今日(16日)から18日まで、2泊3日の九州出張だ。羽田空港〜長崎空港〜ハウステンボス〜(泊)〜福岡〜(泊)〜福岡〜福岡空港〜羽田空港。 今年最後の出張になる。

9時35分羽田発だが、1時過ぎに起きて事務所に行く。前日に準備はしてあるが、再確認のチェックと事務作業諸々。それでも見落としがあることがある。歳のせいもあるだろう。有意注意の徹底を怠らないことだ。

朝風呂に浸かって、漸く落ち着く。まだ5時半だ。ブログを書いて、電車が混まない(コロナ禍だから混まないだろうが)うちに、8時前には羽田空港に着くように、7時には事務所を出よう。あと1時間半。ブログを書いて、お茶を飲んで、自省の時間としよう。

昨日は私の身近なところで、ちょっとイラッとすることがあった。まだまだ、人間ができていない。そんなにイライラしていいことは一つもない。落ち着いてよく考える。

天真爛漫という言葉がある。三省堂の辞書に「飾らず自然のみの姿が溢れ出ているさま。生まれつきの素直な心そのままで、明るく純真で無邪気なさま」とある。

松下幸之助さんは「素直な心」を次のように定義している。
「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通じる心であります」 お互い人間が最も好ましい生き方を実現していくには、それに相応しい考え方や行動をすることかわ大切で、その根底になくてはならないものが「素直な心」である。

「素直な心」もピンからキリまであるのだ。
松下幸之助さんが仰る「素直」はピン(最高)の素直であり、キリ(最低)の素直は、私たちが何気なく言うところの「あの人は子どものような無邪気な人だ」と言うことか。

私はよく人に無邪気と言われて、それをいいように思っているが、そうではないのだ。
無邪気のなかに、人への思い遣り、論語で言うところの「恕(じょ)の心」がないと、それは「人を傷つける無邪気」と言うことだ。無邪気のピンとキリを同じと思ってはいけない。

恕とは、
他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思い遣り。

孔子は、人生で一番大切なことは「恕=思い遣り」の心であると言っている。自分がされたくないことを人にしてはならないのだ。

小林 博重