総務省幹部が、菅総理の長男が勤める「東北新社」から接待を受けていた問題で、総務審議官当時に7万円を超える接待を受けていた山田真貴子内閣広報官も参考人として国会に呼ばれ質問を受けた。
接待する人もされる人も、その心根は極めて低い。開いた口が塞がらない。
中国明代の儒学者である呂新吾は『呻吟語』で「人物」について語っている。
曰く、
深沈厚重なるは、これ第一等の資質
磊落豪遊なるは、これ第二等の資質
聡明才弁なるは、これ第三等の資質
リーダーとして一番重要な資質は、常に物事を深く考える重厚な性格だと言っている。
そして、聡明才弁な頭がよくて才能があり弁舌が立つ人はリーダーとして3番目の資質でしかないと。
政治家や高級官僚は「国民のため、国のため」と思って、「無私利他」の精神で国政に当たるべきであろう。
しかし、政治主導と聞こえはいいが、この政治主導とは、権謀術数でトップにまで登り詰めた人間が、その権力を笠に着て、上から目線で官僚を操っているとしか思えない。気骨ある官僚は飛ばされ、出世したい第三等の聡明才弁な官僚は忖度の限りを尽くす。
そもそも、リーダーとは「人間をつくる」「この人についていこうと思う、心から尊敬される」人格者ではないのか。
そして、家族をはじめとした身内は、その人の背中を見て、自力他力で育っていくのではないか。
孔子の教えに「修身斉家治国平天下」がある。
天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治める、そして天下を平和にすべきという意味だ。
まずは、自分→家庭→国の順序で、行動することで、世の中を平和にすることができる。
自分を修めているのか。
家庭を斉(ととのえ)ているのか。
それから国だ。その先に天下がある。
果たして、私はどうだろうか。
世のため人のためという前に、自分を修めることだ。家庭をととのえることだ。
お陰様で、妻は3人の息子たちを立派に育ててくれた。これからは、私が彼らに、背中であるべき「生き方」を教えていくことだ。
政治家や官僚の姑息な生き方から「他山の石」として、精神を磨き続けていきたい。
小林 博重