2020年 8月 の投稿一覧

一寸法師の戦略

金曜日に九州出張から帰り、土日は事務所でゆったりと過ごす。早速、9月23〜25日の九州出張のアポイントを取った。勿論、今週の活動の準備も万端だ。特に土日はマイペースで仕事ができるのがありがたい。

九州創生の発信地は長崎県だ。長崎県でも長崎市、佐世保市、大村市と、大村湾を囲む主要都市へのアプローチが必須だ。これらの都市が纏まることで長崎県の地方創生がスタートする。長崎県を固めて、その次が、他の九州6県への派生だ。 長丁場だが、一歩一歩コツコツと、最終的に目指す九州創生のため、前進していくことだ。そのため、OUEN Japan は一寸法師の戦略で深く関与していきたい。

安倍首相の後任が誰になるのか、権謀術数の駆け引きで、この半月の間、自民党諸氏は姦しく動き回るのだろう。権謀術数は政治に限ったことではないが、政界が群を抜いている。

石破とか岸田とか、どちらが本命かと思いきや、ダークホースの菅が立候補に名乗りを上げた。"漁夫の利”ということになるのか。
総理大臣になることが目出度いことではないと思うが、やはり政治家になった以上、目指すは総理大臣なのだろう(外野席である私は、ゲーム感覚で総裁選を見ている。それ以上に期待するところはない)。

日本の危急存亡の時だ。大して期待はしていないが、「国民のために」身を粉にして働いていただきたいと一国民としてそう思う。

OUEN塾は、福岡も金沢も、主体的に学生リーダーが企画を立てて頑張っている。実に頼もしい限りだ。
信じて任せることだ。そうすれば人は育つ。彼らはそれを証明してくれている。

私は、今は、一寸法師よろしく、九州・長崎IR&スーパー・スマート・コミュニティ プロジェクトに一点集中・コツコツコツコツと頑張ることにしよう。

小林 博重

評判ということ

坂本龍馬は言っている。

「金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然に集まってくるさ」

戦後の日本は聡明才弁な人を高い地位に引き上げ、権力を与えてきた。そのような人たちが戦後の高度成長を支えてきた。政治家しかり、高級官僚しかり、学者しかり。経済にしたところで、金融に代表される護送船団方式は、いわば官僚の意向を忖度して私利私欲を満足させようとの仕組みであり、到底ビジネスとは言い難い。私も大学を出てそのような既得損益でどっぷりと浸かった金融に入っていたので、そのお先棒を担いでいたわけだ。大口を叩くなと言われそうだが、勿論、その中に浸かっていた当時は私も従順なものだった。しかし、四十路を過ぎ、人生の半ばに差し掛かり、死を意識する年齢になると、「人生、如何に生きるか」という哲学的思考が頭を擡げるものだ。残りの人生を悔いなく生きたいという、これも人間の本能のようなものだ。人間の本能は理性を呼び戻す。本質を追求するようになるものだ。

金と評判は天と地ほどの差がある。
絶えず金が頭にある人がいる。聡明才弁な人もそんな人がいる。寧ろ、聡明才弁だからからこそ、知恵が回って「どうしたらお金を稼ぐことができるか」が絶えず頭にあるのではないか。私はそのような人とは心を開くことはしない。人間が違うと思うからだ。

やはり、龍馬がいう「評判」だろう。本質志向して事を成すことで評判は高まるものだ。
お金を稼ぐために評判を高めるのではない。死に際に「いい人生だった」と言って死ぬためだ。

カモメのジョナサンは言っている。
「大変だったが、しかし、素晴らしかったといえる人生を送りたい」と。

小林 博重

安倍首相の辞任会見に思う。

安倍首相が昨日の28日、健康上の理由で辞任する記者会見を行なった。7年8カ月の長期政権だったが、始めあれば終わりは来る。これだけ長いと驕りは出るだろうし、裸の王様にもなるだろう。功罪半ばするが、その功績は安倍首相でなければ成し得なかったことであり、高く評価に値するだろう。素直に「本当にご苦労様、ゆっくりおやすみください」心からと申し上げたい。

それにしても政治家とは因果な商売だ。国民のために命を投げ出すのが本来のあるべき政治家だが、そのような御仁は皆無に等しいのが偽らざるところではないか。政治家に聡明才弁な人は多々いるが、「人のために働く」という深沈厚重なる人物と言われる人は滅多にいない。
かの西郷隆盛や坂本龍馬は、そのくだらない「政治家ならぬ政治屋」に嫌気がさして、西郷は孤高の道へ、龍馬はビジネスで海外に雄飛しようとした。この二人は司馬遼太郎が好んで小説にした、実に人間的魅力がある、そのため後世の人たちに高い評価を受けて人気は抜群だ。 政治家ならぬ政治屋にはそんなチャーミングな人はいない。私見で言えば台湾の李登輝元総統ただ一人ではないかと思う。

「政治家である前に真っ直ぐな人間であれ」

混濁の世の中に染まることなく、「生きる哲学」を死守する人生を貫く政治家が最高レベルで尊敬に値する政治家だと思う。その意味で、私は今の政治家にはほとんど期待していない。寂しいことだと思うが致し方ない。

私は、よく、自分の器量を知り、その器量の及ぶところで、世のため人のために全力投球したいと思う。高からず低からず、素直な心で「我を知る」ことだ。

小林 博重

8月の長崎・福岡出張を終える。

28日の福岡での企業訪問を終えて、19:10福岡発のANA272便で帰路に着く。来月の九州出張は連休明けの23〜25日の予定だ。ここのところ、北九州にご無沙汰しているので、9月はまず、北九州空港に入り、北九州〜福岡〜長崎の企業を訪問し、長崎空港から羽田に帰ることにしようと思う。

とにかく、私のミッションは、OUEN 塾のネットワークで、九州・長崎IR&スーパー・スマート・コミュニティープロジェクトの国内コンソーシアムを構築することだ。OUEN Japan を応援していただいたお返しは倍返しだ。こんなお返しなら3倍でも5倍でも皆さんは喜んでくださるだろう(今流行りの、「憎しみが伴った倍返し」は私の好むところではない)。その心意気で取り組んでいる。

この歳になると出張は2泊3日がちょうどいい。特にこの夏の暑さは尋常でない。私の人生のうちに、このような自然の脅威を感じて生きていかなければならないとは想像だにしなかった。これからは絶えずSDGsに心する人生を送らなければならないと痛感する。

金曜日夕方の福岡→羽田便は満席だとか。席を一つ空けて座るという、ソーシャルディスタンスではない。皆んながマスクをしたり、会話を控えたりと、ニューノーマルを守れば、何を恐れることはない。半年間の経験で多くを学んだのだから、このニューノーマルを自然体で日々の生活を送ることでいいのではないかと思う。気を緩めることは厳に慎みたい。

「九州・長崎IR&スーパー・スマート・コミュニティー」のプレゼン資料で私の略歴が記されているため、長崎と福岡の企業のお二方から、東大応援部OBの名前が出た。そして、彼らは地方に幅広い人脈をお待ちだから、お会いになってご紹介していただけばいいとのアドバイスをいただいた。
私は昨年まで赤門鉄声会(東大応援部OB・OG会)の幹事長であったから、この先輩と後輩はよく存じている。世の中は狭いというだけではない。東大応援部のOB・OGは地方でも頑張っているなと思う。東大応援部の人脈を「九州の地方創生」に活用させていただこう。

明日は土曜日で久しぶりにゆったりと事務所で仕事ができる。私にとって仕事は趣味みたいなものだ。土日に、健康で仕事ができることを喜びたい。

小林 博重

福岡のOUEN塾リーダーたちとの再会

長崎2日目は、ホテルでの長崎県庁とのWeb MTGから始まった。クリーン・マット田中社長の運転で、長崎市の3社(イシマル、野母商船、星野管工設備)を訪問した。お昼抜きだ。長崎発4:17の特急かもめで博多に向かう。6:15博多着、博多駅傍の居酒屋でOUEN塾福岡のリーダー4年生(白水優衣さん、松原未奈さん、真崎詩織さん)と落ち合う。2月のOUEN塾以来、半年ぶりだ。彼女たちの就職戦線を聞き、昭和40年代の学生運動を思い出す。コロナは若者の社会人のスタートにも半世紀ぶりに大きな影響を与えたのだ。

彼女たちとの楽しいひと時はまた、「人生の幸せ」とは何か、「働く」とはどういうことか、を考えることだった。「人生」における「働く」意味は、当にイコールだ。「働く」意味を追求することは「人生」そのものだ。OUEN塾は、そんな「人生=働く」を哲学する活動なのだと改めて思った。そして、半世紀近く若い若者たちとのザックバランな心の交流が私が青春の心を持って生きることができている源なのだと思った。

今日は、福岡の5社(西鉄、サッポロビール、NTT docomo、安藤ハザマ、アビタシオン)を訪問する。OUEN Japan のこれからのサスティナブルな在り方にも関わる訪問だ。しっかりと営業したいと思う。

福岡空港発19時のANAで羽田に向かう。無事に8月の2泊3日の九州出張を終えて、1ヶ月先の九州出張に思いを致す。漸く私の"九州地方創生"サポートは一合目に差し掛かったところだ。

小林 博重

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幸先よい長崎出張

台風8号で26〜28日の長崎・福岡出張はどうなることかと心配していたが、進路は北西に逸れて中国大陸に上陸したため、長崎はほとんど影響がなかった。26日はパラパラと雨がちらついたこともあったが、穏やかな一日だった。

中華街の傍にあるホテルJALシティ長崎にチェックインした。先月はドーミインに宿泊したが、今回は満室で予約ができなかった。ホテルの部屋はソーシャルディスタンスということはないだろうから、全室埋まっているのだろう。GO TO キャンペーンのせいもあるのだろうか。国際都市長崎の面目躍如というところか。中華街は人並は疎らだったが、お昼で入った中華料理店は満室だった。

クリーン・マット田中社長のご紹介で長崎自動車を訪問した。同社は乗合バス、観光バス、不動産業等、長崎経済界ではメジャーな老舗だ。脇山取締役とは1時間以上に亙り、IRのみならず、長崎県や長崎市に関わる話ができた。初対面にしてはザックバランスな打ち解けた雰囲気で、まずまず。これも田中社長のご紹介もあってのことだが、脇山さんは田中さんの高校の先輩だとか。人と人の繋がりの大切さを改めて痛感した。

長崎自動車訪問後、クリーン・マット本社にて、田中社長と田中専務(社長の弟さん)と打ち合わせをした。同社はOUEN塾の協賛企業であり懇意であったが、IRプロジェクトで一層親交を深めることができる。これから、毎月出張することになるだろう。 同社には、長崎の地元企業パートナーシップ組成のコアになっていただきたいと思う。

今日も田中社長ご紹介の企業を訪問し、夕方にはJR特急かもめで博多に向かう。そして、OUEN塾リーダー4年生たちと久しぶりに会う。そして、彼女たちの就職内定祝いをしてあげよう。 孫のような娘たちだ。半世紀近くの歳の差を忘れて、近況報告の交換を楽しもうと思う。

小林 博重

長崎から九州を創生する。

今日(8.26)から明後日(8.28)まで、2泊3日で長崎・福岡に出張する。9:40羽田発〜11:30長崎着のANAで長崎空港に降りる。長崎空港は別名大村空港とも呼ばれており、長崎県大村市にあり、海岸から2kmの大村湾に浮かぶ箕島(みしま)の全域を開発して1975年に開業した世界初の海上空港だとか。

26〜27日は長崎市の地元企業を訪問し、長崎県庁のIR推進課とWeb MTGを行う。
27日夕刻、特急かもめで、長崎から博多まで約2時間の特急列車の旅だ。2年後には長崎新幹線が開業予定だが、九州新幹線の新鳥栖から武雄温泉までは在来線特急になり、武雄温泉から長崎までが新幹線になるのだとか。何だそりゃと思う。博多から長崎までは大して時間は短縮されない。せいぜい15分程度だとか。高い乗車料金と乗り換えの手間をかけて、たった15分程度の時間短縮では乗客は割が合わない。JR九州が問題ではなく、新鳥栖〜武雄温泉間は佐賀県を通るわけで、これは佐賀県の心の狭量の現れと言われても致し方ないのではないか。もっと九州全県は一体になり、九州の地方創生に心を致して貰いたいものだ。

28日は、午前2社、午後3社の強行軍だ。九州全県の纏まりは福岡の力の入れ具合にかかっている。いわば、7県の中の兄貴分だ。日本の東京のような存在だ。福岡にしっかり頑張ってもらいたい。

私の人生後半の最大のミッションは「九州の地方創生」だ。長崎から佐賀・福岡・熊本・大分・宮崎・鹿児島、延いては山口や沖縄をも巻き込んだ地方創生のサポートをしたいと思う。

小林 博重

泥中の蓮

私は「泥中の蓮」のような生き方をしたいと思う。その意味は「いくら汚れた環境に身を置いていても、その汚さに染まることなく、清く正しく生きる」ということだ。

私は銀行人事部で採用担当をしていた時に、よく学生たちに言っていたことがある。それは「絹のハンカチになれ」という台詞だ。

私が大学2年生の昭和47年、夏木マリが歌う「絹の靴下」が流行っていた。その印象が強かったからだろうか。「絹」は蚕の繭から作られる美しい高級天然繊維だ。目指す理想の人間像のイメージは絹に体現されると思い、「絹のハンカチ」と言ったのかもしれない。

「心は絹のハンカチであってほしい。社会は濁世かもしれないが、その混濁の中においても、純白の絹のハンカチのままで生きていってほしい。そのためには、泥水に浸かったら、元の純白になるまで洗うことだ。何度も何度も泥水に浸かるだろうが、その都度、洗い続けることだ。生涯に亙り洗い続けなければ、絹のハンカチは黒く染まってしまう」
そんなことを学生たちと飲みながら、酔った勢いも加勢して、「青臭い」ことを言っていたものだ。

この「純白の絹のハンカチ」は「泥中の蓮」でもある。

蓮はドロドロとした泥の中に生息する植物だ。しかし、その汚れた泥水とは真逆のピンク色した美しい花を見事に咲かせる。そしてその豪華さ、凛とした気高さは、人間の目指すべき理想の姿ではないか。

そして、この気高い蓮の花は泥水にしか咲かないそうだ。美しい蓮の花を咲かせるためには、ドロドロの泥を含む汚れた水が必要なんだとか。逆に澄み渡る真水では、泥中の蓮ほど美しく大きな花は咲かないそうだ。

松下幸之助翁は「順境よし、逆境なおよし」と、稲盛和夫さんは「逆境を磨き砂として人格を高める」とも仰っている。
やはり、苦労をしないと人間は成長しないのだろう。

学生たちにそんな台詞を言っていた私が、泥中と感じた銀行から、とっとと抜け出したのだが、抜け出したところで、そこはもっと汚い泥中だった。世間は「厳しく冷たい冬の日本海」だ。

そして、七転八倒しながら、なんとか23年生きてきた。日本海の厳しさ冷たさは、真逆の優しさ暖かさに変わっていった。

私にとって、世間の厳しさ冷たさは、当に磨き砂になっていたのだ。

小林 博重

私の生き方はニッチ戦略

私はOUEN学生リーダーやOUEN塾協賛企業の皆さんから団長と呼ばれている。OUEN Japan は「日本に学ぶ日本人大学生や来日留学生、および、彼らを支援してくださる企業の皆さんの応援団」であり、その代表であるためだ。登記上は理事長だが、通称は団長だ。

大学応援部では、応援部は応援団でないため、そのトップは主将であり団長ではなかった。東京六大学は東大・早稲田・慶應は主将、明治・法政・立教は団長である。旧帝大は東大以外は全て団長だ。やはり応援団長が聞こえがいい。一度は団長と呼ばれたかった。

そんなことで、OUEN Japan は「学生と企業の応援団であるから団長」というわけだ。私がOUEN Japan の創業者であるから、生涯現役で100歳まで応援団長と呼ばれる。やはり気分は最高だ。

石を投げれば社長に当たる。それほど、社長はピンからキリまでいる。それに比して、団長の社会人は稀ではないか。やはり「団長」はやめられない。

そんなことで、私のビジネススタイルを考えてみた。社長はどこにでもいるが団長はごく稀にしかいない。私のことを覚えていただくのはニッチ戦略が一番だと。

東大卒で、私のような「一匹狼で、何をしているのかよく分からない」というのは殆どいない。東大生はどうしてもプライドだけは高い。偏差値が高い人は優秀な人というわけではないが世間的にはそのように思われている。だから変なプライドだけは持っている。大したことはないのに。 私は突然変異で合格できたこともあって、そんなプライドは殆ど待ち合わせていない(人間としてのプライドは人一倍持っているが)。 しかし、私は、その東大卒を売り物にしている(「東大の恥晒し」と言った先輩はいるが)。
ある人は東大卒にしては珍しい(好感を持って)というが、それがそのままだからポーズを取っているわけではない。それがニッチになって、私の売りになっている。 また、私が青山に住んでいることもニッチなようだ。青山で私のような田舎者は珍しいのだと。そんなことはないが、それが売りになるならそれもいい。

「東大卒で青山住人」これがニッチの一つ。「団長」も一つ。私はニッチ戦略で人生を勝負する。

私の人生後半戦は、前半戦とは180度のコペルニクス転回だ。
正統派で行こうと思っていた前半戦に対して、無頼派といえばカッコいいが、ドブ板の下を這いずり回る「ボロは着てても心は錦」の後半人生だ。 ニッチで生きよう。ニッチが一番私に合っている。人は私を覚えてくれるし、それで人脈も格段に広がる。当に「ピンからキリまで」 何がピンか、何がキリか分からない。
世間のピンは私のピンではないような気がする。世間のキリもそうだ。私の基準の「ピンからキリまで」の人と付き合う。人を見る目を養っておかないと、とんだババを引いてしまうことがある。
おかげさまで私の周りには、私を助けてくれる信頼できるパートナーたちが、いろいろな分野で大勢いるため、彼らに助けてもらっている。だから、その人たちを大切にしなければならない。否が応でも、謙虚にならざるを得ない。もっと成長すれば「否が応でも」などと失礼な言い草はできないが、まだまだ未熟者だ。許してもらおう。 今は、頭の中で謙虚にしようと思っているが、成長したら、自然に謙虚になるものだろう。

私の人生がニッチ戦略なら、勿論ビジネスもニッチ戦略。ニッチで勝つ。

小が大に勝つにはニッチ戦略だ。一寸法師は、「一点集中、コツコツコツ」で鬼に勝った。

謙虚に一点集中、コツコツコツコツ。これが私のニッチ戦略だ。

小林 博重