東京OUENリーダーのミッションとは?

昨日は、東京のOUENリーダーのMTGおよび暑気払いを行いました。
福岡・北九州と金沢のOUEN塾の進捗状況と東京リーダーのミッションの確認です。
福岡県も福岡市も、石川県も金沢市も、いずれも多くの大学生が県内外から入学している一方、主に首都圏の大学に入っている大学生もいます。

県内出身の大学生が県内企業に就職することに加え、県外から来ている大学生が県内に就職すること、県内出身の首都圏大学生が県内企業に就職すること(Uターン)、県外出身の首都圏で学ぶ大学生が県内企業に就職すること(Iターン)が地域活性化の一助になると、地方自治体は考えているのです。

地方都市で開催するOUEN塾は、地域活性化の一助になることを目的にしていますが、地方自治体とのコラボレーションによって、その目的はより速く、より効果がある形で果たすことができると思います。

地域活性化のためには若者たちがその地方に就職することが不可欠だと思いますので、OUEN塾の充実は地域活性化に大いに貢献することになるのです。 福岡県、福岡市、北九州市、石川県、金沢市はそのことを分かっていただいたので後援していただいたのです。

東京リーダーのミッションは、地方自治体の意向を受けて、各自治体の東京事務所とのコラボでUターンやIターンを考えている首都圏の学生たちをOUEN塾(in福岡・北九州、in金沢/石川)に参加してもらうことです。 その活動は、東京リーダーにとっても、社会との繋がりを学ぶ機会になると思います。

小林 博重

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石原信雄さんのインタビュー

昨日、「OUEN Japan を応援する」インタビューと写真撮影のために、銀座の地方自治研究機構に石原信雄会長をお訪ねしました。 インタビュアーはZENTA(海老名さんと早狩さん)、フォトグラファーはmusbi(李さんと崔さん)です。

石原さんは、大正15年生まれの御歳91歳。群馬県太田市出身。旧制大田中学〜旧制第二高等学校(現東北大学教養学部)〜東京大学法学部。昭和27年に東大法学部を卒業、地方自治庁入庁。昭和59〜61年に自治事務次官。昭和62年7月に竹下内閣の内閣官房副長官(事務)に就任。以後、宇野・海部・宮澤・細川・羽田・村山の7つの内閣で副長官を務められました。平成8年より地方自治研究機構理事長、平成18年より同機構会長をお務めです。 当に平成の官僚のトップを歴任された長老です。

「官僚組織は常に中立であって、どういう政権が誕生しても全力で仕える」
「行政のルール、守るべき筋道というのはあるはずだから、それを無視した政策は必ず破綻する」
「確かに信念は大事だけれども、相手構わず貫いてしまったら、世の中うまくいかなくなってしまう」

石原信雄さんとのご縁は、東大応援部の大先輩である篠沢恭助さん(元大蔵事務次官。国際協力銀行総裁。現資本市場研究会理事長)のご紹介です。 石原さんが東京銀杏会(東京大学東京地区同窓会)会長、篠沢さんが副会長であった時です。私が篠沢さんのお勧めで東京銀杏会の会員になった時です。 石原さんは穏やかな人懐っこいお人柄で、ふるさとの群馬銀杏会を立ち上げる時も私をお誘いいただきました。
私は、そのご縁で、今まで一度も住んだことも勤めたこともなかった群馬県の東大同窓会(群馬銀杏会)の幹事になったのです。今では、私は群馬銀杏会の総会にはなくてはならない(笑)、東大応援歌「ただひとつ」のリードとエールの担当です。

石原さんのインタビューは和やかな雰囲気で終始しました。彼は最初の赴任地である茨城県から鹿児島県に赴任されたのですが、奥様が妊娠されていたので単身で赴任されました。今は、東京から鹿児島は飛行機が当たり前ですが、昭和30年代前半には寝台列車(2泊3日)の旅だったとか。瀬戸内と九州を走る時が夜で寝台だったそうです。奥様は「地の果てに赴任する」と嘆かれたとか。隔世の感があります。 石原さんは「私の役目は、OUEN Japan の応援団長である小林さんを応援する応援団長だ」と仰られます。
自治省の時の部下の方々の多くが都道府県知事をされていらっしゃいますが、彼らを私にご紹介下さって「OUEN Japan の大学生や留学生を応援することと、それが地域活性化に貢献することになることは、素晴らしいことだ。学生が多く学んでいる地方の知事は小林さんを紹介する」と。

[OUEN塾in福岡]では、小川福岡県知事をご紹介いただきました。今度の石川県の[OUEN塾in金沢/石川]では谷本石川県知事をご紹介していただきます。

石原さんの魅力は、彼の中立公平な官僚としての矜持と能力ですが、ベースに彼の人懐っこい穏やかなお人柄にあると思います。
ざっくばらんなお話とお話しになっている表情が実に屈託のない、かわいい表情をなさるのです。
李さんや崔さんは写真を撮っていて、その人柄が分かると言います(人柄を撮るのがプロカメラマンなんだそうです)。

今の官僚の皆さんに、石原さんのお言葉からほとばしる「官僚の矜持」を、耳をかっぽじって聞かせたいと思いました。

小林 博重

ふるさと金沢/石川(加賀・能登)を想う

昨夜は、明倫学館OBの有志で作っている一金会のメンバーに依る「屋台船の遊覧会」がありました。浜松町(芝)を7時に出て隅田川を上り下りして9時半に浜松町に戻ってくる遊覧です。富山高校OGも数人参加して、18名が遊覧を楽しみました。

隅田川は夜といっても25度をはるかに上回っているので、舳で海風に吹かれる気になりません。屋台船はクーラーがガンガン効いているので、美味しいお酒と酒の肴を堪能しながら皆でカラオケを楽しんだ2時間半でした。

明倫学館は、石川県と富山県の出身者が入居している、小石川にある大学学生寮です。加賀藩主であった前田家の屋敷の跡に建設されたものです。

加賀100万石は、今の石川県と富山県が領地でした。加賀と越中と能登の3国で構成されています。今は加賀と能登が石川県、越中が富山県ですが、明治初期は越中と能登が七尾県だったこともあります。私の出身は能登ですが、金沢(加賀)にも富山にも親近感があります。

今は能登は石川県で金沢(加賀)と同じ県(石川県)ですが、明治初期は越中(富山)と同じ七尾県だったのです。

また、能登と加賀は「能登のとと楽、加賀のかか楽」と言われるように、住人の夫婦観が違います。「とと」はお父さん、「かか」はお母さんです。能登はお父さんが楽してお母さんが働く。加賀はお父さんが働く。甲斐性のあるお父さんはお母さんに芸事(能や謡)を習わせるなどお母さんは楽をする、という意味です。働くのは能登ではお母さん、加賀ではお父さんです。

富山は越中富山の薬売りで、全国いたるところに薬の行商をしていましたがそれはお父さんでした。男が働くのは越中と加賀。加越能はそれぞれが特徴を持って前田百万石を支えていたのです。

[OUEN塾in北陸]構想は、この前田百万石をイメージしたものでしたが、2つの県に分かれている現在では、それぞれの県のミッションがあることが壁になって、その構想は一旦棚に上げなければならなくなりました。まずは、[OUEN塾in金沢/石川]を立ち上げることです。来秋9月下旬に第1回を開催するべく、これから活動を本格化します。

「ふるさとはとおきにありておもうもの」

金沢が生んだ詩人の室生犀星の詩の一節ですが、今は遠くて近くなった東京から「ふるさと金沢/石川(加賀・能登)」を想い、ふるさと石川をOUEN(応援)したいと思います。

小林博重

人生二毛作の考え方、生き方、働き方

稲盛和夫箴言集(日めくり)の18日は、「もうダメだという時が仕事の始まり」です。

仕事において、「もう万策尽きた。ダメだ」とあきらめたくなるような局面においこまれても、それを終点とは考えず、むしろ第二のスタート地点と考える。そして、そこからさらに強い意志を持って、熱い情熱をかき立て、どんなことがあっても、とことんやり抜いていく・・・・・そのような強靭な粘り強さが必要だ。

私がどうして「人生二毛作」と思ったかというと、50歳が私の大きな人生の区切りになったからだと思います。
生まれてから50年間、大学を卒業し銀行に入社して、サラリーマンとして立身出世をしたいと思って生きてきました。自分のキャラクターに相応しい人生を送ることで人生を全うしようと考えることはあまり考えなかったと思います。人生の考え方、生き方、働き方もどちらかといえばサラリーマン的だったと思います。 しかし、それは50歳で卒業した気がします。自らの意思とは言えませんが、結果的にそうなりました。

私の一毛作目は、目指すところは「サラリーマンの出世街道まっしぐら」だったと思います。
この一毛作目を50歳で卒業して、そうだ二期作でなく二毛作の人生を送るしかないと思うに至ったのです。
二毛作は一毛作とは違う作物を育てることです。考え方、生き方、働き方は違うものでなければ、二毛作とは言えません。

私の二毛作目は、当初は試行錯誤の連続で、はたして二毛作の作物は実るのだろうかと人にも言われ、私も不安の船出でしたが、稲盛さんの人生哲学を参考にして、なりふり構わず走ってきたことが、今日の私を作りました。 まだまだ、夢の入り口ですが未来は明るく広がっています。
今は二生の15歳。論語でいうところの「志学」(学に志す)の歳です。一生の経験を無駄にすることなく、而立〜不惑〜知命〜耳順〜従心の人生を生き抜きたいと思います。

小林 博重

日野原重明さんを思う。

7.18 05:30 最高血圧 119/最低血圧 56

早朝のNHKラジオの「今日は何の日?」で、今日7月18日は日野原重明さんの命日と報じていました。昨年(平成29年)に105歳でお亡くなりになりました。もう1年が経つのです。
私はもう数年前にお目にかかりました。数年先のスケジュールも入れてあったとか。生きとし生けるものは全て生は有限ですが、日野原先生は120歳まで長生きされると、それほどの迫力がありました。

人間は死があるから、人生に限りがあるから偉大なことができるのです。その志を、同じ志を持った後に続く者にバトンを渡して、果たせなかった想いを引き継いでもらうのです。 死は悲しいことではなく、その死の瞬間まで生を全うしないことが悲しく情けないのです。バトンタッチする人がいないことが悲しいのです。

私のミッションはMapとOUEN Japan で果たしたいと思っていますが、不死ではありませんから想いの後継者を育てることもこれからのミッションです。
未だ、第2のミッションは全く見えていません。後35年、後55年の内にと思いますが、人の命はどうなるものか、第1と第2のミッションは並行して追求していかなければなりません。

サラリーマンを辞めて15年。
私の第一生はサラリーマンの人生でした。50歳で卒業して、同時に二生がスタートしました。今は二生の15歳です。
サラリーマンを続けていたらどうなっていたかと思いますが、人は一つの道しか歩くことはできません。
私の選択は間違っていなかったと思っていることは私が幸せな人生を送っているということです。

その幸せに感謝して、相手を思いやる謙虚な心を持ち、天から与えられたミッション達成を果たすべく精進努力したいと思います。

小林 博重

世のため人のために生きること

7.17 05:30 最高血圧 119/最低血圧 55
7.17 18:30 最高血圧 126/最低血圧 63

午前は顧問先での営業会議。
午後は事務所で8月6〜10日の福岡・北九州出張のアポ取り。

今日は内勤の一日でしたので、ちょっとホッと一息。未だ7月の半ばだと言うのにもう夏バテ気味です。この夏は、最高気温が35度以上、最低気温が25度以上というのが極当たり前です。 長期の広域豪雨と猛暑は地球の怒りの現れかもしれません。人類は万物の霊長と少し驕り高ぶっていたのでしょう。

リンダ・グラットン教授の『ワーク・シフト』を読み直しています。私たちは「働き方」「生き方」「考え方」「常識」を根本的なところで、今までのものから 大胆にシフトしなければならないのだと思います。

芭蕉が唱えた俳諧の理念の一つに「不易流行」があります。
変えなければならないものと、決して変えてはならないもの。
人間とは何か。生きるとは何か。働くとは何か。
それを追求し続けることは、変えてはならない本質をしっかりと見つけることです。
目的と手段もそうです。手段がいつのまにか目的になってしまっている。
やはり、「謙虚」に自らを見つめること。支えてくださる多くの方々に深い「感謝」の念を持つこと。それは全て「素直な心」から発するものです。

私たちは幼い頃から、このような原始的な、誰もがそう考える、当たり前だと、そんなことは言われなくても分かっていると思うことを言われて育ちました。 私はそれを。私を育ててくれた親よりも親の祖父母からいつも言われました。
稲盛和夫さんは同じことを私たちに何度も何度も言われました。
嗚呼、おじいちゃんやおばばが言っていたことを、あの稲盛和夫さんが仰っていると、私は幼子になったように稲盛和夫さんのお話をお聴きしたのです。

◯◯ファーストとか◯◯第一主義とか、我れが我れがと自己主張をすることが、強く正しいことになっています。
人を思いやること、相手の立場に立って考えることで、世の中は丸くいくはずなのですが、どうしてそうならないのか。
子どもの頃、私は政治家になって「世のため人のために尽くしたい」と思っていましたが、周りの人は「小林は政治家には向いていない。全く正反対の人間だ。政治家は手練手管ができて、人を人とも思わない人種なんだ」と私を諭しました。 そうですね。古今東西、政治家はそんな人なんでしょう。だから、あの西郷さんは政治家を辞めて鹿児島に帰ったんですね。

私は私のやり方で小さなことからでも、幼い頃に思っていた「世のため人のために」生きていきたいと思います。

小林 博重

金沢市本多町の「鈴木大拙館」について

7.16 13:30 最高血圧 120/最低血圧 62

日本経済新聞朝刊7.15「春秋」のコラムに、金沢市の「鈴木大拙館」が取り上げられていました。

鈴木大拙と言えば、金沢市が産んだ世界的仏教学者です。ノーベル平和賞の候補にも名があがった「東西のかけ橋」と言われたそうな。

鈴木大拙館は金沢市本多町にあります。2011年秋に開館し、昨年末までに30万人が訪れたとか。今も年7万人ペースの来館者があり、4割は海外から。そして、彼らは概して、長い時間滞在するらしい。 北陸新幹線開業もあり、日本人のみならず外国からの観光客が大勢来沢しています。
タクシーの運転手さんのお話では、観光タクシーに乗る(1時間5,000円)のは日本人が多く、西欧の観光客は少人数でテクシー、中国は観光バスで観光する団体が多いのだとか。

この施設は、モダンな建物内に書斎での写真や自筆の書が点々と配されている、これほどモノのない場所は珍しいとか。
水や風の音を耳にし、自分を包むゆったりとした時間と向き合い、何かを感じ取るひとときを持つことを西欧人は好むのでしょう。国民性の違いと言ってしまえばそれまでですが、心の豊かさや文化レベルの違いと言うのは言い過ぎでしょうか。

私など、何だかんだ言いながら、毎日あくせくとすることをよしとしています。
来週は毎月1回の金沢出張です。私が顧問をしている浦建築研究所も本多町にあります(同社がこの施設の設計をしたように聞きました)。そんなご縁があるところなのですから、「心を清める」ためにも来週は訪ねてみようと思います。

「灯台下暗し」
金沢市は私が高校時代3年間お世話になった街であり、来秋には[OUEN塾in金沢/石川]を開催するご縁の塊の街です。
この機会にふるさと金沢/石川をよく知り愛し、金沢/石川の地域活性化のために微力ながら尽くしたいと思います。

小林 博重

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未来を担う若者が目指す人間像とは、

『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(磯田道史著。NHK出版新書)を読みました。
磯田道史さんはバランス感覚豊かな当代一の歴史学者です。
本書は司馬遼太郎さんの作品から、戦国、幕末、明治、昭和前期を扱ったものを取り上げながら、それらを入口にして日本の歴史や日本人の姿を見つめ直した好著です。

歴史は何のために学ぶのか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われます。私たち凡人は、凡人なりに経験に加え、歴史に謙虚に向き合い、悲しい歴史を決して繰り返す愚を避けなければなりません。当に、この世の中が幸せで豊かな世界になっていくために歴史を学ぶのです。

司馬遼太郎さんは『二十一世紀に生きる君たちへ』で、こう述べています。
「もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである」

私たちはどんな人間になっていくべきか。
⑴自己の確立を追求する人間
⑵他人をいたわることができる共感性の強い人間

OUEN Japanを通じて、私と学生たちとが、共に大きく育ち(共育)、目指すべき人間になっていきたいと思います。

小林 博重

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曽野綾子さんの箴言

曽野綾子さん著『老いの僥倖』(幻冬舎新書)は、含蓄に富んだエッセイです。

その中からいくつか。

1.損か得かはその場ではわからない
損か得かということは、その場ではわからないことが多い。さらに損か得かという形の分け方は、凡庸でつまらない。人生にとって意味のあることは、そんなに軽々には損だったか得だったかがわからないものなのだ。 (中略)
現世でのご利益を、私の信仰では求めないことになっているのだが、不思議なくらい、私が誰かに贈ることのできたものは、神さまが返してくださっているような気がする。運命を嘆いたり、人に文句ばかり言っている人と話をして気がつくことは、多くの場合、そういう人は誰かに差し出すことをほとんどしていない。 与える究極のものは、自分の命を差し出すことなのだが、私のような心の弱い者には、とうていそんな勇気はない。しかしささやかなものなら、差し出せるだろう。
国家からでも個人からでも受けている間(得している間)は、人は決して満足しない。もっとくれればいいのに、と思うだけだ。しかし与えること(損をすること)が僅かでもできれば、途方もなく満ち足りる。不思議な人間の心理学である。

2.人生は思い通りにいかないからすばらしい
人生はワンダーフルだという。初めて英語に接した時、ワンダーフルという単語は「すばらしい」とか「すてきな」という意味だと習った。しかしワンダーというのは「驚嘆すべきこと」「不思議なものごと」という意味で、人生がワンダーフルだということは、「人生は、不思議な驚嘆すべきものごとで満ちている」という意味になる。 人生は当人にも予測しがたいことに満ち、それが受け手にとってすばらしいかどうかは、二の次である。
しかし意図しなかったことではあるが、自分が思いもかけない道を歩まされ、それがそれなりに意味があったことを発見できた人は「人生はワンダーフル」と言うようになる。その人は成功者なのである。そういう境地に達するには、自然の成り行きこそ神の望むところだったという認識が力を発揮している。 人生は予定通りではつまらない。

3.生き方に信念を持つ人は美しい
人間を美しく見せるのは、個性である。その個性を作るのは、彼か彼女自身の哲学や生き方に信念を持つことなのだろう。それが歩き方にも、食べ方にも、身のこなしにも表れる。 六十になっても、八十になっても、その年の人らしい人間のおもしろさが出せなければ、その人はただ古びていっているだけということになる。

4.人生に引退はない
百歳まで生きる人が多くなったという時代に、そして百歳に近づくほど、人な世話にならねばならないのに、七十代半ばから遊んで暮らしていたら、社会はとてもやっていけない。
人生に引退はないのだ。死ぬ日まで、体の動く人間は、生きるために働くのが自然なのである。そしてまたそのことが、人間に生きる目的も、自信も、希望も持たせるという事実も忘れたくない。

5.人柄が悪い人はおもしろい人生を送れない
人柄のいい人、という定義には、特に外見が美しいとか、大金持ちだとか、地位の高い人だとかいうニュアンスは込められていない。しかしそこには人間の魅力の源泉である温かさという美徳が込められていると私は感じている。
生きている人には体温があるのだが、この頃他人のことなど眼中にない、という爬虫類のような人もいるようになった。もちろんライオンにも象にも、心に近いものはあるのだろうが、動物の心の主流は、もっぱら自己保存の本能に向けられている。自分以外では、子供が親を求めたり、子供を守ろうとしたりしているが、それらは自己保存の本能変形だろう。 身の回りの肉親や、他人のためにあれこれ思うことのできる心の存在が、人柄を作るのである。
人柄のいい人は、自分のであれ、他人のであれ、人生を総合的に見られる眼力を持っている。他人が助けられるのは僅かな部分だが、それでも手助けしようと考えるのである。 別に自分の人柄をよく思われなくていいです、と若い人は言いそうだが、客観的に見てあの人は人柄がいい人だ、と思われないような人に、他人は尽くさないものだろう。
人柄の悪い人には、何か助けるべきことがあっても、してあげようという気にならないことがある。だから人柄がよくない人は、結果として貧しい人生を送る。お金やものに貧しいだけでなく、何よりおもしろい人生を送り損ねるのである。

OUEN Japan を運営するにつけ、心すべき言葉です。

小林 博重

OUEN学生リーダーについて(2)

昨日のプチ断食を終えて、今朝は3時前に目が覚めました。
3時過ぎに徒歩2分の事務所で先週の仕事の整理と今週の段取りをチェックします。
早朝とは言っても気温は25度を超えており湿度も高く、エアコンなしでは仕事は捗りません。

毎度思うことですが、気を落ち着けて仕事をするのは早朝に限ります。頭も心もクリアで、気持ちも乗ってきます。
ヒーリングミュージックを聴き、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、マルチのビジネスマッチングを考えるのです。ビジネスコラボレーションから、そのプロジェクトのコーディネートをすることが得も言われない楽しみです。 これはMapビジネスのみならずOUEN Japanのボランティアにも言えることです(MapとOUENは一体不可分ですので当然ですが)。

特に、OUEN塾は、地域活性化を日本人大学生や留学生と地域の地場企業との交流によってサポートするという、学生のボランティア活動による継続的な「地域活性化と国際交流の相乗」イベントです。 県や市や経済団体の後援を受けたイベントにしますので、公共性も高いものがあります。

マタイ福音書には「人はパンのみにて生くるものに非ず」という言葉がありますが、この歳になって、本当にこの言葉は真実だと思います。 私は稲盛和夫さんに私淑して20年以上が経ちますが、この20年間の体験を伴った心身の変遷からそのことを実感するのです。
やはり、凡人は身を以て体験しないとなかなか自らの血肉にはならないもののようです。

OUEN塾の活動を通じて、若者が体験を通じて大きく成長していくことを目の当たりにして、彼らの成長と共に、私自身が心が洗われ、学生から気付きを得て、少しずつ成長していっていることを実感します。 当に、「きょういく」は教え育てる「教育」にあらず。共に育つ「共育」だと悟るのです。
そして、そのことを教えてくれた若者に感謝するのです。老若男女、肌の色を問わず、人は平等です。そのことを強く実感します。

私のような歳で、二十歳 前後の若者と、ざっくばらんに話ができて、お互いを刺激し合う関係を築くことをしている人は殆どいないのではないでしょうか。若者とのコミュニケーションは、心身ともにリフレッシュすることができる特効薬なのです。

OUEN塾のOUENリーダーは、東京と福岡・北九州を合わせて、総勢25名です。
これから金沢(石川県)でも募集しますので、私の息子たちや娘たちはこれからどんどん増えていきます。なかなか歳を取ることができません。ありがたいことです。

若者たちから元気のエキスをいただいて、今日も一日、元気で頑張ろうと思います。

小林 博重

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