本日(18日)、前法務大臣で衆議院議員の河井克行容疑者と、河井容疑者の妻で参議院議員の案里容疑者が、昨年7月の参議院議員選挙広島選挙区を巡って、票の取りまとめなどを依頼する趣旨で地元県会議員らに現金を配ったとして、検察当局は公選法違反(買収)の疑いで逮捕された。
「法にもとるような政治活動を行ってきたことはない」「裁判になっても決して負けることはない」など、二人とも強気の発言を宣うが、何をか言わん。
政治家は国民のために働く職業ではないのか。恥ずかしげもなく政治家を続けているものだと思う(多かれ少なかれ、今時の政治家はそんなものだと思う今日この頃だが)。
政治家に「嘘をつくな。正直であれ」「人のために尽くせ」「もし間違ったことをしたら、素直に謝ることだ」など、人として正しい行いをすることを求めることは無理なのだろうか。「先生」呼ばれる「人の模範」とならなければならないのが本来の政治家ではないのか。
人間は弱い動物だ。聡明才弁な人が政治家に立候補する。選挙で選ばれると、自分が優秀だから選挙に受かったのだと勘違いして、一票を入れてくださった選挙民の方々への感謝の心を忘れてしまう。偉くなった気になって増長してしまい、悪い心が持ち上がってきて、欲望のままに、自分の懐を暖めることばかりを第一に考える。
先生と呼ばれるほどのバカでなし
そんな政治家先生があまりにも多いではないか。国民がそのような政治家を選挙で選んでいるのだから、国民の民度の問題なのかもしれないが。
私は44歳の時、21年勤めた安田信託銀行を退職した。世間知らずだから若気の至りで退職したのだ。それは家族のことを考えず、自分の想いだけの決断だったことは事実だ。そして、その「若気の至り」を何度か後悔したこともあったが、今はその決断をしたおかげで、辞めなければ見ることのなかった「人間の温かさ」や「真っ直ぐ生きる幸せな心」を実感することができたと思う。
人間の偉さとは何か?
それは、地位や名誉ではない。
その人の「人生の生き方」ではないのか。
私が銀行の人事部で「人の査定」をしていた時は、サラリーマンの階段を一速く登っていく人が人間として偉い人だと思っていたようだ。
しかし、銀行を辞めてみて、私なりに苦労を重ねて、その価値観は180度ひっくり返った。偉いのは、決して、サラリーマンの階段を速く登っていく人ではない。偉いのは「深沈厚重」な生き方をしている人だ。深く人生を生きている人だ。
真っ直ぐに生きること
しかし、人と争わないこと
苦労を磨き砂にして成長すること
人のために尽くすこと
裏表のない人間になること
義理と人情を大切にする温かい人間であること
本質志向をすること
考えて動くこと
必死に人生を生きること
後悔しない生き方をすること
毎日の反省を欠かさないこと
オンとオフの境のない人生を生きること
人生は全てオンでありオフである
小林 博重