OUEN塾団長は人間学の先生でありたい。

朝食はマンション近くのドトールコーヒーで、いつものアイスティーとタマゴサンドのAセット。いつもの窓際のスマホの電源がついている席です。もう福岡は勝手知ったる“第2のふるさと”になっています。

今日は博多駅傍の九州北部信用金庫協会の篠原専務宛に8時半に、それから北九州の九州工業大学、九州共立大学、九州女子大学を訪問します。

篠原専務は東京中野本店の西武信用金庫の髙橋理事にご紹介いただきました。なぜか気があったこともあり、私の活動を深くご理解いただき、同金庫協会に後援をしていただきました。さらに、野村理事長は福岡ひびき信用金庫理事長でもあるので、同金庫もOUEN塾の協賛会社になっていただきました。 篠原専務は戸畑高校野球部の甲子園組です。青山学院大学卒。ご自宅は東京なのですが、ふるさと福岡に単身赴任して、ふるさとのためにご活躍されています。 第2回OUEN塾オリエンテーションの講師をお願いして快諾していただきました。

柳生家の家訓に、
「小才は縁に振れても縁に気づかず
中才は縁に気づいて縁を生かさず
大才は袖振る縁をも生かす」
とあります。

人のご縁は不可思議なもので、この縁つくりは人間業ではありません。神が与え給うた「宝物」なのです。
それを生かさない人が如何に多いことか。
私は毎年12月に[OUEN Japan 望年会]を開催していて、関係する多くの皆さんにご案内していますが、その時の反応から、縁を生かす人とそうでない人の考え方が大きく違うことが分かります。
ビジネスに限らず人脈が拡大することは人間の器量が大きくなることだと思いますが、縁を生かして大才になることが楽しいことであり、人のお役に立つことができるのだと思います。

昨夜の中華料理店のお姉さんではありませんが、私はOUEN塾の団長であり、OUEN塾の先生でもあります。何を教えているのか、私も学生から教えられるのですが、それは人間学、生き方哲学ですかね。 人の考え方がその人の人生の幸不幸を決定します。幸せな人生を送るための人間学を具体性をもってお互いに切磋琢磨して学んでいく、その先頭を走りたいと思います。

小林 博重

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私は「先生」?、それとも「団長」?

昨日から金曜日(9日)まで福岡・北九州出張です。11月は再来週(19日〜22日)も福岡・北九州です。12月は東京を離れられないので、来年2月のOUEN塾の準備活動の今年最後の出張になります。 企業はほぼ固まりましたので、11月は大学廻りと後援先への訪問です。
学生リーダーの企業事前調査と参加学生募集のポスターとチラシの作成が11月の活動になります。

今日は、後援と同時に共催いただく福岡市に現状をご報告し、参加学生募集のご協力のお願いに福岡大学と西南学院大学を訪問しました。
やはり、自治体との共催はハードルが高いようで、よくOUEN塾が自治体のご協力を得ることができたのかと皆さん驚くやら感心するやら。これもネバーネバーネバーギブアップ精神の賜物です。地道にコツコツが凡人の私の得意技です。

夜は、天神のマンション近くの三鼎と言う四川料理のお店で一人、中華料理を堪能しました。三鼎には焼酎のボトルが入っています。毎月、福岡に来た時は来ているので、お店のお姉さんは私のことを覚えてくれています。店主以下皆さんは中国の方々で、中国訛りの日本語を話されます。
お姉さんは私が大学の先生だと思っているようです。以前、学生リーダーたちを何人か連れてきたことがあったので、私が先生だと思ったのでしょう。まぁ、先生のようなものです。 そのことを、福原さんと木村さんにラインで話しましたら、木村さんは、「団長は、団長と先生とどちらで呼んでほしいですか」と。
私は先生と呼ばれたことがありませんので、ちょっといい気持ちになりましたが、先生はいろいろな意味があって、「先生と言われるほどのバカでなし」と言う、先生を揶揄した言い方もあります。 一般的には、尊敬をもって先生と呼ばれるわけで、私は先生と呼ばれるほどの教養人ではありませんから、やはり「団長」の方がしっくりくる呼び方ですね。

やはり、私は高校時代から「応援」に関わっていて、本格的には大学の応援部ですが、それよりも今はもっとほんとの「学生の応援団長」です。団長が一番私に相応しいのだと思いますし、応援団長が私に与えられたミッションなのだと思います。
人はなかなか自分を分かっているようで分からないものです。人生は、その自分探しの旅をしているようなものですが、還暦を過ぎてでも見つけることができたことは幸せなことだと思っています。

小林 博重

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達磨宰相「高橋是清」のこと

NHKラジオのラジオ深夜便は私がこよなく愛するラジオ番組です。アンカーのアナウンサーは、テレビで顔馴染みの人もいれば専らラジオの人もいて、アナウンサーの顔を思い浮かべて聴くラジオもまたいいものです。 今日は「明治の群像」で、高橋是清の一生のお話でした。アンカーは川野一宇アナウンサーでした。
川野さんといえば、私が20代の頃はゴールデンタイムの番組の司会をされていました。私は安田信託でNHKを担当していた関係で、私の結婚式披露宴の司会をお願いしたことでも印象深いアナウンサーです。

達磨宰相と呼ばれた高橋是清は、明治大正昭和の三代で日銀総裁、総理大臣、大蔵大臣を務めた財政家であり政治家です。
番組では高橋是清の波乱万丈の生涯を話題にしていました。アメリカに留学した時には、何を間違ってか奴隷として扱われたかと思えば、それを肥やしにしてアメリカ人との交渉にも通用する英語を習得したとか。特許庁長官の地位と全財産を投げ打ってペルーに渡って炭鉱の経営に携わろうとしたのだが、その炭鉱は掘り尽くされていて倒産の憂き目を見たとか。 しかし、その不運を不運とも思わず、生まれ故郷の仙台藩の上司に「お前は運がいい男だ」と言われたことを疑いもなく、前向きに生きた前半生だったとか。
日露戦争の時、米英から戦費を用立てて貰えたのは高橋是清の熱意と才覚だったようです。大正昭和と大蔵大臣や総理大臣を務め、軍縮を唱えたことで、陸軍の若手将校により昭和12年の2.26事件で凶弾に倒れました。享年82歳。 天から与えられたミッションをやり遂げての一生だったと思いますが、大東亜戦争を防ぐことができなかったのは唯一の心残りであったことでしょう。

人生は有限ですから、その人のミッションを完結できる人はいないと思いますが、そのためにバトンがあるのです。後進に想いのバトンを渡して、後顧の憂いなく天に召されたいものです。

小林 博重

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六旗会(東京六大学応援団連盟OB OG会)に出席して

昨日(11.4)は毎年恒例の六旗会(東京六大学応援団連盟OBOG会)が御茶ノ水の明治大学駿河台キャンパスアカデミーコモンにて開催されました。東大からは20名の参加者でした(6割が私より年上の先輩たちであり、若い年代のOB OGが多く参加してくれることを望みます)。

六旗会はOB OGによる各大学の校歌応援歌、OGチアリーダーのパフォーマンス、チャンスパターンメドレー等が披露されますが、いくつになっても校歌応援歌を歌うと、一瞬にして応援部現役に戻ってしまいます。やはり、歌は人の心を高揚させ、元気づける力があります。 また、東大の先輩後輩や他大学の同期にも会って歓談し、現役の頃を懐かしく回顧しました。

二次会は鉄声会(東大応援部OB OG会)の重鎮の皆さんとの懇親会です。
井口会長は就任12年。私は幹事長10年。もう後進に道を譲る時期です。やはり、如何なる組織であっても新陳代謝は不可欠であり、会員の皆さんに支持されているとはいっても変わらなければならないのです。 重鎮の皆さんも快くご納得していただいて、私は一つ肩の荷を降ろすことができました。

今月の24日は、七朋会(国立七大学応援団OB OG有志の会)です。私はここでも幹事長ですが、こちらは六旗会と違って組織といえるほどのものではなく、気楽な私たち応援団同期会の拡大版です。どこまで続けられるか分かりませんが、こちらはできるだけ長く続けたいと思っています。

人間、80歳前後になると皆さん、体力的にも衰えが目に見えて現れるようです。足腰は弱り、杖のお世話にならなければならなくなる人も出てきます。座ったらなかなか立つことが難しくなることも頻繁です。
私は間もなく66歳ですが、少しずつ身体の衰えを実感しています。これは如何ともしがたいことで、生きとし生けるもの全て、生は有限なのですからそうでなければ悟りの境地に達することはできません。
精神面は青春の心意気であることが何より大切ですが、自分自身の身体の変調を確りと自覚して、それを踏まえた生活をすることが、有意義な人生であり、想いを達する早道なのだと思います。
また、元内閣官房副長官の石原信雄さんは93歳の今でも毎日銀座の事務所にご出勤されていらっしゃいますし、元九州大学総長の梶山千里さんも現在は福岡女子大学理事長兼学長として、世界を駆け回っていらっしゃいます。 このようなお元気でご活躍されているお二人のような大先輩を拝見していると、私も老人の入口に入ったようなことを口から発することはしてはいけないと思います。 言葉を発すれば、世の中はそのようになるもの、有言実行こそが世の中を変えると言われます。言霊ということも言われます。

前向きで明るい発言に心したいものです。

小林 博重

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田中真澄先生の講演会「臨終定年」

昨日は御茶ノ水の全電通会館にて田中真澄先生の講演会があり、妻と私のメンターでもある水谷歩さんと3人で拝聴しました。
田中先生のパルス出版主催の講演会は15年間続きましたが、先生も84歳と高齢になられ、今回の講演会が最後となりました。約400名の田中真澄ファンが集い、最後のお話に感慨深く聴き入りました。

演題は「臨終定年」〜人生後半の生き方〜でした。
私が田中先生に初めてお目にかかったのは、私が安田信託人事教育部に赴任した30歳の時でしたから36年前になります。新入社員研修の講師として、その時の上司であった川上健二さんが田中先生をお呼びになったのです。

当時(昭和59年頃)は金融自由化が叫ばれた走りの頃で、信託機能に注目が当たり始めた、言わば「信託の時代」でした。信託は金融のみならず公序良俗に反しないものであれば何でも信託になると言われ、文化系の学生はもとより、建築系や数学系の学生のみならず、化学や物理などの金融とは全く関係がないと思われる理科系の学生も入社を希望する時代でした。
そんな安田信託に入社したての新入社員には田中先生の講演はあまりにも刺激的でした。私にとっても同様です。これから60歳までの40年近くを安田信託銀行で働き骨を埋めようとしている若者にとって相応しい話の内容かどうか、私は少しの戸惑いがありました。

あなたの辞書から「余生」という言葉を墨で消して「終身現役」という言葉に変えなさい。
サラリーマン根性を捨てて、オーナー魂を持って生きなさい。寄らば大樹の陰ではダメ。一本独鈷の人生を生きることが人生成功の秘訣である。
サラリーマンは労働基準法に守られているが、そんなことでは成功は覚束ない。オーナーやその家族には労働基準法の適用はない。その特典を最大限に生かすことだ。サラリーマンもその精神を持って仕事に取り組まなければならない。
能力には3つある。それは、⑴知識と⑵技術と、それに一番大切な⑶考え方である。日本の大学をはじめとした教育機関は⑴と⑵しか教えていない。一番大切な⑶考え方こそが人を造るのだ。 ⑶考え方は、①努力コツコツと②しつけである。
②しつけは、挨拶と返事と後始末。
おはよう、ありがとうという挨拶をしているか。
人に呼ばれたら明るく「はい」と返事をしているか。「はい」は拝に通じる。相手を尊敬すること、相手に感謝することが明るい返事になるのだ。 後始末がしっかりできているか。自分で自分の不始末をきちんと処理しているか。
殆どの人間は凡人である。凡人の成功哲学は、一点集中とそれをコツコツ努力して続けること。一寸法師は鬼に飲み込まれた時、一点集中して針を鬼の胃を突き続けたから鬼に勝つことができたのだ。
得意技を磨け。プロと言われるまで得意技を磨けば人は捨てておかない。世の中は悪い人もいるが、そんなコツコツ努力し続けている人を助けてくれる人も大勢いる。思い上がらず下座に徹して生きなさい。そうすれば必ず天は君を助けてくれる。
「私は運がいい」と前向きに人生を生きることだ。どんな悪いことがあってもそれが自らに与えられた試練と思って努力することだ。次のステップに上がるための試練なのだ。松下幸之助さんはいつも「私は運がいい」と仰っていた。稲盛和夫さんは京都商工会議所の松下さんの講演を聴いて、素直に「そうなのだ」と思ったことが今日の京セラやKDDIを創ったのだ。
稲盛和夫さんは倒産したJALを2年間という短期間で再度上場にまで持っていった奇跡を作ったが、その一番のポイントは、「素直な心で、謙虚に、当たり前のことを地道に行動する」ことを社員に徹底させたこと。東大出のエリートは「そんなこと、言われなくても分かっている」と言う顔をしていたが、稲盛さんは「そうだったらやりなさい」と。難しくないこと、当たり前のことが存外できない。分かっていてもできなければ分かっていないと言うこと。

田中先生のお話にショックを受けて、それから10年余り経った時、稲盛和夫さんとの出会いがあったのです。

人生は人との「出会い」が人を創ります。「出会い」によって自らのミッションに気づくこともあるのです。
これからも人との「出会い」を大切にしていきたいと思います。

小林 博重

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“生きた証”を伝える。

今日11月3日は文化の日。明治天皇の誕生日であり、戦前は天長節とか明治節とか言っていたそうな。
明治天皇がお生まれになった日だけあって、統計的に圧倒的に晴れの日になることが多いのだとか。そう言えば、11月3日が雨模様という記憶は私が幼い頃も能登でも殆どありません。

能登では、七尾が別格の晴れがましい町です。
私が幼い頃は、11月3日の文化の日と5月の青柏祭には、祖父は七尾に連れて行ってくれたことを思い出します。
七尾では、このような年2回の祭があり、子どもの私は祖父に連れて行ってもらい、台湾バナナを鱈腹食べることが楽しみでした(その当時の台湾バナナはそれは高級品でした)。 私はただ一人の内孫であったせいもあり、祖父母には殊の外可愛がられて育ったような気がします。家庭の事情で、私は祖父母と3人で暮らしていたということもあるでしょう。

私の孫は、東京に1人、大阪に3人いますが、殆ど会うことはありません。私自身が年中無休の仕事人間であることもあり、孫たちの世話ができるわけではなし、敢えて会いたいとも思いません。
孫たちには、私の生き方や働き方、人生哲学を確りと伝えることができればと思っており、そのためには「世のため人のために」仕事をすることがなにより大切だと思うからです。

人にはその人なりの生き方や考え方や価値観があり、十人十色。こちらがが正しくあちらが間違っているというものではありません。 ただお天道様に恥じない生き方をしなければならないということだけです。

私は祖父からよく日露戦争の話を聞かされました。
祖父は、乃木将軍の下、上等兵で二〇三高地を攻めていました。乃木将軍が馬に乗って全軍を見廻りされていた姿を拝んだのだと言っていました。祖父にとって乃木将軍は神様のような存在だったのでしょう。それはある意味で幸せなことだったと思います。血の川の水を飲んだとも、鉄兜に弾丸が貫いた跡があるのに何でもなかったのは神懸かりだったとも言っていました。 「ぼぅはお国のために尽くすのだ」が口ぐせでした(「ぼぅ」とは私のことです)。

文化の日になると、明治天皇や乃木将軍を神様のように崇拝していた祖父のことを思います。

私も孫たちに、祖父が私に与えたような“生きた証”を伝えたいものだと思っています。

小林 博重

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光陰矢の如し

今日は11月2日です。私は今月8日が66歳の誕生日。北九州市の大学と企業廻りの予定です。福岡で美味しい酒肴で66歳の誕生日を祝うことにしましょう。

「光陰矢の如し」
1年はアッと言う間です。ちょっと前までが生涯一とも思われる酷暑だったのに、11月の声を聞くと秋の深まりを感じます。
人生は100年時代になったとは言え、66年間を振り返ると幼稚園から大学の10数年間がまるでこの前のことのように思い出されます。 今週、20年ぶりに、共に能登の田舎で育った2人の従姉妹に会ったことも、そのような思いに拍車をかけているのでしょう。
当に「光陰矢の如し」です。
いくら人生100年時代とは言ってもあと34年です。
年齢の6掛けの時代になったのだから、66歳は40歳だとは思ってもあと60年は生きることは非現実的です。
まずは、100歳までの34年間を現役で元気に働くことです。そのためには一段と健康に留意することです。

高校時代に、古典の授業で岩波文庫の「大鏡」を輪読したことを思い出します(先生が「大鏡」は東大入試に出ると言って、文庫本を教科書に使ったのです。国立の高校ならではですが、皆んな東大を受験するわけでもないのに、東大神話の最たるものです)。
「大鏡」は不死の翁(おきな)と媼(おうな)の2人が、子孫たちの生きざまを少し離れて見ていると言う物語なのですが、この2人の翁媼のような不老不死に憧れる自分がいるのと同時に、子孫が寿命を全うしてこの世を去るのを見続けることは残酷なことだとも思ったものです。
ある人は、「人間に対する最大の罰は、決して死ぬことができないことだ」と言いましたが、死にたくても決して死ぬことができないことは最大の罰と言う意味は本当にその通りと思います。

生きとし生けるものには全て必ず死があることの意味は、人間にとって、有限な人生を意義あるものにしようと、「人生を切磋琢磨して生きる」ことなのです。

私にとってこれから考えなければならないことは、OUEN Japanをそのミッション達成のためにOUEN塾を確りした形にすることと、私の想い、バトンを受け取ってくれる人財を育成することです。すなわち、事業のサステナビリティの追求なのです。 これからの10年間(77歳まで)できちんとその目処をつけなければなりません。

来年1月7日に毎年恒例の人間ドックを受診するために、新赤坂クリニックに予約しました。今回からオプションを追加しました。
まだまだ認知症や癌や心不全に掛かるわけにはいきません。

「天は自ら助くる者を助く」のです。

小林 博重

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人に与えることで人間は本当の幸せになることができる。

産経新聞10.31朝刊「難民の不幸」〜目標を決められない苦しさ〜と題したエッセーを読みました。

私たちは簡単に慈悲深い人や、善人になることはできない。
現実に何かを救おうと思う人はすぐそのことに気づく。人道主義をためらいもなく声高に言える人は、恐らく現実に、お金でも労働でも物の形ででも、難民に手を差し伸べたことのない人なのである。
難民の不幸は、目標を決められないことだ。日本人の成功談や出世物語は、多くの場合、スタートから目的を持っている。私の幼い頃はすでに、「末は博士か大臣か」という言葉もあった。今は博士も大臣も目のくらむほどの栄光を持っていないかもしれないが。中年の頃、個人的に親しかった芸者は「男はやっぱり地位とお金と名誉だわよ」と言い切っていた。 しかし日本の青年たちはやはり未来に目標も夢も持てる。通俗的な目標としてのお金も地位も、目指せば手に入れられないでもない。 しかし研究とか起業とか、もっと、世のため、人のなることも目指せる。
本当の幸福は、「受ける(手に入れる)」ことではなく「与える」ことだとよく言われるのだ。人間の心は不思議な構造になっていて、受け(与えられ)てだけいる間は決して満足せず、与える側に立って初めて満たされる。時には、自分の命まで犠牲にして(与えて)も他者を救う。そしてそのことに対して、当事者は決して損をしたなどとは思わない。 そういうことを、教育の場では改めて教えているのだろうか。

OUEN塾は、人に与えることで本当の幸せを掴む人間の育成を目指したいと思っています。

小林 博重

20年ぶりの従姉妹との再会

一昨日(10.30)、奈良と大阪から従姉妹の姉妹が上京し、吉祥寺で「いとこ会」を行いました。
従姉妹の2人は、私と同じ能登出身で隣町(今は平成の大合併で同じ中能登町になりました)です。姉は私の一回り上(78歳、辰年)、妹は猪年の71歳。美人姉妹です。 10年どころか20年は会っていなかったのではないか、父の葬式以来と思います。
どれだけおばあさんになっているのかと思いきや、美人は歳を取らないのか、気持ちが若いのか、2人とも未亡人になったせいなのか、人生を前向きに達観したようなところがありました。 この2人のイメージはやはり私が能登にいた小中学生の時であり、お互い幼い頃の子どもらしさなのです。

2人とも、それなりに人生の苦労を経験してきて、70歳代を生きているのですが、その苦労の中から自分の生き方をしっかり確立してきたんだ、私の従姉妹は優れ者なんだなと妙に感心しました。そして、私も見習うところが多々あると不思議に明るい気持ちになりました。人生はいろいろありますが、やはり素直な心が人間を明るくし、心が広く開かれるものなのです。

これが最後になるかもと言うことでの「いとこ会」でしたが、私は一人っ子なのでいとこには兄弟のような感覚があります。特に、この姉妹には家が近かったこともあり、他のいとことは違う感覚です。 そんなことを考えながら帰宅したのですが、私の3人の息子たちにはいとこはいないんだなぁ。妻も一人っ子ですので、息子たちにはいとこはいないのです。 これからの日本は少子化ですし、一人っ子同士の結婚だったらその子どもはいとこがいないんだと。ちょっと日本の少子化にセンチメンタルになりました。 NHKラジオで、このままの出生率が続くと、3000年(後82年後)は日本人が26人になるのだとか。数字の魔術ではなく、それが現実。これは国家的危機なのです。

日本の高齢化・少子化は構造的大問題であり、私自身のこれからの後半生を考える個人的な問題に矮小化できるものではありません。 まず、私たち個人レベルで、それが大問題だと気づくことですが、それを踏まえて、それぞれの生き方を真剣に考えることが大切なような気がします。

小林 博重

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100年人生に不可欠な「知の再武装」

『ジェロントロジー宣言』〜「知の再武装」で100歳人生を生き抜く〜(NHK出版新書)を読んでいます。著者は、サンデーモーニングでもコメンテーターとして登場される寺島実郎さんです。本の帯の「100年をどう生きるか」に惹きつけられ買い求めました。

人生100年を生きるに当たって、寺島実郎さんの下記のコメントは、私も経験上強く共感するものです。

人生の危機を乗り越える

100歳人生が現実のものとなった今、ふと立ち止まって、自分自身がこれから過ごす年月の長さを思うとき、もし生きる目的や方向が定まっていなければ、将来の不安ばかりが大きくなり、長寿だからといって喜んでばかりはいられなくなるだろう。

社会人になり、10年、20年と経つうちに、自分の人生を誠実に考えている人なら、「自分は本当にこのような生き方でよいのだろうか」と自問自答を繰り返すはずである。

そこから人生の深い闇に迷い込んでしまう人もいるが、そうした心の危機から脱するには二つの方法しかないというのが、私の現時点での結論である。

一つは人生の使命に気づくことである。「自分はこのために生まれたんだ」と覚悟が定まると、人間としての重心が下がってきて、迷いから脱却していく。自分に与えられた人生の使命を感じることは腹のくくり方の問題であり、危機脱却するために必要なことである。

もう一つは人との出会いである。「人間は人間が育てる」という言い方があるが、予想もしなかったような人との出会いが、自分の人生の使命感に目覚めるきっかけとなるのである。

それは自分が携わってきた仕事や職業に関係するとは限らず、偶然のきっかけによることもある。相手は専門家や教師の場合もあるが、友人だったり、人によっては異性だったりすることもある。

「使命感の確認」も「出会い」も、単なる運や偶然ではなく、主体的に行動を起こすことで呼び込まれるとも言える。

私は定年後には一人一つのNPOやNGOに関わること、つまり社会的テーマに挑戦することを勧めている。「知の再武装」には、気づきの瞬間、今までの生活とは異なる次元での人との出会いが必要なのである。

私にとってこの「使命感の確認」と「出会い」は、稲盛和夫さんに尽きます。

四十路を過ぎての稲盛和夫さんとの出会いがあって、今の私があるのだと思います。

寺島実郎さんの言う「知の再武装」の気づきは20年以上も前に遡るのです。

小林 博重