自分の個性を生かして「世のため人のために尽くす」という小林博重の生き方は、67歳になって漸く確立されてきたように思う。
「人間ができている」とか「人格者」だとか「人徳がある人」だとか、そのような人から認められる(できれば人から「尊敬」される)人間になりたいと思う。若い時からそのような人間になりたいと思って生きてきた。

若い時は人間の一本の芯ができていないから、欲望のままにあっちに行ったりこっちに行ったりして、偽善者ぶったり、逆に偽悪者ぶったりして、素直な心を持つことができないことが多々あったものだ。そんな自分を嫌になって、人生はつまらないものだと捻くれたこともある。 また、根は一本気のところがあるから、曲がったことに妥協ができず、若気の至りで意気がって人生の方向を変えてしまったこともある。 いずれにせよ、子どもだったということだ。

人生を斜に構えることは子どもであり、真っ直ぐだけの人生も子どもである。妥協することもまた、大人のようで、深みのある大人ではない。

本当の大人、人間味のある大人、人格者、人徳のある人は、人生を真っ直ぐに素直に生きている。筋を通す人生を送っている。自分の人生に妥協していない。無私利他の人生を送っている。 それで多くの人たちがその人の周りに集まってくる。
本音で生きる人生を送っているから悪いストレスはない。適度なストレスは人間のレベルを高める触媒になる。

私は、そのことが漸く分かってきたように思う。
ビスマルクは「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言ったが、賢者ではない私は67年の経験からでしか学びを血肉にできていない。後は健康に留意してせいぜい長生きして「できた人間」になることだ。

天はその人にミッションを与えてこの世に送り出す。そのミッションは未完で終わるものだが、そのミッションを引き継ぐべく、遅からず早からず、後継者はその人の前に現れるものだ。後継者が現れるまで、天はその人をこの世に置いておくものだ。

それまで、私は見果てぬミッションの完遂に向けて、走り続けようと思う。

小林 博重