私は「泥中の蓮」のような生き方をしたいと思う。その意味は「いくら汚れた環境に身を置いていても、その汚さに染まることなく、清く正しく生きる」ということだ。

私は銀行人事部で採用担当をしていた時に、よく学生たちに言っていたことがある。それは「絹のハンカチになれ」という台詞だ。

私が大学2年生の昭和47年、夏木マリが歌う「絹の靴下」が流行っていた。その印象が強かったからだろうか。「絹」は蚕の繭から作られる美しい高級天然繊維だ。目指す理想の人間像のイメージは絹に体現されると思い、「絹のハンカチ」と言ったのかもしれない。

「心は絹のハンカチであってほしい。社会は濁世かもしれないが、その混濁の中においても、純白の絹のハンカチのままで生きていってほしい。そのためには、泥水に浸かったら、元の純白になるまで洗うことだ。何度も何度も泥水に浸かるだろうが、その都度、洗い続けることだ。生涯に亙り洗い続けなければ、絹のハンカチは黒く染まってしまう」
そんなことを学生たちと飲みながら、酔った勢いも加勢して、「青臭い」ことを言っていたものだ。

この「純白の絹のハンカチ」は「泥中の蓮」でもある。

蓮はドロドロとした泥の中に生息する植物だ。しかし、その汚れた泥水とは真逆のピンク色した美しい花を見事に咲かせる。そしてその豪華さ、凛とした気高さは、人間の目指すべき理想の姿ではないか。

そして、この気高い蓮の花は泥水にしか咲かないそうだ。美しい蓮の花を咲かせるためには、ドロドロの泥を含む汚れた水が必要なんだとか。逆に澄み渡る真水では、泥中の蓮ほど美しく大きな花は咲かないそうだ。

松下幸之助翁は「順境よし、逆境なおよし」と、稲盛和夫さんは「逆境を磨き砂として人格を高める」とも仰っている。
やはり、苦労をしないと人間は成長しないのだろう。

学生たちにそんな台詞を言っていた私が、泥中と感じた銀行から、とっとと抜け出したのだが、抜け出したところで、そこはもっと汚い泥中だった。世間は「厳しく冷たい冬の日本海」だ。

そして、七転八倒しながら、なんとか23年生きてきた。日本海の厳しさ冷たさは、真逆の優しさ暖かさに変わっていった。

私にとって、世間の厳しさ冷たさは、当に磨き砂になっていたのだ。

小林 博重