人間の徳について

徳は一朝一夕で身につくものではない。しかし人間の一生を見ていると、人間としての真の幸不幸を決める最後的のものは、一にこの徳の有無大小などにかかっているようである。徳は普通のやり方や常識的な利害を超えて、心から人のためになろうという愚かさと実践の中から芽生え、成長するもののようである。

英語では徳はバーチュー(Virtue)であるが、これはラテン語の男らしさ(Virtus)から転じてきたものだとのことである。男らしさといえば、真っ直ぐで駆け引きがないとか、裏表がないとかいうことが第一に考えられるが、言葉の構成の経路の違いながら、真っ直ぐな心、直心ということで発想的に共通の点があることは面白い。

漢語の徳にも、辞書によると、やはり働きとか、能力とかいう意味もある。確かに徳は力であり、得にも通ずる。「徳孤ならず」ともいう如く、徳は求めずして人心を集めて力ともなり、おのずからなる不思議の力を持つものである。(平澤興先生)

人生の後半戦です。徳ある人生を送りたいものです。

小林 博重

人間の成長について

元京都大学総長の平澤興先生は「人間の成長」について以下のように話されています。実に箴言です。

【笑いと成長】

ある人が申しました。どこまで笑って暮らせるかと言うことで、その人の人間としての成長度が分かると。

ある人は八十のところでもう怒ってしまう、ある人は七十のところでへこたれてしまう、ある人は九十五くらいのところまでは我慢ができる等々です。

どこまで我慢ができるか、どこまで心の平和を保つことができるかというような高さが、その度盛りが人間の成長度を示すのです。

【人間の成長】

八十になっても九十になっても人間の成長はこれからだと思います。

小林 博重

大義ある目的完遂のため[しがらみ]を活用する。

小池百合子さんが希望の党を立ち上げる時のフレーズです。「しがらみのない政治を目指し日本を希望が持てる国にしたい」

そもそも「しがらみ」とは何か?私はしがらみの輪を拡げることによって「世のため人のために尽くす」ことをしようとしているのではないか。小池さんの言うしがらみとどう違うのか?そんな単純な疑問を感じておりました。

しがらみ(柵)

柵はさく。流れを堰き止めるため、杭を打ち並べて竹や木を横に渡したもの。

押しとどめて妨げるもの。心に纏わりついて、決意などを邪魔するもの。「浮世のしがらみで決心が鈍る」「柵が多くて好き勝手にできない」

小池さんは「しがらみ」をこの意味で使っています。これだと「しがらみ」は決して前向きな言葉ではありません。小池さんの言う通り「しがらみ」のない政治を目指していただきたいものです。

しかし、私が拡げている「しがらみ」は世のため人のために尽くす手段としての前向きなものです。「世間のしがらみ」で検索してみました。

世間のしがらみ

意義 類語
人間交流・関係 繋がり人脈人間関係交際関係コミュニティ交流関係・世間のしがらみ・交流の輪友達の輪交友関係
俗世間における鬱陶しいもののこと 浮き世のしがらみ・世間のしがらみ・世の中のしがらみ浮世の重荷世間の圧力

要は「しがらみ」は善悪で評価されるものでなく、そのしがらみを正々堂々とオープンにできるか、オープンにして人が付いてくるかなのです。後ろめたく大義がないのであれば人は付いてこないでしょう。いわゆる、大義があるかないかないかなのです。

大義ある[しがらみ]の活用をしていきたいものです。

小林 博重

自己を磨き、運命を開く。

今週も先週に続いて台風の到来です。こんな時は書斎でじっくり読書三昧と決め込みます。

「小さな修養論3」(藤尾秀昭著/致知出版社)に珠玉の言葉が散りばめられていて、深く心に染み入ります。

自己を磨く言葉/平澤興先生
「人は単に年をとるだけではいけない。どこまでも成長しなければならぬ」
「若人を希望をもって成長させる愛のある目で見る人にはそれが出来る」
「君がおらぬと、周囲が困るような人になりなさい」

難関を越える秘訣
1.非常に明るいこと。
2.ユーモアがあること。
3.常に、人に何かを与えようとしていること。
4.自分が主語の人生を生きていること。

才能について/羽生善治名人
「十年、二十年、三十年、同じ姿勢、同じ情熱を傾けられることが才能だと思う」

継続は力なり。
何事もこれはと思ったらどんな山坂があっても諦めず継続することです。
継続こそが凡人を非凡に変えることができる唯一の行動なのだと思います。

小林 博重

「まだ」と考える人生を送りたい。

昨日、港区から「介護保険被保険者証」と新赤坂クリニックから「人間ドックのご案内」が送られてきました。
前者は、私が来月で満65歳になりますので介護保険料の納付先が住民登録のある港区に変更されるためであり、後者は、私が毎年、年明けの営業開始日に人間ドックを受診しているためです。

65歳は前期高齢者と言われる年齢であり、年金においても区切りの年齢になります。私は個人会社社長であり、いわゆる個人事業主でありますので、65歳であっても70歳であっても80歳であっても、極端なことを言えばたとえ100歳であっても「仕事をする」という点に関しては全く変わるものではありません。 しかし、被雇用者にとっては大きな区切りの年齢であることは確かです。
肉体の変化の観点からも65歳は区切りの年齢なのかと実感するのは人間の生からして当然のことなのか、私が65歳という年齢を周りから意識させられているからなのか。

兎に角、人間は天からその人間だけに与えられたミッションを果たすために生を享けたのです。人間は、そのミッションを完全に果たすことは不可能なことであり道半ばで倒れるものですが、ミッションを果たそうとする想いを持って生きていくこと、生きているときは決してギブアップしないことが意味あることなのです。チャーチルの言う「ネバーネバーネバーギブアップ」が幸せな人生を送る最高の特効薬なのです。その意味で「隠居」は死語にすべきと思います。「生涯現役」が唯一無二の生き方と私は思っています。

昨日、かかりつけの近所のお医者さんとして青山通りの藤田クリニックに足を向けました。今までは神宮前の厚治クリニックだったのですが厚治先生がご高齢で閉院されたため、診断書を書いていただいて藤田クリニックを訪ねたのです。 人間に限らず生きとし生けるものすべてには寿命があります。65歳になっていろいろなことに出くわすと、当たり前のことですが人間の寿命を痛感します。

人間100年時代になったとはいえ、私は100歳まで35年です。たった35年しかないとも言えますが、まだ35年もある、35年もあればミッションの到達点の9割くらいまでは辿り着けるかもしれないとも思います。 「しか」と「まだ」とは天地の違い。ものの考え方・見方の違いで不幸にも幸せにもなるのです。
幸せな人生を送るためにも「まだ」と考える人生を送りたいものです。

小林 博重

日々の素直な反省の大切さ

今回の衆院選で学んだこと
(1)何事も基本が大事。基本とは誠に地味なもの。じっくりと時間をかけて堅固で揺るぎない土台を築くことが大事。
(2)一歩一歩の積み重ねが大事。ローマは一日にしてならず。
(3)策を弄しても策に溺れるのが関の山。それは覇道。常に正道は何か、王道は何かを追求する。頼りになる人は王道を行く人にしか付いてこない。
(4)自分がこの世に生まれてきた意味は何か。天が命じた使命を忘れないこと。
(5)自分の心に邪心がないか。忘己利他(もうこりた)の言動をしているか、絶えず己に問いかけること。
(6)己の欲せざることを人にしていないか。恕の心を忘れないこと。
(7)弱者の論理を忘れないこと。コツコツコツコツ、一点集中。
(8)信頼して人に任せることをしているか。人のおかげで今の自分があることを忘れていないか。人を大切にしているか。人に心があることを忘れていないか。
(9)人脈が豊富な人はしがらみだらけ。しがらみで世の中を変えていくことも考えるべき。悪いのはしがらみで姑息なことをすることである。
(10)現在はダイバーシティ。女性の時代。人生100年時代。今までの既成概念を引っくり返すことで世の中を変えることができる。

日々の反省を習慣にすること、謙虚にして驕らずです。

平澤興先生の言です。
人間がその人生の目標に向かって積極的情熱的に前進する限り、反省は若人にも老人にも絶対に必要であろう。しかしこの反省は、後ろ向きの反省ではなく、前向きの明るい努力と実行のある反省である。
世の中を見ると、どうも失敗でだめになる人のほうが多いようだが、真に大成した人は、むしろ失敗を機として逞しく立ち上がった人であって、こういう例は内外ともに少なくない。

小池百合子さんには、素直な心で反省し逞しく立ち上がってほしいものです。私も心したいと思います。

小林 博重

「人生はにこにこ顔で鼻歌まじりの命がけ」

東大応援部の大先輩である中島清成さん(元朝日新聞記者)は東大応援部の精神である3Sスピリッツ(サービス、サクリファイス、スタディ)の生みの親です。私の個人会社のMap フィロソフィーは中島さんの許可を得ないでこの精神をパクりました。また、中島さんが書かれた「無名記者の挽歌」(中央公論新社)には、彼の人生の生き様が赤裸々に書かれていますが、その中に彼の生き様を象徴しているフレーズに「鼻歌まじりの命がけ」があります。

人生は命がけで生きなければ生まれてきた意味がない。命を授けてくださった天に合わす顔がない。
しかし、引きつった顔をして頑張ってもそんなことでは長続きしない。鼻歌まじりで生きていくのだ。淡々と、肩肘張らず、それでいて命がけで、ということなのでしょうか。

元京都大学総長であられた平澤興先生は、
「生きるとは燃えることなり」
「人生はにこにこ顔の命がけ」
と仰っていらっしゃいます。

にこにこ顔で、鼻歌まじりで、天が私に与えてくださった「天役」を果たしていきたいと思います。

小林 博重

天役を果たす

「小さな修養論」(藤尾秀昭著/致知出版社)を読んでいます。

佐藤一斎の言葉
「天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか。自分はすでに天の生じたものであるから、必ず天から命じられた役目(天役)がある。その役目を謹んで果たさなければ、必ず天罰を受けるであろう」

それでは、私に天が命じた役目とは何だろうか?
天役を知る資質を藤尾さんは三つ挙げています。

1.与えられた環境の中で不平不満を言わず、最善の努力をする。

2.他責ではなく「自責」の人である。
幸田露伴は述べています。
「大きな成功を遂げた人は失敗を自分のせいにし、失敗者は失敗を人や運命のせいにする、その態度の差は人生の大きな差となって現れてくる」と。

3.燃える情熱を持っていること。
明治の実業家浅野総一郎は述べています。
「大抵の人は正月になると、また一つ年を取ってしまったと恐がるが、私は年なんか忘れている。そんなことを問題にするから早く年がよって老いぼれてしまう。世の中は一生勉強してゆく教場であって、毎年毎年、一階ずつ進んでゆくのだ。年を取るのは勉強の功を積むことに外ならない。毎日毎日が真剣勝負。真剣勝負の心構えでいる人にして初めて、毎日のように新しいことを教えてもらえる。 私にとって、この人生学の教場を卒業するのはまず百歳と腹に決めている。昔から男の盛りは真っ八十という」と。

人生100年時代の到来です。浅野総一郎翁は、明治時代に人生100年と言っているのです。

人は天から与えられている役目を全うするために、日々修養を積んで、そのお役目を謹んで果たさなければならないのです。

小林 博重

日々の反省の大切

今回の衆院選では連戦連勝で来た小池百合子さんが完膚なきまでの手痛い完敗でした。小池さんもご自身驕りがあったと発言されています。政治家の発言は手練手管ばかりで真実味はほとんど感じられないのですが、小池さんのこの発言は将に相応しいものとして素直に胸に落ちました。将たる者、敗けたときは言い訳せず、全て自らのせいだと認めることです。 (ケネディさんとの対談で、今回の完敗を「鉄の天井」と表現していましたが、この発言は少し愚痴っぽかった。私は鉄の天井は小池さんの驕りが作ったのだと思います)

稲盛和夫さんが「6つの精進」で仰っている第1番は、「謙虚にして驕らず」です。(昨日の閣議のあと、閣僚が口を揃えて「謙虚」と言う言葉を発言していましたが、私には少ししらじらしく聞こえました。口先だけと思うのは私だけでしょうか。それだけ政治家の発言はいい加減だと言うことです。「信なくば立たず」を肝に銘じたいものです)

人間は実に弱いものです。順境が続くとどうしても驕りが出てくるのです。順境は全て自分の力であると錯覚に陥るのです。後から考えるとそうだと思うのですが、その時はそのことを忘れてしまうのです。

稲盛さんは「毎日の反省」と仰います。論語にも「日々三省」せよとの教えがあります。
毎日毎日、その日の自らの言動を振り返り反省する習慣は如何に大切なことか。それは人間の弱さゆえ、人間の成長には不可欠な習慣なのです。

一日を終え就寝の前に、朝の目覚めの時に、忙中閑ある時に、私は習慣としてこのブログを書いていますが、これが私の「日々の反省」になっています。

人間は日々の反省を繰り返すことにより、少しずつ少しずつ成長していくのだと思います。

小林 博重

喧騒を極めた泥仕合の衆院選を終えて

喧騒を極めた衆議院議員選挙は自民党の大勝、立憲民主党の躍進、希望の党の完敗で幕を閉じました。

今回のドタバタ劇で私が感じたことは、ほとんどの日本の政治家は聡明才弁ではあっても根っこはサラリーマン根性で凝り固まっている三流政治家なのだと言うことです。 政治哲学云々以前に、政治家としての矜持を持ち合わせていない。如何にして選挙に受かるか、右を見て左を見て、こちらに付けば有利だと節操も無く右顧左眄する。 希望の党、立憲民主党、無所属を問わず、民進党の議員のほとんどがその部類に入ります。
また、その人間の弱さや醜さを利用しようとした策士、これもいただけない。スポーツの死闘の後の爽やかさは微塵もありません。

政治は所詮そんなもんだと言ってしまえばそれまでですが、本来国民を導いていくべき政治家は人間として尊敬される人格を持つべきではないだろうか。 選挙が終わって各党代表の弁を聞いていても、話す言葉がほとんど腹に落ちてこない。言葉を信じることができない。皆さん、もう少し人間を磨いたほうがいいと感じました。

日本の政治は三流です。しかし、こと経営に目を転ずれば日本には数多の一流経営者がいます。
私が見習うべきは哲学を持った哲人経営者の言動だと改めて思いました。

小林 博重