心の友と人生を忌憚なく語り合う。心の友はもう一人の私か、それとも天か。心の友には自分を洗いざらい話してしまう。

「清濁併せ呑む」という言葉がある。「心に余裕があり、善悪の区別をすることなく、来るがままに受け入れること」の意味だ。
良いこと悪いこと、良い人悪い人、綺麗なものと汚いものを公平にあるがまま迎えることを表す。濁を避けて清ばかり好んでいるばかりではなく、時には濁を甘受することも必要だ。
大物と言われる人物は「清濁併せ呑むような大きい度量を持つ人」のことを言う。しかし、ともすれば人間は弱い動物だから、甘言を持って近づいてくる者を濁と思っても、その甘言に乗ってしまい、悪に染まってしまうことが間々ある。

そんな清濁入り混じった人々が生きているのが「世の中」だから、現実に生きていくには「人間として何が正しいのかをぶらすことなく『清濁併せ呑んで』生きていく」ことが、大人物の生き方なのだろう。

江戸時代中期の政治家である奥州白川藩主の松平定信は「寛政の改革」を行なったが、民衆による強い反発で6年で幕を閉じた。

白河の清きに魚も棲みかねて
もとの濁りの田沼恋しき

たとえ腐敗政治だったとしても、生活が豊かで文化も花開いた、以前の華やかな「田沼時代」が恋しいと、失脚した老中田沼意次を民衆は懐かしんだ。寛政の改革と田沼の腐敗政治を比べて風刺した狂歌だ。

私が44歳で銀行を退職したのは、一つにこの「清濁併せ呑む」ことができなかったことがあるだろう。それを人は「若気の至り」と言う。私は今はそれを後悔はしていないが「若気の至り」であったことは間違いない。屁のつっぱりにもならないことだった。

それから24年、2回りが経ち、まもなく、古来稀なる「古稀」にならんとする歳になった。
論語では70歳を「従心」と言う(論語で70歳の「七十而従心所欲、不踰矩」(七十にして己の欲するところに従えども矩を踰えず)から来ている)。
すなわち「70歳になってからは、心の欲するままに行動しても道徳の基準を外れることがない」と言う意味だ。私もそうあらねばならない。「若気の至り」では人生の後半戦は闘えない。

人生68年を振り返る。
心は真っ直ぐで「清廉」を貫き通してきたと思いきや、決してそうではなかった。そうではないことは、人には分からなくとも自分自身が分かっている。もう一人の自分に嘘はつけない。天は知っている。

アメリカの文化人類学者であるベネディクト女史が著書『菊と刀』の中で書いている用語に「恥の文化」と「罪の文化」がある。
「恥の文化」とは、他者の内的感情や思惑と自己の体面とを重視する行動様式によって特徴づけられる文化のことだ。これに対して、内面的な罪意識を重視する行動様式が「罪の文化」だ。 そして、前者が日本人特有の文化体系だと。
すなわち、日本人の行動様式は、恥をかかないとか、恥をかかせるとか、「恥」の道徳律が内面化されていて、この行動様式が日本人の文化を特色づけているのだと。

私は大学時代にこの『菊と刀』を読んだ。そして、一部首肯できないところもあったが、自らの行動様式を振り返って、大凡首肯したものだ。

「清廉」への拘りは、本来の「罪の意識」がアウフヘーベンしたものであるべきなのだろう。
「恥の意識」からの「清廉」は深みがない。心の深奥から発せられる「本当の清廉」ではない。

清濁併せ呑む大人物になることとは、人間としての基本原則をしっかりぶらさないこと。そして、自分自身にも濁の部分があり、それを人が分かっていないから良かったと思う「恥の意識」からの発想ではなく、もう一人の自分が見ている、お天道様が見ているから、もうこう言うことはしてはならないと言う「罪の意識」からの発想をするべきだ。

100%の清になりたいと思うが、どうしても濁の部分が消えないことを素直に認め、できるだけ清の比率を高めようと、生涯に亙り努力精進することだろう。

そうすることで、人を許すことができる大人物になっていくのだろう。

「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ」(ガンジー)

敬天愛人
「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」(西郷隆盛)

小林 博重