「祈る」とは「闘い、勝つことを神に誓う」ことだ。

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今日は久しぶりに明治神宮を参拝した。外苑前の事務所から徒歩20分くらいか。表参道を歩く人はまばらで、小池知事の「外出自粛のお願い」が効いている。参道のブランドショップは全て臨時休業しているが、その全てのショップの店内は明るく、入口の「臨時休業」の張り紙を見ないとそれが分からない。流石、一流は違う。一流の矜恃なのだろう。人間も同様だ。コストの問題ではない。

明治神宮も参拝者は疎だ。いつもの1/10以下だろうか。
本殿で二礼二拍手一礼をして、OUEN Japanとジブンインキュベーションの弥栄(いやさか)を祈った。

宮本武蔵は吉岡一門との一乗寺下り松の決闘のおり、決闘の場所に行くまでにあった神社で必勝を祈願しようとして止めたという。吉川英治の小説『宮本武蔵』を想起する。武蔵曰く『必勝祈願』は神頼みだ。神に頼らず自らの力で、他勢に無勢、たった独りで闘いに臨むにあたり、自らの力でこの逆境を乗り越えるのだ、との不退転の想いで、祈ることを止めたのだ。

私たちもそうありたいものだ。
神に祈るのは、助けてくださいと「お願い」するのではない。「神様、私の生き様をしっかりと見守っていてください。私は絶対勝ちます」と「誓う」のだ。そして、仲間たちとの「固い誓い」をお伝えするのだ。

生きるとはそういうことだ。
お互いが「独りで立つ力」を身に付け、その力を仲間に分け与え、更に人間を高め合うことだ。すなわち、『魂を磨く』ことが「生きる」ということだ。

決して、神頼みはしない。
仲間たちがそれぞれ力を付けるのだ。
1+1+1+1>4でなければ、チームをつくる意味がないではないか。

小林 博重

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