2020年 8月 18日の投稿一覧

猛暑にグロッキー

猛暑が収まらない。夜もエアコンが欠かせない。8時過ぎに床に就くが真夜中の3時には目が覚めてもう一寝入りできない。何度かトイレに起きるが、7時間近くは寝ているのだから起きて事務所に出かけるか。そのほうがストレスは溜まらない。
真夜中でも外気温は30度だ。熱帯夜は25度以上ではなかったか?異常も異常。ここは熱帯かと思う。あと32年の現役人生、如何に生きるか。知力の前に体力が持つだろうかと、ちょっと弱気になるのは私だけではないだろう。

体力温存が喫緊の課題と思っている時に、会議をWebでしようとか、訪問は止めてWebに替えようとか、よく知った仲ならそれはいい。ありがたい話しだと思うようになった。初対面とか、これは面会して話す必要があるとかは、やはりオフラインがいいが、そうでない時は、特にこのような酷暑の夏はオンラインに限る。

NHKラジオで35度以上の日を何と呼ぶのがいいか、アンケートを取ったそうな。
炎暑、烈暑、燃暑等々。若者の恋ならいざ知らず、老体と言われる歳になった身にはこの暑さは堪える。

安倍総理も慶應大学病院の日帰り検査で世の中は姦しい。一国の総理となればこの時世、風当たりは否が応でもキツくなる。そろそろおやすみになったほうがいいのではないか。よくお働きになった。何事も健康第一。もうその時期ではないか。私のような一匹狼ならいざ知らず、責任ある地位にある方には辞める潮時というものがある。

小林 博重

グライダー人間と飛行機人間

『思考の整理学』を読んでいる。先月30日に逝去された、英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト、文学博士であった外山滋比古さんのロングベストセラーだ。

その最初の題目に「グライダー」がある。少し長いが引用する。

グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりもむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな、自力で飛ぶことができない。

学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業する。 優等生はグライダーとして優秀なのである。飛べそうではないか、ひとつ飛んでみろ、などと言われても困る。指導するものがあってのグライダーである。

グライダーとしては一流である学生が、卒業間際になって論文を書くことになる。これはこれまでの勉強とはいささか勝手が違う。何でも自由に自分の好きなことを書いてみよ、というのが論文である。グライダーは途方にくれる。突如としてこれまでとまるで違ったことを要求されても、できるわけがない。グライダーとして優秀な学生ほどあわてる。(中略)

いわゆる成績のいい学生ほど、この論文にてこずるようだ。言われた通りのことをするのは得意だが、自分で考えてテーマを持てと言われるのは苦手である。長年のグライダー訓練ではいつもかならず曳いてくれるものがある。それになれると、自力飛行の力を失ってしまうのかもしれない。

もちろん例外はあるけれども、一般に、学校教育を受けた期間が長ければ長いほど、自力飛翔の能力は低下する。グライダーでうまく飛べるのに、危ない飛行機になりたくないのは当たり前であろう。
こどもというものは実に創造的である。たいていのこどもは労せずして詩人であり、小発明家である。ところが、学校で知識を与えられるにつれて、散文的になり、人まねがうまくなる。昔の芸術家が学校教育を警戒したのは、たんなる感情論ではなかったと思われる。飛行機をつくろうとしているのに、グライダー学校にいつまでもグズグズしていてはいけないのははっきりしている。(中略)

人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。

しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という"優秀な"人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も”翔べる"という評価を受けているのである。
学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。学校教育が整備されてきたということは、ますますグライダー人間をふやす結果になった。お互いに似たようなグライダー人間になると、グライダーの欠点を忘れてしまう。知的、知的と言っていれば、翔んでいるように錯覚する。

われわれは、花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。まして根のことは考えようともしない。とかく花という結果のみに目をうばわれて、根幹に思い及ばない。(中略)

指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。それを学校教育はむしろ抑圧してきた。急にそれをのばそうとすれば、さまざまな困難がともなう。

他方、現代は情報の社会である。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにも行かない。それなら、グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか。学校も社会もそれを考える必要がある。(中略)

グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力の持ち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる。

外山滋比古さんのご指摘は全くもってその通りと思う。果たして私はどうだったのだろう。

小中高時代はグライダー人間を目指していたのだろう。だから東大に合格できたのだと思う。大学での応援部の4年間も、組織人間として素直に従順に部活動に精進した。卒業して銀行に入ったが、安田信託銀行は懐が深く、私のキャラをそのまま生かしてくれたこともあり、素直にそのまま育った。何も意識することなくグライダー人間で21年間を過ごしたのだろう。

しかし、金融自由化が進み、それまでのゆとりある銀行ではなくなったこと、稲盛和夫さんに巡り会ったこともあろう。飛行機人間への憧れが黙々と湧いてきて銀行を飛び出したのだと思う。

飛行機人間で生きていくことは結構リスクがある。「寄らば大樹」からすれば、その正反対だ。しかし、これからのwithコロナの時代は、大樹は昔の大樹ではない。大樹でもいつ倒れてしまうかもしれない時代になった。これからは飛行機人間でないと生き残っていけない時代なのだろう。

OUEN塾の学生リーダーは素直で従順。チャレンジ精神旺盛だが、まだまだグライダー人間が多い。自分で考えることがあまり得意ではない学生が多い。 OUEN リーダーを経験することにより、少しずつ脱皮していって、飛行機人間に飛躍していってほしいものだ。

小林 博重