2019年 11月 の投稿一覧

七朋会の集まり

今日は11月30日(土)。毎年11月の最終土曜日は七朋会だ。
七朋会は、北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大の国立七大学(旧帝大)応援団OBOGの会だ。私の同期(昭和50年卒団)の同期会から拡がって、先輩後輩や応援団を愛する仲間が集う会だ。 会場は、今は東大駒場生協食堂で行っている。今日の参加人数は75名。
学生時代に戻って応援歌・学生歌・寮歌を高歌放吟する単純な応援団OBOGならではの会だ。
東大からは、東大OBOGの他、東京六大学応援団仲間の明治や立教の後輩や、OUENを応援してくれる仲間が参加する。

この七朋会は学生時代を懐かしむ中に、後半生を如何に生きるか、心の張りを忘れないための会でもある。
67歳ともなれば、老生している人間、今ひとつ元気がない人間も多い。身体の若さは精神の若さに依るところが多い。せいぜい日頃の鬱憤を放出して若さを取り戻したいものだ。

姫路からやってくる竹田真一さんは京大応援団OBOG会(いぶき会)副会長だ。2時に私の事務所に来て、1時間弱のウォーキングをして会場の東大駒場まで行く。 竹田さんは、京大同期の故松井眞君が可愛がっていた男で、松井君は私に「せいぜい贔屓にしてやってほしい」と宣っていた。そんなことで、茲10年来、親しくしている。

ただひとつ

ただひとつ 旗かげ高し
今輝ける 深空(みそら)の光
天寵を負える子ら 友よ友
ここなる丘に 東大の旗立てり
伝統の旗 東大の光
讃え讃えん 讃え讃えん

ただひとつ 歌ごえ高し
今鳴りわたる 疾風の力
双眼の澄める子ら 友よ友
ここなり杜に 東大の歌湧けり
伝統の歌 東大の力
讃え讃えん 讃え讃えん

闘魂は

闘魂は 今ぞ極まる
逞しく 力競いて
掲げなん 勝利の旗を
淡青の この空の下
おお我が東大 栄えある学府

団結は 今ぞ極まる
惜しみなく
技を磨いて
開かなん 勝利の道を
淡青の この空の下
おお我が東大 栄えある学府

歓喜(よろこび)は 今ぞ極まる
ひたぶるに 務め果たして
歌わなん 勝利の歌を
淡青の この空の下
おお我が東大 栄えある学府

小林 博重

OUEN望年会で学ぶこと

「さざんか梅雨」というのだそうだ。東京は1週間以上雨天の毎日だった。今朝は久しぶりに晴天の爽やかな一日のスタートだ。

今も昔も人間の世の中は進歩がないらしい。政財官界や芸能界、市井に於いても、事件は事欠かない。

本能そのままに生きている動物以上に、人間は知恵があるばかりに、より狡猾に欲望を追求する。沢山の人たちに支えられてこそ、自分が生きているのにもかかわらず、意思が弱いのだろう。人のことを考えないで行動してしまうのだ。天から与えられた豊かな才能を棒に振ってしまう。 人間の強欲や意思薄弱は、人間に自らの先行きを見つめることをできなくさせる。
「謙虚と感謝」「素直」は簡単なことのようでそうでないらしい。
反省の日々を繰り返すことで我が
身を処していきたいと思う。

今日は11月の最後の平日。OUEN望年会の出席者の締切日だ。10月上旬に「OUEN望年会のご案内」をメールしてから1ヶ月半を過ぎた。約350名に発信した。 参加不参加に関わらず、すぐ返信いただく方や梨の礫の方。様々な方がいらっしゃる。私との距離感によっての反応なのだろう。
私は人脈で生きているゆえに、ビジネス上のお付き合いであっても人との関係はビジネスを超えたものがベースになっている。そうでない人とは、サラリとお付き合いすることになる。 OUEN望年会のご案内は、その人間関係が相当明確になる一つのリトマス紙になるのだ。

私は人との距離感をとることが不得手のところがあったが、6回のOUEN望年会を通して少しずつ成長してきたように思う。
人間関係をスムーズにすることは、終わりのない修行のように思うのだ。

小林 博重

照ノ富士の関取復活に思う。

照ノ富士は大関まで務めた実力ある力士だったが、怪我と病気で休場が続き、序二段まで陥落した。しかし、腐ることなく努力精進して、先場所は幕下で7勝全勝で優勝して、来年の初場所では、10場所ぶりに十両に復帰した。 アスリートは実力があっても怪我や病気でその地位を守ることができない。当に「無事これ名馬」が当てはまる厳しい世界だ。
照ノ富士はそれを克服した。年齢は27歳でまだまだ大関復活は不可能ではない。ネバーネバーネバーギブアップで鍛えられた精神力で元の地位に駆け上がってほしいと思う。

人間はどん底を経験しても、腐らずに素直な心で努力精進すれば、人間ができ、成長するものだ。
自分自身も私なりにどん底に落ち「もう自分の人生はこれまでか」と精神の力がなくなってしまったときを経験した。
しかし、コツコツコツコツ、このままでは死なないと思い、稲盛哲学を一から勉強し直して、少しずつ薄皮が剥がれてきた。自分自身の得手を改めて見直し、それに磨きを掛けることで自信がつき、さらに上を目指すことができた。

人間は何をするために生まれてきたのか。その目的を果たすことが生きることだ。そのための過程が人間を作る。魂が磨かれる。そのベースはやはり「素直な心」だ。松下幸之助さんも一番大切なことは「素直」だと仰っている。

偉いとか偉くないとか、それは地位でもお金でもない。生きる姿勢だ。人のために生きる、世のために尽くすことだ。それを基準に全てを判断することだ。
16歳の若者の生き方に感動する。ずっと歳下の人であっても魂年齢が高い人のアドバイスを聞くことだ。地位の高い人は、それは頑張って生きてきた証左ではあるが、それは人を評価する一つのアイテムでしかない。その人がどのような生き方をしようとしているか、その生き方が人間の評価ではないか。私はそのように考えるようになって、どんな人にも同じ対応ができるようになったと思う。 だから、私の人脈は幅広く拡がっていくのだと思う。

残り53年の人生だが、これからも心を磨く努力精進を重ねていきたいと思う。

小林 博重

能登の2つの信用金庫を通じて「能登」を元気にする。

[OUEN塾in金沢/石川]は来秋9月下旬(夏休み後半)に開催予定だ。
大学生・留学生は石川県で学ぶ学生が中心だが、石川県出身の首都圏や関西圏で学ぶ学生も申し込める。大学生は就職を意識しない1〜2年生であり、留学生は年次を問わない。

イベントの目的は、地域活性化と国際交流だ。直接就職につながるイベントではない。
大学生や留学生は地元の企業のことはあまり知らないため、就職活動のおりはどうしても知っている首都圏の企業を目指す。地域活性化が叫ばれている昨今、有意な若者が地元企業を知り、能力を発揮できる会社に入って石川県を元気にしてほしい。そのためのベース作りがこのイベントだ。

協賛企業は、石川県に本社がある企業が中心だが、石川県に支社(支店)がある企業でもいい。
学生は100〜120名、協賛企業は30社を目処としている。

協賛企業は金沢市本社企業が多いが、加賀や能登の企業も協賛いただいている。

特に、私が能登出身ということもあり、能登の企業が想定外に多く協賛していただくことになった。
ちょうど私がLCCのジェイ•キャスの顧問をしていることもあって、能登空港と関西空港の航空路線を開くことにより、能登の地域活性化に貢献したいという想いもある。

本日、奥能登の鳳珠郡能登町に本社がある興能信用金庫の田代理事からお電話があり、能登の地域活性化のためにもOUEN塾に協賛したいとの申し出があった。ありがたい。

石川県には5つの信用金庫がある。その中の2つが能登にある。中能登の七尾市に本社がある「のと共栄信用金庫」と奥能登の「興能信用金庫」だ。 のと共栄信金さんもOUEN塾に協賛いただくことになっており、その趣旨はやはり「能登の地域活性化」だ。

地域金融機関は、地元企業を元気にするために存在する。地元が元気にならなければ、金融機関は生き残っていけない。金融機関は地域にとって人間の血液のようなものだ。

奥能登の「興能さん」、中能登の「のとしんさん」で、人口減少・少子高齢化の先進地域の能登を元気にしていただきたい。OUEN塾とジェイ・キャスはそのためのサポーターでありたいと思う。

これでますます能登に思い入れが深くなった。私は67歳にしてようやく「ふるさとに錦を飾る」ことができるかもしれない。

気合いを入れて頑張りたいと思う。

小林 博重

ふるさと石川を想う。

[OUEN塾in金沢/石川]の参加学生募集のポスター(案)が出来上がってきた。
図案は、石川県の地図、金沢・加賀・能登を代表する写真、協賛会社の会社ロゴが表示されている。

金沢/兼六園、東茶屋街、金沢駅(鼓門、もてなしドーム)
加賀/白山
能登/見附島(軍艦島)、千枚田

ポスターを見て、石川県は実にバランスがいい県だと思う。
武家文化が横溢している金沢、自然豊かな加賀の白山と能登の海岸線だ。どちらが上でどちらが下というわけではなく、お互いが自己主張しながらも他を立てるバランス感覚だ。これからの世界、人間関係はこうあるべきだと思う。

そして、私のふるさとだ。能登に生を享け、幼児から中学生まで能登の豊かな能登の自然の中で育った。高校生の3年間は、文化都市金沢でその息吹に触れた。能登も金沢も、私には思い出深いふるさとだ。

このような形でふるさとに帰ることができるとは思ってもみなかった。これからのOUEN塾をはじめとした私の活動を「ふるさとに錦を飾る」レベルにまで引き上げる努力精進をしなければならないのだ。

ふるさとの訛り懐かし
停車場の人ごみの中に
そを聞きにいく
石川啄木

ふるさとはとおきにありておもうもの
室生犀星

私は、ようやく67歳になって東京からではなく、ふるさと石川の地で、ふるさとを懐かしむことができるのだ。
その点で、啄木や犀星の境地から一歩出ることができる。

小林 博重

フランシスコ教皇と香港の区議会議員選挙に思う。

昨日、今日と、コースを変えて2時間のウォーキングをした。
昨日はいつもの半蔵門・靖國神社コース、今日は広尾・麻布・六本木コースだ。
今年の出張はあと12月20〜23日の金沢・能登を残すのみ。先週の福岡・北九州出張を終え、今週から19日のOUEN望年会まで、出席者の座席を決めるのみ。忙中閑ありというか、ある意味では、1ヶ月近くの長期休暇というところだ。現在、67歳。後33年の現役生活に耐えられる身体作りに精を出している。

ところで、昨日、今日と、フランシスコ教皇と香港の区議会議員選挙が、私には改めて深く心に響く出来事だった。マスコミで報道される世界の様々な出来事の中でも、この二つは強く心に残る出来事だろう。

私はキリスト教信者ではないが、ローマ教皇は政治的にすこぶる影響力が強いポジションだ。特にフランシスコ教皇はそのお人柄や旧習の改革者として、カソリック教徒の中では深く愛されている教皇らしい。
教皇の長崎と広島での発言は、この私でも強く心を動かされ感動すらした。
「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない」
「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」
「大勢の人の夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって消された。人類に刻まれた記憶であり、私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じてきた」
「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」
「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」
「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」

教皇は演説で、「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。また、戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言した。

他方、香港の区議会議員選挙は、民主派が全議席の8割超を押さえ圧勝とか。香港政府、その後ろ盾の中国政府が何と言っても、民主主義は人間主義であり、勝利するのが必然なのだ。

アメリカ、日本、中国をはじめとする、世界の為政者は、この教皇の言葉を何と聞いただろう。香港の区議会議員選挙の結果を何と思っているだろう。為政者は何を目指して政治を司っているのだろう。利他の心で政治をしなければならないのではないか。
政治は人間主義でなければならない。西郷隆盛の『敬天愛人』こそが政治家に求められる精神ではないのか。

私はさほど能力は待ち合わせていないことは自分が一番知っている。それでも、私は私の生き方で『敬天愛人』を貫きたいと強く思うものだ。

小林 博重

改めて西郷隆盛を想う。

昨今の政治家や官僚の立ち振る舞いを見るにつけ、「長期政権は絶対腐敗する」ことを痛感する。絶対権力は絶対腐敗するのだ。権力が長期化することによって、「上司や目上の人の気持ちを推察し、配慮する」という「ごますり」にも似た忖度が横行するのだ(忖度の本来の意味は、「相手の気持ちを推察する」ということであり、論語で言う『恕の心』であり、『菩薩の心』のことだ)。

それにつけても西郷隆盛は、明治維新最大の功労者であるにも関わらず、権力を嫌い、権力に拘泥せず、野に下り人を育てた。人間西郷と言われる所以だ。
西郷さんが愛した箴言『敬天愛人』を改めて思い起こす。権力者はすべからく『謙虚と感謝』の心を以って、部下に接するべきである。

道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。
天は人も我も、同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以って、人を愛するなり。

官僚に於いては、内閣官房に人事が握られているがゆえに、内閣官房に対して忖度が横行しているのだと。そのことは分からないでもないが、「国家を想う志を持った」中央官庁の官僚であるならば、政治家とは対等な立場で関わってほしいものだ。
石原信雄さんは官僚の中の官僚だったが、政治家と官僚は役割分担だと仰っている。

呂新吾の呻吟語に言う。
深沈厚重なるは、これ第一等の資質。
磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。
聡明才弁なるは、これ第三等の資質。

すなわち、特に中央官僚は、頭が切れて弁の立つ人物である前に、どっしりと落ち着いて深みのある人物、積極的で細事にこだわらない人物であるべきなのだ。

小林 博重

稲盛和夫語録選集から、

1.渦の中心になれ
仕事は自分一人ではできません。上司、部下をはじめ、周囲にいる人々と一緒に協力しあって行うのが仕事です。
その場合には、必ず自分から積極的に仕事を求めて働きかけ、周囲にいる人々が自然に協力してくれるような状態にしていかなければなりません。これが「渦の中心で仕事をする」ということです。 会社にはあちらこちらで仕事の渦が巻いています。気がつくと他の人が中心にいて、自分はその周りを回るだけで、本当の仕事の喜びを味わうことができないときがあります。 自分が渦の中心になり、積極的に周囲を巻き込んで仕事をしていかなければなりません。

2.率先垂範する
仕事をする上で、部下やまわりの人々の協力を得るためには、率先垂範でなければなりません。
人が嫌がるような仕事も真っ先に取り組んでいく姿勢が必要です。どんなに多くの、どんなに美しい言葉を並べ立てても、行動が伴わなければ人の心を捉えることはできません。自分が他の人にしてほしいと思うことを、自ら真っ先に行動で示すことによって、まわりの人々も付いてくるのです。 率先垂範するには勇気と信念がいりますが、これを常に心掛け実行することによって、自らを高めていくこともできるのです。
上に立つ人はもちろんのこと、すべての人が率先垂範する職場風土をつくりあげなければなりません。

はたして自分は「渦の中心になっている」か、「率先垂範している」か、三省する日々である。

小林 博重

iPhoneから送信

能登の概要

OUEN塾を開催するに当たり、特に私の生まれた能登地方についてアバウト知っておくべきと思った。

能登は、羽咋郡市(羽咋市、宝達志水町、志賀町)、七尾鹿島(七尾市、中能登町)、奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の3つに分けられる。
※私は七尾鹿島の中能登町(旧鹿西町)で生まれた。

能登のデータ

○面積
石川県 4,186.05㎢
能登  1,977.92㎢(石川県比 47.25%)
内訳 羽咋郡市 440.18㎢
   七尾鹿島 407.74㎢
   奥能登 1,130.00㎢

○人口(2019.10.1現在)
石川県 1,137,181人
能登   182,190人
内訳 羽咋郡市 51,661人
   七尾鹿島 68,812人
   奥能登  61,717人

能登の面積は、石川県の47.25%であるのに対し、人口は16.02%である。
少子高齢化は石川県も違わないが、そのなかでも能登はそれが極端である。

OUEN塾では、学生を巻き込んで、能登の地域活性化に貢献したいと思う。

『ウィキペディア』から抜粋
能登半島は大半が石川県に属するが、宝達丘陵の南東側は富山県(氷見市)に属する。半島付け根の東側は富山湾を形成する。

半島東側の中部には、能登島を抱えるように七尾湾がある。このほか半島全体に岬や断崖、磯など変化に富んだ海岸線が多く、景勝地・観光地として知られる。半島の北方沖合には舳倉島、七ツ島という離島がある。

半島内部は、標高 200 mから 500 m 程の丘陵地帯(南部は宝達丘陵、北部は能登丘陵)が連なり、平地は少ない。

輪島市などでは千枚田が見られ、中でも白米千枚田は有名。海岸線を主体に広い範囲が能登半島国定公園に指定されている。
漁業・水産業が盛んで、古代からナマコの特産地である。現代では牡蠣も多く養殖されている。

地形・気候が厳しい反面、北前船など日本海交易の中継地でもあったことから、独特の文化や気風が育まれた。
輪島朝市や半島各地で夏から秋にかけて開かれる能登キリコ祭りはその表れである。

「能登はやさしや土までも」との言葉もあるように、人はもとより土までも優しい(柔らかい意)と言われている。

また女性がよく働くことから「能登のとと楽 加賀のかか楽」という言い回しもある。

富山湾に面した海岸を内浦(うちうら)、日本海に面した海岸を外浦(そとうら)と呼ぶ。

また、半島の先端から根元に向け、順に奥能登(おくのと)、中能登(なかのと)、口能登(くちのと)と呼ぶ。
口能登・・・羽咋市、羽咋郡(宝達志水町・志賀町)
中能登・・・七尾市、鹿島郡(中能登町)
奥能登・・・輪島市、珠洲市、鳳珠郡(穴水町、能登町)

外浦は、その位置と対馬海流の為に山陰地方や朝鮮半島からの漂着物が多く、8世紀から9世紀には志賀町の福浦港が渤海使の玄関口となった。

また、勇壮な景観で知られる能登金剛や曽々木海岸などの景勝地があり、男性的な景観を見せる。

一方で、内浦は穏やかな湾入地形の為に波が比較的穏やかで、また、九十九湾など繊細な自然美を誇る景勝地を持つことから女性的とも言われ、対比関係にある。

口能登では気多大社のある羽咋市が、中能登では和倉温泉がある七尾市が中心地であり、奥能登には外浦側に曹洞宗大本山総持寺の祖院がある輪島市、中央付近に2003年に開港した能登空港、半島先端に禄剛崎がある珠洲市などがある。

一帯は水産資源が豊富で、タラ・ブリ(特に寒ブリ)・イカなどが有名。輪島の朝市、輪島塗、禄剛崎や外浦・内浦の海岸景勝地、和倉温泉など、観光資源が豊富。

石川県の地図

素晴らしきかな、私の「応援人生」

去る11月10日に、神田学士会館にて、東京六大学応援団OBOGの集まりである「六旗会」があった。今年は東大が幹事なので、東京大学発祥の地でもある「学士会館」で、来賓含めて300名の集いが盛大に開催された。

その折、立教大学のパフォーマンスの前に、今年2月に渋谷区幡ヶ谷の児童養護施設施設長だった立教大学応援団OBの大森信也さんが、元入所者の男に殺害されたことに絡み、それまでの大森さんの人生が当に「応援人生」だったことに因み、大森さんの人生を映画化する計画が進んでいるという話があった。そして「応援人生」のプロデューサーの李鳳宇さんからご挨拶があった。

東大応援部と安田信託銀行の大先輩であり、東大応援部OBOG会前会長の井口一弘さんが私を李さんのところに連れていって「この小林も当に応援人生を歩いている男なんです」と私を紹介いただいた。その時は時間がなくてお話しもできなかったが、後から李さんは私の三枚折の名刺をご覧になったのだろう。私の話を聴きたいとメールをいただいた。そして、本日、私の青山の事務所に足を運ばれて、約1時間に亙り「応援人生」について話が弾んだ。

「応援人生」の劇場映画化。
応援団そのものではなく、人を応援する行為自体に焦点を当てるのだとか。映画を観た人たちが「応援の本質」について少しでも分かってくれたら嬉しい。
応援とは人生そのものだ。応援とは双方向のコミュニケーションだ。人は、ある時は人を応援し、ある時は人に応援してもらう。人は皆平等であり、助け合う動物だ。応援はその名の通り「援け(たすけ)に応える」ことなのだ。それを皆んなに分かっていただきたい。 主演俳優は、聞けば誰でも知っている好感度抜群の2人の爽やかな青年になるらしい(まだ内々定段階なので名前を記すことはできないが)。素晴らしい映画になることだろう。

「応援」とは何か(私の応援人生)

私は能登の生まれだ。田舎っぺの最たる者だ。中学生まで能登に暮らし、高校は金沢に出て金沢大学附属高校という石川県ではダントツの進学校に進学した。この高校は一学年が150人前後で3クラス。アットホームな校風で進学校の殺伐とした雰囲気はない。能登は人と人の関係はウェットで、それが耐えられなくて都会に出て行ってしまう人も多いが、私はそのウェットさが気に入っている。金沢大学附属高校も都会的なスマートさはあるものの、情に厚い友人たちが多く、私のような能登の田舎っぺもそのまま受け入れてくれた温かい高校だった。その雰囲気の中で高校まで過ごして、東大に進学したのだ。

東大は全国の精鋭の集まりであり、運動部に入ってもみんなスマートで泥臭い雰囲気ではなかった。私はこんなところでやっていけるだろうかと少し落ち込んでいた時に、応援部と巡り会った。バンカラ、ウェットの塊、理不尽なこともたまにはあったがそれをアフターでキチンとカバーしてくれる先輩たちや同僚たちに出会って、この部で汗をかいて、大学生活を頑張ろうと思った。 応援部は私の生きる原点であり、青春そのものになったのだ。

東大応援部にはスリーSスピリッツがある。Sとは、サービス、サクリファイス、スタディだ。私は、この精神を私の個人会社Mapのフィロソフィーにしている。 私なりに意訳して、サービスは社会貢献、サクリファイスは活私奉公、スタディは人間修養。応援の精神は人間哲学であり、経営哲学なのだ。

40歳を過ぎて稲盛和夫さんに巡り会い、その精神は一層固まった。スリーSスピリッツで残りの半分の人生を生きよう。「人のために生きることが幸せの原点」だという私の哲学を少しでも形にしたい、知行同一の人生を送りたいと思う。そして、その延長にOUEN Japanがある。

OUEN Japan のOUEN哲学[3Sスピリッツ]は、サポート、ストレングス、サスティン。

OUEN Japan は、日本人大学生・来日留学生たちが、「世のため人のために尽くす」グローバル人財に成長するため、彼らを「支援し、力づけ、そして屈することなく応援し続ける」応援団なのだ。

元九大総長の梶山千里さん(現、福岡女子大学理事長・学長)がOUEN Japan理事に就任いただいたこともあり、福岡の地で地域活性化と国際交流を目的とした「大学生・留学生と地元企業との交流事業」OUEN塾を既に2回開催した。来年2月が第3回だ。

私のふるさと石川県でも来秋にOUEN塾を開催する予定だ。

福岡県や石川県の企業はいずれも協賛会社数は30社前後。県や市、経済団体には後援をお願いしている。
いずれの県も大学生・留学生は多く、学生とともに地方創生事業のサポートをすることは、自治体と企業と学生の三者がウィンウィンウィンの関係を構築できるのではないか。

特に、私の生まれ育った能登は超高齢化時代の日本において先端を突き進んでいる地域だ。私も「ふるさとに錦を飾る」想いで、の地域活性化に貢献したいと思っている。

OUEN Japan は、大学生・留学生の応援団からスタートしたが、その名の通り「日本を応援する」OUEN Japan でありたいと思う。地域や企業を応援するOUEN Japan にもなりたいと思う。

私は67歳。しかし人生二毛作の時代だ。すなわち、67歳は、生まれ変わった二世の17歳なのだ。
一生である前半50年の経験は二世の後半50年に活かしたい。そして、その100年を終えて、それからようやく私の余生20年が始まる。

人生120年。ようやく折り返し点を過ぎた。まだ半分の人生。
これからが本番の私の「応援人生」が始まる。

小林 博重