2020年 12月 の投稿一覧

働けるだけ働く時代

今日は大晦日。1年365分の1の1日ではあるが、1年の締めくくりの1日、行く1年を振り返る特別の1日である。

2時になったので、起きて事務所に出向いたが、天気予報通り、外は一段と寒い。風が冷たい。
我がふるさと北陸の日本海側はもっと寒く、雪がちらつくどころか、この年末年始は大寒波で大雪の恐れがあり、不要不急の外出は控えるようにだとか。コロナ禍も加わって、自宅に閉じこもる大晦日になる。

日経新聞の12月28日朝刊の「Opinion」で原田論説主幹が「30年後を考える国にしよう」と題して小論を書いている。

〜来年は出生数の大幅減というもう一つの「コロナショック」に見舞われる公算が大きい。労働力不足の加速を示す現実は70歳過ぎまで働き続ける社会の実現を迫っている〜

昨年は「令和婚」で結婚が増えたにも関わらず、今年の出生数は昨年の86万人から減る見通し。第一生命は「21年の出生数は77.8万人」と見ているとか。団塊世代は270万人、私が生まれた昭和27年までは200万人代だ。来年はピークの年の3割にも至らないことになる。人生観の違いに加え、離職や収入減等、経済面からも結婚や出産は増えることはなかなか考えられないだろう。そして、30年後には65歳以上が総人口に占める比率(老年人口比率)は4割近くなるとか。生産者1人が1人の高齢者を支える計算になる。これは偉いことだ。

しかし、清家篤さん(日本私立学校振興・共済事業団理事長)は「生産年齢人口という言葉はもう使うべきではない」と言っている。私も全く同感だ。

「生産年齢人口」とは15〜64歳までの人口のことで、68歳の私はこの人口には入っていない。
私はまだまだ元気であり、人生100年時代であるが、私は現役人生100年と思って、後30年以上は仕事を続けたいと思っている。私のような極端な考えではなくても、70代は仕事を続けたいと思い、仕事をしている人も「生産年齢人口」の1人ではないか。

このコロナ禍で、コロナで亡くなった人は多いものの、その他の死亡者が激減したせいで、今年の死亡者数は昨年よりも減少している。 マスク、手洗い等、国民は自らの健康に一段と留意しているということだ。

日本老年学会は、65〜74歳は「准高齢者」、75〜89歳が「高齢者」、90歳以上を「超高齢者」とする新定義を提言した。

私たちはもっと健康に留意することにより、70代は「生産年齢人口」だと考え、働くことだ。

小林 博重

自分自身を見つめ直す。

3時半に目覚める。昨晩は8時過ぎに床に就いたのだから7時間は横になっていた計算だ。「充分休んだな」と思うことで精神は安定するものだ。

「今年もあと2日足らず。何も仕事はないな。今日は何をしようか。今日は雨模様のようだから読書三昧と行こうか。雨が上がったらウォーキングでもしようか」

と心穏やかに徒歩2分の事務所に出掛ける。

いつものようにNHKの「ラジオ深夜便」を聴く。鈴木秀子さんのインタビューが放送されていた。

鈴木秀子さんは、評論家、日本近代文学研究者。
彼女の来歴は、聖心女子大学卒。東京大学大学院人文科学研究科博士課程終了。フランス、イタリアに留学。ハワイ大学、スタンフォード大学で教鞭をとる。聖心女子大学教授を経て、国際コミュニオン学会名誉会長。
聖心女子大学キリスト教文化研究所研究員、聖心会会員。文学療法、ゲシュタルト・セラピーを用い、全国および海外からの招聘、要望に応えて、「人生の意味」を聴衆とともに考える講演会、ワークショップで、さまざまな指導に当たっている。

《鈴木秀子さんの箴言》
静かに思い巡らせば、朝、命が与えられて布団から起きられること、働く会社があること、自分を支えてくれる家族や仲間がいることなど、幸せを感じることは私たちの身の回りにたくさんあります。 しかし、それがあまりに当たり前過ぎて、そこに感謝と喜びを感じなくなってしまっている。
反対に不平や不満を覚えて「もっとこうでなきゃ」と高い地位を求めたり、必要以上のお金を得ようとばかりしている。
それはとてももったいない生き方です。

自分が自分にとって本物である時、自分が自分を正直に見つめている時、自分を好ましい人間に見せようとしない時、人に愛されるようになる。

人生は必ずしも自分の思い通りになるものではなく、苦しみがあるのが当たり前です。苦しみがないことが幸せではなく、苦しみがあるからこそ人間は強くなる。

何か嫌な出来事が起きた時は、それは自分の内なる世界の調子が狂っているということ。嫌な出来事は、それを気づかせようとする天からのメッセージ。

鈴木さんは「コロナ禍は禍ではない」と。スピリチュアリストの江原啓之さんとの「今の時代について語り合う」対談のお話もあったりした。 早速、Amazonで、彼女のご本を買い求めた。

この年末年始は、彼女のご本を読んで、心穏やかに我が人生を振り返るひと時としよう。

小林 博重

①「日本人の希望」
江原啓之、鈴木秀子 共著

②「人はいつか死ぬのだから」
〜小さな「気づき」は人生の恵み〜
鈴木秀子 著

一年の仕事の締めくくり

今朝は5時前に事務所に行き、月末の送金と事務作業を終えて、何とか一年の仕事を締めくくった。
とは言っても、一匹狼は年中無休。年末年始でしなければならない仕事の整理整頓がある。これが来年一年の成否にかかる。

OUEN JapanにおけるOUEN塾とOUEN Companyの仕切り、OUEN塾やOUE Companyの具体的進め方等、コロナ禍や私の人生が白秋であることを念頭に入れて考えなければならない。

一匹狼だから、基本的に私(小林博重)=Mapのことは私が考え、行動し、具体化しなければならない。勿論、人間独りでは生きていくことはできないから、「人生を生きる」志を同じくする人たちや、私を信頼してくださる人たちのサポートを得ることが不可欠だ。しかし、独りで立つ「独立自尊」の精神と行動がなければならないと思う。 「得手に帆あげて」の得手は独りで生きていくことができる得手でなければならない。

九州・長崎IRに関して、今までにない多くの企業の方々とお会いする。大中小を問わずだが、その規模感からして大企業が大きなポイントにならざるを得ない。

ある業種の東西の両横綱といわれる2社の役職員の方々と会っている。そして、私が関わっているチームに加わっていただきたい旨をお話ししている。しかし、パートナーはその1社にせざるを得ない、そんな業種である。

どちらもトップに上げるハードルは高いらしい。しかし、こちらに入っていただければ、それは大きなビジネスになるだろうと確信できる。それでも、大企業のハードルは高いのだ。「あなた方は誰?」「Who are you?」ということだろう。

そんな時の大企業のサラリーマンの対応が面白い。
企業のカラーだろうか。人格があれば社格がある。人徳ある人とそうでない人がいる。愛すべき人とそうでない人がいる。私も人間だ。好き嫌いがある。 そして、本音は、最終的には好き嫌いなのかなと思う。

そのハードルを如何に越えるかだ。通り一遍ならそれまでだが、ちょっと相手のことを考えてみることだ。そして、相手がどんな趣旨で言っているのか、相手の終局的な目的は何なのか、考えてみることだ。それが『恕』=思いやりということではないか。それでビジネスが進んだら進まなかったりする。孔子が宣ったという「恕こそ人生で最も大切なものだ」はビジネスのみならず、人生の全てに於いて当てはまる。

この2社は対称的だ。私はどちらとビジネスをしたいか。私は昨日、それを決めた。

年明けの交渉は、その想いを形にすべく、交渉に臨もうと思う。

人生は、なかなか面白い。
人間とは、なかなか面白い動物だ。

小林 博重

「徒手空拳」で闘うとは、

安藤裕美さんと会ったのは、一昨年1月、銀座の「銀座イタリー亭」だった。早いもので、まもなく2年になる。親子ほど歳の差があるが、なぜか気が合って生涯の友人として親しくお付き合いさせていただいている。

彼女との出会いで、彼女の口からお祖父さんである「安藤明さん」のことを聞いた。それが、彼女を娘のように思ったきっかけだったように思う。

安藤明は、
⑴徒手空拳で「天皇・マッカーサー会見」を実現させた男
⑵終戦直後、焼け野原の東京・築地に、私財を投げ打って、「昭和の鹿鳴館・大安クラブ」を開設し、天皇制護持に生涯をかけた男

安藤明の名は、歴史に残っていない。
さもあろう。歴史では、戦後の政財界のトップが表舞台で新生日本を立ち上げたと言うことになっているが、安藤明という裏方なかりせば、戦後の日本の隆盛はなかったのだ。
安藤明はまさしく「昭和の快男児」であり、「日本を救った男」だ。しかし、表舞台の人たちは、あえてその快男児の名を歴史から消し去ろうとしたのではないか。そして、安藤明は歴史の彼方に消え去った。

しかし、しかしだ。彼は歴史に名を残そうと思って生きたのではない。天から彼に与えられた「ミッション」を果たそうと、その強い想いで人生を走り抜けたのだ。

私が安藤裕美さんに惹きつけられたのは、「祖父、安藤明」の血潮を彼女の生きざまに見たからではないのか。

それに反して、この私「小林博重」はどうだ。大小の違いはあれ、私にも天から与えられたミッションはある。遅きに失したとはいえ、還暦を過ぎて「ミッション」を悟り、人生の残り幾ばくかは分からないが、残りの人生を、その「ミッション」を果たすべく生きていこうと思ったのではないか。 私はそのように生きているか。天に恥じることなく生きているか。
「安藤明さんのように、徒手空拳で闘うほどの強烈な想いを持って、今の仕事をしているのだろうか」と考える時、忸怩たる思いで胸が一杯になる。

「私の残りの現役人生は32年」と、極楽とんぼよろしくボーッと生きているんじゃないよ。それではほんとに「チコちゃんに叱られる」。

この年末年始、「ミッションを如何に果たすか」という大所高所から自分自身を見つめ直し、マイルストーンを設定したいと思う。

小林 博重

私の天命

「人は何のために生まれてきたのか」「生きるとは何か」

人生を生きるには「人生哲学」が不可欠だ。経営にも「経営哲学」が、政治にも「政治哲学」が不可欠だ。哲学を持つことで、人間は幸せな人生を送ることができる。

「嘘をつくな」「正直で生きろ」「真っ直ぐに生きろ」「曲がったことはするな」

プリミティブな原理原則だ。

稲盛和夫さんは盛和塾の塾長講演で『命も名も地位も金もいらない人であれ』と題して、お話しをされている。

〜西郷南洲の思想には、「無私」という考え方が一貫して流れています。公平に心をとり、自分自身をなくすという、その無私の考え方は、リーダーにとって一番大事なことです。

自分のことはさておき、自分が最も損を引き受けるというような勇気がなければ、上に立ってはならないのです。そのような西郷の思想が明確に表れているのが「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」で始まる遺訓集の30番目です。そのような人こそが、現在の混迷の世相を救う、究極のリーダーの姿だと思います〜

昨日の安倍前首相の会見は、予想がついていたものの、これが長年日本のトップとして首相を務めてきた人の発言かと情けなくなった。リーダーとはそんなものか。いやしくも一国の総理ではないか。国民を何と思っているのか。そんなことで部下はついてくるのか。

安倍さん、菅さん、与野党問わず、全ての政治家はそんなものだろう。全て同じ穴のむじなではないだろうか。何をか言わん。悲しいことだ。

そう言う私は、そんなに大きなことができるわけではない。普通の市井の人だ。何ができるわけでもない。ただ、私に与えられた使命を果たすだけだ。

西郷さんは言っている。
「人は天命というものを天から与えられ、それに従い生きているのである」と。

私の天命とは何か。

OUEN Japanを通じて「世のため人のために」生きる。
それは、OUEN Japanのスタートとなった『九州』、および、私のふるさとである『石川』においての地方創生の一助となることだ。

何ができるか、どこまでできるか。見果てぬ夢を見果てる夢に。

その想いは尽きない。

小林 博重

一年を振り返る。

人間とは弱い動物だ。だから、生きていくために神様から「智恵」を授けられた。
しかし、「智恵」ある人間であるのに、自分のことが一番分かっているはずなのに、そうでないことが間々あるのは私だけだろうか。一番分かっている自分の言行不一致が分からない。自分を客観視することだ。

だから、智恵ある人間でも、自らを客観視するためにも、智恵ある人の力を借りる必要があるのだろう。

組織とは、人の力を集めるために人間が創ったものではないか。
たとえ、組織の煩わしさに嫌気がさして飛び出して一匹狼になった私のような人間でも、人は独りでは生きていけないのだから、まず、独りで立つことが大前提だが、素直に人の力を借りる謙虚さが必要なのだろう。

この一年を振り返る。
「コロナ、コロナ」で明け暮れた怒涛の一年だった。この時代を生きていくために、時代の流れに棹さして生きてきた。しかし、それは稲盛和夫さんが仰る「宇宙の大流」であったのだろうか。

私が希求する「時代に棹さす」生き方とは、その時代を「宇宙の大流」に沿って生きることなのだ。

この一年を振り返る。
そして、その悩みを私のメンターにぶつけてみる。
流石、私がメンターとして慕っている人だ。「亀の甲より年の功」というが、「年の功より魂年齢」ということだろう。だから、歳の離れた妹のような彼女は、私の最大最高のメンターなのだ。

その一つ:「我慢」の大切さ
私は、我慢ができなくて一匹狼になってしまった。そのことを後悔していないが、一匹狼であっても、我慢をしないでこの世の中は渡れない。時には「グッと我慢」が大事だ。 その我慢をしているのか。

その二つ:真っ直ぐ突き進む中で、大切なものを見失っているのではないか。
自分の生き様を貫くこと、それが人のためにもなるだろうと思うこと、しかし、それは自己中になってはいないか。ほんとに人のためだろうか。 「生きるとは何か」私は考えている。同時に、私の大切な人も「生きるとは何か」を考えている。

私は「恕の心」を持つことの大切さをいつも思う。
世の中を生きていくために最も必要なものは「恕の心」だと孔子は言っている。
自分にしてほしくないことは、絶対、人にしてはいけない。人が何を考え、望んでいるか、に思いを致し、それに沿うような考えや行動をすることだ。

その三つ:今していることは、本来目指そうと思っていることとブレていないのか。目指す生き方をするためには、これからどうしていくのか、よく考えることだ。

私は何をしたいのか。残された時間はない。100年現役と言っても「一寸先は闇」だと、最悪のことが起こったリスクを考えることだ。期待感だけで行動した結果が、先の大戦の敗北ではないか。

一年を振り返る。
今年は大変な年だったが、私にはいいこともあった。
それは、素晴らしいビジネスパートナーに巡り会ったことだ。来年はその幸運を、実りある成果につなげたいものだ。

小林 博重

「三省」「五省」の一日

「三省堂」の名前の由来は論語からだ。

吾日に吾が身を三省す。

人の為に謀りて忠ならざるか。

朋友と交わりて信ならざるか。

習わざるを伝えしか。

また、海軍には「海軍五省」がある。五省とは、旧大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校において用いられた五つの訓戒だ。

一、至誠に悖(もと)る勿かりしか

(真心に反する点はなかったか)

一、言行に恥ずる勿かりしか

(言動に恥ずかしい点はなかったか)

一、気力に欠くる勿かりしか

(精神力は十分であっただろうか)

一、努力に憾(うら)み勿かりしか

(十分に努力をしただろうか)

一、不精に亘(わた)る勿かりしか

(最後まで十分に取り組んだだろうか)

昨日は、朝のショックな出来事があったせいだろうか、それがきっかけで、「三省」や「五省」をする一日になってしまった。そんなことでどうする‼︎

大人気なく、今まで何を学んできたのか。

今年も今日を入れてあと10日になった。来年への決意の意味を込めて、1年を振り返り、「三省」「五省」の10日間にしよう。

そして、来年は「起死回生」「捲土重来」の1年でありたいものだ。

小林 博重

「想定内」で生きる。

今週は寒さは一段落するようだが、今朝はまだ寒い。

最近、夢見が悪い日が間々ある。目覚めて「あぁ、夢だったのか。夢で良かった」と思うことがしばしばある。
夢を現実にしようと思って必死に生きているが、夢にもピンからキリまである。夢はピンの夢だけにしたいものだ。

東日本大震災以降、「想定外」という言葉が頻繁に出てくるようになった。それは「新型コロナ」で極まった感がある。

「想定外」とは「あらかじめ想定していなかった状況や出来事。予想外。想定の範囲外」とある。

しかし、これだけ頻繁に「想定外」な出来事が登場すると、想定外が想定外ではなくなる。世の中で起こることは全て「想定内」と思って生きていったほうがストレスがなくていいと思う。

これは世の中で起こる出来事に限らない。人間関係でも同じことだ。
私は人間が大好きで、それをビジネスにまでしているところがあるが、昔から、人に入れ込んでしまうところがある。人間関係で生きているくせに、人間関係で躓いてしまう。もっと大人になる必要があると、何度も自覚しながら生きているところがあるようだ。昨今は少し成長したように思うがまだそれから脱皮するところまでには至っていない。だから、何かことがあると「想定外」と思ってしまい、それがストレスになってしまうのだ。

その解決策は、世の中のことも人間関係も、全て起こることは「想定内」だと割り切ること、悟ることで、ストレスは少し解消するのではないかと思うようになった。

人を100%信じることは「想定外」な出来事が起こる原因でもある。自分自身でさえも100%信じることができないのが人生であるのだから、それは当然なことなのだ。

人を大切に思うことは、人を100%信じることではなく、100%完璧ではない人を、人はそんなものだと認識して(悟って)、その人を愛することなのだろう。自分自身も100%の人間ではないのだから。 それが大人の人の有り様ではないか。

世の中で起こることは全て想定内である。100%完璧ということはない。100%起こらないということはない。
しかし、完璧に近づこうとして精進努力することが「悔いなく生きる」ということなのだろう。

小林 博重

安藤裕美さんのこと

長崎IRに関して、安藤裕美さんに伊勢丹とのコンタクトをお願いしたところ、1ヶ月かけて、三越伊勢丹プロパティデザインをご紹介いただいた。ピッタリ、私が希望する部署だ。12月28日に伺って打ち合わせをすることになった。ありがたい。

そんなこともあって、昨日、渋谷マークシティの「つばめグリル」でランチをご一緒した。そして、新代田のドーナツ店で共通の友人であるミンちゃんの写真展が開催されているというので、出掛けた。

新代田は昭和の街並みが現存している落ち着いた街だ。井の頭線沿線はこのような街が多い。人気がある沿線というのも肯ける。

久しぶりに、裕美ちゃんといろいろな話をした。
彼女は私の三男の一つ歳下であり、妻と同じ成城学園卒。そして、私には娘はいない。私の娘のような存在だ。
心がきれいなしっかり者で、真っ直ぐに育った、実にいい娘さんだ。
そして、私とは気心もしれた仲で、個人的な話もザックバランにしてくれる。恋愛の話、ビジネスの話。何とか彼女の役に立ちたいと心から思う。

彼女と出会ったのは、早いもので、来月でちょうど2年になる。銀座のイタリアンレストランだった。
お父上の会社(日欧フーズ)を継ぐべく、ICU(集中治療室)の看護師から、同社副社長として経営者に転身したところだった。

同社は、伊勢丹新宿をはじめとした伊勢丹のいくつかの店舗で西洋レストラン「西櫻亭」を経営している。
このレストランはドミグラスソースが売りで、料理は絶品だ。そんなことで、OUEN Japanや大学応援団OB会のパーティや親しい人たちの誕生日パーティ等を西櫻亭で何回か開催している。

経営には全く縁がなかった看護師が、どうしてお父上の会社を嗣ごうと決心したのか。
彼女は「日本の西洋料理は日本独特の日本料理だ。その文化を伝えていきたい。そして、まだまだ先だが、その想いを後世に伝えていきたい」との強い想いがあって、人生全てをかけて、不退転の決意で、経営者の道に飛び込んだのだと。

彼女のお祖父さんは、終戦直後、昭和の「鹿鳴館、大安くらぶ」を開設した男だ。徒手空拳で「天皇・マッカーサー会見」を実現させ、日本を救った「昭和の快男児・国士、安藤明」だ。

その血が彼女には流れている。彼女との会話の中に、女性らしい心優しさとは相反するような気高さ、強さ、生きる迫力を感じる。しかし、これは相反するものではないのだろう。 チャンドラーが小説で、主人公『フィリップ・マーロウ』に言わせている。

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」

この台詞は、惚れ惚れする男の中の男の専売特許と思いきや、うら若き「安藤裕美」が言っても全く違和感はない。男女を問わず、「強さと優しさの同居」は、人間の原点なのだろう。

可憐で、美しい、子どものような女性とのデートで、私はそんな男前の生き方を感じ、私もそうありたいと強く感じた一日だった。

小林 博重

見果てぬ夢を見果てる夢に変える‼︎

出張3日目、仕事を終えて17時半に福岡空港搭乗口に到着した。出発時刻は19:25。まだ、2時間ある。2泊3日の出張で丁度いい。今までは3〜5泊の出張がほとんどだった。それも九州出張は佐世保、長崎、福岡、北九州と毎日宿泊先が変わる。連泊でも疲れるのに全て別ホテルでの宿泊はそれ以上だ。ここのところ、長期出張が少し苦になっているのは歳のせいか。「無理はよそうぜ。身体に悪い」(村田英雄の「皆の衆」の歌詞)だが、昔日のバイタリティがなくなってきたことは、少し寂しい気がする。

今日は、8時半〜、10時〜、11時〜、14時〜、16時〜と5件の訪問をこなした。それぞれ、有意義な打ち合わせ、プレゼンテーションだった。その中でも、福岡事業構想大学院客員教授の若林宗男さんから、九州の地方創生について、示唆に富んだお話しを聴くことができたのはこの上ない収穫だった。

以前、九州北部信用金庫協会の篠原専務理事から、九州北部の13信用金庫の取引先を紹介する本(九州北部信用金庫協会監修)をいただいた。その本の推薦文を書いていらっしゃったのが若林さんだったこともあって、ご紹介いただいたものだ。

若林さんは九州観光推進機構(KTPO=KYUSHU TOURISM PROMOTION ORGANIZATION)の九州観光広報センター副センター長兼海外担当、地域活性化伝道師(内閣府)だ。

私が関わっている長崎IRも、OUEN JapanのOUEN塾も、いずれもその目的は九州の地方創生だ。九州が一体となって地方創生に取り組むことが大切なのだが、九州には7つの県があり、また江戸時代にはその何倍もの藩があった。それはそれぞれの個性はあると言うものの、纏まりと言う点では、一体感に欠ける。

北海道は面積では九州より大きいが一道であることもあり、纏まりの面では九州の比ではない。だから、アピールするコスパは遥かに九州を凌ぐ。
また、台湾と比較しても、台湾は一国であり、仮想敵国として大陸の中国がある。その点ではその一体感は九州の比ではない。九州は九州一島と纏まっているようでそうではないのだ。

九州観光推進機構はその問題意識があって設立された一般社団法人だが、なかなかそのミッション達成にはご苦労されているらしい。

若林さんは「ケネディのアポロ計画」の話をされた。

ケネディはライス大学でアメリカの宇宙計画について演説した。流石、希有なリーダーであるケネディの面目躍如だ。

「我々が10年以内に月に行こうなどと決めたのは、それが容易だからではありません。
むしろ困難だからです。この目標が、我々の持つ行動力や技術の最善と言えるものを集結しそれがどれほどのものかを知るのに役立つことを望み、先延ばしすることを望まないものだからです。

そして、これこそが、我々が勝ち取ろうと志すものであり、我々以外にとってもそうだからです」

できるからやるのではない。みんなができないと思う、しかし、やるべきことにチャレンジするのだ。

夢を語り、その夢の達成のために、今何をするのか、地道な努力をコツコツコツコツ積み重ねることなのだ。その階段の先の先に、見果てぬと思っていた夢が見果てる夢に変わる一瞬が来るのだ。

九州の地方創生を考える。九州の地方創生は、県境を取り払った、地方自治体に頼らないチャレンジが必要なのだろうと。それには民間がコツコツコツコツ、県境を越えて、ビジネスマインドで、地道に活動することだろう。

「千里の道も一歩から」と言うではないか。それが私=OUEN Japanのミッションなのだ。

今年の九州出張はこれが最後だ。実に有意義な出張だった。

見果てぬ夢を見果てる夢に変えよう。新たな気持ちで明日からまた頑張ろうと思う。

小林 博重