昨夜は、明倫学館OBの有志で作っている一金会のメンバーに依る「屋台船の遊覧会」がありました。浜松町(芝)を7時に出て隅田川を上り下りして9時半に浜松町に戻ってくる遊覧です。富山高校OGも数人参加して、18名が遊覧を楽しみました。

隅田川は夜といっても25度をはるかに上回っているので、舳で海風に吹かれる気になりません。屋台船はクーラーがガンガン効いているので、美味しいお酒と酒の肴を堪能しながら皆でカラオケを楽しんだ2時間半でした。

明倫学館は、石川県と富山県の出身者が入居している、小石川にある大学学生寮です。加賀藩主であった前田家の屋敷の跡に建設されたものです。

加賀100万石は、今の石川県と富山県が領地でした。加賀と越中と能登の3国で構成されています。今は加賀と能登が石川県、越中が富山県ですが、明治初期は越中と能登が七尾県だったこともあります。私の出身は能登ですが、金沢(加賀)にも富山にも親近感があります。

今は能登は石川県で金沢(加賀)と同じ県(石川県)ですが、明治初期は越中(富山)と同じ七尾県だったのです。

また、能登と加賀は「能登のとと楽、加賀のかか楽」と言われるように、住人の夫婦観が違います。「とと」はお父さん、「かか」はお母さんです。能登はお父さんが楽してお母さんが働く。加賀はお父さんが働く。甲斐性のあるお父さんはお母さんに芸事(能や謡)を習わせるなどお母さんは楽をする、という意味です。働くのは能登ではお母さん、加賀ではお父さんです。

富山は越中富山の薬売りで、全国いたるところに薬の行商をしていましたがそれはお父さんでした。男が働くのは越中と加賀。加越能はそれぞれが特徴を持って前田百万石を支えていたのです。

[OUEN塾in北陸]構想は、この前田百万石をイメージしたものでしたが、2つの県に分かれている現在では、それぞれの県のミッションがあることが壁になって、その構想は一旦棚に上げなければならなくなりました。まずは、[OUEN塾in金沢/石川]を立ち上げることです。来秋9月下旬に第1回を開催するべく、これから活動を本格化します。

「ふるさとはとおきにありておもうもの」

金沢が生んだ詩人の室生犀星の詩の一節ですが、今は遠くて近くなった東京から「ふるさと金沢/石川(加賀・能登)」を想い、ふるさと石川をOUEN(応援)したいと思います。

小林博重