西郷隆盛の「敬天愛人」を思う。

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生まれてきた意味について考える。

中学生の時、吉田茂元首相の国葬があった。戦後は国葬と言えば皇族の専売特許と思っていたが、一般国民では戦後初めての国葬だった(その後、国葬は行われていない)。吉田茂の戦後復興における功績はそれほどのものだったのだろう。 私は作文に「私は、国葬になりたい」と書いた。先生は「日本語になっていない」と笑ったが、そのことを鮮明に覚えている。
高校生では「政治家、それも総理大臣になりたい」などとクラスでの自己紹介で発言した。
それで東大法学部を目指したのだろう。祖父がいつも私に「国のために生きるんだよ」と言っていた。平和国家になって、軍隊がなくなったこともある。陸軍大将、海軍大将を目指す時代ではない。そうであれば、政治家、それも総理大臣だろうと思ったのだろう。

大学で応援部に入部した。応援部は運動部の一つだが、人間学部のようなところがある。OBとの距離は近いし、東京六大学や旧国立大学の応援団等と、応援活動の他、人間的交流がある。これが人間学部という所以だ。それは68歳になった今も続いている。

その人間学部にどっぷり浸かり、勉強は人間学部で、法学部は阿呆学部だったこともあって、公務員試験は見事ドロップした。
お世話になっていた先輩のお誘いで、私には全く似つかわしくない銀行員になった。
安田信託銀行人事部の採用担当者は「安田信託銀行は、信託であって銀行ではない」という、私にしか通用しないセールストークに惹かれて入社した。 しかし、信託銀行はやはり銀行だ。よく21年も勤めたものだが、一番は妻に巡り会ったことだろうか。

44歳からの人生は、私にとって波乱万丈だった。生簀の魚が突然冬の日本海に飛び込んだようなものだった。あと先考えず「若気の至り」で飛び出した。結果オーライではあるものの、あまり人にお勧めはできない。

そして、何とか24年間生きてきた。還暦過ぎて「あぁ、これが自分のミッションか」と確信したものの、ちょっと遅すぎる。
あとは健康に留意して、100歳現役を目指してミッションを果たすしかない。

①学生・留学生の応援団
②学生・留学生を応援してくださる企業の応援団
③学生・留学生と企業を巻き込んで、地方創生をサポートする

私独りでは何もできない。多くの私の応援団がいなければ、何もできない。
今までは、私は皆さんの応援団だったが、これからは、それに加えて、皆さんに応援していただき、ミッションを果たさなければならない。応援はキャッチボールなのだ。

私が皆さんに応援していただくためには、私は皆さんが私についていきたくなるような「大きな器量」の人間でなければならない。

福田和也さんは「器量は水平に広がる」いう。

「今の世間は、高い、低いが人の価値尺度の基準になっています。高学歴とか、低収入とか。英語検定の得点が高いとか、偏差値が低いとか。垂直ばかり気にしている。 でも器量というのは、高い低いではないのですね。水平というか、面積というか。デカい、ちっちぇ。
やみくもに上を、より高いものだけをめざしても、人の器は育ちません。異質なもの、未知なものと触れ、感応する力が必要です。
(中略)

適度の紆余曲折があったほうが、社会に出てから上手く行く傾向にあるような気もします。勿論、すんなり最短コースを走っていても、人間知に富んだ学生さんもいますが、そういう人は、進んでいろんな人とつきあったり、仲間と雑誌を作って売ったり、気軽に外国に行ったりすることができる。(中略)

器が大きいと云われるほどの人物は生涯かけて自分を新たな場所に立たせ続けてきたのではないでしょうか」

私は、西郷隆盛が「大きい器量」の第一人者だと思う。
明治維新の三傑の中でも、飛び抜けている人格者だ。

「敬天愛人」の人。天を敬い、人を愛す「無私利他の人」。純粋無垢な人。そうでありながら、権謀術数を尽くして、幕府を討幕に導いていった。この両極を併せ持つことができる人が「大きい器量」の人物ということだろう。 ただ鷹揚なだけではない、悪にも強いことが求められるのだ。

底辺には「敬天愛人」の思想がある。そうでなければ、多くの人が「西郷どんに命を預ける」と言って集まってこないだろう。

今の総理に欠けているのは、西郷の「温かい心」なのではないか。権力を振り翳すだけで人は心から付いてこない。

小林 博重

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