昨日(8月12日)は、日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落(昭和60年8月12日午後6時56分)して33年の命日です。
乗員乗客524人のうち、女性4人を除き520が死亡するという航空史上最大最悪の大事故でした(私は、家族みんなと義父の千葉富津の別荘から帰ってくる時にこの事故が起こったので、今でもはっきりと覚えています)。

元三井物産常務で経営コンサルタントの守山淳さんが「日航ジャンボ機墜落事故で救難にあたった上野村村長を支えた海軍魂」と題してメールを送っていただいたので、改めてこの大事故に思いを致しました。

村長は黒澤丈夫さんと言って、太平洋戦争中は零戦隊を代表する指揮官で、終戦時は海軍少佐。
黒澤村長の事故への対応の鮮やかさ、救難指揮の見事さが話題になりましたが、それは彼の零戦隊長として生死の青春時代を送ったことによるものなのだと思われます。

黒澤さんの実体験を踏まえたお話は、当に心打つものがあります。

ついさっきまで笑いあっていた仲間がその直後の事故で無残な屍体となるのを幾度も目の当たりにして、「死」とは何か、生命とはそもそも何なのか、など苦悶しながら日々考えた。 自分なりに得た結論は、「私は父母の、おのおの個体としては限りある命を永遠につなげていこうとする生物の本能に従って生まれた、これは論理を超えた生物誕生の哲理だ。
この哲理から生まれた私が死を恐れるのは自然なことでそれ自体は恥じるべきことではない。ただ今後、軍人として国家の大事に際しては個体保存の本能よりも種族保存の本能が勝るよう死の恐怖を克服しなければならない。海軍ではまさにそのための修練を積むべきである。

また、昭和60年10月30日に天皇主催の秋の園遊会に招待された時、天皇陛下からお言葉を賜ったそうです。その時の黒澤村長のコメントに私は胸が詰まりました。

「事故の後はどうなっているか」というようなお言葉だったと記憶しています。私は思わず涙が出そうになってね、かろうじてお答え申し上げたんですが。陛下は我々からすると命がけで戦争を終わらせ日本の将来を救ってくれた方ですよ。戦争中私は軍人だったが天皇は神であるというような考え方にはついていけなかった。これは海軍の軍人ならみんなそうだったと思います。要は国民の塊が天皇と思えばいいんだ、その国家という依存すべき社会を守るために我々は戦うんだ、と。 陛下はほんとうに『私』ということをお考えにならない。接してみるとその人格が伝わってきて尊敬の念が自然と湧いてくるし畏れさえ感じます。
指揮官にしても政治家にしても人の上に立つ人の条件は『無私』ということ。もちろん私心が全くゼロでは生きられないし昭和天皇のようにはなかなかいきませんが身を捨ててでも周囲を助ける(援ける)気持ちがないといけません。海軍山本五十六大将、竹中龍造中将、大西龍治郎中将はそういう人だった。なかでも大西中将は特攻というあれだけもごい作戦をしてそれでも部下がついてきたのはそのせいですよ。逆に戦前の連合艦隊司令長官・永野終身大将など自分の故郷に錦を飾るために艦隊を土佐湾に入港させた、それだけで我々青年将校の信頼を失ったということもあったんです。
翻って、昨今の自治体首長や政治家を見ると、やれ賄賂だ、選挙違反だとあんなのが社会のリーダーだというのは情けないですよ。国会議員なんてクズ中のクズだ。総じて財界のほうが頼りになる。なんだって死ぬか生きるかの自由経済のなかで勝ち残っていく人たちだから。 私自身の目標として首長に必要なのは、私心がないこと、やる気があること、指揮統率力があること、その3つだと思っています。

平成17年、黒澤さんは91歳で任期切れを最後に村長を引退されました。
平成23年12月22日逝去。享年97歳。98歳の誕生日は翌23日でした。
12月23日は今上天皇の誕生日です(黒澤さんの誕生日でもあります)。天皇誕生日の祝賀気分に水を差してはいけないとの黒澤さんの深謀遠慮からなのでしょうか。 不肖私も黒澤さんのような人生を全うしたいものです。

小林 博重

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