久しぶりに2日続けて、ウォーキングをした。昨日は、外苑前〜絵画館〜四ツ谷〜半蔵門〜市ヶ谷〜四ツ谷〜外苑前。今日は逆コースで、外苑前〜四ツ谷〜市ヶ谷〜半蔵門〜赤坂見附〜青山〜外苑前。いずれも約2時間のいつものコースだ。
緊急事態モードに突入して2時間ウォーキングが日常になる。人間ドックで、野菜多めの食生活と腹八分目、適度なウォーキングを指摘されたのも影響している。そして、今日は帰りに外苑前のヴィルマルシェ青山で野菜を中心の買い物をした。人生100年、あと32年は現役人生なのだ。健康に一層留意気しよう。

歩きながら考えた。今日のTBSテレビ8時からのサンデーモーニングを観ていたら、1月12日に亡くなった半藤一利さんのことを特集していた。 半藤さんは東大ボート部卒部、文芸春秋の社員・役員を経てジャーナリスト。特に『昭和史』について造詣が深く、私も何冊か読んだ。 彼は太平洋戦争の死にかけた経験がいつも頭にあって「歴史に絶対はない」が彼の哲学だったとか。「絶対、正義は勝つ」
「絶対、神風が吹く」
「絶対、日本は勝つ」
「絶対」「絶対」が日本を敗戦に追いやったと。
そして半藤さんは「絶対」という言葉を使わないようにしたのだと。しかし、たった一つ「絶対」を使わなければならない。それは「絶対に戦争はしてはいけない」ということだと。

ところで今の日本はどうだ。どちらかと言ったら「保守反動(半藤)」と言われていた半藤さんが今は左と言われるような時代になった。安倍政権における「集団的自衛権の憲法解釈変更」が20年先、30年先に一大転換点だと言われるのではないかと半藤さんは心配する。日本はそれだけ右傾化してきた。それを菅政権も引き継いでいる。

半藤さんの仰る通りだ。日本は少しずつ右傾化の道を歩いている。そう思う人はそう多くないかもしれないが、日本人は騙されて「茹でガエル」になっているのかもしれない。知らないうちに、戦争という熱狂に突き進むかもしれない。恐ろしいことだ。

個人的に考えても「絶対」と思っても冷静に考えると「絶対」はない。私も「絶対」が好きだが、深いところで「絶対」はないと思っている自分がいる。世の中は、全て「相対」なのだろう。 しかし「絶対」は気分がいいし、自分は正義になったつもりになる。

「絶対」はないが、「絶対」になるように本質を追求することだ。それは相対であり、冷静であるということだ。

そんなことを、歩きながら考えた。

小林 博重