2020年 1月 12日の投稿一覧

私のポートレート②

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私のポートレート/崔珉徑さん撮影(令和2年1月11日)

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「常識」と「コモンセンス」

今朝(1.11)、NHKラジオで、ブロードキャスターのピーター・バラカンさんが「常識」と「コモンセンス」の違いについて話していた。通常、コモンセンスは常識と訳される。Wikipediaで「常識」を調べると、以下の様だ。
常識は、社会を構成する者が、有していて当たり前のものとなっている、社会的価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前の思われる行為、その他物事のこと。
社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。

すなわち、日本の常識が世界の非常識ということは、珍しくないことは、私たちは実感している。

バラカンさんはさらに進めて、世界の常識がコモンセンスでないことも珍しくないのだと。
コモンセンスとは、普遍的に正しいと思われることだ。例えば、
①嘘をつかない
②人に親切にする
③人と仲良くする
等々、稲盛和夫さんが仰っている「人間として正しい原理原則」なのだ。

例えば、戦争には正義の戦争とそうでない戦争があることは常識なのか。核大国は、核を持つことによって戦争はなくなるのだと。これ以上核を持つ国が増えることは世界平和に反することだと。核拡散防止こそが世界平和の道なのだと。
戦争はあってはならないものであり、世界で唯一の核被爆国である日本はそのことは一番身に沁みて分かっているはずである。しかし、核は持たないとしても、自衛のために世界有数の軍隊(自衛隊と称しているが)を持っている。自衛のための軍隊の論理は、核を持っている大国の論理と同じではないのか。
この、「国を守る、世界で戦争を無くす論理」は世界の常識ではあっても「コモンセンス」ではない。

戦争のような国レベルの物事の考察ではなくても、私たちの身近なところでの「常識」を見つめ直すこと。その常識と対比した「コモンセンス」を考察してみることが大切なように思う。一事が万事なのだから。

小林 博重