2020年 3月 20日の投稿一覧

この世を生きる意味

「なぜ、働くのか〜生死を見据えた『仕事の思想』〜」と「人生の成功とは何か〜最期の一瞬に問われるもの〜」を読んだ。いずれも著者は田坂宏志さんだ。

*仕事に「思想」を持つ。
*「思想」こそ、現実に流されないための錨だ。
*「覚悟」を身につける。
*「死生観」「世界観」「歴史観」の3つの原点から、仕事を見つめる。
*「命」を何に「使」うか。そこから使命感が生まれる。

*「人生の成功」のために「勝者の思想」を抱いて歩むとき、限界が見えてくる。
*「達成の思想」を抱いて歩むときにも限界が見えてくる。
*「達成の思想」は「成長の思想」へと深化していく。

人生の旅の途中で巡り会う全ての人々が、かけがえのない人々であると感じられる。
旅の途上で出会う全ての景色が、深い意味を持った景色であると感じられる。
しかし、そうして歩んでいく旅も、いつか終わるときがやってくる。
そして、その旅が終わろうとするとき、その最期の一瞬に不思議な人物が現れる。そして、我々に静かに問う。
素晴らしい旅であったか。
そのとき、我々は答える。
ええ、素晴らしい旅でした。
振り返れば、この旅の途上では、様々な苦労や困難に出会いました。失敗や敗北の苦しさも体験しました。挫折や喪失の悲しみも味わいました。 しかし、そのおかげで、私はこうして成長することができました。
だから、この旅は素晴らしい旅でした。
その答えを聞き、その不思議な人物は、ふたたび問う。
では、その素晴らしい旅に感謝するか。
その問いに、しばしの沈黙の後、我々は答える。
ええ、素晴らしい旅でした。
しかし、私にとって、本当に感謝すべきは、素晴らしい旅ができたことではありません。
この旅に出ることができた。そのことが、私にとっては、最も深い感謝です。
我々は、いつの日か、この旅の最期の一瞬、そう答えるのでしょう。

私はこの本を読んで、稲盛和夫さんが『生き方』で書いていらっしゃる「魂を磨いていくことが、この世を生きる意味」ということが、今更ながらストンと胸に落ちた。

稲盛さんは、このように仰っていらっしゃる。

「私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。 生きている間は欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性です。放っておけば、私たちは際限なく財産や地位や名誉を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
なるほど、生きている限り衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるから、いちがいに否定すべきものでもないでしょう。 しかし、そういうものは現世限りで、いくら沢山貯め込んでも、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。この世のことはこの世限りで一旦清算しなくてはならない。
そのなかでたった一つ滅びないものがあるとすれば、それは「魂」というものではないでしょうか。死を迎えるときには、現世で作り上げた地位も名誉も財産も全て脱ぎ捨て、魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはならないのです。
ですから、「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわち僅かなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだと答えます。
俗世間に生き、様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として、おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことにより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。
昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努める。その弛まぬ作業、地道な営為、慎ましき求道に、私たちが生きる目的や価値が確かに存在しているのではないでしょうか。
生きていくことは苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。しかし、そのような苦しき世だからこそ、その苦は魂を磨くための試練だと考える必要があるのです。労苦とは、おのれの人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。 試練を「機会」として捉えることができる人、そういう人こそ、限られた人生を本当に自分のものとして生きていけるのです。
現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は、心を高め、魂を錬磨することにある。まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。

これからも、生涯掛けて稲盛哲学を実践していきたいと思う。

小林 博重

石原信雄さんとの楽しい会話

昨日はジェイキャス白根社長と石原信雄さん(元内閣官房副長官、現地方自治研究機構会長)をお訪ねした。

新規会社のジェイキャス航空(株)は、関西空港と中部空港からJR等の地上交通機関では数時間の時間を要する地方に、ほぼ同料金で、1時間前後で行くことができる航空機を就航させるという、地域活性化のためのビジネスを展開する会社だ。その設立趣旨をご説明して応援していただくお願いが、この日の訪問趣旨だ。

いろいろ話が弾み、30分の予定を軽くオーバーした。快く応援を快諾いただいた。そして、普通では聞くことができない、自治省の課長から事務次官、官房副長官時代のお話しをたっぷり聞かせていただいた。

特に私のふるさとである石川県やお隣の富山県の往時の政治家の話は、私の幼少の思い出とも重なり、実に興味深く拝聴した。
海部内閣時代のこと。その時の官房長官は奥能登から衆議院議員に選出されていた三木派の坂本三十次さん。穏健な三木派の中でも、その人柄では一目も二目もおかれた気骨ある紳士だ。石原信雄さんは官房副長官。石原さんの直属の上司だった。往時の石川県から選出された衆議院議員は森喜朗さん(元総理大臣)や稲村佐近四郎さん(元国土庁長官)のこと、自治省の元部下である谷本現石川県知事や石井現富山県知事のこと。

ここだけの話は面白い。日記に書いてもいいが、ちょっとこのようなブログには書けない話をお聴きした。

石原さんは平成の生き字引だ。官僚の中の官僚だ。真正面から政治家と対峙して、面従腹背することはない。今はこのような気骨ある官僚は永田町広しと言えども殆どいないのではないか。
森友学園を巡る財務省の公文書改ざん事件にも現される「官僚のプライドのなさ」。あなた方には「国家」とは何なのか。出世のための階段を昇りたいだけで官僚をしているとしたら、何と情けないエリートなのだろう。 そんなことを考えながら帰路に着いた。

漸く風邪の症状は治ってきた。もう10日以上はかかっているだろう。67歳という年齢のせいなのか。石原信雄さんは93歳で矍鑠とされていることを考えたら甘えていてはバチが当たるが、やはり後30年は現役を全うしようと思ったら、村田英雄の「皆の衆」ではないが、♬無理はよそうぜ、体に悪い♬

まだまだ長い人生だ。ちょっと後ろを振り返りながら(反省して)、前を向いてマイペースで賢く、ウォーキングやジョギングで残りの人生を楽しみながら生涯現役を貫いていきたいものだ。

小林 博重