懐かしい同期からのメール

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半世紀ぶりに高校の同期から嬉しいメールをいただいた。

毎年2回、高校の同期会を開催していたが、このコロナ禍で開催できていない。それで、同期有志がZOOM同期会を開催しようということが、メールをいただいた切っ掛けだ。

半世紀はアッという間だった。光陰矢の如し。あと半世紀となると、68歳+50年=118歳。私の計画では120歳まで生きるということだから、何とか生きていると思うが、そのとき生きているのは同期では私だけかもしれない。そんなことを考えると、生き続けることは必ずしも幸せではない。

人生のミッションを果たすことができたら、後輩にバトンタッチして、爽やかに旅立つことが目指すところだ。

寺沢 邦彦 様
メールありがとうございます。
高校卒業は18歳。今はお互い、68歳ですから、40年どころではありません。半世紀ぶりです。懐かしいですね。

勿論、寺沢さんのことは、よく覚えています。
お互い能登出身です。寺沢さんが羽咋市、私は鹿西町能登部(現、中能登町)ですから隣町です。

私は金沢の寺町に下宿していて、高校1年生のおりは毎週実家に帰っていました。寺沢さんと七尾線でお会いしたのは、土曜日の授業を終えて実家に帰る七尾線の車内ではないでしょうか。
私は米谷先生が担任でしたから、寺沢さんも1年B組だったのですか。

寺沢さんは在米35年とは、人生の半分以上がアメリカ生活ですね。新天地を求めて渡米され、ご活躍されていらっしゃるのですね。ドメスティックな私には想像もできません。

私は東大を卒業して安田信託銀行に入社し、21年間勤めておりましたが、バブルが弾けて銀行の方向性が「起業家育成」から「大蔵省のご機嫌伺」に方向転換せざるを得ないことになった時代になって、役員とぶつかったこともあって44歳で退職しました。

その後、職を転々としましたが、55歳になって個人会社を立ち上げ、その流れでNPO法人OUEN Japanを設立し、現在に至っております。
このNPOは「日本人大学生や来日留学生の応援団」として、若者たちの応援団ですが、この若者たちを巻き込んで地方創生のサポートをするNPOを目指しております。
大学で応援団長をしていましたが、その延長戦をしているところです。そして「日本の応援団長」になりたいと思っています。

サラリーマンの階段を順調に登っていましたが、40歳過ぎに京セラの稲盛和夫さんに巡り合ったことで、私の人生は大きく変わりました。

それまでは、立身出世、サラリーマンの一本道でしたが、稲盛さんからは「何のために生きているのか」「生まれてきた意味は」と人間の生きる意味を深掘りすることを教えられました。
そして、自分のミッションは何かが、遅ればせながら還暦になって胸にストンと落ちたのです。
後はそれを果たすために、人生100歳現役。そのあとの20年が余生と決めて、健康に一層留意しながら、生きていきたいと思っています。

金沢大学附属高校22回生の同期会は、私と友枝恵さん(現、大津恵さん)が関東同期会の永年幹事で、年に2回(春と秋)開催していましたが、コロナで開催できていません(友枝さんは関西同期会の幹事でもあります)。
卒業50周年の同期会は昨年秋、金沢の金城楼で計画されていました。延期された今年も中止を余儀なくされました。

それで、ZOOM同期会を開催しようと友枝さん(+沢崎さん、元女さん、佐藤さん)が発起人になり、私がメールの一斉発信役を引き受けているということです。

今月中に開催を予定しておりますので、そのおりに皆さんのお元気なお顔とお声に接したいと思います。

では、お目にかかることを楽しみにしています。

小林 博重

小林 博重 様
同級生の森栄一君からご紹介あった寺沢邦彦です。
40年ぶりですね。私は羽咋から通っていましたが、なんどか七尾線でお会いしたことがあります。
クラスにての小林君の大きな人柄をはっきりと覚えています。
在米35年にもなり、随分ご無沙汰をしていましたが、今回の同窓会にお招き頂いて心より感謝しております。アイオワ州のリベラルアーツ大学で教鞭をとっています。研究年とCORONAの状況で、東京にてオンラインで教えることを大学が許可してくれ、昨年8月より東京にて過ごしています。またお会いできるのを楽しみにしています。

ご健康をお祈りいたします。

寺沢 拝

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