曽野綾子さんの箴言

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曽野綾子さん著『老いの僥倖』(幻冬舎新書)は、含蓄に富んだエッセイです。

その中からいくつか。

1.損か得かはその場ではわからない
損か得かということは、その場ではわからないことが多い。さらに損か得かという形の分け方は、凡庸でつまらない。人生にとって意味のあることは、そんなに軽々には損だったか得だったかがわからないものなのだ。 (中略)
現世でのご利益を、私の信仰では求めないことになっているのだが、不思議なくらい、私が誰かに贈ることのできたものは、神さまが返してくださっているような気がする。運命を嘆いたり、人に文句ばかり言っている人と話をして気がつくことは、多くの場合、そういう人は誰かに差し出すことをほとんどしていない。 与える究極のものは、自分の命を差し出すことなのだが、私のような心の弱い者には、とうていそんな勇気はない。しかしささやかなものなら、差し出せるだろう。
国家からでも個人からでも受けている間(得している間)は、人は決して満足しない。もっとくれればいいのに、と思うだけだ。しかし与えること(損をすること)が僅かでもできれば、途方もなく満ち足りる。不思議な人間の心理学である。

2.人生は思い通りにいかないからすばらしい
人生はワンダーフルだという。初めて英語に接した時、ワンダーフルという単語は「すばらしい」とか「すてきな」という意味だと習った。しかしワンダーというのは「驚嘆すべきこと」「不思議なものごと」という意味で、人生がワンダーフルだということは、「人生は、不思議な驚嘆すべきものごとで満ちている」という意味になる。 人生は当人にも予測しがたいことに満ち、それが受け手にとってすばらしいかどうかは、二の次である。
しかし意図しなかったことではあるが、自分が思いもかけない道を歩まされ、それがそれなりに意味があったことを発見できた人は「人生はワンダーフル」と言うようになる。その人は成功者なのである。そういう境地に達するには、自然の成り行きこそ神の望むところだったという認識が力を発揮している。 人生は予定通りではつまらない。

3.生き方に信念を持つ人は美しい
人間を美しく見せるのは、個性である。その個性を作るのは、彼か彼女自身の哲学や生き方に信念を持つことなのだろう。それが歩き方にも、食べ方にも、身のこなしにも表れる。 六十になっても、八十になっても、その年の人らしい人間のおもしろさが出せなければ、その人はただ古びていっているだけということになる。

4.人生に引退はない
百歳まで生きる人が多くなったという時代に、そして百歳に近づくほど、人な世話にならねばならないのに、七十代半ばから遊んで暮らしていたら、社会はとてもやっていけない。
人生に引退はないのだ。死ぬ日まで、体の動く人間は、生きるために働くのが自然なのである。そしてまたそのことが、人間に生きる目的も、自信も、希望も持たせるという事実も忘れたくない。

5.人柄が悪い人はおもしろい人生を送れない
人柄のいい人、という定義には、特に外見が美しいとか、大金持ちだとか、地位の高い人だとかいうニュアンスは込められていない。しかしそこには人間の魅力の源泉である温かさという美徳が込められていると私は感じている。
生きている人には体温があるのだが、この頃他人のことなど眼中にない、という爬虫類のような人もいるようになった。もちろんライオンにも象にも、心に近いものはあるのだろうが、動物の心の主流は、もっぱら自己保存の本能に向けられている。自分以外では、子供が親を求めたり、子供を守ろうとしたりしているが、それらは自己保存の本能変形だろう。 身の回りの肉親や、他人のためにあれこれ思うことのできる心の存在が、人柄を作るのである。
人柄のいい人は、自分のであれ、他人のであれ、人生を総合的に見られる眼力を持っている。他人が助けられるのは僅かな部分だが、それでも手助けしようと考えるのである。 別に自分の人柄をよく思われなくていいです、と若い人は言いそうだが、客観的に見てあの人は人柄がいい人だ、と思われないような人に、他人は尽くさないものだろう。
人柄の悪い人には、何か助けるべきことがあっても、してあげようという気にならないことがある。だから人柄がよくない人は、結果として貧しい人生を送る。お金やものに貧しいだけでなく、何よりおもしろい人生を送り損ねるのである。

OUEN Japan を運営するにつけ、心すべき言葉です。

小林 博重

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