校歌を想う 。ふるさとをふり顧る。

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今日も4時前に目覚めた。

私のふるさとは石川県の中能登だ。

中能登と言えば、七尾や和倉温泉、羽咋(はくい)の千里浜海岸は知られているが、生まれた町のアピールするものは私は思いつかない。

そんな何もない田舎町だが、どうしてか、今日は、夢に私の卒業した能登部小学校の校歌が出てきた(校歌と言えば、私は小学校と高等学校しか思い出せない。なぜか中学校校歌は歌詞も曲も全く思い出せない)。

能登部小学校校歌の歌詞には、

①ふるさとの風景

②ふるさとの歴史

③生きる志

があつた。

素直で多感な児童がことあるごとに小学校で校歌を歌うことで、それが自然に私の感性に訴えかけたということだろうか。

その能登部小学校は平成の市町村大合併のあおりで、合併して、今はない。

[能登部小学校校歌]

1.姿優しき眉丈山(びじょうざん) 

流れは清し長曽川(ながそがわ)

鹿西野々(ろくせいのの)の只中に

歴史は古き能登部校

2.遠つ御代より伝え来て

今に栄ゆる織り布は

生業(なりわい)励む里人の

習わし永遠(とわ)に語るかな

3.学びの道は世を理する

全ての業(わざ)の基(もとい)なり

我らもここに務めつつ

やがて尽くさん国のため

また、金沢大学附属高等学校の校歌は、金沢が生んだ歌人「室生犀星」が作詞した格調高いものだ。

[金沢大学附属高等学校校歌]

1.山を仰ふがぬ日もなきは

山の奥處(おくか)に厳しさの

極まりていく空の色

母校を包み白妙に

2.我らの若さをとどめゆく

市街(まち)の北なる荒海は

白波立ててけぶるかな

窓に寄りそふ友や我

3.学びて去らばふり顧(かへ)れ

学び来たらば不変の自然

野田のみちみち謙虚の

若き我らは歌ふかな

歌詞は、私が在学中に教頭先生をされていた川西先生が、室生犀星の東京の自宅を訪問されてお願いしたのだとか。『附高五十年』に下記のように記載されている。

人は過去をふり顧り、現在に生き、未来を夢見る。過去はふるさとであり、歴史である。そして如何に素晴らしい未来を描くことができるか。「賢者は歴史に学ぶ」というが、ふるさとをふり顧ることも未来を切り開く人間には不可欠な要素のように思う。

小林 博重

校歌『学びて去らばふり顧れ』

「学びて去らばふり顧れ」。附属高校生が折にふれ時にふれ歌い継いできた校歌、そして卒業してもなお同窓会しめくくりに必ず歌われる校歌の一節である。

この校歌の作詞者は言うまでもなく室生犀星である。室生犀星に校歌の作詞を依頼したのは、川西弘晃教頭であった。

川西はその時の思い出を、『金大付高新聞』(第九四号)開校20周年記念の特集「はたちの付高」で次のように語っている。

「東京文京区駒込のお宅に犀星先生を訪ねたのは昭和27年晩秋の一日であった。生垣に囲まれた先生のお宅、門を入ると芝生が美しく、その中に飛び石伝いの道が通じている。その道が自然と曲って玄関へ出た。木造和風平屋建ての可成り年代を経た家である。かねてご連絡申し上げておいた訪問であったので、来意を告げると直ちに通された。部屋の中程には四角な炉が切られ、鉄瓶から静かに湯気が立っている。襖と紙障子に囲まれてガラスが全然使われていない。明治の住居に返ったような静けさである。数分後襖を開けて出てこられた先生は、和服をきちんと着こなされているが、丸刈りの頭で、農村育ちの私には田舎の村長さんに相似たようで親近感を覚えた。話題が金沢に入ると、先生の話ぶりはとつとつとではあるがしばし望郷の念にかられておられたようである。やがて私は、学校の性格と所在を申し上げ、厳しい真理探求の態度、あたたかい友情と謙虚な気持ち、師弟の間の信頼感等を織り込んだ校歌の作詞についてお願いした。先生は校歌は純文学ではないのでむつかしいのだ、と言われたが、二カ月の期限を切って快く承諾して頂くことができた。」

昭和28年(1953)の年が開けてまもなく、犀星から校歌の原稿が届けられた。詞に「疑問なり、希望なりあったら申し越されたい」とのことであった。

川西は「謙虚」は音読したら字足らずになるのであるがどう読めばよいのかという質問を折り返した。


「学びて去らばは、卒業の意味でわすれないように思ひだすよう。学び来たらばは、入学、『不変の自然』自然も変わらないといふ意味を入学者に加へて詠んだもの。とくに不変の自然といふ硬い文字をえらんだのは、いくらか額ぶち的な役割です。野田のみちみち謙虚の、は、けんきょですが、やはりさういふ硬さが必要な気がしたのです。この二文字は私にも不本意なものですが、これは適当にお考へになってお示しを願へればそれに改訂してもよいのです。

一章  学校の所在、総則的な示訓、厳格と清浄

二章  海との関係、生徒の和平

三章  学びて去らば、及び次の『来たらば』の二行は教師から生徒への言葉。次の二行は登校の歌

これが犀星の回答の原文そのものである。なお、「謙虚」は改訂されなかったのは言うまでもない。

作曲は、当時の音楽担当教官吉島喜三郎の提案により、同氏の恩師東京芸術大学教授下総皖一に依頼した。下総も「室生犀星さんの作詞なら」と快諾した。

こうして格調高い校歌が出来あがったのである。

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