の陶冶に古いも新しいもないはずです。

同じような趣旨のことを、中国は明代の思想家、呂新吾がその著書「呻吟語」の中で明確に説いています。すなわち、

「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」

この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力といいかえられるでしょう。つまり呂新吾は、人の上に立つ者はその三つの要素を兼ね備えていることが望ましいが、もしそこに序列をつけるなら、一が人格、二が勇気、三が能力であると述べているのです。

私自身のことは勿論のこと、どのような人をビジネスパートナーとするか。同様な観点で人を選ぶことを忘れてはいけない。

小林 博重

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