「人間は何のために生まれてきたのか」「生きるとは何か」「世のため人のために生きているのか」「もっと深く自分の生き方を考えたほうがいい」

私はここまで、人にこのように言われたことはない。
なぜなら、私は「応援」を通じて、応援を哲学するまで極めようとして、その深みに到達するまでにはまだまだ行っていないが、私なりの「応援哲学」を持って「応援人生」を歩いていると思うからだ。 私が一番拘っている「生き方哲学」に冷や水を被せられたように思ったのだ。

「私のことを何も分かっていないあなたに、そのようなことを言われたくない。馬鹿にするな」
心の中でそう思った。

どうしても腹が立って仕方がない。人間のレベルが違うと思ったら、そんなに腹は立たないだろうに。そう思って、事務所に戻ってきて、稲盛和夫さんの著書を再度読み直してみた。殆どの著書が手元にあるが、その中から、稲盛さんが母校の鹿児島大学で何回かに亙って講演された内容と学生たちの質問に答えていらっしゃる『活きる力』を手に取って読んだ。

そんな怒りにも似た心持ちになったのは、今取り掛かっている事業をしっかり腹に落としていないからではないか。何か吹っ切れないままで仕事をしているところがあるからではないか。

私には夢がある。その夢は私ひとりでは到底果たすことができないくらい大きい夢だ。だから、心を通じた人たちに助けていただきながらその夢を追いかけているのだ。

世の中にはいろいろな思いの人がいる。人は皆、顔が違うように心も違う。私はそれは分かっている。全ての人が私と同じ想いであることはない。同床異夢の人間が同じ船に乗って船出することもある。 私は、その同床のせいで、私の想いが濁に染まってしまうことがあってはならないのに、意に反して知らず知らずに染まってしまうことを恐れる。 決して、そう言うことがあってはならない。船出した大船からタイミングを見て、私の小舟に乗り移ることだ。

そのための深掘りが不足しているのではないか。孤高であることはその濁に染まらないことなのだ。

孤高であれ。
決して、濁に染まること勿れ。
遠くに見えている夢を忘れること勿れ。

夢を見果てぬ夢にしてはならない。

人間の命は有限であり、その夢が大きければ大きいほど、それは見果てぬ夢になる。しかし、それでいいのだ。矢尽き倒れ果てる人生。そういう人生こそ、私が生きたいと思う人生だ。

見果てぬ夢にしてはならないと思って生きることだが、夢を追いかけて遂には倒れ果てる人生でありたいと思う。ちゃんとあとを継いでくれる人がいる。

小林 博重

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