高転びに転ぶことがなきよう、謙虚にして驕らず

「高転びに、あおのけに転ばれ候ずると見え申し候」
安国寺恵瓊が織田信長に会って信長のその後を予見した言葉です。

信長は天才でした。時代を先読みし「天下布武」を高らかに掲げました。戦国時代を終焉に至らしめたのは信長であると言っても過言ではありません。しかし、最後に250年の長期安定政権を確立したのは信長や豊臣秀吉ではなく、鳴くまで待った徳川家康でした。 安倍首相や小池都知事を見ていると織田信長を見ているようなところがあり、安国寺恵瓊の言葉が思い浮かんでくるのです。

「謙虚にして驕らず」
稲盛和夫さんは6つの精進の最初に言われる言葉です。聡明才弁であり順境であれば、口には出さなくてもそれは自らの力なのだと勘違いし驕り高ぶるのが人間と言うものです。

安倍1強、小池1強と言われています。そんなときが一番危ないのです。傲慢になり、高転びに転んでしまうことになりかねません。
今はありがたいことに戦国時代ではありません。国民主権の世の中であり、国民には選挙と言う伝家の宝刀があるのです。お二人が高転びしない一番の薬は、自民党と希望の党が痛み分けになることです。世の中、そんなに甘くないと思い知っていただき、謙虚に政治を司っていただきたいものです。

お二人とは次元は違いますが、そういう私もこのことを他山の石として「謙虚にして驕らず」を絶えず念頭に置いて仕事に邁進していくことを肝に銘じます。

小林 博重

「逃げる」のも立派な力

曽野綾子さんが10月8日の産経新聞に“「逃げる」のも立派な力”と題してエッセーを書いています。

現在の日本人は、普段はあまり気のつかない自由を持っている。どんな職業でも身分でも、やめられるということだ。死ぬほど辛い学校環境なら、さっさとやめればいい。自殺するほどこき使う会社なら、あっさり退職することだ。学校にも会社にも、やめる自由は残されている。やめて出直せばいいのだ。
それなのに、やめずに自殺する。家族も周囲も、従業員を酷使する組織のせいだ、と言う。なぜ早くやめなかったのか。もちろん理由はさまざまあるだろう。そして学校も親も、しばしば「我慢しなさい。世の中では、皆耐えているんだから」というようなことを言って、ぎりぎりまで当人を、逃げられないようにする。そして性格のいい親孝行な子ほど、転身を自分勝手なこととして許さない。
しかし、これからの教育では、自分を追い詰めない責任は自分にあるのであって、「悪い組織」や「厳しい環境」にあるのではない、ということを、人生のどこかの地点ではっきりと教えるべきだろう。
もちろん過度な労働を強いる会社の体質は変えさせるべきである。しかし社員がどんどんやめる会社は自然に衰退する。死なないで逃げてほしい。これも一応の力だ。

私は20年前に21年間勤めた銀行を早期退職しました。会社の皆さんには大変可愛がっていただきましたが、思うところがあり、家族や会社の皆さんの反対を押し切り退職に至ったのです。曽野綾子さんの言う「逃げる」ことをしたのかもしれません。

生簀ですくすくと育てられた人間が日本海の荒海に飛び込んだのですが、その時思ったことは「自分が決めたことは自分が責任を取らなければならない」と言うことでした。甘ちゃんでしたから荒海に揉まれ心身に支障をきたしたこともありましたが「人のせいにはできない、自分の人生は自分が切り開いていかなければならない」と言う思いで何とか20年七転八倒して今日の私があります。

一人っ子が多い最近の青少年は、親御さんに大事に育てられて皆さん親思いの人が多いのだと思います。しかし自分の人生は自分が切り開いていくしか「幸せに辿り着く王道」はないのです。

その意味で「逃げる」ことは立派な力であり、自責の心を養うことにもなるのだと思います。

小林 博重

東大野球部、東京六大学野球リーグ戦にて15年ぶりの勝点を 獲得する

本日、東京六大学野球秋季リーグ戦で、前日に続き、東大が法政に8対7で勝利し15年ぶりの勝点を獲得しました。
長い低迷が続いていましたが臥薪嘗胆の甲斐あってようやく勝利の美し酒を飲むことができます。
東大応援部と赤門鉄声会の有志で、本日18時から上野の赤提灯という大衆居酒屋で祝勝会です。
私はウォーキングを兼ねて外苑前から靖國神社にお礼参りの参拝の後上野不忍池を散策し、赤提灯に出向くこととします。

今日は事務所で早朝から仕事でしたので残念ながら勝利の瞬間に立ち会うことはできませんでしたが、You Tube で放映されていますのでその感激に浸ることができました。

鉄声会運営委員会でも堅実しっかりした真面目人間がいます。こんなときは羽目を外して未成年である応援部現役に飲酒を勧めるOBがいるもので、幹事長の私から会の冒頭に釘を刺しておいてほしいとの伝言がありました。その真っ先に気をつける人間は私だということを暗に言っているのでしょう。勿論、そのような不始末はしないことをここに誓います。

不忍池に佇みメールをしていますが、間も無く17:30になります。そろそろ赤提灯に向かうことにしましょう。

小林 博重

人格の陶冶は毎日の反省から

希望の党が民進党から人を受け入れるに付き、希望の党代表の小池百合子さんは「排除」や「さらさらない」という不寛容で上から目線の極めて厳しい言葉を使って希望の党の立ち位置をアピールしました。
政党は同じ想いの同志の政治的集団であり、他党との明確な差別化を国民に提示することが不可欠と思います。特に、政権政党を目指す旗を立て安倍政権と対峙し、今回の衆議院議員選挙を安倍対小池の闘いにしたい小池さんとしては、その戦略は「小池マジック」の一丁目一番地だったのだと思います。

このことは政治の世界に限らず、経済や社会等、全ての分野で言えることですが、特に政治は国民にアピールし選挙に勝たなければ“負け犬の遠吠え”になってしまいますので、已むを得ないところがあるかと思いますが、上から目線の態度は選挙戦には少なからず悪影響があるのではないでしょうか。

日本になかなか偉大な政治家が現れないのは、 そのような政治特有な性質の故かもしれません。
翻って、明治維新の三傑の一人、西郷隆盛は政敵からも“せごさん”と慕われた大人(たいじん)でした。日本国のトップリーダーである安倍首相やトップリーダーを目指す小池都知事のお二人には西郷さんの爪の垢でも煎じて飲んでいただきたいものです。

他山の石として、では私自身はどうなのか考えてみます。私のキャラクターのせいも多分にあると思いますが、親しい人から“ダボハゼの小林”と言われるように、良い意味でも悪い意味でも「来るものは拒まず(去る者は追わず)」で、場合によってはドブに足を突っ込むこともありました。また、人と喧嘩することは何の意味もないことですが“匹夫の勇”的なところもありました。日々反省し、正道を歩いていこうと努力精進中です。

自らの“生きる哲学”“恕の心”を持つことによって、様々な人と相応しい距離感を持つことができます。
それが、ある人とはパートナー関係になったり、ある人とはご縁がなかったりするので、結果は“排除”と同じことであっても、その過程は全く違うものです。

絶えず人間性を陶冶すること、人徳を高める努力をすることです。そのためには日々の反省が不可欠です。孔子は日々三省したそうですが、少なくとも寝る前にはその日1日を振り返り反省することを日課にしたいと思います。

小林 博重

ステイツマンよ出でよ

政治家(ステイツマン)と政治屋(ポリテッシャン)について考えます。

「政治屋は多いが政治家は少ない」
「次の選挙を考えるのが政治家であり、次の社会を考えるのが政治家である」
「ステイツマンは公正で尊敬される政治家であり、ポリテッシャンは私利私欲に走る軽蔑的イメージがある政治家である」

希望の党の誕生により保守とリベラルの旗印が明確になったことは良かったと思いますが「政治家とはどうあるべきか」という観点から見ると、殆どの政治家は政治屋なのだと思わざるを得ません。 政治家は殆どが政党に属していますが、私などは殆どがサラリーマン根性の政治屋と思います。それが民進党の分裂で明確になりました。

孟子の言葉に「恒産なくして恒心なし」があります。生活の経済的基盤がしっかりしていなければ、信念に貫かれた安定的な精神を保つことはできない」という意味です。
凡人が政治家を志望するのであれば、相応の財産がなく収入も不安定であれば、政治屋に堕してしまうと思います。その点からすれば、殆どの政治に関わっている人は政治でおまんまを食っているのですから、なかなかグレイトステイツマンは出てこないのだと思います。

昨今の政治状況は応仁の乱とか明治維新と似ていると言われています。坂本龍馬もどきな人や大久保利通もどきな人はいますが、ほんまものかどうか。少なくとも西郷さんはいません。

「天を相手にせよ。人を相手にするな。全てを天のためになせ。人を咎めず、ただ自分の誠の不足を省みよ」
「人は天命というものを天から与えられ、それに従い生きているのである」

ベースに愛を持ちながら行動すべきときは断固として行動する。
その行動は自分の利益や他人からの評価を求めるところから発するのではなく、大義や使命や天命から発するものでなければならないのです。

どう生きるか?
凡人であるからこそ、日々真剣に考えて、行動に移していこうと思います。

小林 博重

富丘会会員のための講演・交流会に参加して

昨日、富丘会(横浜国立大学同窓会)会員のための講演・交流会に参加しました。私は横国大OBではありませんので参加資格はないのですが、長島章さん(富丘会副理事長、大樹グループ)の伝手で何度か参加しています。おかげさまで、多くの横国大OBの方々と親しくお付き合いさせていただいております。

横国大は1学年が600名くらいで、アットホームで和気藹々とした雰囲気がある大学です(東大法学部くらいの規模)。大学や現役学生とOB・OGとの絆も深いものがあり、OBの皆さんのお人柄も温かい心根の方々が多いように思います。部外者の私も違和感なく受け入れてくださり、いつも横国大OBになった気分で楽しい時間を過ごすことができます。

昨日の講演の講師は、横浜国立大学法科大学院卒の弁護士である菅原崇さん(虎ノ門法律事務所所属)でした。

菅原崇さんの略歴
東京の理系国立大学を卒業し明治乳業に入社。不慮の事故で障害が残り、退社を余儀なくされ一念発起して弁護士にチャレンジ。法学部の経験ないため未修者実績の高い横浜国立大学法科大学院を経て、日本初の音声受験で一回で合格。現在、弁護士として虎ノ門法律事務所に所属。

講演をお聴きして、菅原さんの人生に対する極めて前向きで、ハンディをハンディとも思わない意思の強さに感動するとともに、私がどん底に落ちて這い上がってきたなどとは恥ずかしくて人に言えるものではない、もっともっと前向きに生きていこうと思いました。

*絶えず、高い目標を持ち、目標に向かってチャレンジする。
*人のせいにしない。世の中のせいにしない。どうしたら困難を克服できるか、考え抜く。できない言い訳を考えても明るい未来はない。 *人を変えるのは難しいが、自分が変わるのは考え方を変えれば簡単だ。

そうなのです。
“人に優しく自分に厳しく”
他責では明るい未来はないのです。自責に徹することです。
稲盛和夫さんの人生・仕事の成功方程式は「成功=能力×熱意×考え方」です。
能力は生まれ持ったもので自分では如何ともしがたいものですが、熱意と考え方は自分の力でどうにでもなるものです。

前向きに一生懸命生きること、前向きで真っ直ぐで人の道に外れない正しい考え方を持って生きることです。

小林 博重

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「プロ野球審判ジャッジの舞台裏」

昨日、日本野球機構審判技術委員の山﨑夏生さんが外苑前の事務所にいらして、1時間以上に亙り楽しい野球や応援の話に花を咲かせました。
山﨑さんとは、北大応援団OBの千原治さんにご紹介いただき、、昨日が初対面でした。

一昨年でしたか、関西七朋会(旧帝大応援団OB・OG会)に参加したおり、北大応援団OBで先輩である植松高志さんから「プロ野球審判ジャッジの舞台裏」(山﨑夏生著/北海道新聞社)をご恵贈いただき読了しておりましたので、千原さんから山﨑さんをご紹介いただいた時「あの山﨑さんか」とお会いすることを楽しみにしておりました。

山﨑夏生さんの略歴
1955年(昭和30年)、新潟県上越市に生まれる。
幼少時から野球が大好きでプロ野球選手を目指すも、北海道大学文学部を卒業時にようやく己れの実力を悟り断念。
プロ野球担当記者になろうと日刊スポーツ東京本社に入社。しかし野球現場への夢を諦めきれずに一転、プロ野球審判としてグラウンドに立とうと決意する。
1982年パリーグ審判員として採用され、以後29年間で一軍公式戦1451試合に出場。
その間、歴史1位、計17回の退場宣告を行った審判として歴史に残る活躍(?)をする。
2010年を最後に現役を引退、現在は日本野球機構(NPB)の審判技術委員として後輩の指導に当たっている。

好きこそ物の上手なれ
努力と忍耐で夢は果たすことができる
野球は人生そのものである
練習は不可能を可能にす(小泉信三)

山﨑さんは10代から毎日日記をつけていらっしゃるそうです。私はようやくOUENブログを1年続けてきたことでも分かるのですが「継続は力なり」は真実です。日記を40年以上にも亙り毎日書いていらっしゃることに深い敬意を表しますし、そのお人柄についても「この人は信頼ができる誠実な方だ」と思います。
著書でも故木村拓也さん(日本ハム→広島→読売)のことを「努力する才能」の題目で書かれていますが、私の一本独鈷人生を振り返っても、当に「努力することは才能」だと痛感します。

著書は、
1. 名選手列伝
2. 奥深き判定の世界
3. クロスプレーで生きてきた
で構成されています。

文学部を卒業されていらっしゃることもあって、ゴーストライターに頼らず自ら全て書き下ろされた由。自分の歴史にもなることです。私も拙くとも、OUENブログを生涯に亙り書き続けていきたいと思います。また、さまざまなシーンで講演もなさっていらっしゃいます。私もビジネスマッチングという仕事柄、講演をお願いする機会があると思います。

スポーツは「山あり谷ありの人生を生きるヒント」になります。人間通であることは幸せな人生が送れる大きな要素であると思います。人生の後半戦、ピュアな人生を送りたいものです。

小林 博重

「謙虚である」ということ

稲盛和夫さんは「6つの精進」を説かれます。
1 誰にも負けない努力をする
2 謙虚にして驕らず
3 毎日の反省
4 生きていることに感謝する
5 善行、利他行を積む
6 感性的な悩みをしない

衆議院選挙のドタバタを見るにつけ、特に安倍首相と小池都知事のトップの言動を見るにつけ「謙虚であること」についてその意味を改めて考えさせられました。

謙虚に関する名言・箴言は数多くあります。釈迦や孔子やキリストではない普通の人間は絶えず意識していないと驕り高ぶる動物なのでしょう。
「謙のみ福を受く」「驕る平家は久しからず」「策士策に溺れる」「大賢は愚なるが如し」「我が身を立てんとせばまず人を立てよ」
全て謙虚さを忘れ驕り高ぶる人間に喝を入れる諺です。

そして、偉人たちは、多くの「謙虚」に関する名言を残しています。
・真の勇気が試されるのは逆境のときではない。幸運な時どれだけ謙虚でいられるかで試される。
・謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。
・人間は常に、畏敬の念と謙虚さを持つ必要があるのです。そうした尊敬の念がなければ、国家権力の執行にも歯止めがなくなります。産業社会の結合力も失われ、人間の個性が真に認識されることもないでしょう。
・もし英雄というものが、他者のために崇高なことを行う人をさすのであれば、高慢にならず、謙虚そのものであるような人です。自分で自分を英雄だなどと思う人は、とるに足らない人間です。
・身分が高くなるにつれて、謙虚に振る舞わねばならぬ。
・自分の強さを実感している人は、謙虚になる。
・真に偉大な人物の第一の試金石は、謙虚さである。
・謙虚な人は誰からも好かれる。それなのに、どうして謙虚な人になろうとしないのだろうか。
・真の勇気が試されるのは逆境のときではない。幸運なときどれだけ謙虚でいられるかで試される。
・地位ますます高くなれば、いよいよ謙虚にならなければならない。
・すべての偉大な人々は謙虚である。等々

小池都知事、希望の党党首には「謙虚であること」を肝に銘じて日本の改革に邁進していただきたいものです。

小林 博重

政局のドタバタ劇に思う

昨今の政局の混迷を見るに付け、政治家(政治屋)は権力の亡者たちの集まりなのだと思ってしまいます(安倍ちゃん身勝手解散決断→小池劇場→政局バタバタ三流芝居)。
政治家の皆さんは皆優秀な人の集まりなのでしょうが、深沈厚重な第一等の人物は希少なのです。

民進党が希望の党に合流することについて、小池さんが「全員を受け入れることはさらさらない」と発言したことにリベラル派は激怒・混乱しているとか。受け入れたらそれは自民党が言う「看板と党首を挿げ替えただけの野合」になってしまいます。安倍政権打倒は手段であって目的ではありません。目的は「国民のために」どういう政治をするのかです。そんなことも分からないで何が国民のための政治と言うのでしょうか。

私たちは、これを嘆くことなく冷静な判断で一票を投じなければなりませんが、このドタバタ三流芝居を他山の石として、それぞれの人生に活かしていく必要があります。

1. 誰のための政治なのか。政治の目的とは何か。なぜ政治家を志望したのか。手段が目的化している。
2. 渦の中に入り込むと全体が見えなくなってしまう。冷静に物事を見ることが必要。“匹夫の勇”が国士だと勘違いしている。

目的と手段について考えるとき、私は、幼少時に思い描いた“私の将来像”に思いを馳せます。

「末は博士か大臣か」や「仰げば尊し」の歌詞の「身を立て名を挙げ」のように、立身出世をして故郷に錦を飾ることを夢見ていました。
今思うのは、立身出世はあくまでも手段であって目的ではないということです。自分は何をするために生まれてきたのか、自分に与えられた能力(狭い意味での能力に加え、キャラクターや熱意や考え方)は何のために使うのか、が“生まれてきた目的”を考えるということです。そのためにどのような業種の仕事に従事するかが、目的を果たすための“手段”です。
毎日の活動を振り返って、そのことを絶えず意識して、到らなかったことは反省することです。

渦の中に入ると、視野が狭くなる傾向があります。手段が目的化する傾向があります。カッカしてしまって周りが見えなくなってしまいます。子どものように自己中心的になります。人の立場に思いを致すことができなくなってしまいます。内からの目と外からの目の両方を持つことが大切です。そのためには、謙虚になって人の話に耳を傾けることです。

【不易流行】
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。

【アウフヘーベン】
あるひとつの命題(テーゼ)と、それに反対・矛盾する反命題(アンチテーゼ)の二つの相反する命題を、互いに否定しつつも生かして統合し、より高次元の段階である総合命題(ジンテーゼ)を導くこと。

小林 博重

「人生100年時代構想会議」に思う

働き方改革の一環として政府は「人生100年時代構想会議」を発足させました。
サラリーマンの定年が延長されるとしても人間の寿命の延長の伸びに追いついていかないでしょう。現在10歳の日本人のうち半分は107歳まで生きると言うデータもあります。私と同年代の現在60代半ばの日本人ですら半分が100歳近くまで生きるのだとか。私は同期のなかでは元気印No. 1を自称しておりますから、確率からすれば100歳以上は生きることを念頭に置いて生きなければならないのです。

幸いなことに、私は50代前半にサラリーマンとはおさらばしましたので、サラリーマン特有な“濡れ落ち葉族”になることもなく、生涯現役の道にソフトランディングすることができました。
同期会に出ると、エリートサラリーマンであった人はくだらないエリート意識が邪魔して面白くない後半生を送っているように、私には見えます。価値観の違いですから良い悪いと言うことではないのですが「生き甲斐を持って元気で生きる。人に頼りにされる人になる」ことのほうが絶対幸せだと私は思います。

70歳や80歳になつても元気で頑張っている人種は、
1.政治家、政治屋
2.オーナー(シップ)経営者
3.芸能人
4.自由業

いずれも「定年」と言う言葉は彼らの辞書にはありません。芸を極めた人はピンピンコロリの人生を地でいっています。認知症防止のためには定年と言う概念を抹消することであると言うのは言い過ぎでしょうか。

様々な分野の専門家が新たな生き方を模索して、ハード・ソフト両面に亙り、私たちに提案・提示してくれると思いますが、私たちは一個人として、自分のことだけではなく人のためという発想を持って生涯現役を考えることが大切なのではないかと思います。

小林 博重