あるべき生き方を忘れない。

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自民党総裁選をはじめとする政治の世界や、民間でも大手企業の経済活動を見るにつけ、本来人間としてあるべき「世のため人のため」という本質思考をすることの難しさ、そのような人が生きていく難しさを感じざるを得ない。

自民党総裁選では、やはり国民的人気があった石破さんは残念ながら3位に甘んじた。自己保身や忖度の世界に生きる事を考えなければ、本質を追求することができないのか。そのことは、手段であるべきことが目的になってしまうことになりはしないか。本来の目的を失わない強い心を持ち続けることができるのだろうか。

民間企業にしても同じだ。高い志を死守して生きることは、ともすれば組織の論理に押し潰される。そして、それが当然なことであると疑問を持つことをしなくなってしまう。特に、大企業で上の地位になった人にはその傾向がある。下の人はそれを見て、偉くなりたいと思ったらそのような生き方をすればいいのだと、私に言わせれば、彼らは「人間の本質を見失ってしまった組織人」になってしまうのだ。

⑴上に忖度する。
⑵チャレンジ精神を失くしてしまう。
⑶妥協することが、よく生きることだと勘違いしてしまう。
⑷「本質志向は出世の妨げになる」と、哲学を持たない人間に成り下がる。
⑸出世することだけが幸せだと、低い志に堕してしまう。
⑹人間の幸せは、世のため人のために生きることである」という、生涯を懸けて高邁な生き方を目指すことは無意味な生き方であると、小市民的な生き方を良しとしてしまう。

全うな人間になることは、ほんとに多くのハードルがあって、人生の途中で、もういいとめげてしまうことが多々ある。

人生前半戦の私は、どちらかと言えば、俗に言う「出世の階段」を昇ることが良い人生だと思っていた。しかし、そうではない。人生とは奥深く、理想は遥かに遠いところにある。人生のピークは棺を覆う時なのだと思うに至った。

これからが人生の後半戦だ。ネバーネバーネバーギブアップ。人生のピークに向けて、理想を見失うことなく真っ直ぐに生きていこうと思う。

小林 博重

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