できた人間は『謙虚』であり、『感謝の心』を持っている。
絶えず相手の立場に立って、相手がして欲しくないことはしない。それは論語でいう『恕の心』だ。

明の哲学者である呂新吾は言っている。
「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と。

やはり、戦後の日本は、第三等の資質を持った『聡明才弁』なる人物を重用してきたのだろう。
そのため、政治家や官僚や企業トップに、思いのほか、戦前よりも『人物』と言われる人物が輩出されていないような気がする。

麻生副総理は、外国の要人から「どうして日本人はコロナ感染者が少ないのですか」と聞かれて「それはお宅の国民より日本人の民度が高いからだ」と宣われたそうな。相手に対して失礼な発言であるかどうかは別として、その言わんとしたことは正にその通りと思う。

日本人は、戦前はもっと民度は高かった。小学校では、『修身』の授業があり、先生は『人間の生き方』を教えていた。
「嘘をつかない」とか「正直である」とか「真っ直ぐに生きる」とか「人のために生きることが尊い人間だ」とか、人間であれば「当たり前」のことを教えていた。家庭でも祖父母や父母は、日頃から日々の生活の中で至極当然のこととして教えていたのだ。
しかし、戦後は戦前の修身教育が日本の軍国主義を助長したとかいうお門違いの言い草で、日教組や若い親たちは修身教育を否定してきた。それでも民度は世界のどの国より高い。

戦前の昔に戻れということは言わないが、やはりもっと日本は、無私利他の心を持った『深沈厚重』なる人物を重用する国になってほしいと思う。

世の中は100%「できた人間」ばかりということはあり得ないから「できる人間ではあるが、できた人間ではない」人ともそれなりに付き合うことをしなければならない。昔は若気の至りでよく人とぶつかったが、私も少しは大人になったと思う。

「人間を磨く」ということは、それが何の蟠り(わだかまり)なく、さらりと彼らと付き合っていくということなのだろうか。

小林 博重