11月30日はフロストムーン。私にとって最高の一日だった。西櫻亭(伊勢丹新宿)で
娘たちが私の誕生日祝いを催してくれたのだ。いつもながら宮下響シェフの心尽くし
の料理を堪能しながら、楽しく温かい会話が弾んだ。

娘たちと言っても私たち夫婦は3人の息子たちを授かったが、娘はいない。しかし、
天が授けてくださった。水谷歩さん、野本知里さん、崔?徑さん(ミンちゃん)、安
藤裕美さん(裕美ちゃん)の4人だ。それに、生命保険時代の大親友の中川美和子お
姉さんが加わった。

私にとって彼女たちは気の置けない家族同様の人たちだ。私が「世のため人のため」
と思って仕事(ビジネスとボランティア)に携わっていることができているのは、彼
女たちの支えに依るところであると言っても過言ではない。人は人に支えられて生き
ている。支えてくれている人たちに心から感謝したい。

みんなからのお花とプレゼントをいただき、最後に私から妻への「感謝状」を読み上
げた。野本さんの心憎いアドバイスだ。

あと32年+20年=52年の人生(と私は思っている)だ。人生行路の峠を越え下り坂を
下っているが、下り坂こそ生まれてきたミッションを結実させる黄金行路だ。心新た
に人生後半のスタートを切ろうと思う。

妻に送った感謝状

この手紙をお母さんに書こうと思ったのは、野本さんから「団長は、奥さんに今まで
苦労ばかりかけて生きてきたんだから、今度のお誕生日会に、奥さん宛に、これから
のことも含めて、『感謝状』を認めましょうよ。奥さんはとてもお喜びになります
よ」とアドバイスをいただいたことがきっかけです。

私がお母さんに手紙を書いたのは、たった一度。昭和55年に長男の泰博が産まれた時
以来、40年前です。これが2回目の手紙になります。

ところで、今日は、可愛い娘たちが、この誕生日会を催してくれました。とても大変
嬉しい一日です。

私たち夫婦はおかげさまで、3人の息子たちに恵まれました。みんな心優しい子ども
たちです。これは、100%、お母さんの教育に依るところです。小さい頃から、3
人の子どもたちを愛情いっぱいで育ててくれました。そのおかげで、彼らはすくすく
と、実に素直な心優しい青年に育ってくれました。心から感謝します。ありがとうご
ざいました。

しかし、残念ながら、私たちは娘には縁がありませんでした。お母さんが第3子を身
ごもった時、私は女の子と確信して疑いませんでした。名前は「郁恵」です。私は榊
原郁恵のような健康的な娘をイメージしていました。お母さんは「優子」でした。

結果は男の子の誕生で、その名はいずれも没になりました。そして、三男には、同期
で東北大学応援団長だった大親友の木島明博君の名前の「明博」と名付けました。

そんなことで、娘に縁がないのは天命だと諦めていましたが、人生半ばを過ぎて天が
可哀そうと思ってくれたせいでしょう。天は、このような心美しい娘たちを私に授け
てくれたのです。ありがたいことです。

ところで、私たちが巡り会ったのは、昭和53年12月、武蔵小杉の安田信託銀行川崎寮
のクリスマスパーティでした。それから1か月後に自由が丘の「木馬」という喫茶店
でプロポーズしました。電光石火です。

お母さんは、あまりにも突然のことで、さぞかしびっくりしたことと思います。その
時、お母さんが「ありがとうございます」と言った言葉を、今もしっかりと覚えてい
ます。

おじいちゃんは、一人っ子同士の結婚をなかなか許してくれず、毎朝3か月、おじい
ちゃんが出勤した直後に、外苑前の自宅に、日参しました。

おばあちゃんの応援もあってようやく許しをいただき、昭和54年11月10日、京王プラ
ザホテルで結婚式を催すことができました。出逢ってから11か月でした。

それからアッという間に41年が経ちました。「光陰矢の如し」です。

稲盛和夫さんとの出会いがあったからとは言え、「安田信託銀行の社長になるので応
援してほしい」とのお母さんとの約束は、44歳の「若気の至り」で果たすことができ
ませんでした。それからも、約3年の長患いや明治安田生命の退職。

お母さんにはまたまた思いつきと思ったでしょうが、南青山ビジネスパートナーズの
設立ばかりか、OUEN Japanまで。ビジネスセンスが全くない人間が、自分の能力も顧
みず、会社を立ち上げ、会社が軌道に乗っていたわけでもないのに、NPOでボラン
ティア活動とは。

「いい加減に家族のことを考えてほしい」というのが偽らざる想いだったでしょう。
ほとんど何の相談をすることなく、好き勝手で生きている自己中であったこと、お母
さんには無限大の借金を負っていることも自覚しています。

私は100年現役、あと32年です。それにプラス余生20年と思っていますが、あと52年
間、ずっと付き合って面倒を見ることはご免被ると思っていることでしょう。

しかし、私の夢を「見果てぬ夢」で終わらせたくない。そして、無限大の借金を有限
にしてこの世を旅立ちたいと思っています。

その旅立ちの間際に、お母さんが「借金は完済してもらいましたよ。そして、ちょっ
とだけおつりが出ましたよ」と言ってくれるように頑張ろうと思っています。

それまで、まだ長い年月ですが、どうぞお付き合いください。よろしくお願いしま
す。